そして選ぶ。
「……やはり裁判や法律関連も多いな。」
「王配は外交よりも国内の方が主ですから。法律書も暗記しておけば、ある程度は判断も楽ですよ。」
必須ではない。だが当然、王配の補佐である私は全て暗記している。ステイル様は本棚の端から端まで並べられた法律関連の書を眺めると、少しの間だけ口を噤まれた。やはりこの量を覚えるのはステイル様でも時間が必要だろう。私も当時は眠る時間を惜しんで覚え続けた。
暫くの沈黙の後、ステイル様は独り言のような声色で「…姉君はこれを全て覚えているらしい」と呟かれた。
「そういえば。…プライド様は幼き時から法律を自ら学ばれておられましたね。」
「本ばかり読みたがる俺やティアラに付き合って下さっていたからな。昔から知った知識は法律でも女王業務でも話せる域までは自ら俺やティアラに教えて下さった。」
素晴らしいですね、と私が返せば法律書を眺めたまま少し誇らしげにステイル様が笑まれた。
そのまま法律書の手近な一冊を手に取ると、分厚いそれを軽く開いた。密接に文字が羅列したそれを眺め、そしてすぐに再び閉じた。
「…これを全て覚えれば、王配業務も捗るんだったな?ジルベール。」
「ええ、間違いなく。」
ニヤリ、と悪い笑みを隠すことなく私に向けるステイル様に私からも同じ笑みで返してみせる。
すると「良いだろう」と呟かれたステイル様は法律書を私に掲げながら挑発するように口端を上げて投げかける。
「因みに、お前は全て覚えるのにどれくらい掛かった?」
「あの時は本を買い揃えるのもひと苦労でしたから。…まぁ、通算で言えば…半年程でしょうか。」
お前にしては長いな。と言われ、期待に応えるように内容だけでなくどの章のどの節かも暗唱できるくらいまでは、ですが。と返せば軽く目を見開き、すぐにその表情を私にしてしまったことに悔しそうに眉間へ皺を寄せられた。
「……半年後…。ティアラの誕生日だな。」
「ええ、おめでたいことです。」
あのティアラ様ももう少しで十六歳になられる。王族の方々が二人も成人になる今期は素晴らしいものだと心から思う。
先日もプライド様と共にセドリック王子の誕生祭から帰国されたばかりのステイル様だが、更に来週には親友であるアーサー殿の誕生日まで控えている。彼にとっては同盟国の王子の誕生祭より遥かに重要な日だろう。
ただ、ティアラ様もステイル様もプライド様も、ティアラ様の誕生日の話になると時折影を落とすことがあった。
実質的に婚約されて国を出るのは更に後だが、十六歳という事実はどうしてもティアラ様との離別を意識してしまうらしい。特にプライド様はその話題になる度に哀しげに目を伏せるか、遠い目をされた。妹君であるティアラ様を可愛がられていたからこそ寂しさも強いのだろう。…だが、歴代の姉妹を持つ女王が通ってきた道でもある。
最近は少し心の整理もついたのか、いち早く気を取り直されたのがステイル様だった。今も陰ることはなく少し考えた仕草をした後、再び口端を引き上げ、笑みを浮かべられた。そのまま新調されて間もない眼鏡の位置を指先で直して見せた。「良いだろう」という呟きと共に不敵な笑みを私に向ける。
「…ティアラが十六歳になる前には全て暗記してやる。」
見ていろ、と私への宣戦布告の如く告げるステイル様は法律書を一度棚に戻し、今度は一番端の法律書を手に取り掲げて見せた。一冊借りるぞ、と断られ、私が了承すれば次の瞬間には彼の手からも消えていた。自室にでも瞬間移動されたのだろう。
何事もなかったように彼が「で、次は俺は何をすれば良い」と尋ね、私から別の書類仕事を任せると一言で返事が返ってきた。
「…そういえば今日も配達人が来る頃ですかね。」
今日は私への配達物も届く予定なのですが。と呟いてみれば、ステイル様が「そういえばそうだな」と外を眺められた。
