399.白金の王は呆れる。
「………セドリック…。」
カタンカタン、と断続的に馬車が揺れる。
溜息交じりに言葉を掛けるランスは、呆れたように正面へ座るセドリックを眺めた。全くお前は…と呟きながら、再び溜息を吐く。
両手で頭を抱え、項垂れるセドリックの姿に。
フリージア王国を出てからずっとセドリックはその調子だった。
セドリックを心配して同乗したヨアンも、ランスの隣に座りながらその様子に苦笑した。セドリックの背を撫で「大丈夫かい?」と投げかける。
ティアラと最後に喧嘩別れしたことを嘆いているのか、大見栄切って今さら郵便統括役に不安が込み上げたのか。いつまでたっても項垂れたまま顔を上げようとしないセドリックに二人は言葉を掛ける。すると、数十分の間を置いてから絞り出すようにセドリックは言葉を零した。
「……何故ティアラが怒ったのか…わからん……。」
まるで泥のように重々しく言葉が垂らされる。
その口調に反して単純過ぎるセドリックの落ち込み理由に二人は肩の力が抜けた。そんなことか、とランスが呟きながらセドリックの背を叩く。
「怒らせる前に一体何をお前は言ったんだ。」
「それとも何かしたのかい?」
二人に交互に聞かれ、セドリックは金色の髪を横に振りながら「ただ伝えただけだ」と短く答えた。伝えた⁇とヨアンが聞き返すと、セドリックは曇らせた顔を俄かに上げた。そのまま言いにくそうに唇を結び、固まる。ランスが「一言一句違わず言って見ろ」とはっきり命じると、セドリックの口が再び開いた。
「……〝お前に他に想い人がいるならば、…その時は俺に気を遣う必要も無い〟と。」
「なっ…⁈」「えぇっ⁈」と。
国王二人からあまりにも間抜けな声が上がった。次の瞬間にはランスからの拳骨がセドリックの頭に投下される。ガツン、と歯まで衝撃が響き、セドリックは頭を押さえながら「何をする⁈」と声を上げた。だが、それ以上に大声でランスに怒鳴られ打ち消される。
「お前は!求婚した相手に何を言っている⁈」
「折角のティアラ王女からの好意を無下にしたのかい⁈」
ランスだけでなくヨアンにまで強めに怒られ、思わずセドリックは喉を反らした。
何故二人までそんなに怒るのかと思いながら、セドリックはティアラとの会話を鮮明に思い出す。一度ランスによりティアラから引き剥がされた後、プライドからの弁護が入り、再び壁際でティアラと二人で話す機会を与えられた時だ。
顔を真っ赤にして小さく俯き、自分の指先で涙を拭うティアラにセドリックは声を潜めて言葉を掛けた。
『…すまない。だが、お前に他に想い人がいるならば、…その時は俺に気を遣う必要も無い。』
『え…?』
自分の言葉に目を丸くしたティアラに、セドリックは真剣な表情のまま言葉を続けた。
『お前が、そこまで辛いと言うならば、…想いを伝えるのも、良いと思う。』
『?…なにを…?』
理解が及ばず言葉が上手く形成できないティアラに、セドリックははっきりと伝えた。
『お前が、ステイル王子と愛し合っていようとも…または、レオン王子の好意に本当は応えたいと思っているのならば俺は構わないっ…。お前が、本当に好きな男と共に居たいと願うならば俺は』
ばか、と。
そこでティアラに大声で怒られた。
セドリックにとっては、ティアラの幸福を想っての誠心誠意のつもりだったが完全にティアラの導火線に火をつけただけだった。
鮮明に思い出し、やはりわからないと考えを巡らせているとランスが今度はセドリックの頭を鷲掴んだ。
「何故そのような物言いをした⁈」
教養もマナーも忘れたか⁈と怒鳴るランスにセドリックは「それはっ…‼︎」と声を上げ、そして顔を顰めた。
「…あんなにっ…泣いていたんだぞ…⁈」
真剣に、むしろ深刻そうな声色で訴えるセドリックの顔に二人は目を丸くした。
ティアラが泣いていたのは、二人も知っている。初めはまたセドリックが何かやらかしてと思い焦ったが、プライドの説明を聞いてからセドリックと並ぶティアラを見ればそれは明らかに…
「〝俺との婚姻が嫌で‼︎〟あんなにもっ…‼︎」
…セドリックの辛そうな言葉に、二人は別の意味で言葉を失った。だが、セドリックはそれにも気付かず語り続ける。
