58.冷酷王女は委ねられ、
「…プライド。」
三人の様子を見守っていた私に声がかけられる。
大きくなったステイルだ。私より遥かに高い身長で、優しく私を見下ろしている。
「ステイル。…本当にありがとう。」
そう言いながら彼の手を取る。「何を言うのですか」と笑いながら、彼は私の手を握り返してきてくれた。
「全ては貴方の御心のままに。…ただその結果です。」
間近でみると、本当にステイルは綺麗な顔をしている。まるで美術品や絵画を見ているかのような気分だ。
ステイルはそのまま長い脚を折り、ゆっくりとそのまま私に跪いてみせてくれた。
「俺は…貴方のお役に、望みを叶えることはできましたか…?」
私よりずっと年上になっているステイルが、やはりその目だけは12歳の面影を残したままで私を見つめている。
「当たり前じゃない。」
そう言って私はまるで彼の妹のようにその胸に飛び込んだ。すっぽりと私の身体が彼に収まってしまう。首に両腕を巻き付け、強く握り締める。まるで、父上や兄に甘えている気持ちになる。
「この身体も…悪くありませんね。」
強く締めすぎたのか、少しステイルの顔が熱い。ふと距離を開けてみてみるとステイルは何でもないと笑って返してくれた。
「それでステイル…その身体は一体…?」
やっと私は疑問を口にする。そのまま腕を緩めてステイルから離れる。
ステイルは私のせいでずれた眼鏡の位置を直すと、そのまま少しまた不機嫌そうに「ジルベールに。」と答えてくれた。
話によるとマリアンヌさんの部屋まで来るのに全力疾走のジルベール宰相に十二歳の身体ではとても追いつかず、特殊能力で身体の年齢を操作されたらしい。お陰で速く走れましたが、と言いながらステイルは少し不服そうだった。
「他人の身体まで年齢操作できるなんてすごいわね。」
そう言いながら私はゲームの設定を思い出していた。そういえば早々に城を抜け出したティアラが兵に見つからず、城下で暫く過ごせたのはジルベール宰相が特殊能力でティアラを十三歳の姿に変えたからだ。
「まぁ、他人の場合は姿だけで本人自身のように寿命までは操作できないそうですが。」
そう言いながらステイルは改めて自分の手を眺めた。十二歳のステイルよりも大きくて、身体つき自体もしっかりしている。
「…元には戻るのよね?」
「ええ、ジルベールの手によれば。」
つまりはジルベール宰相の意思がなければずっとこのままということだろうか。よくよく考えるとジルベール宰相の特殊能力もかなり神がかっている。
……だから、だろうか。
ふと、過ぎった疑問に小さく胸が締め付けられた。
彼は、自分自身が極めて珍しい特殊能力だからこそ、普通の人が空想としか思えないような特殊能力者の存在を信じ続け、諦められなかったのかもしれない。
今もまだひたすらに涙を流し続けているジルベール宰相を見てそう思う。
彼はきっと、恐ろしく純粋な人だ。
若くして彼女を幸せにする為だけに宰相まで上り詰めた。
そして彼女が病になれば、自分のそれまで築き上げてきた全ての手段や権利をもって彼女を救おうとし続けたのだから。
例え、彼女以外の全ての人間を引き換えにしてでも。
ゲームの中のジルベール宰相は、プライドと五年後の約束をしていたからこんな暴走はしなかったのだろう。
あと少し、あと少しで彼女を救えると思いながら、最後に地獄へ突き落とされてしまった。
今思えば、それも全てプライドの手のひらの上だったのかもしれない。既に五年前、マリアンヌさんが死ぬ時を予知していたからこそジルベール宰相に五年という期間を与えたのだとしたら。
残酷な彼女らしい、えげつない楽しみ方だ。
ステイルやアーサーにやったことと同じだ。絶望に落とされた人間を見るのが好きな彼女だからこそ、…私だからこその考えだ。
こうしてプライド本人である私自身が思いつき、理解できたことが何よりの根拠だと思う。
きっと、今回のジルベール宰相は正常な判断がとっくに尽きてしまっていたのだろう。
いつから彼がここまで変わり果ててしまったのかはわからない。
でも、愛する人を救う手立てが何も掴めず、ただひたすら衰弱して苦しむ彼女を眺めることしかできなかった時間が七年も続けば、彼自身の心が病んでしまってもおかしくはない。
