394.貿易王子は聞く。
「…で、そこの酒場を訪ねたんだけど、凄く良い所だったよ。こじんまりとしていたけれど、温かい雰囲気で。常連だという人達も皆、凄く良い人達で…」
「知ったこっちゃねぇな。二年も昔の酒場なんざ覚えてもいねぇ。」
僕の言葉を途中で打ち消すように話すヴァルは、酒瓶を片手に面倒そうに舌を打った。
城下に降りた、その日の夜。
配達の帰りだと言って、久々にヴァル達が僕の城に訪れてくれた。かれこれ一ヵ月以上ぶりだ。
話によると、暫く忙しかった彼はこの前まで一ヵ月ほどの休暇をプライドから貰っていたらしい。せっかくの休暇なら余計にアネモネ王国に遊びに来てくれれば良かったのに、と言ったら「テメェ相手にゆっくりできるかよ」と返されてしまった。こうして今も彼と酒を交わしながら話し相手になって貰っている僕には否定もできない。
「テメェが嵌められかけた酒場に好き好んで行くなんざ、相も変わらずイカレてやがる。」
「別に酒場の人達は悪くないじゃないか。皆、すごく良い人達だったよ。」
そういう問題じゃねぇ、と舌打ち交じりにヴァルに返される。
確かに、良い思い出の地という訳ではない。それでも今の〝僕〟としてあの場に立てたのは凄く嬉しかった。
僕が店に訪れたことを店主も喜んでくれて、開店前にも関わらず綺麗に掃除された酒場内に招いてくれて、カウンター席に腰掛けてみたら「この席は店の名所にします‼︎」とまで言ってくれた。少し気恥ずかしかったけれど、喜んでくれたことがその倍も嬉しかった。
……訪れた記念にと、常連の一人から壁にサインを望まれたから略称だけ記したら女性達だけでなく何故か店主まで卒倒しかけていたのが未だに心配だけれど。
「あぁ、そうだ。この前は騎士団への配達ありがとう。本当に助かったよ、僕らの騎士でも君ほどすぐに大量の武器は運べないから。」
彼に新しい酒瓶を手渡しながら感謝を伝えると、短い返事が返ってきた。
先々月のアーサーの誕生日。僕からアネモネ王国として騎士団に新しい武器をいくらか贈呈させて貰った。
早朝にでも騎士達に運んでもらおうと思っていたら、ちょうどその前夜に彼が訪れた。最初は嫌がられたけれど、ちょうどフリージアに女王への書状を持って帰る途中ではあったらしく、代金と引き換えに請け負ってくれた。
近々アランが誕生日だし、また頼めるかい?と尋ねれば「金次第だ」と返される。フリージアにも前もって送ることは通達済みだし、指定日を伝えれば嫌そうな顔ですぐ了承してくれた。
「休暇はどうだったかな。ゆっくり過ごせたかい?」
ひと月の休暇。多忙だった彼らにとっては久々に羽を伸ばせた日々だっただろう。
…にも関わらず、彼は僕の問いに生返事だけ投げると、珍しく言い淀むような表情をした。そのまま僕から視線を外すと、テーブル向こうのソファーを覗くように顔を傾ける。僕も釣られるように顔を向けると、ケメトとセフェクが寄り添い合うようにして眠っていた。
以前はヴァルと僕の話が終わるまで彼の隣で睨みを利かせていた彼らだけど、この頃は暇の方が強くなったらしく、食事の後は部屋のソファーで寛いでくれるようになった。少しは僕の部屋に慣れてくれたのかと思うと嬉しい。
ただ、今はヴァルの彼らへ向ける眼差しがいつもと少し違うように見えて僕は首を傾げた。すると、彼も僕の視線に気付いたからか、再び視線を酒瓶に移すと喉を鳴らして酒を仰ぎ始めた。
「…出鼻は挫かれたがな。」
忌々しげに呟く彼の目が、どこか憎しみも混じえているようで妙に胸が騒ぐ。
何かあったのかい?と尋ねてみると、数度の舌打ちの後に驚くほどすんなりと話をしてくれた。何度も二人が寝ているか目で確認しながら、声を低めて語る彼はいつもの雑談の何十倍も気を払っているように見えた。
彼が苛立たしげに語ってくれたのは、ひと月ほど前にフリージア王国の王都で会ったセフェクとその〝関係者〟の話だった。
「…成る程。それは災難だったね。」
セフェクとケメトの事情は知らないけれど、彼の語り口調からもあまり好ましくない気配は感じられた。
バスタード…という名にあまり覚えはないけれど、恐らくは言い方からしてフリージア王国の貴族ではあるのだろう。僕に覚えがないということは、子爵か男爵辺りか。
「昔みてぇに俺の手でぶっ殺せりゃあ楽だったんだがな…。」
話しながらの彼は、いつもより少し酒瓶を空けるペースが遅れていた。
本人は自身の感想さえ語らなかったけれど、どこか鬱々としているようにも見える。
ヴァルが暫くフリージアやその隣国であるアネモネにすら近付かなかった理由が、もしかしたらその所為かなと考える。もし僕が彼の立場だったら、その男に会わないで済むようになるべく遠くに行動範囲を移すだろう。話を聞く限り、まだセフェクに執着があるようにも思える。
