356.不適格者は言い渡された。
「ハリソン、お前が新兵として入団してもう六年だ。…何故本隊入りできないかは、わかっているだろう?」
去り際に、また例年と同じ人物に声を掛けられた。
振り返り、見れば予想通りの人物がそこにいた。足を止め、身体ごと向き直ればやはり例年と同じ表情で私を見返してくる。私よりも遥か上官でもある人物の問いに、仕方なく返答する。
「…無論です。クラーク・ダーウィン副団長。」
…わかってはいる。
誰に言われずとも、そんなことはとっくの昔に理解していた。
「今年も例年通り、違反行為により一戦目で失格だ。…本隊入り、したくないのか?」
「…それを望まぬなら新兵の資格もありません。」
過剰な暴行による失格。
騎士にあるまじき愚行。
一度で新兵になることは叶った。だが、…その先には進めなかった。
試験である新兵同士の勝ち抜き戦。未来の騎士になるべき新兵が、簡単に剣を私に弾かれ、降参し、敗れることが我慢ならなかった。
何故、もっと踠かない?
何故、その程度で負けを認める?
何故、その程度の腕で騎士を目指そうと考えられた?
私の前で無様に倒れ、怯え、諦める新兵を見るたびに腑が煮えくり返った。
貴様らの〝先〟はどこにある。騎士になればそれで満足だとでもいうのか。騎士としての勲章や権威を得られればそこで終わりだとでもいうのか。
私は、違う。
「なら、何故毎年あんなことをするんだ?失格になるのはわかってるというのに。」
「……許せないからです。」
唯一、私が剣を交わして存在を許せた当時の新兵など数える程度しかいない。更に本隊入隊試験に限ればその存在を許せたのはアラン・バーナーズぐらいのものだ。
毎年と同じ私の答えに、クラーク・ダーウィンは少し困ったように頭を掻いた。「そうか…」と呟きながらも、納得はしていないようだった。
…この方は五年前から試験後には必ず私に声を掛けてくる。理由があるのか、何か言われたのか、恨みでもあったのかと。…だが、私の答えは変わらない。
これでもう充分だろうと、新兵用の宿舎に戻ろうとする私をクラーク・ダーウィンはまだ引き止める。
「ハリソン。…お前は何故、騎士を目指そうと思ったんだ?」
「護れる者となる為です。…私には暴力しかありません。」
気が付いた時には、下級層に居た。
歯向かう意思すら殺ぐほどの圧倒的な力こそが全てだった。
知らぬ男達に暴力を受け、父親からも搾取され、常に奪われた私が学べたことはそれだけだ。
特殊能力を得て、暴力を受ける側から与える側に。奪われる側から奪う側にと身を変えた。
出陣する騎士達の行列を目にし、〝騎士〟の存在を知ったのは七つの時だった。街外れの農村を襲った略奪者達の掃討。…彼らの姿に胸を打たれた。
私と同じ〝暴力〟の行使でありながら、その姿は眩く美しく、…そして私のような金もない弱者すら護り、救える行為。
国の為、民の為にそれを振るい、役立てる在り方のなんと美しきことか。
私のような自身の為だけに振るう〝暴力〟とは格が違う。
意義ある生も死も、その全てがそこにある。
私のような矮小な存在が、国や民という大いなる存在を護る為の礎となれるならば。これ以上に幸福な人生など在りはしない。
そこから七年、師事者も無きまま独学のみで剣の腕を磨いてきた。だが、…
「〝暴力〟か…。」
私の言葉に、クラーク・ダーウィンは考えるように呟き、息を吐く。理解などされる必要はない、だがもう…私にはこの生き方以外は在りもしない。
「実はこの前の隊長会議で、お前のことが議題に挙がってな。……お前を新兵から除名するか、どうか。」
…気が付けば、顔を上げたまま思考が白に消えた。
突然のことに怒りも、反論すらも見つからない。
新兵が長期の者などは珍しくもない。十年や二十年以上新兵をしている者も少なくない。私の新兵期間が問題なのではない、問題なのは…。
「毎年暴力行為で重傷者を出す者を騎士団に所属させるのはどうかと問題になった。」
何の言い澱みもなく放たれる言葉が、まるで死刑宣告のように私の心臓を刺し貫いた。
「結果、もしお前が今年も本隊入りできず…その上でまた重傷者を出した場合は除名することが決まった。」
嫌だ、拒否する。
私はあの日から騎士になる為だけに生きてきた。今さら他の生き方などは有り得はしない。
衝撃で言葉も出ない私に、クラーク・ダーウィンは顔を向けて笑んだ。
「………そんな顔もできるんだな。」
……私が、どんな顔をしていたかなど知らない。ただ、絶望も胸を締め付けられる感覚も、今まで感じたことのないほど酷く私を痛めつけた。
「…嫌か?除名されるのは。」
「当然です。………それだけは。」
