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フリージア王国備忘録<第一部>  作者: 天壱
冒瀆王女と戦争
401/877

343.真白の王は白昼を超える。


「ッ女王陛下‼︎…一体どういうことです⁈貴方はっ…フリージア王国は我が国の援軍に来たのではなかったのですか⁈」


…これは…?


「ええ?そんなこと言ったかしら⁇私はセドリック王子との契約通り動いただけよ。」


…彼女は…誰だ…?


不気味に笑む、女性が僕に歩み寄る。

援軍だった筈の騎士に取り押さえられ膝をつかされたまま、声だけで彼女に問い、叫ぶ。


「セドリックが…⁈」


驚愕に表情が固まる僕に、彼女は指を鳴らした。引き攣った笑いをそのままにフリージア王国の摂政が一枚の紙を僕に突きつけた。


サーシス王国からフリージア王国へ国土全ての金脈権利譲渡。

引き換えにフリージア王国による、王族の身の安全とラジヤ帝国並びにその支配下の国からサーシス王国安全保障の誓約書。


セドリック・シルバ・ローウェル


見間違う訳の無い、彼の直筆がそこには綴られていた。

信じられず、目を疑う僕に女王は静かに歩み寄る。


「セドリック王子に泣き付かれたの。ラジヤ帝国からの矛先がサーシス王国にも及ぶかもしれない。国王とサーシス王国を守ってくれるなら何でもするとね。」


嘘だ、セドリックがそんなことを言う訳がない。彼は、僕らを想って援軍を呼んでくれた。だから、僕が同盟破棄を伝えたその日に彼はっ…


「同盟破棄をしたのでしょう?もうチャイネンシス王国なんてどうなっても良いから自国だけでも守ってくれってせがまれたわ。」


アハハっと軽薄に笑う彼女に息が止まる。

そんな、僕はサーシス王国を戦火に巻き込まない為に同盟破棄を伝えたというのに。違う、セドリックが、心優しい彼がそんなことを言う訳がない。


「だからね?言ってあげたの。もし、私に本気で全てを差し出せるというのならば、チャイネンシス王国を裏切れと。降伏なんかさせず、戦に立たせなさいと。そして私に金脈の全てを捧げるのならば、貴方の国だけでも守ってあげるとね。」


違う、嘘だ、あり得ない。僕らを戦に駆り立てたのは彼女だ。サーシス王国を人質にするような言葉で煽り、サーシス王国を想う民の心を利用した彼女が、……


……彼女を連れて来たのは、セドリックだ。


疑惑を差し込む己に、違うと必死に言い聞かせる。頭を振り、歯を食い縛る僕を見て女王が静かに笑った。

彼を疑おうとする僕自身を、女王の言葉を鵜呑みにしようとする僕自身を必死に叱咤する。

ッ騙されたんだ、きっとそうだ。彼女が心優しい彼を騙し、あの誓約書にサインを書かせた。……騙し…?




どう騙されれば、あんな誓約書にサインを書くと言うんだ。




誓約書には、チャイネンシス王国の名も、ハナズオ連合王国の名も書かれてはいない。

サーシス王国と、その王族…ランスとセドリックの身の安全だけだ。


『兄さん!兄貴‼︎援軍を連れて来た!フリージア王国が俺達の味方になってくれる‼︎もう降伏の必要など無い!』


希望に輝いた笑みで、僕達の元に帰ってきてくれたセドリックの姿が、記憶の中で全く別の色に塗り潰される。光の色が、怪しく汚れた一色に。


「そんなっ…!」

身体の力が抜け、騎士達に取り押さえられたまま崩れ落ちる。情けない僕の姿に女王が一際甲高い笑い声をあげた。


「約束通りセドリックはチャイネンシス王国を裏切り、私に誠意を見せてくれた。だからこの誓約書にサインを書かせてあげたの。」

気持ちの悪い程、彼女の言葉が真実でしかないように頭に浸透してくる。必死に事実から抗おうと思考を巡らし、それでもどうしても振り解けない。必死に考え、最後に縋るような想いで唯一の希望を言葉にする。

「ランスはっ…ランスがそんなものを書かせる訳がない‼︎その誓約書は無効だ!サーシス王国の国王はセドリックではなくランスが」



「あんな国王に何ができるというの?」



パチン、と指が鳴らされる。その途端、目の前に血塗れのランスとそれを抱き抱えるセドリックが現れた。突然表出した彼らに理解が間に合わない。特殊能力、という言葉が一瞬だけ過ぎったが、それ以上に彼らの姿しか頭に入らなくなる。


「ッランス‼︎セドリックっ…‼︎」


彼らの無事を確認しようと暴れると、信じられないほど簡単に騎士から手が解かれた。何故、と思いながらも彼らに駆け寄り、セドリックの腕の中に倒れこむランスを覗き込む。

ランスを抱えたセドリックは俯いたまま、僕の方を一度も見ようとしなかった。金色の長い髪に隠れて表情すらわからない。


「ランス‼︎一体何がっ…!セドリック!これは…‼︎」


生きては、いる。だが、乾いた目を見開き、汗を滴らせながら身体を酷く震わす彼はその口からまともな言葉を発する事すら叶わないようだった。「あ…アアアッ…ア」と譫言ばかりが漏れ出し、完全に正気を失っているとしか思えない。