最近はあの配達人が頻繁に城に出入りを繰り返している。最初はプライド様とセドリック王子の書状の受け渡しだったらしいが、最近では女王であるローザ様とハナズオ連合王国との書状のやり取りに変わったらしい。
「セドリック王子の誕生祭で、かなり話も進んだ。…あと数度で母上との書状の受け渡しも終わるだろう。」
そう語るステイル様は、言葉とは裏腹にどこか陰欝とした影に包まれた。
やはり、以前までのセドリック王子からの無礼に未だ煮え切らない部分もあるのだろうか。更に言えば、先日のセドリック王子の誕生祭の後、とある試験を受けたセドリック王子はあの自他共に厳しいヴェスト摂政からをも高い評価を受けたという。もしかすると僅かに彼へ羨みの気持ちもあるのかもしれない。
「ならば、私の仕事も早めに頼んでおいて正解でした。確か、書状のやり取りが終えたら配達人に長めの休暇を与えたいとプライド様が仰っていましたから。」
情報屋であるベイルからの定期的な情報提供。
今までは配達人のペースに任せていたが、近日の多忙でそれも滞っていた。その為、私自ら彼に催促することになってしまったが、舌打ちとその態度からなかなか苛立ちが募っている様子だった。
プライド様の為とはいえ、通常なら十日は掛かる道行を往復し続けているのだから当然だろう。プライド様が休暇を与えたいと仰ったのも頷ける。
私の言葉に短く返事をされると、ステイル様は机の前に座りながら、惑いなくペンを走らせ始めた。
カリカリと、ペンが書面をなぞる音が続く。先程の肺から咳がこみ上げる感覚が無くなった分、私自身もかなりペンを走らせやすくなった。すると、私の思考を読んだかのようにステイル様が小さくぼやくかのように呟かれた。
「……風邪を引くくらいならば、お前もマリア達と共に城に住めば良いというのに。」
ぼそり、と本当に独り言のような呟きは間違いなく私に向けられていた。…心配、して下さっているらしい。
ステイル様の仰りたいこともわかる。実際、歴代宰相の多くは城内に住むという栄誉を受け止め、住まわれた。城から少し離れた屋敷を往復するだけでも毎日それなりに時間を浪費している。城内に住めば、医者も薬も今以上に間に合うだろうし、往復の時間も短縮される。…だが。
「お気遣いありがとうございます。ですが、私は今の暮らしが気に入っておりますので。」
私のような存在に、城に住んでも良いと言葉を下さったステイル様に心から感謝を示しながら返事を返す。
…やはり私は、あの屋敷が良い。
一時期はマリアの病で、二人で帰ることすら叶わなかった我が家。城内の館や宮殿と比べれば小さな住まいではあるが、私にとってはやっと帰れた我が家だ。もともとは、周りに気を遣うマリアが安心して暮らせるように城から少し離れた土地を選んで買っただけだが、今はもう愛着も充分に湧いてしまった。
マリアと共に暮らし、…共に帰り、プライド様方を招き、そしてステラが産まれ、家族で過ごした愛しき我が家。
どうしても今は手放す気にはなれない。
私の言葉に「だろうな」と諦めるように返して下さるステイル様は、最後ペンを走らせながら反対の手で私の屋敷の方向を指し示した。どういう意味かと言葉を待てば、書類に落とした視線のままステイル様の言葉が私へ向けて真っ直ぐに放たれた。
「お前には勿体ないほど良い家だ。」
わざと淡々とした口調と無表情で放たれたその言葉が、ステイル様なりの賛辞と理解し、私は言葉で感謝の気持ちを返した。
家族、友、家、生きがい、使命、恩人、主、民。全てが信じられないほどに揃ってしまっている今。それに報いるためにも、私は再びペンを走らせる。
大罪人の私には不相応なほど幸福な人生。
その代償を永遠に払い続け、尽くし続けるその為に。