505.宰相は駒を進める。
「ジルベール宰相殿、発注していた物が届きました。」
早朝。
昨日のプライド様とラジヤによる反乱により、遅くまで城内への指示と王配、宰相業務に追われた私は今日も王宮に泊まった。
ここ最近は王宮で寝泊まりすることが多かった為、慣れた寝床ではあったがそれでもなかなか安眠できる状況ではなかった。軽い睡眠のみを執務室で取り、一人仕事をしていた私の元に従者が届いた物を運んできた。礼を伝え、近くの机に置かせたが、その後も従者は部屋から出ず物言いたげに私を見つめていた。
「……どうかなさいましたか?」
彼の言いたいことも予想はつく。
届いた荷を解き、中身を確認しながら私は従者に尋ねた。躊躇いを産まないように柔らかく意識した言葉掛けに、彼は言いにくそうに一度口を結んだ後、潜めた声で答えた。
「……このまま、……我々はどうなってしまうのでしょうか……?」
不安と恐怖が色濃いその言葉と共に、彼の顔色は酷く優れなかった。
当然だ。王居や城内はまだしも、王宮内にいることを任じられた彼らは、女王であるローザ様達が人質に取られていることも、既に中核をラジヤ帝国に握られたことも知っている。いつ自分達が口止めで殺されるかもわからないどころか、王国の危機を最も近くで見ているのだから。
「……今は、陛下の為に全力を尽くすしかありません。大丈夫です、今のところは条約締結や法律改正などもありません。その時は私にお任せを。」
そう言って、従者の肩にそっと手を置く。
触れてみれば、既に全身が怯えるように彼は震えていた。私が笑んでみせ、少し息を吐けた彼を労い、部屋の外まで送り出す。
……恐らく、今この王宮内には彼のような不安を抱く者ばかりだろう。いつ、この不安や不穏が爆発するかもわからない。彼らが先走った行動をしないように目を光らせておかなければ。
「……ステイル様も、もうそろそろですかね。」
時計を確認し、私は必要な書類を懐に入れ、残りは腕に抱えた後に部屋を出た。
ステイル様も宮殿からこちらに向かわれている頃だろう。玉座の間に居るプライド様と皇太子から指示を仰ぐ為に。
昨夜も、部屋へ戻られる頃には顔色が優れていなかった。最近戻られてきていた目の色も再び濁り、虚ろに変わられた。……原因は、考えるまでもない。
アーサー殿の負傷とプライド様による反乱。そして手枷。手と手の間の鎖が長い為、日常生活に大した負担は無いが特殊能力を封じられている。私は対して不便はないが、……ステイル様は大きな武器を奪われたようなものだ。
両親であるアルバート達やヴェスト摂政を人質にされ、慕っていたプライド様は皇太子と反乱。御友人であるアーサー殿は未だ意識不明の重体だという。ここまでくると、あの時にティアラ様を避難させておいたのは英断だったとつくづく思う。プライド様は未だに話題に出されないが、もしかすればアルバート達と同じようにティアラ様もベッドに寝かされ、人質にされていたらと思えば想像するだけで寒気がする。
今はとにかくプライド様の出方を伺い、無謀な法案を阻み、そして
一刻も早く、騎士団演習場へ。
今、この状況を打開できるのは我が国が誇る王国騎士団のみ。更には今恐らく〝国内で最も安全な場所〟でもある。
それに、騎士団演習場に居るのは騎士団だけではない。アーサー殿がいる。まだ重傷としか報告は受けていないが、彼がラジヤに傷を負わされたのは間違いないだろう。プライド様やラジヤには彼の存命も隠し通しておかなくてはならない。もし生きていると知られれば、……確実にまた命を狙われるだろう。
もし、アーサー殿が今朝にでも目が覚めていて下さればこれ以上のことはない。怪我治療の特殊能力者もいる。ある程度にお身体も回復されていれば話も聞けるだろう。それに、…………。
「……アルバート、ローザ様、ヴェスト摂政…。」