勿論、それでも今回彼が犯そうとしたことが肯定できる訳ではない。
共感はできない、でも理解はできる。
七年間も出口の見えない場所で必死にもがき続けてきた彼のことを。
前世のゲームの中では、国中で起こる大量虐殺の引き金を引いてしまったことに心から嘆き、後悔し、苦しみ、必死に抗おうとした彼のことを。
プライドが約束通りに制定したジルベール発案の法律…恐らくはこれが〝特殊能力申請義務令〟だったのだろう。それによって早々に国中の特殊能力者の能力が暴かれた。そして全ての優れた、または希少な特殊能力者はプライドへの隷属か死の二択を迫られることになる。
自分以外に珍しい特殊能力、優れた特殊能力者の存在が許せないという、女王プライドの子供じみた我儘のせいで。
自分に従うならば隷属の契約を。それ以外には死を。
その結果、プライドに反抗の意を示した貴重な特殊能力者達が大量虐殺されることになる。
そのせいで彼は、自らを老人か13歳の姿にしか維持できなくなってしまったのだから。
奇しくも恋人の最期の願いである「私の分まで生きて」という言葉が呪いとなった彼は婚約者を失った痛みに生きて耐え続けなければいけなくなった。
そして婚約者を失って数日間絶望に打ち拉がれた彼は、プライドの悪魔の法律制定からは懺悔の為だけに生きるようになる。
自分の罪を贖う為に、婚約者という生きる希望を失っても宰相として変わらず国の為に働き続けたのだ。
せめて今を生きる国民の為に、自分が宰相としてできる全てで償いをと。
ティアラとの恋愛で、ジルベール宰相の生活を垣間見た時、彼は自分の財産を必要最低限以外全て貧しい国民達に捧げていた。また、彼自身の手腕により、国から隠れるように生きる希少な特殊能力を持つ民を匿ってもいた。
だからこそ彼は影で多くの民に好かれ、民達もまた、城から逃げたティアラを匿うのに協力してくれたのだ。
城下に出て、必要最低限の暮らしをする十三歳の姿をしたジルはまるで世捨人のようだった。
ティアラがジルに触れようとすると彼は拒み、「こんな血に汚れた手で貴方には触れられません」と断っていた。
自分を罪人と、汚らわしいと自虐しながらも彼は常に国民の為に身を粉にしてきた。
「きっと私は死んでも彼女のいる天へは昇れないでしょう」
そういうジルベール宰相は本当に悲しそうだった。
だから、私はどうしても彼を憎めない。
前世のゲームの中であんなにも辛いことばかりだった彼だから。
ティアラが自分に恋するルートにいかないと老人の姿のままで、自分を処刑して欲しいと求め、それでも許されると老人の姿のままでありながらも、国を支え続けるといってくれたジルベール宰相だから。
せめて、私のいるこの世界では彼が最初に愛した人と幸せになって欲しかった。
この国…いや、世界で唯一の病を癒す特殊能力者であるアーサーはずっと自分の特殊能力を勘違いしていたから、自己申告であるプライドの法案にも引っかからなかった。
主人公であるティアラがアーサーのルートに入らないとアーサー自身もずっと自分の特殊能力を知らないままだった。
そして、どちらにせよアーサーが知るのは、ジルベール宰相の婚約者であるマリアンヌさんが亡くなってから五年後の物語だ。
「プライド様…‼︎」
ふと、顔を上げるとジルベール宰相がフラフラと私の方へ歩み寄ってきていた。
十七歳サイズのステイルが、私の前に出ようとしたけれど袖を引いて引き留めた。
「この度は本当にっ…本当に…ありがとうございました…‼︎」
そう言ってジルベール宰相は私とステイルの前に平伏した。
「貴方が居なければっ…私は…マリアンヌはっ…‼︎」
そう言いながらも、また声が震えていた。
やっぱり、彼は既にマリアンヌさん同様に擦り切れる寸前…いやとっくに擦り切れてしまっていたのだろう。
「顔を上げて下さい、ジルベール宰相。マリアンヌさんを救ったのは私ではありません。」
そう、私はただアーサーに本当の特殊能力を教えただけだ。私一人では絶対に彼女を救えなかった。
なのにジルベール宰相は綺麗な顔を床にぴったりとつけたまま、顔を上げようとはしなかった。それどころか、いつのまにか繰り返される感謝の言葉が「申し訳ありません」という懺悔の言葉に変わっていた。
