そして抜ける。
「………噂?」
もう日付も超えた深夜、騎士達は語り合う。
王居では豪奢なパーティーが開かれる中、彼らには何もない。老朽も進みつつある演習場で御馳走の代わりに目の前に広げられているのは大量の包帯や消毒液、薬だけだった。
誰の顔からも疲労が見え、更には未だ癒えない傷を包帯を巻くだけで誤魔化している騎士もいた。怪我治療の特殊能力者の数が足りず、応急処置すら医者や七番隊の手も間に合わないのが現状だった。
任務を終えた騎士達はまともな出迎えもないまま、数も少ない小隊で騎士団演習場に戻っていた。救護棟で重傷者は特殊能力者の治療を受け、軽傷者は一箇所に集まりながら互いに配給された包帯や薬でまかなっていく。
「ああ、あくまで噂だがな。…夜な夜な、王居の方から男の断末魔が聞こえることがあるらしい。噂では女王は人を嬲るのが趣味らしい。その為に定期的に国の妙齢の男が拐われ、献上されると。」
「俺も聞いたことがあるぞ?その男は一晩で使い切られてどこかに捨てられるという話だ。」
「俺はひと月は保つと聞いた。…ひと月、ずっと女王の拷問を受け、最後は殺してくれと誰もが懇願すると。」
「俺が聞いたのは嬲られているのは拐われた男ではなくー…」
「その辺りにしておけ。王族の悪き噂など聞かれでもしたら不敬罪では済まないぞ。…騎士団長の耳に入れば大変なことになる。」
広がり出す噂話を、一人の騎士が止める。
自身もまた女王への敵意を露わにしながら語る重々しい言葉と、更には彼の風貌に一部の騎士は自然と口を噤んだ。「失礼しました」「早く明日に備えて寝よう」と互いに言葉を交わしながら、包帯を巻き終えた騎士からその場を去っていく。話を止めた騎士を、去り際に他の騎士が肩に手を置いた。先輩騎士からの労いに頭を下げて返すと、彼は包帯を巻き終えた身体に鎧を着直した。すると、それを眺めていたまた別の騎士が、在りし日の別人を思い出しながらその口を動かした。
「…お前は常に厳しく、そして正しいなアーサー。」
「騎士の先輩方に出過ぎた真似とは思いましたが。……父に、似たのでしょう。」
申し訳ありませんでした、と再び頭を下げたアーサーに騎士は「あの場では副隊長のお前が一番上だった」と返すと肩を叩いた。それを受けた後、アーサーは手早く鎧の上から団服を着直す。赤い染みが所々に残ったそれを羽織り、立ち上がる。
「以前、騎士団長からお聞きしました。前騎士団長と前副団長は女王に逆らい、処罰されたと。」
短く刈り上げた銀髪を揺らしながら、落ち着いた表情でアーサーは騎士を見直した。その言葉に騎士は小さく俯いた。当時の彼にとって、その二人は同僚でもあった。
「ケネス副団長は、…騎士団長と同じく前騎士団長と前副団長をご存知なのでしょうか。」
「ああ。……二人とも優秀な騎士だった。彼らに並ぶ騎士はいまの騎士団には…いや、全盛期の騎士団でもなかなか居なかっただろう。」
それほどの騎士だった、と語る副団長にアーサーは少し思案する。当時新兵だった自分は殆ど関わりもなかった。だが、遠目からでも騎士としての威厳に満ちた二人の姿だけは覚えている。
……そのような立派な騎士でさえ、女王の在り方に疑問を抱いたのか。
前騎士団長、前副団長が処罰された時。多くの騎士がその事実を受け入れることもできずに酷く嘆いていた。彼らが死んだ後も、二人を悪く語る騎士は一人も居なかった。
その後すぐに新たな騎士団長としてハリソン騎士団長、そしてケネス副団長が就任したが、女王は次に謀叛を許せばその時は相応の罰が騎士団に待っていると告げた。
「…勿論、お前の父上もだ。」
立派な騎士だった、と副団長の言葉にアーサーは胸が詰まった。ありがとうございます、と返しながらも記憶の中では当時の反発しかできなかった自身の愚かさばかりが引っ掻かる。
「ところで」と話題を変えようとアーサーは自ら話を振る。今回の任務より、遥かに苦痛の役割を担ったであろう副団長を労うように。
「いかがでしたでしょうか。女王の誕生祭は。」
深夜、騎士団長のハリソンと共にパーティーを終えた副団長のケネスは疲労の滲むその足で任務帰りの彼らを労うために救護棟を訪れてくれていた。
アーサーの言葉に苦笑するように曖昧な笑みを浮かべるケネスは一言「きっとお前の想像通りだ」と語った。
現女王がフリージア王国を支配するようになってから、明らかに来賓の数は減っていた。当然、女王の反感を買うことを恐れて必ず出席する者は多くいるが、それでも前女王の頃と比べればパーティーの規模や装飾は無駄に派手さを増すばかりだというのに、来賓自体の数は減る一方だった。どれほど今の女王に人望がないのか誰の目にも明らかなほどに。
その事実を知っているアーサーも、ケネスの言葉にすぐそれを察した。毎年変わらない、自国の上層部や貴族は女王の反感を買わないようにと怯え続け、他国の王族貴族は薄く離れずの関係を望んでいるのだから。
「…それに、今年もティアラ王女とレオン王子は参列されなかった。」
そろそろこの部屋も閉めよう、とケネスが鍵を取る。アーサーはそれに応じながら〝レオン王子〟という言葉に一人思案した。