気がつけば、廊下を歩きながらつい彼らの名を口遊む。
我が友、そして大恩ある方々でありフリージア王国の中核。彼らをこのままにしておくわけにはいかない。
もし、昨日のあの場で私がステイル様をお連れして逃げていれば、確実に一人……恐らくヴェスト摂政が見せしめにされていた。豹変したプライド様も、そしてラジヤ帝国の将軍や皇太子がそれを躊躇うとは思えない。
『まさか〝同じ選択〟をするつもりではないだろうな?』
昨日の、ステイル様の言葉を思い出す。
過去にマリアを病から救う為に私が愚行と大罪を犯した時を示しての御言葉だ。
また、アルバート達を救う為に間違った道に手を染める気はないかと危惧して下さった。当然、そのつもりは無い。今は、もう
『そうよねぇ、貴方は……ちゃあんと私のことをわかってくれてるものね……?』
……私を御救い下さった大恩者。
あの御方が望んで下さった我が国の未来と私への罰の為ならば、躊躇いなどない。
今はただ、最後の最後に過去のプライド様が望まれた願いを叶えるまで。
たとえ、どれほど多くの痛みを引き換えにしようとも。
……
「セドリックが居ない……ってどういうことかしら?私を暗殺しようとした犯人よ。何故逃しちゃったの?」
責めるような、不満を露わにした声はプライドのものとは思えないほどに低く、気だるいものだった。
玉座の背凭れに脱力し、頬杖をつく。「これじゃあ台無しじゃない」と文句を言えば、ステイルもジルベールも深々と謝罪するしかなかった。
「暫くは滞在頂きましたが、他に証拠もなく。その為、つい先日お帰り頂きました。」
静かに返すジルベールの言葉に、プライドが機嫌を悪そうに顔を歪めた。
暫くは一人で考え事をするように眉間に皺を寄せて不満を露わにするプライドだったが、話を変えるようにジルベールの話を続ければ少しだけ眉間の皺も緩んだ。最後まで聞き終えた後、彼の言葉を一部そのまま返す。
「……騎士団に直接、……ねぇ。」
ふぅん、と小さく唱え、玉座から足を組む。
今度の話題には少し興味が湧いたように、玉座の左右にいるアダムと将軍も視線を強めた。
プライドの左右にはアダム、そして将軍がまるでフリージア王国の幹部のように控えていた。昨日から王宮に住み始めた彼らは、今は身なりも綺麗に整っていた。アダムも深紫色の髪を右に流し、将軍も乱れた髪が切り揃えられていた。投獄されたラジヤの部下や従者達はそのままに、彼らは没収された私物だけを全て取り戻した。
フリージア王国の優秀な侍女や従者達を従えられる今、檻に入れられた部下達には二人とも全く関心もない。むしろ、自分たちの部下よりも優秀で小回りの効くフリージア王国の侍女や従者、衛兵達と取り替えたいとすら思う。
そしてプライドもまた今までの寝衣姿ではなく、豪奢なドレスに身を包んでいた。久々に袖を通す上等なドレスを心地好さそうに着こなしながら、今もジルベールとその背後に控えたステイルに目を向ける。
「ええ、やはり昨日の命令ではどうしても納得がいかないと騎士団から糾弾がありまして。」
突然の警備引き下げ。女王からの命令とはいえ、警備を薄くするなど王族の身の安全に関わる事案に流石の騎士団もいつものようにただ頷くことはできなかった。
ジルベールの説明に、冷ややかな表情で返すプライドは何か考えるように頬杖をついた。アダムもまた、玉座の背凭れに横から体重を掛けながら、ニヤニヤとジルベールとステイルを見下ろしている。
「このままでは、騎士団長が直接王宮に訪れる可能性もあります。そうなる前に、私の方から直接説得させて頂ければ幸いなのですが。」
にこやかに笑うジルベールの横で、ステイルは俯いたまま何も言わなかった。
全身を隠す羽織が僅かに揺れ、その中にある右手が震えるのを必死に反対の左手で掴み押さえている。感情を少しでも動かせば、今にも足がプライドへと駆け出しそうになるのを必死で堪えた。
