369.騎士は狼狽え、
「いや〜、プライド様。今回もお綺麗だったなぁ。」
アラン隊長が暑そうに団服の胸元を手でパタパタとしながら呟いた。
俺もエリック副隊長もそれに頷きながら、手の中のワインを飲み込む。もうプライド様と最初に挨拶してから大分経つってのに、未だに遠目から視界に入るだけで身体が熱くなる。
「去年のプライド様の誕生祭でも同じことを言っていなかったか?アラン。去年はそんなに緊張してなかっただろう。」
俺達の様子を可笑しそうに笑いながら副団長のクラークがアラン隊長を見た。その少し離れた先では父上が他の来賓と今も忙しそうに挨拶を交わしている。…こういう時、騎士団長ってのは大変なんだなと思う。父上、騎士団でもクラーク以外の奴と談笑ってあんましねぇのに。
クラークからの言葉に「まぁ色々ありましたから」と笑いながら返すアラン隊長は、そのまま「お前もそう思ったよな?」とカラム隊長に視線を投げた。カラム隊長もアラン隊長に言われて「まぁ…」と呟くと、前髪を指で払いながらまたプライド様に視線が行った。
「もう数度目になりますが、…本当にいつも信じられません。自分が、こんな公的な場に御招き頂くなんて。」
エリックさんの言葉に俺も何度も頷く。
俺もプライド様の近衛として何度も招待はされるけれど、未だにこの空間は慣れないし落ち着かない。分不相応過ぎて、すげぇ肩身狭い。
するとエリック副隊長だけでなく俺にも気付いたのかクラークが俺達に笑みを向けながら「お前達はプライド様の近衛騎士なんだ、胸を張れば良い」と言ってきた。ンなこと言われると今度はあの人の近衛なのがもう既に分不相応な気がする。……まぁ、実際そうなんだけど。それでもあの人の傍にいてぇンだから仕方ない。
プライド様の人気は未だにとどまることを知らない。
俺達が挨拶をする前も、終えた後も今もプライド様に挨拶をする各国の王族貴族が後を絶たない。…なんでか今日は皆、すぐにプライド様と話して去っていっちまうけど。
二年前の婚約解消から、プライド様から全くそういう話は聞かない。社交の場としてパーティーや式典には招かれるけど、特定の相手はいねぇみたいだし、手紙だって未だに貰うばっかで返信も…、……。………………手紙。
『何があっても絶対に』
「〜〜っっ…。」
駄目だ、急に別のことを思い出して一気に熱が上がる。
急いで皆から顔をそむけて俯くと、カラム隊長が「どうかしたか?」と心配してくれた。大丈夫です、と返しながらグラスの中身をがぶ飲みして誤魔化した。深呼吸を何回かして、顔の火照りを酒のせいにする。そのままカラム隊長の視線の先へ目を向けると、プライド様が目に入った。…すげぇきらきらしてて、笑顔が遠目でも眩しい。
どんな来賓にも笑顔を向けて、時々口元を隠して笑うその姿が綺麗過ぎて、今でも時々あの人の傍に居られている現実が信じられなくなる。真っ赤なドレスが整えられた髪と合わさって、同じ人間だってことすら忘れちまうぐらいに
「見惚れてしまうよね。」
っっ⁈‼︎
突然、横から声を掛けられて思わず慄く。続けて「隣の彼は確かヤブラン王国のアクロイド卿だったかな」と説明してくれる。声だけは抑えたけど残り少ないワインが軽くはねて、数滴溢れた。
俺の反応に少しだけ目を大きくしたその人は「驚かせてごめん」と滑らかに笑うと、近くの侍女に新しいワインを頼んでくれた。
「レオン第一王子殿下、…失礼致しました。」
すげぇ取り乱したのが恥ずかしくて、姿勢を正しながら改めて挨拶をする。やばい、ぼーっとし過ぎた。
レオン王子。さっきはプライド様と挨拶をしてたのを見たけれど、俺達のところにも挨拶に来てくれたらしい。俺の団服を上から下まで目で確認すると「よかった、服には零れてないようで」とほっとしたように息を吐いてくれた。
