361.義弟は回る。
「どうぞ、姉君、ティアラ。早く食べないと冷めてしまいますよ。」
アーサーとプライドの話が一区切りついたところで、俺からプライドとティアラに料理の皿を三枚の内一枚ずつ渡す。
二人ともアーサーに食べさせるばかりでまだ一口も皿に手をつけていない。プライドは片腕にかけていたバスケットを一度隅のテーブルに置くと「ありがとう」という礼と共に皿をティアラと二人で受け取ってくれた。二人に笑みで返しながら、改めて俺はアーサーを正面に見据える。
姉君と話してから、アーサーは未だ夢見心地らしい。ぼやけた眼差しを覗き込み、俺から笑みを向けてやる。
「どうしたアーサー?要らないなら俺が食べてやろうか。」
「ッば‼︎ンな訳ねぇだろォが!ていうかテメェの皿があンだろ‼︎」
そっちを食え!と怒鳴りながらアーサーが俺から両手の皿を遠ざける。
やはり、冗談を本気にする程度には呆けていたらしい。アーサーに見えるように自分の皿に盛られた料理に手をつければ、やっとアーサーの肩の力が抜けた。「…美味いよな」と言葉を投げかけられ「最高だ」と返せば、やっといつもの顔色と笑みが返ってきた。
「……ありがとな。なんか、色々やってくれたンだろ。」
ぽそり、と俺にしか聞こえない声量で掛けられる。……こういうやつだから、黙っておきたかったというのに。だが、言われたからには俺からも言葉を返す。
「相棒の昇進くらい祝って当然だ。………おめでとう。」
最後の言葉だけ変に小さくなった。逆に気恥ずかしくなり、目を逸らすと「おう」と短い返答だけが返ってきた。
プライドとティアラに目を向ければ、料理を片手にアラン隊長達の方へと向かっていった。恐らく今回のサプライズ成功の礼を言いに言ったのだろう。互いにグラスで乾杯をしようかと思ったら、両手にあるのがお互い料理の皿だけだということに気づき少し可笑しくなる。アーサーを見れば、同じことを考えてたらしく目が合った途端に「あとでな」と言われた。その言葉に返事をして、料理を一切れ口へと運ぶ。豚肉の香ばしさと甘いタレと野菜が絡まって、いくらでも食べられる気すらしてしまう。…それに
「姉君とティアラが作ったと思うと余計に美味く感じてしまうな。」
「だよな。」
「…悪いな。お前の祝いだというのに俺達まで味わってしまうことになった。」
「?全員で食った方が美味ぇだろ。俺はこっちの方が良い。」
アーサーらしい即答に思わず吹き出しかける。
うっかり喉に引っ掛かり噎せたが、数度肩を上下するだけでことなきを得た。…俺なら独り占めするか、分けてもアーサーぐらいにしか譲りたくないと考えただろう。そう自覚してしまうと、我ながら心の狭さが恥ずかしくなる。
「…昇進祝い、希望はあるか?」
「いや要らねぇよ。もうこの祝会だけで貰い過ぎてるぐれぇなのに。」
「上等な椅子でもやろうか。お前の部屋は家具も少な過ぎる。」
「それ絶対お前が来た時に座るやつだろ。」
冷静に切り返してくるアーサーに、敢えての笑みで答える。「わかってるじゃないか」と表情だけで答えればアーサーから「ま、それならあっても困らねぇ」と引き上げた笑みが返ってきた。決まりだな、と返し俺からも「そういえばお前に報告することが」と続けて言いかけた時だった。
「……なァ、そういやァなんでアイツが居ンだ?」
…アーサーの言葉が重なり、更に示す視線の先を追えばまた別の人物と視線がぶつかった。
セフェクとケメトは良いとしてよ、と投げかけるアーサーの言葉に俺も溜息で答える。
壁際に座り込みながら、あからさまにヴァルが不服そうに物言いたげな顔で俺とアーサーに鋭い眼差しを向けていた。
「…以前の防衛戦の労いだ。俺が当日に配達先から瞬間移動で連れて来たから文句があるのだろう。」
一応ここにくる前に一度城の客間に移動させて祝会の主旨は伝えたんだが。と続ける俺にアーサーが「いや…俺の祝会ってところから気にくわねぇんじゃねぇか?」と疑問を投げた。まぁ、ヴァルならばそれもあり得ることだろうが。
だが、仕方ない。彼らを招いたのはプライドだが、仕事中に瞬間移動で連れてきた俺にも非はある。しかも、つい数日前も捕らえた盗賊と共に配達から戻ってきたばかりだ。そこから再び出国してすぐ俺に引き戻されたのだから不満も残るだろう。
俺は溜息を一度吐くと、皿の料理を最後の一口頬張り味わった。食べ終わり、スープを取りに行く前にもう一度ヴァルを見返す。
「…少し行ってくる。お前はアラン隊長達にも挨拶に行って来い。」
彼らも今夜の為に協力をしてくれた、と言ってアーサーの背に肩をぶつける。ちょうどスープの方を飲もうとしていたせいでアーサーの器の水面が溢れかかった。流石の反射神経でなんとか零さずに終えたが、それでも恨みがましく睨まれた。
手だけで詫びて、さっさと苦情者の方へと向かう。食事中のケメトとセフェクに挟まれ、自身もプライドが作った料理を食べながら面倒そうに視線を俺に向けてきた。
「…おい。本当に俺らまで招かれた意味あるのか?」