まだ、気持ちの整理がつかないのだろうか。そう思って私自身が膝を折り、彼の顔を上げさせようとその肩にそっと触れた。
申し訳ありません、申し訳ありませんと繰り返す彼の肩は、酷く震えていた。
「ジルベール宰相、私は何も」
していません。と、彼を落ち着かせる為に低めの声でゆっくり語りかけようとした時だった。
「ッ私は‼︎」
彼の突然の大声に思わず彼の肩に触れていた手を引っ込めてしまう。
「…私はっ…貴方に許されぬことをいくつも…いくつも犯しました…‼︎」
今度こそ、目で見るだけでもわかるほど彼の身体が震えている。拳だけを強く握り込むその姿は、怯えか、怒りか、悲しみか、それすら私にはわからない。
ただそう言ってジルベール宰相が次々と懺悔し始めた言葉からははっきりと後悔が感じられた。
五年前から遡る懺悔。
私の悪い噂を城内外に撒き、それをきっかけに私だけでなく王族の印象までも陥れて自分の味方を、法案協議会の決議の為の味方を増やそうとしたこと。そして特に元々八歳まで悪評が多かった私への悪評は今の今までずっと彼が城内外に広め続け、逆に良い噂は揉み消し続けたらしい。
また、裏稼業の人間との繋がり。元々我が城で裁かれた罪人と彼は敢えて繋がりを持ち、そこから裏稼業の人間と今までも金で情報の買取を続けていたらしい。この国民の特殊能力者の情報を集められるだけ、限りなくずっと。
そして、その流れで人身売買の情報を知っても彼は敢えて表上知らぬふりをし、情報を探り続けた。特殊能力者が売られていた場合、品物情報にはっきりとその人間の特殊能力が記載され、探しやすくなるからだったという。
最後に、私とステイルに見つかったあの時、もし本当に病を癒す特殊能力者の手掛かりさえ手に入るならば城の守備情報でも私達王族の身柄でも何でも渡す覚悟だったという。
正直、私にそれは言ってはまずいだろうと思う内容が大量に含まれていた。
私の悪評なんてどうでも良い。むしろゲームの強制設定ではなく、ちゃんと人間による故意の結果だとわかって少しホッとしたくらいだ。でも、問題はその後だ。ステイルも察していたようにあの時宰相を問い詰めていたし、私自身も宰相と彼等とのやり取りで察しはついていたけれど、本人の口から改めて聞くと凄まじさが全然違う。
正直、彼が宰相という立場でありながらということを抜いても、刑罰で言えば確実に処刑一択だ。
罪状の数で言えば、私が以前裁いた王国騎士団奇襲と捕虜で捕らえられたヴァルよりも遥かに多い。
「ッ覚悟はできております…‼︎私自身ならばどのような罰でも受ける覚悟が…‼︎」
そう声を上げて、一向に顔を上げようとしない。
ステイルの方を小さく向くと、彼は目を瞑り、私の方へ頭を下げた。私に全て任せる、という意味だろう。
マリアンヌさんの方を向くとアーサーに起こした身体を支えられ、目を潤ませながらも言葉を飲み込むように私とジルベール宰相の方を見つめている。彼女もまた、彼に下される言葉を覚悟しているのだ。
「…それは、私に貴方の罪の裁きを委ねるという意味で間違いありませんか?」
そっと、彼に語りかける。
彼は間髪入れず「はい…‼︎」と返事を返してきた。
「私は…貴方方を咎めるつもりはありませんでした。」
私は今、とても残酷なことを彼に、言おうとしている。
私の〝でした〟という言葉にもジルベール宰相は身動ぎ一つしない。私に全てを告白した時点で本当に全てを覚悟しているのだろう。
「ですが、貴方のその行いをその口から全て聞いてしまった以上、貴方を許すわけにはいきません。」
「当然です…‼︎」
続ける私の言葉に彼が応じる。きっと今、この場で死ねと言われたら彼は躊躇いなくそうするのだろう。
「ジルベール・バトラー。」
彼の名を呼び、今度こそ彼の肩に触れて力を込め、彼の顔を上げさせる。
昔のアーサーを思い出す、涙でボロボロの顔だった。そしてそれ以上にジルベール宰相はその綺麗な酷く顔を歪めて唇を引き絞り、何かを許せない、といった表情だった。…悔いているのだと、そう思いたい。
「父上や母上に…全てを〝打ち明けない〟覚悟はありますか。」