…レオン王子。
女王の婚約者。未だに婚姻は結んでいないが、実質的には王配。二年前から王居に住んでいるアネモネ王国の元王子だ。
だが、婚約後にフリージア王国へレオン王子が身を移してからその姿を見た者は殆どいない。
確かな理由は不明だが、次期王配としての公務に携わろうともせず、ただひたすらに民の税を貪っている名ばかりの王子だと国中の民が囁いていた。
フリージア王国に移り住む予定の日には遅れ、やっと城に来たかと思えば次期王配としての責任すら果たそうとせず引き篭もっているのだから当然だ。噂では生まれ持っての麗しさを生かして女王の慰みものとして扱われている、裏で女王を誑かし国の主導権を握っている、既に死んでいるのではないかという噂までもが出回っていた。
…いっそ本当に死んでくれてりゃァ良いのに。
その方がよっぽど国の為になる、と。口には出さず、胸の中だけで私はその思いをとどめた。民の為に身を粉にして働き続ける騎士の一人として、王族の役目を何も果たそうとしないレオン王子という人物は侮蔑の対象でもある。
ティアラ王女は、女王からのやっかみにより離れの塔に長く閉じ込められていると聞く。本人の意思に関係なく、外界から切り離された彼女には同情も抱く。だが、レオン王子は違う。
国民の税金で生活している王族が何もせずただ豊かな生活のみを享受しているなど。一人の民として言わせればあの女王に相応しき愚王配だと、心からそう思った。
七年前の騎士団奇襲事件。
当時、新兵合同演習予定だったアネモネ王国が予定時間になってもフリージア王国に到着しなかった。その為、現場の確認と報告の為に騎士団長である父は新兵を率い、…そして帰ってこなかった。
だが、当時のアネモネ王国は自らの非を認めず、むしろフリージアへ向かったアネモネ王国騎士団の全滅すらフリージア王国の責任であると突っ撥ね、結果としてそれが無駄な争いまで引き起こした。
新たに和平を結び、その証として今回の婚約となったが、父親と多くの騎士を失い、更には騎士団衰退のきっかけをも生み出したアネモネ王国にアーサーは良い印象を抱けない。その第一王子であるレオンに対しても同様に。更には忌むべき女王の伴侶。侮蔑と嫌悪だけが泥のようにこの身の内にへばりついている。…一生、消えることもないだろう。
「………。」
最後に鍵を閉め、保管場所にそれを戻したアーサーは救護棟の前でケネスに挨拶をした。
副団長室に戻るケネスと違い、アーサーはこのまま一度実家に帰る予定だった。一人、小料理屋を続ける母を手伝う為に。
お疲れ様でした、と言葉を掛け顔を上げるとケネスは言葉より先にアーサーの肩に手を置いた。そしてそっと人目を気にしながらアーサーの耳元に顔を近づけ、囁いた。
「……気を抜くな、国中のどこで誰が聞き耳を立てているかもわからない。お前は、お前だけは……カラムやアランのようにはならないでくれ。」
御父上の為にも、と。極限まで潜めた声でそう告げるケネスは、顔を離すと目を丸くするアーサーに複雑な表情だけで返した。
それ以上は何も言わず、アーサーの背中を押すようにして演習場の門へと彼を見送った。
「………やはり、副団長も父上のことを気にされているのか。」
道すがら、思ったことが口から小さく溢れる。
アーサーが本隊に入隊した当初から、時折こうして目を掛けてくれる騎士やこっそり助言をして気を遣ってくれる騎士の先輩は何人もいた。殉職した騎士団長の息子である自分を想って、…そして、あの時に父親を救えなかった懺悔からだろうとアーサー自身も理解していた。
「騎士団に責などない。…私とて、理解しているというのに。」
…所詮、どこまで行こうと私は亡き元騎士団長の息子でしかないのか。
どれほど功績を積もうと、腕を上げようとも変わらない。〝アーサー〟ではなく〝元騎士団長子息〟と経歴を持つ私を騎士の誰もが遠き目で見る。アーサー、とその名を呼びながら取り繕った笑みばかりを私に向ける。もう見慣れ過ぎて麻痺してしまったが、私に向ける眼差しは当然のように〝騎士〟ではなく〝遺族〟へのものだった。
そこまで考え、アーサーは一人首を振った。…全て、自身が望んだことだろうと己を叱咤しながら。
…短髪も言葉遣いも身振りも全て、自ら望んで父を真似た。
それまでの弱いだけの己では到底騎士になどなれる訳がないと理解したからだ。そして、努力の甲斐があって騎士になることができた。当時の父と同じ一番隊に所属し、人員が減りつつある騎士団で副隊長を任されるにまで至った。
「…あと、少しだ。」
副隊長、次は騎士隊長。そして隊長格の中で最も優れた功績を残せば騎士団長、副団長と共に王族の式典への参列が許される。本隊入隊試験では惜しくも主席を逃してしまった、残された方法はもう数少ない。叙任式や祝会では他の騎士の目が…特にハリソン騎士団長の目が常に自分へと注がれ、最初の挨拶以外は女王へ容易に近づくことも許されなかった。
「父の、…無念を。あの日の真意を、必ず。」
…わかっている。騎士として私怨を抱き続けるべきではないと。父の死と影に取り憑かれている時点で私は騎士失格だと。だが、……それでも。
私は、奴を。