「姉君の希望だ。先の防衛戦でお前達が働いた礼がしたいと。料理をアーサーの分以外も出すと決めた際、是非ともお前達も呼びたいと望まれた。」
せっかくプライドが作った料理だというのに、味わいもせずガツガツ食すヴァルを睨む。床に座り、料理の皿を組んだ足の上に乗せて食べているヴァルをセフェクとケメトも挟むようにして料理を口に運んでいた。
プライドがヴァル達も呼びたいと望んだこと自体は俺も反対はしなかった。あくまで今回はアーサーの祝いだが、無関係な彼らを戦場に派遣した俺にもそれなりに労う義務はある。褒賞もプライドが料理している間に客間で待たせていた際、纏めて手渡した。それなりの額にヴァルも少しは目を丸くしていたが、……姉君が手料理を振る舞うから来いと言った時の方が遥かに反応がはっきりしていた。
アーサーの昇進祝いでとこうして招いた旨も伝えておいた筈が…この部屋に移動させてから三人は完全に待ちくたびれていた様子だった。
ケメトは少し手を叩いてアーサーの昇進を祝してくれたが、セフェクは首を傾げ、ヴァルに至っては話すら興味がない様子で時折あくびを交えながらじっとテーブルの料理を睨んでいた。…俺がプライドの許しがあるまでは絶対食べるなと念を押して命じておかなければアーサーより先にコイツが平らげていた恐れもある。それこそセドリック王子の悲劇が再びだ。
「まぁタダ飯食わせてもらえりゃあ文句もねぇが。」
ズズズズッと器に注がれたスープをヴァルが啜る。肩に掛けたままの荷袋が傾き倒れ、中身の砂が床に溢れた。「ちゃんと片付けておけ」と命じれば、ヴァルは隣で同じように座って料理を食べるケメトの頭に手を置くと、荷袋から漏れ出た砂を操り一粒残さず荷袋の中に片付けた。
「なら、これを食い終わったら帰っても文句ねぇな?」
他人の祝いなんざに興味はねぇ、と語るヴァルに溜息を吐く。セフェクが「私とケメトはまだ食べてるから!」とヴァルに断りをいれた。どうやら彼女とケメトは食事をちゃんと味わうつもりはあるらしい。
「帰れるものならば扉はそこだが、…ここが騎士団演習場の一角であることを忘れるな。」
外にはお前の嫌いな騎士がごまんと居るぞ、と言い足せば舌打ちが返ってきた。たとえ闇夜に紛れようともここでは無駄だ。騎士団演習場は単に騎士が守りを固めているだけでない。城門や城外周と同じく温度感知の特殊能力者が見張っているのだから。そう更に重ねてやれば、ヴァルは腹立たしそうに皿の肉を乱暴に噛み切り、咀嚼音をひどく立てながら続きを食べ始めた。…正直に言えば、コイツの希望通りに料理だけ渡してさっさと追い出してしまいたい。…だが。
「…お前達には感謝している。お陰で姉君の望み通りに多くの民が救えた。カラム隊長の件も、…後から聞いた。」
腕を組み、変わらず見下ろしながらそう告げる。すると暫く大口をモグモグと動かしていたヴァルがそれを飲み込んだ後、迷惑そうに俺を見上げてきた。
「感謝される覚えはねぇ。テメェの為にやったつもりもねぇ。」
ケッ、と吐き捨てながら返すヴァルは皿の上を平らげると、二杯目を取りに行こうと立ち上がった。セフェクが座ったままヴァルの裾を掴むと空になったケメトのスープの器を突き出した。ヴァルは舌打ちをしながらそれを乱暴に受け取り、テーブルに向かっていった。
やはり話をするだけ無駄だったか。取り敢えず、プライドに確認を取ったら食後すぐにヴァル達だけでも元の場所に返
「大丈夫です。居心地悪いぐらいは我慢できますから。」
…ふと、予想外の方から返答がきた。
見れば、セフェクが自分の分のスープをケメトに分けながら口だけを動かしていた。視線はケメトに向けられたままだが、その言葉は確実に俺へと向けられていた。セフェクが自分から直接俺に話し掛けるなど珍しい。そう思うと今度はケメトがスープを一口飲んだ後に俺へと顔を上げた。
「僕〝も〟主の力になりたくて、やりたくてやりました!お菓子も貰えて、お金も貰えて、こんな珍しい料理も食べれて嬉しいです。」
セフェクに後押しされるように声を張るケメトはそれだけ言うと笑顔を向けてきた。彼にもヴァルを介さず話し掛けられたのは殆ど初めてだ。俺が「そうか」と思わず短く返すと、二人は気が済んだように再び食事の皿に目を移し、続きを食べ始めた。
……気を、遣われたのだろうか。それともヴァルのフォローのつもりか。少なくとも彼らだけを先に退場させる必要が無いことだけは理解した。
話も終えたところで、俺もアーサーと同じように近衛騎士や姉君のところに戻ろうと思ったその時。
「クッキーだって本当は貴方達の分もあったんですからねっ‼︎」
突然、プライドの怒声にも近い声が飛び出してきた。
何かと思い、顔を向けると同時に俺以外の五人が声を合わせて聞き返していた。明らかにティアラが慌て、プライドも顔色を次第に青くしている。彼女の視線の先には料理を盛り終わったらしいヴァルが、その手を止めてプライドを見返していた。
そして青ざめたプライドは数秒の硬直後、その首をギギギ…とぎこちなく俺の方へと向けた。…何故か、強く強張らせた顔のまま。
…………クッキー…?