少し驚くクラークやエリック副隊長達にも挨拶を交わすと、また俺の方に身体ごと向いてくれた。「ロデリック騎士団長殿とは今お話ししたから。…君とも話したかったんだ。」と滑らかにまた笑って代わりのワインを持ってきた侍女にそれを俺へと手で示してくれた。ワインを受け取り、お礼を返してからまたレオン王子を見返す。
「自分と、ですか…。」
「ああ、アーサー騎士隊長殿。…貴方とです。」
にこっ、と笑い掛けてくれるレオン王子に少し緊張する。
二年前には色々あったけど、本当に良い王子だなと今は思う。薄気味悪さの欠片もない笑みを見ると、ほっとする。この前の俺の昇進祝いにプライド様が作ってくれた料理の食材もこの人が提供してくれたらしい。レオン王子のフリージア王国訪問と俺の近衛騎士の任が被った時にそのことについて御礼を言ったら「上手くいったんだね。…良かった。」と笑って、改めて騎士隊長昇進まで祝ってくれた。防衛戦でも、アネモネ王国として武器の補給とか国門の防衛とか救助とかいろいろやってくれたらしい。
「にしても、…本当にすごいなぁ。初めて会ってから二年足らずで副隊長、更に今は騎士隊長だなんて。」
「ありがとうございます。自分などまだまだですが、レオン第一王子殿下にそう言って頂けて恐縮です。」
頭を下げる俺に、レオン王子が微笑んだ。
俺と一個差のレオン王子はそうとは思えないくらい、むしろ俺よりずっと大人びてる。流石アネモネ王国の第一王位継承者だなと思う反面、…こんな人でも、追い詰められてた事があるのも知っている。
プライド様の婚約者もレオン王子の婚約話も聞かない中、まさか二人が復縁すんじゃねぇかって噂も聞いた。…プライド様もレオン王子も絶対無いって笑ってたけど。でも、さっきレオン王子がプライド様と話してた時なんてすげぇ絵になったし、何より男女関係なく二人の姿は多くの来賓から注目を浴びていた。
「君はすごく優秀な騎士だと、プライドもステイル王子もティアラも皆自慢していたから。…君の居ないところで、他の近衛騎士も自慢していたよ。」
最後は小さく声を潜めて言ってくれるレオン王子の言葉にすげぇ照れる。どうみても社交辞令って感じの笑い方じゃねぇし、本当だと思うと嬉しくて思わず目を伏せちまう。
「アーサーは、やはり昔から騎士を志して?」
「あ、…いえ。なりたい、とは思ってましたが本格的に志したのは十三の時です。……お恥ずかしい話ですが。」
社交の場で、今までも何度か聞かれた話だ。それこそ単なる話題だし、誤魔化しても良いかとも思うけれど…やっぱり隠したくない気持ちの方が強かった。
レオン王子は俺の答えに少し意外そうに目を見開くと「へぇ…」とまるで感心したみてぇに呟いた。
「…なら、君の努力は並大抵のものではなかったのだろうね。……心から尊敬するよ。」
滑らかな笑みが段々と柔らかく緩んだ。本当に最初会った時とは別人みてぇな温かい笑みに思わず口が開く。
今まで「すごい才能」とか褒められたり誤魔化されたことはあったけど、…そういう風に言われたことはあんまりなかった。
ありがとうございます、と返すと「本当のことだから」と言ってくれたレオン王子はグラスを俺に傾けてくれた。恐る恐る俺からもグラスをレオン王子に掲げるとカラァン、と自分のと当てて鳴らしてくれた。
第一王子となんて恐れ多いなと思ったらそういやァステイルも第一王子だったと思い出す。……なんでこんなすげぇ人達とばっか話してンだ俺。
レオン王子はグラスの中身を一口含んで飲み込んだ後「ああ、そういえば」と思い出したように言って俺にまた笑いかけた。
「ここだけの話。…アーサーは、プライドの誕生日を祝うのはこれで何度目だい?」