「来させれば良いではありませんか、プライド〝女王〟。もし、その騎士団長が面倒であれば我々で前女王のように処しましょう。」
愉快そうに引き攣った笑いを浮かべ、今にも顔を舐めそうなほどにプライドへ顔を近づけるアダムは顔を紅潮させる。
波立ったその声だけで顔を俯かせたステイルは酷く胸が騒ついた。本来ならば今すぐでも殺したい相手が、間違いなく今目の前にいるのだから。
熱い息が掛かるほどに顔を近づけてくるアダムをプライドは振り向くことなく生返事で返した。その様子に、プライドが口を開くより先にジルベールが彼へ薄く笑った。
「それは危険かと。……騎士団長は騎士達の信頼の厚い御方です。もし、騎士団長まで倒れられれば一気に騎士達からの不信感は膨らむでしょう。下手をすれば騎士団が全員王宮に詰め掛けることに。」
ストン、と自分の意見が切り捨てられ、アダムは引き上げた口端をヒクつかせた。
だが、その狐のような目は薄く爛々とジルベールへ光を増した。自分に楯突かれたことに不快で愉快で仕方ない。
「そうねぇ……騎士団に来られたら厄介だわぁ……?最悪、人質を一人〝消費〟しなくてはならないもの。」
ニヤァ……と口端を引き上げ、うっとりとした笑みをジルベールへ浮かべたプライドは全く困っているようには見えない。むしろ心から浮き立つものを抑えきれないように嗤い、そのままジルベールの薄水色の瞳と目を合わせた。
まるで目だけで会話をしているかのような意味ありげな視線に、アダムは一度だけ思い切り床を足で踏み鳴らした。広間に響くその音に、ジルベールは機嫌良さそうに視線を今度はアダムへ向けた。にっこりと、まるで敢えて神経を逆なでするようなわざとらしい笑みを受け、アダムは今すぐティペットにジルベールを殺させようかと本気で考える。
「……良いわ。じゃあ、ちゃんと騎士団長を説得なさい?もう二度と、うるさい事を言えないようにね。」
プライドの許可にジルベールは深々と頭を下げた。
畏まりました、と答えた後。ジルベールは今思い付いたかのように「あぁ」と言葉を紡ぐ。
「宜しければ、ステイル様にも御同行を願って宜しいでしょうか?私よりも騎士達に信用が厚い御方です。つい先日、〝御友人を亡くされたばかり〟なので、情もいくらかは受けやすいでしょう。」
「友人?」
目を僅かに開くプライドより先に、アダムが興味深そうに聞き返した。
楽しい茶飲み話のように笑みを輝かせるアダムに対し、ステイルは未だ俯いたままだった。突然のジルベールから振られた言葉にも、一度肩を揺らしたがそれ以上の反応は示さない。だが、ジルベールの言わんとしていることだけは、はっきりとわかった。
「……先日、離れの塔で。何処ぞの何者かに惨殺されているのが、発見されました。」
口裏を合わせ、敢えて更に低く、暗い声で語る。
実際、本当に今もそうなりかねないほど生死を彷徨っている状態のアーサーを、嘘でもそう口で語ることすら不吉な気がし、ステイルは自分の言葉に怖気が走った。
見てはならない、と。ステイルは意識的に顔を俯けた状態を維持した。自分の友人と言えば、プライドはそれが誰かなど安易にわかる。そして、アーサーが死んだと聞かされたプライドがどのような反応をするか、期待などしてはいけない。そこで自分の恐れた反応をされれば、今度こそどうにかなってしまうと自分に言い聞かせる。暗い、俯けた視界の中でプライドの返事は何も聞こえなかった。代わりにアダムから笑い声交じりに「それはお気の毒に」と厭らしい声だけが返される。
ジルベールが改めてステイルも同行の許可を望めば、初めてプライドから「まぁ良いわ」と軽い返事が返ってきた。その声色の薄さから、やはり顔を見なくて良かったとステイルは心の底から思った。