「ティアラがっ…アイツはプライド達と離れることを心の底で嘆いていた…!だが、それと俺との婚姻とを天秤にかけられた結果、あんなにも苦渋の決断に苛まれるなど!」
セドリック本人はいたって真剣だ。
だが、ランスとヨアンはその真面目さが逆に滑稽に見えてしまうほど目の前の神子に呆れていた。
「それでもっ…〝泣くほどに嫌いな〟俺との婚約を選んででも、アイツはフリージアに留まりたがっていた!または、やはり本気で想いを寄せる男と添い遂げられないことを嘆いてっ…‼︎」
拳を握り、自分がティアラを愛する人から引き離してしまったことの罪悪感に苛まれるセドリックに、とうとうヨアンは口元が笑ってしまった。フッ…と笑いを隠すように口を片手で覆いながらセドリックに投げかける。
「……因みに。その〝想いを寄せる男〟に見当はついているのかい?」
ヨアンの言葉にランスが触発されるように「そういえば以前に恋敵がいると…」と口を動かした。するとセドリックは口を絞り、そして瞳の焔を哀しく揺らしながら言葉を紡いだ。
「……ステイル王子と、アネモネ王国のレオン王子だ。」
予想外のセドリックの人選に、二人は絶句した。何故そうなるのか、と聞かれる前にセドリックは言葉を続けた。
「ステイル王子と相思相愛であろうとも、第二王女として他国に嫁がなければならんティアラは自国の王族とは結ばれん。それに、レオン王子はティアラに好意を抱いているようだった。防衛戦でも援軍として駆けつけてくれ、素晴らしい活躍をされ、更には貿易大手国の第一王位継承者だ。あれほどに素晴らしき王子に望まれて、揺らがぬ女性も居ないだろう。」
今までの溜め込んでいた不安を吐露するように一気に言葉を零したセドリックは、まるで既に自分がティアラに振られた後かのように最後は落ち込み、伏せ込んだ。能力や人格だけでなくナルシストのセドリックの目から見てもステイルやレオンは認めざるを得ないほどの美男子だった。
「…つまり、君はステイル王子とティアラ王女が愛し合っているか、もしくはレオン王子が好意を抱いていてティアラ王女もそれに揺れていると思っているのかい?」
そうだ。とヨアンの問いに一言で返すセドリックは、完全に沈み込んだまま上がる様子がなかった。ヨアンはセドリックが自分の方を見ていないのを確認しながら、手で隠してランスに耳打ちをする。
「…まさか、セドリックはプライド王女とレオン王子のことを知らないのかい…⁈」
同盟を結ぶ前から、ランスは港を通じて他国の情報…特に交易相手であるアネモネ王国のことは知っていた。当然、レオンがプライドと婚約解消をし、今は友好関係を築いていることも。更にヨアンもランスからなるべく諸国の話は聞いていた。だが、当時勉学から逃げ続け、時には国王二人からも捕まる前に逃亡していたセドリックは当時それを聞かされていなかった。
ヨアンの言葉に頷いて答えるランスは、腕を組む。
プライドと婚約解消したレオンがティアラに求婚は有り得ない。むしろ、恋愛には絶対進展しないからこそティアラもレオンも肩の力を抜いて打ち解けていたのではないかとランスは考える。更に言えばステイルとティアラに関してもランスとヨアンは首を傾げるばかりだった。確かにステイルが妹として可愛がっているのは二人にも明らかだったが、どう見ても恋愛には結びつかない。寧ろステイルはプライドを…。
そこまで考えて、二人とも思考を止めた。以前、セドリックがプライドに恋をしていると勘違いした二人は、自分達の判断を信用できない。
だが、確信と確証をもって二人はセドリックの不安が見当違いであることを知っていた。
落ち込み沈み伏すセドリックを、膝に頬杖をつきながらランスは眺める。ヨアンも、とうとう困り果てたように笑いながらも腕を組んだ。
「……どうする?ランス。」
「もう良い、そのまま振られてしまえ。」
考えることを放棄したように大きく息を吐き出すランスはとうとう背凭れに倒れ込んだ。良いのかい?と言いながらも笑うヨアンは落ち込むセドリックの頭をそっと撫でる。
「せめて〝アレ〟だけは教えてあげたらどうだい?」
「要らん。今の内に頭を悩ませておけば、ティアラ王女の為にも今後の良い薬になる。」