「誕生祭に御招き頂くようになったのは、近衛騎士に就任してからなので…」
いや、そうではなく。と途中で言葉を切られた。何か間違えたのかな、と思ったら可笑しそうにレオン王子が肩を竦めた。その後、周りを見回しながら「ごめん、質問を間違えたね」と笑うとそっと俺の耳元に顔を近づけた。
「…やっぱり、プライドに毎年誕生日プレゼントとかも贈ってるのかい?」
「ッな⁈に、言っ…‼︎‼︎」
一気に今度こそ顔が赤くなる。急に何言ってンだこの人‼︎‼︎
思わず身体を反らすと、予想外にレオン王子の目が驚いたように丸くなった。
「…贈ってないのかい⁇」
信じられない、といった表情に逆に俺が戸惑う。王子相手に嘘をつける気もしなくて「何故、そのようなことを聞かれるのでしょうか」と尋ねたらレオン王子が照れたように笑った。
「僕は、こういう立場だから結局一度も誕生日に個人的な贈物をプライドにしたことがなくて。…実は、少し考えてる物があってね。それでヴァルに相談したら、そういう話はステイル王子かアーサーとしろと言われて。」
元凶はアイツか‼︎‼︎
一気にヴァルへの怒りが沸き上がる。二年前からレオン王子と交流してるって話は知ってるけどよりにもよって俺とステイルに投げやがった‼︎っつーかなんで俺らになンだ⁉︎俺だって女性への贈物なんざ慣れてねぇし社交に慣れてるステイルなら未だしもなんで俺がっ…‼︎
絶対今度会ったら文句言ってやる、と思いながら息を吐く。…大体、レオン王子も贈り物の相談をなんでヴァルにしたのか。その時点で少し謎だ。
俺が「申し訳ありませんが、自分もそういうことは疎くて…」と答えると「そっか」と少し残念そうに返された。…なんか、悪いことしたみたいでバツが悪い。せめてこれだけはと思って「ですが…」と続けるとレオン王子が小首を傾げた。
「プライド様なら、…きっと喜んで下さると思います。」
どんなものでも、と付け足すとレオン王子が翡翠色の瞳を丸くして、その後すぐに笑ってくれた。
すげぇ投げやりな答えになっちまった気もして、思わずまた目を逸らす。…でも、プライド様なら本当にそうだと思えたから。
すると、突然肩に手を置かれた。驚いて振り向くとレオン王子が滑らかな笑みを俺に真っ直ぐ向けてくれていた。「ありがとう」と言われ、その瞳が何故だか妖艶に光った。
「近々贈るよ。…………君にもね。」
「えっ、いえ!そんな、俺…自分にまではっ…。」
なんで俺にまで、と思いながら耐え切れず戸惑うとレオン王子が肩に手を置いたまま「遅くなった昇進祝いだ」と告げられた。一体なにを贈るつもりなんだと聞こうとしたら、それより先に「いっそ皆の分も」と楽しそうに笑みを広げた。なんだかさっきとは変わって子どもみてぇな笑い方に虚を突かれる。
「だって、君達もきっと喜んでくれる人だと思うから。」
…本当に二年前とは別人だ。
嬉しそうなレオン王子に俺まで胸が温かくなって水を差すこともできず、恐縮ですとだけ伝えると「ところで君の誕生日は?」と聞かれた。よくわからねぇまま答えると「わかった」と笑まれてすげぇ嫌な予感がする。その後、近くにいたアラン隊長、カラム隊長、エリック副隊長の誕生日まで聞いてた。突然の質問に驚く俺達に「アーサーだけを特別扱いするわけにもいきませんから」と言ってレオン王子は妖しく笑んだ。…悪いことを考えたステイルに少しだけ似てた。
空になったワイングラスを取り替え、副団長のクラークとも軽く話し込んだ後。優雅な立ち振る舞いでレオン王子は去っていった。
俺達から離れた途端、嘘みてぇに多くの貴族や王族に再び囲まれ出すレオン王子を見て、本当にすげぇ人なんだなと。変にぼやけ出す頭で思った。
……
…