「でも、忘れないでね?私達はずぅっと貴方達を見張っているわ。」
フフッ……とそれどころか含み笑いまで聞こえ、ステイルは思考を殺すように口の中を噛み締めた。血が滲み、鉄の味で口内を満たしながら必死に感情を打ち消した。はやく、はやくここから去りたいと震える拳を握り締めながら耐え続ける。
どこに居るかもわからない透明の特殊能力者。その人物が今どこにいるのか。人質となったローザ達の傍にいるのか、自分達を見張っているのか、それともプライド達への警護か。誰の傍にいるかもわからない中、変な裏切り行為や密告はすぐに気付かれるぞと忠告するプライドに、ジルベールだけが「勿論ですとも」と笑顔で答えた。
最後に退室を許可された二人は、頭を下げる。そのまま扉が開かれ、ジルベールに続きステイルがその場を後に
「ステイル。」
軽やかな声で、引き止められた。
プライドからの突然の呼び止めに、反射的に振り返ってしまったステイルはアダムと親しげに並ぶプライドの姿に息が詰まる。彼が顔を上げたことを後悔するより先にプライドは、ニタァァァアア……と引き上がった口端を裂けたように歪め、口を開いた。
「アーサーを殺したのは私よ?」
表情が、消える。
目を限界まで見開いたステイルは呼吸が止まり、身体が置物のように硬直した。目を逸らすこともできないでいると、プライドとアダムの笑みが同調するように更に引き上がり、爛々と目を輝かせて興奮するように頬が赤らんだ。
ステイル様?ステイル様⁈とジルベールが横で呼び掛ける声が耳には入ったが、頭に届かなかった。まるで何かに糸で動かされるかのように、突然ステイルの足がプライドの方へ歩み出そうと動くのを急いでジルベールが押さえつける。
表情こそ茫然として力が入っていないステイルが、身体だけはジルベールの手を払おうと踠き暴れ続けた。ジャランッジャラッ、と二人分の鎖が酷く耳障りに鳴り響く。その様子にプライドが、アダムが大声で笑い始める。心から楽しそうにアッハハハハハハハ‼︎というプライドの高い笑い声が特に響き渡り、ステイルの脳を揺らした。「失礼致します‼︎」とジルベールがステイルを押さえたまま扉の向こうへと下り、衛兵に扉を閉じさせた。扉が閉ざされ、やっとプライド達の笑い声が耳に入らなくなったが、それでもステイルは無言でジルベールの腕から暴れ続けた。
「ッ失礼致します……‼︎」
近くにいた衛兵が押さえるのを手伝った途端、ジルベールは空いた片手でとんっ、とステイルの首に手刀を打ち込んだ。息を詰まらせ、気を失うステイルを支えながらジルベールの心臓が静かに高速で鳴り出した。
……今のは……?
怒声一つ上げずにプライドへと足を動かし暴れたステイルは、まるで、身体が勝手に動いているかのようだった。
気を失ったステイルを自ら抱き抱えたジルベールは、衛兵と共に一度宰相の執務室へと戻った。恐らくこのままであれば一、二時間で目を覚ますであろうステイルをソファーに寝かせる為に。その間になるべく業務を進め、彼が目覚めたらすぐにでも騎士団演出場へ馬車を走らせようと考える。
「アーサー殿を……まさか。」
小さく口の中だけでジルベールは呟いた。
プライドはその間、拘束をされていた筈。だが、透明の特殊能力者の協力を得れば逃げた後に再び元どおりに拘束されるのも可能ではある。更に、ジルベールの目から見ても贔屓無しでその実力があるアーサーが敗れたのも、不意をつく相手がプライドであったのならば。
考えられない話ではない。もともと、彼はプライドを止める為に離れの塔に居たのだから。例えば、自分にもやったようにプライドが自身の命を脅しに使えば……。そこまで考えてから、ジルベールは思考を止めた。プライドのあの言動、その意図と理由を
彼は、誰よりも理解してしまっているのだから。