それだけは。
本当は…新兵であることも不満だ。実力だけならば、新兵の誰より優っている自信があった。…だからこそ許せない。私よりも遥かに劣った有象無象が半端な意思で騎士を目指そうなどと。
「そうか。…なら、ちょっと来い。」
ロデリックには許可を取ってある。そう言ってクラーク・ダーウィンが私を連れ出した先は、騎士団演習場の手合わせ場の一角だった。
「私に勝てたら今年の除名処分は留めさせよう。お前が負けたら、全て私の言う通りにしてもらう。」
特殊能力も使って良いぞ、と軽く告げるクラーク・ダーウィンは棒立ちする私の有無も聞かずに剣を構えた。
私は、入団試験では本隊騎士にも当時勝った。副団長であるクラーク・ダーウィンの実力は知らないが、…これが最後の機会だとも思った。
恐らく、除名を拒否する私が騎士団で暴れ回り、被害をこれ以上与えないようにする為だろう。だが、ここで彼に勝てば私は少なくともあと一年は新兵でいられる。
「…勝敗は、どちらかが剣を落とすか膝をつく、でしょうか。」
「負けを認めるか、または戦闘不能でも構わない。…最後だと思って全力で来い。」
気が付けば、周囲には既に多くの騎士達が観戦にと集まってきていた。私の最後を笑いに来たのか、それともクラーク・ダーウィンの腕前を見に来たのか。だが、私には都合が良い。これで私がクラーク・ダーウィンをどうしようとも発言の撤廃はされない。勝てば除名取り消しと、その生き証人達がこんなにもいるのだから。そして私は
…完膚無きまでに、敗北した。
「……これで私の勝ちだな。…大丈夫か?」
地に崩れ落ち、剣を落としたまま動けなくなった私を、気遣うようにクラーク・ダーウィンは声を掛け、背に手を置いてきた。
だが、私には言葉を返す余裕すらありはしない。
完全なる敗北、これが騎士団の、…騎士団副団長の実力なのかと。私は彼に一太刀しか浴びせることが叶わなかったというのに、なのに私は
この特殊能力に目覚めてから初めて本気で死を覚悟した。
「すまないな。お前が強いのは知っていたから、どうしても本気でやらざるを得なかったんだ。」
手なんて抜いたら私が死んでいた、と穏やかに語るクラーク・ダーウィン…副団長は、私に腕を貸すと自らの足で救護棟まで運んで下さった。
特殊能力者の治療を受け、ベッドで放心する私に副団長は、語り掛けた。
「約束は覚えているな?…ちゃんと守れるか。」
「………はい。」
本当に、終わったのだと思った。
だが、最後にこの方の実力を受けられただけでも幸福だったと。…そう思おうとした時だった。
なら良い、と頷いて穏やかに笑う副団長は、続けて私にこう言い放った。
「ハリソン・ディルク、お前には八番隊に入隊してもらう。そして、私の指示に従え。」
「…⁉︎」
耳を、疑った。言葉も出ずに痛みが走る身体を無理矢理にでも動かし副団長へ向ければ、その眩い笑みは冗談を言うようなものではなかった。
「お前のことは私が預かろう。八番隊は個人判断が許された戦闘部隊だ。きっと、お前にも合っている。…そして、お前が最低限でも立派な騎士として振る舞えるように私が教育しよう。」
あの時の身が震えるほどの歓喜を、一生忘れることはないだろう。
あの方の、副団長への感謝は生涯消えることはないだろう。
騎士に、なれると。
除名処分まで言い渡された筈の私が、一転してその全てを変えられた。
傷の痛みも全て消えた。敗北感も絶望もその全てが希望で満たされた。
信じられず、問いも感謝も何も言えない私に、また副団長は笑い掛けた。
「…なりたいのだろう?騎士に。お前には才能も実力もある。そして、…騎士として大事な志もちゃんとある。」
乱雑にナイフで切り上げた私の短髪ごと頭に手を置き、一度だけ撫でられた。既に二十の齢であった私が、まるで子どものように扱われた。
「〝暴力〟を〝力〟に変える方法を教えてやる。だから私に付いて来い。……良いな?」
答えなど一つしかない。
私が望みし生き方、在り方、死に方を。
〝暴力〟しかない私に〝力〟を。
私を完膚無きまでにうち負かしたこの方が、与えて下さるというのだから。
騎士に、なれる。
その事実を再び飲み込み切れた時、突如視界が滲んだ。私を見て笑う副団長が「泣くのは今日だけにしとけ。明日は叙任式だ。」と私の視界を傍に置かれていた布で覆った。
「ゆっくり休め。祝会の後は今日以上に滅多打ちにされるぞ」
くっくっ、と喉を鳴らすような笑い声と共に、副団長の気配が遠退いて行った。何の言葉も返せず、覆われた視界の中で、ひたすら歓喜と感謝がとどまることを知らずに溢れ続けた。
クラーク・ダーウィン副団長。
我が、救い主。