411.貿易王子は曲に流れる。
「喜んで。」
ステイル王子とダンスを終えた彼女が、ゆっくりと歩む。
数多の男性が彼女へ是非にとダンスに誘う中、僕もその一部となるように手を差し出した。
決して目立たないように、いまこの瞬間だけは逸る気持ちを誰にも悟られないように。あくまで、社交辞令の一つとして手を伸ばしているだけだと思ってもらえるように。
すると彼女は、もう既に決めていたかのように来賓へ視線を走らせ、…僕と目を合わせた。
少しだけ、信じられない気持ちで息を呑めば彼女は真っ直ぐに歩み寄って僕の手を取ってくれた。
見つけた、と言わんばかりの優しい笑顔で。重ねられた手が僕をくすぐった。
彼女に選ばれたことが嬉しくて、何よりも光栄で、僕はそっと彼女の手を取りダンスフロアへと共に歩んだ。
「…まさか、僕を選んでくれるとは思わなかったよ。」
ダンスが始まってすぐ、気がつけば想いが小さく口から零れた。
プライドと親交こそある僕だけれど、元々は彼女の婚約者だ。しかも円満とはいえ、解消もした。僕よりずっと、彼女がダンスをする価値のある王族も貴族もいるだろうに。それに何よりも、来賓の視線をこんなにも浴びる中でのダンスは普通のダンスパーティーとも意味合いが違う。これは彼女がそれほど親密に、もしくは友好的に相手を思ってくれている証拠なのだから。
僕の言葉の意味をわかったように彼女は小さく笑うと、そのまま「だって」と呟き、僕の視線を正面から受け止めた。
「レオンは私の大事な盟友だもの。」
当然のように語ってくれる彼女に、思わず呼吸が止まった。
二年前から、変わらず彼女は僕のことを〝盟友〟と呼んでくれる。その言葉を聞く度に、胸が火を灯すように温かくなった。
そっか、と短く言葉を返せば「ええ」と彼女も一言で返してくれる。優しい彼女の笑みに愛しさが溢れ出す。
「嬉しいよ、君とこうして踊ることができて。まるで夢の中にでもいるみたいだ。」
身体が浮き上がるような幸福な時間。
彼女の笑顔がこんなに近くにあるだけでも幸福なのに、その彼女と僕はダンスを踊っている。嗚呼、なんて贅沢な時間なのだろう。
そう思いながら彼女をくるりと腕の中に通す。軽やかなステップで彼女は潜ると再び僕の手へと細い手を重ねた。
「私も嬉しいわ。…貴方が、そうして笑っていてくれることが凄く嬉しい。」
何処か遠くを眺めるような視線の後、彼女は本当に嬉しそうに顔を綻ばせた。
滑らかな肌が僕の服に擦れ、彼女の足が緩やかに背後へステップを踏んだ。僕も同時にステップで彼女へ迫り、同時にまた足を揃えれば自然と身体が密着した。
愛しい彼女の温度が、服越しからでもうっすらとだけ伝わり、身体が火照った。二年前に知り合ったばかりの時は、こんなに熱せられなどしなかったのに。
もっと、彼女に触れていたい。
ずっと、この時間が続けば良い。
永遠に、彼女と時を刻みたい。
直接隣でなくて構わない。隣国同士で充分過ぎる。彼女が愛する人を見つけ、そして僕もー……
「…当然さ。」
笑んでくれる彼女に、僕からも言葉を返す。
〝そうして笑っていてくれる〟だなんて、まるで他人事じゃないかと思えば、うっかり笑ってしまう。全部、愛しい君が僕にくれたものなのに。
そう思えばまた愛しさが込み上げてくる。彼女のその視線を一秒でも長く感じ続けたくて、心からの笑みと共に紫色の瞳へ視線を注ぐ。一瞬、大きく目が見開かれたと思ったら、みるみるうちに彼女の顔が紅潮していった。…嗚呼、なんて愛しいんだろう。
可愛くて、綺麗で、女性的で、魅力に溢れた彼女が、まるで赤い果実のようになった姿にこのまま抱き締めたくなる。まぁ、絶対にしないけど。……だって、
「僕はいま、アネモネ王国の王子としてこれ以上ないくらいに幸せだからね。」
彼女と共にくるりと回る。