もし今度その男が自身の権威を振り翳してセフェクを取り戻そうとしたり、ヴァル達を陥れようとした場合、元罪人で更には隷属の契約の縛りがある彼には守り切るのも難しいだろう。……いや、でも。
「プライドやジルベール宰相には話さなかったのかい?」
ヴァルは今、王族御用達の〝配達人〟だ。その辺の貴族よりも強い人脈があるというのに。
僕の問い掛けに彼は「言うわけねぇだろ」と一蹴した。何故、と問うと今度は「関係ねぇ」と舌打ち交じりに断じた。どうやらプライド達を巻き込むのは避けたいらしい。彼女達なら話を聞いたらすぐに手を打ってくれそうなものだけれど。…………まぁ、良いか。
そっか、と僕は言葉を返して一度席から立ち上がる。いつもより少し度数の高い酒を手に取り、彼の前に置いた。
「わかったよ。つまりはプライド達にも内密で、ということだね。」
「アァ?」
「…え?」
僕の言葉にヴァルが意味がわからないというような声を上げた。僕もその返答が予想外で、思わず気の抜けたような声で返してしまう。
僕の言葉を図るようにして片眉を上げる彼は、数拍の間の後「何言ってやがる」と再び怪訝な顔で尋ねてきた。僕も彼の問いがあまりにも意外で、正直に疑問を投げかけてみる。
「…違うのかい?」
「何がだ。」
…どうにも意思疎通ができない。彼が僕に素っ気ない返答をすることはいつものことだけれど、今回ばかりは掴めない。だって、今の彼の語りはどう考えても─…
「もしかして、……無自覚なのかい?」
「テメェの頭が沸いてるだけだ。」
そうかな、と返して首を傾げる。腕を組んで考えてみると、ヴァルは僕を睨みながら苛立たしげに頭を強く掻いた。鋭い歯を剥き出しにして睨む様子はまるで自分が馬鹿にされていると判断しているかのようだ。
でもまぁ、理解していないのならその方が良いかもしれない。彼がそれだけ自分の判断を認めたくないという結果なのかもしれないから。
なんでもないよ、と一人で今度は呟きながら僕はグラスの中身を一気に傾ける。「それより飲もうか」と彼が一度も使わなかったグラスへ先に酒を注ぐと、僕のグラスへ注ぎ終わる前に一度で飲み込んでしまった。
高い度数が不意打ちだったらしく、一瞬顔を酷く険しくさせた。けどそれなりに気に入ったのか、僕が自分の分をグラスに注ぎ終えた後にはまた残りを瓶ごと奪って直接グビッ、グビッと一口ずつ飲み始めた。
「取り敢えず、あと〝半月くらいは〟その周辺を避けた方が良いかもね。君達三人は探そうと思えば目立つから。」
「……だろうな。」
僕の意図を知らないまま、彼は静かに同意した。いつもよりは大分棘の無い反応が少し意外だった。
今夜こそは酔い潰れた彼を見れるかなと少し悪い期待をしてみたけれど、やっぱり変わらなかった。いつもより度数の高い酒を二人で七本近く空にした後、ソファーの二人を起こして日が昇る前に帰ってしまった。
去る間際、いつもは無言か悪態をついて去っていくヴァルが、呟くような声で「邪魔したな」と言ってくれた。全く無自覚という訳ではなく、僕に愚痴を零したぐらいの意識はあるのかもしれない。またね、と背中を向ける三人に手を振り見送った後、僕も明日に備えて眠る準備を始めた。
…彼は、気づいてないのだろう。
そういう相手がいなかったのか。それとも、単に縁がなかっただけか。
今まで、その内側を頑なに見せようとしなかった彼が、初めて語ってくれた。そして何より無自覚であろうとも僕に〝それ〟をしてくれた。
本気でセフェクのことで悩んでいる彼には申し訳ないけれど、僕は単純にそれが嬉しかった。
プライド達には言える訳がないと言いながら、同じく無関係である筈の僕に語ってくれた。それはまるで少しだけ、僕が彼の内側に入れたと認められたようで。
「取り敢えず明日、早速摂政に〝バスタード〟についての調査と招待状……まぁ僕の名でならジルベール宰相に報告も悪くないかな。」
あくまで叩いて埃が出たらの話だけれど。そう呟きながら、身支度を終えた僕はベッドに潜る。目を閉じながらぼんやりと先程の彼らを思い出す。
悩み、一人で思い詰め、それでも平然として。まるで悩んでいたことにすら自分で気づいていないかのようだった。
酒の手を緩めて、語り、結論もなく事実だけを吐露し続ける彼はどうみても…
「…なら、僕もちゃんと期待に応えなくちゃね。」
ふふっ、と不謹慎にも笑ってしまう。…うん、やっぱり明日の朝には早速動こう。だって僕が一番友人になりたいと思っていた彼が
初めて僕に〝相談〟してくれたのだから。
深く深呼吸をすると、ふわりと芳醇なワインの香りが鼻を掠める。肌に残った酒の香りが僕を心地よく眠りへと誘ってくれた。