少し厳しめに言い放つランスに、セドリックが「アレとはなんだ…⁈」と顔を上げた。まさかティアラの本命がまた別にいるのかと。鼻先が触れるほど顔を近付け問い質すセドリックをランスは片腕で押さえ込んだ。「今は己の失言についてよく考えろ馬鹿者!」と叫ぶランスに「だから何故失言なのかわからんと言っている‼︎」と声を上げるセドリックに、ヨアンはとうとう声を上げて笑った。
「本当にそんなで郵便統括役なんて平気かい⁇」
腹を抱えながらも問い掛けるヨアンに、セドリックが顔を向ける。「そんなとはどういう意味だ⁈」と訴えるが、ランスは片腕で捩じ伏せたまま「今のところ色恋の鈍さ以外は問題ない」とだけ言い切った。実際、セドリックはプライド達すら気付かなかったティアラの憂いの片鱗に一人だけ気付けたのだから。ただその理由をランスとヨアンが聞いても、セドリックはティアラに恋した理由と同じく明確に答えようとはしなかった。
今も「教えろ!」と声を上げるセドリックにランスが「ならばティアラ王女に恋をした理由を明確に話せ」と珍しく意地の悪い笑みで言ってみれば、彼は唇を固く結んだまま顔を赤くした。
「ッ弟の色恋で遊ぶな兄貴!」
「色恋を理解してから物を言え馬鹿者。」
二人の兄弟喧嘩に、ヨアンは笑いが止まらなかった。
ティアラのことで真剣に思い悩み、未だに自分が嫌われていると思っているセドリックに、ヨアンは心の中で穏やかにこう思う。
……せっかく両想いなのになぁ。
そう思えば、また笑いが際限なく込み上げる。
プライドの誕生日の翌日。女王であるローザに招きを受けたランスとヨアンは既に知っていた。
同盟国としての会合、と銘打たれローザと摂政のヴェスト、王配のアルバートに迎えられた彼らは確かに告げられたのだから。
『我が第二王女のティアラが、〝ハナズオ連合王国〟との婚約を望んでおります。』
本来ならば、ランスとヨアンは別々に告げられても良い立場だった。
だが、ローザは〝ティアラから〟二人にそう伝えて欲しいと望まれた。誰、とは指定せずに三人の婚約者候補をハナズオ連合王国で括って伝えて欲しいと。
政治的な婚約としては全く問題もない。ティアラは第二王女。国王とも王子とも婚約できる立場にいるのだから。
最初、二人はティアラがハナズオ連合王国との結び付きを強固にする為なだけとも考えた。だが、…すぐに察した。
セドリックとの婚約が嫌であれば、ハナズオ連合王国に婚約者候補三人全てを当て嵌める必要など無いのだから。
たとえセドリックを避けてランスとヨアンだけにしても、誰も気にはしない。大国の第二王女が国王との婚約を望んでいた、第二王子では力不足というだけの話になる。むしろ既にティアラへ意思表示をしていたセドリックをまるで紛れ込ませるように婚約者候補に加える理由が、彼女の本命という理由以外見つからなかった。
更に先ほどまでのティアラの反応を目にしたヨアンは、もし婚約者候補にセドリックを確定させても「ハナズオ連合王国との結びつきの為ですからねっ!」と真っ赤な顔で言い張る姿ばかりが頭に浮かんだ。
伝えられた時はランスもヨアンもセドリックに教えるべきか悩んだが、既にプライドとティアラに多くをやらかしているセドリックに再び暴走の点火になりそうな情報は控えておこうという結論に至った。
そして、三人を婚約者候補に選んだことを国王二人が知らされたと察したティアラは明らかにセドリックだけでなく、ランスとヨアンに対しても挙動不審になっていた。セドリックの自分への好意を兄二人が察していると確信してからは余計に。
つまりは国王二人には自分がセドリックの好意を受け止めていることも、更にはそれを〝誤魔化す為に〟国王二人まで婚約者候補に巻き込んだことも知られているのだから。
ランスもヨアンも、ティアラのその心情を知っているからこそ、ティアラに対して知ってしまった申し訳なさで苦笑いばかりが零れてしまった。
国王二人の頭に浮かぶ疑問は、ただ一つ。
「何故、好きになったのかな…。」
…セドリックも。ティアラ王女も。
笑いが落ち着いたヨアンから溢れた疑問にセドリックが「今は言えん‼︎」と声を荒らげた。
抵抗するようにランスの腕を両手で掴み、やっと自分の頭から降ろさせた。
「なら、聞ける日を楽しみにしていようかな。」
にこりと柔らかく笑んだヨアンは、そう言って細縁の眼鏡の位置を直す。
今はただ、可愛い弟の想いが実ったことに小さく心を躍らせた。