髪が流れ、彼女の深紅の髪が揺れた。僕の言葉に、笑い皺ができるほどの満面の笑みを彼女は浮かべてくれた。僕の背中へ回す手を撫でるように小さく添わせ、リードしやすいように身を委ねてくれる。また基本のステップに変わると、彼女はまた整った笑顔で僕に語り掛けた。
「なら、アネモネ王国も民も幸せね。」
少し弾むのを抑える声で、彼女が僕を目で見上げた。
落ち着いたステップで一歩一歩フロアの奥へ、そして中央へと進みながら彼女の温度が僕を温めた。どういう意味かと思って視線だけで返せば、プライドはフフッ、と笑いを漏らしながら口を開いた。
「だって、こんなに愛してくれる人が将来の伴侶なんだもの!」
彼女が僕に身を預け、仰け反るようにして身を翻した。美しい彼女の舞に観客が沸き僕はまた、…心を奪われる。
彼女は、何度僕の心を奪うのだろう。何度、僕に愛させてくれるのだろう。
もし彼女が次期女王でなければ、間違いなく僕は彼女を求め続けただろう。きっと毎日のように花束を捧げ、毎日のように会いに行って、毎日のように愛の言葉を囁くのだろう。
まるで、最近読んだ恋愛小説だ。昔の僕では想像できないほどの情熱っぷりに、想像するだけでも笑ってしまう。
当時はひたすら寂しくて辛くて悲しかった婚約者としてのプライドとの日々が、今はその一秒一秒が宝石のように光り輝いている。触れた肌も、撫でた髪も、抱き締めた温もりも、くすぐる声も、強い言葉も、その全てが。
「…プライド。僕は、死ぬまでずっとアネモネ王国の人間だよ。」
「ええ、レオン。私も死ぬまでずっとフリージア王国の人間よ。」
僕の愛に彼女は応えてくれる。これ以上なく、嬉しい形で。
優雅にステップを踏みながら、曲が終わりに近付いた。もっと触れていたい、もっと熱を感じたい、もっとその視線に触れたいと、気付けば彼女の手に添える手に力がこもる。ぎゅっと握った彼女の手が、同じように僕の手を握り返してくれた。
「レオン。…貴方と踊れて良かったわ。」
僕に呼びかけ笑った彼女は、そう言って幸せそうに強く瞳を輝かせた。
〝僕と〟と。…婚約者候補どころか、解消させた身である僕との時間を尊んでくれた彼女は、曲の終わりと共にそっと添えてた手を緩め、僕から離れた。〝あの言葉〟が貰えなかったことだけが少し寂しい。だけど、たとえ新しい婚約者が決まったとしても、機会さえあれば彼女は再びこうして僕の手を取ってくれるのだろうと思えるその言葉に、また僕の胸は浮き立った。
「僕もさ。」
アネモネ王国王子として、指先まで意識を払って彼女に、そして来賓へと礼をする。
盛大な拍手と共に、僕はゆっくりと列に戻る。前列にいた女性達が何人か顔を真っ赤にしてフラついていた。会場の熱気に負けたのかなと思うと、フラついた女性に周りの男性や侍女達が「大丈夫ですか⁈」と声を掛けてた。彼女らが介抱されるのを確認してから、僕はある一点へと視線を注ぐ。
アネモネ王国国王として招かれた、父上と母上がそこには並んでいた。顔を上げ、その場で父上と母上に挨拶すれば、二人とも柔らかい笑みを僕に返してくれた。
プライドの方を見れば、次の男性の手を取る瞬間だった。同時に、ステイル王子がその隣の女性をダンスに誘う。来賓から明るい歓声が聞こえ、ティアラも楽しそうに別の男性の手を取った。
幸せそうに手を取り合い、ダンスを始めるフリージア王国の民の姿に、胸がとくんとくんと心地よく音を立てた。気がつけば、口の中だけで言葉を紡いでしまう。
「嗚呼…アネモネの民に会いたいな。」
プライドが取り戻してくれた、僕の幸せ。
花束の代わりに、幸福な日々を。
何度でも城を降り、一人でも多く君達に逢いに行く。
そして何度でも言葉を交わし合おう。
愛しいプライドすらも上回る、愛しい愛しい僕の国。