「……兄貴は、何も知らなかった。突然の…フリージアの裏切りに、……乱心を。」

枯れた声で、セドリックが答える。俯き、未だ僕の方を見ようとしない。ひたすらランスに向けたその顔を覗き込みたくても、髪に邪魔され何も見えない。


「…ッセドリック‼︎答えてくれ!君は僕らを裏切ったのではないだろう⁈チャイネンシス王国をフリージア王国に売ったりだなんて…⁉︎」

彼の両肩を掴み、揺らす。するとやっとセドリックが僕に顔を上げてくれた。目が合った途端、その燃える瞳が潤み、既に涙の跡を残しながら酷く顔まで歪ませていた。

「ッ違う‼︎…俺は、裏切りなんてしていない…!俺は、ただ」


「あらぁ?何が違うのかしら、セドリック王子。」


突然の彼女の言葉に、セドリックが酷く震え出した。目を見開き、潤んだ瞳から涙が一粒溢れた。


「約束したわよね?貴方は私の問いに嘘をついてはいけない。」

既にセドリックを支配下に置いているように彼女は高々と声を張る。ハハッと笑う彼女に比例してセドリックの身体の震えが大きくなった。


「答えなさいよ?貴方はこの誓約書をちゃんと読んで、確認してサインをしたのでしょう?」

「………ッそうだ。」

嬉々として誓約書を掲げる彼女の言葉に、彼の表情がまた歪む。苦しそうに噛み締めながらそれでも彼女に同意した。


そんな、信じられない。セドリックが本当にあの誓約書を理解してサインを綴ったなんて。


「私に乞い願ったわよねぇ?金塊ならいくらでも払う。国王と民だけは見逃して欲しい、自分に出来る事ならば何でもするって。」

「…ッああ、言った…!」

彼女の言葉に彼は答える。

歯を食い縛りながら、それでも彼女に頷く。

倒れ込んだランスを抱き抱える手が目に見えて震え、ランス自身の痙攣か、それとも彼の震えかもわからなくなる。


「…チャイネンシス王国を見捨てることはわかっていたのでしょう?その誓約書にサインを書いた時点で。でも、書いた。…そうよね?」

「…ッそうだ‼︎だというのに貴様は俺の目の前で兵士も民も皆殺しにした‼︎」

火を吐くかのような激情がセドリックを赤く染めた。怒りに身を任せて声を荒げる彼は、どう見ても嘘を言っているようには見えなかった。つまり、彼は






本当に、サーシス王国と引き換えにチャイネンシス王国を売ったということになる。






ランスと、サーシス王国の民と引き換えに。

僕らチャイネンシス王国を見捨て、誓約書を交わした。

そして彼女にまんまと騙され、フリージア王国の手で自国の民や兵士が殺されたのだろう。

…彼は間違っていない。自国を確実に守る為に犠牲を払うのは仕方のないことだ。ランスが正気を失うほど取り乱したということは、本当にランスは何も知らなかったのだろう。そしてフリージアと、…セドリックの裏切りを知って乱心してしまった。


「何故っ…‼︎‼︎」

怒りが、激情が全身を支配する。

許せない、許せない、許せない、許せない許せない許せない‼︎‼︎

気がつけばランスを抱き抱えるセドリックの



胸元を掴み上げ、その顔に拳を叩き込んだ。



ドカッ、と激しい殴打音と共にセドリックの上半身が仰け反り、ふらついた。そうだ、彼は身体に傷一つ無かった。フリージア王国に協力していたから、一人だけ無傷でいることを許されたんだ。

彼の手からランスを除き、床に横たえさせる。「何をっ…⁈」と声を漏らす彼の胸元を今度は両手で掴み、伸し掛かるようにして床に仰向けに叩きつけた。


「ッ何故裏切ったセドリック⁈僕をっ…ランスを‼︎君達だけは信じていたというのに‼︎」


自分でも信じられないほどの大声が放たれた。目を丸くしたセドリックは、理解が追いつかないように僕を見返した。だめだ、頭に火が点って働かない。怒りのままに彼に叫び続けることしかできない。


「信じていたのに‼︎君をッ‼︎あの時からずっと、君を兄弟だと思っていたのに‼︎‼︎」


セドリックの胸元の引っ張った服の間から、クロスのペンダントが覗いた。僕が彼に贈った物だ。兄弟の証だと、誓いを込めて彼に贈った。それなのにっ…‼︎


「違う!俺は、裏切ってなどいない…ただ、俺は…俺はっ……!」

ポカンとした表情のまま、彼の口が動いた。

まるで信じられないものを見るように瞬きも忘れて僕を見る。気の抜けた表情に対し、次第に燃える瞳から静かに涙が伝っていた。

そうだ、彼は裏切ってなどいない。一方的に同盟破棄した僕らを見捨てただけだ。同盟相手でもない僕らをどうしようとも、サーシス王国の第二王子である彼がやったことは必要な自衛策だ。

涙を流す彼は、震える手を僕へと伸ばす。言葉を必死に選ぶように口を一度噤み、そして胸元を掴む僕の手をゆっくりと掴み返した。

「信じてくれ、兄さん…!俺は、本当にハナズオ連合王国を守りたかった‼︎裏切るつもりなどなかった‼︎援軍だと思って、フリージア王国を連れて来た‼︎だが奴らは俺達を裏切り!サーシス王国や兄貴を人質にしてあの誓約書にサインを」


「嘘はだぁ〜め。…言ったでしょう?セドリック。それが、これ以上サーシス王国の民を殺さないであげる、唯一の条件。」


馬鹿にするように女王がセドリックの言葉を上塗りした。低めたその声に、セドリックの顔が歪んだ。「嘘などっ…‼︎」と言葉を詰まらせたがすぐに女王が続けた言葉に彼の表情が硬直した。


「もう一度、聞くわセドリック。正直に答えなさい?貴方は、チャイネンシス王国を見捨てることとわかっておきながら、民と国王を守る為にこの誓約書にサインした。己の意思で、内容を理解した上で。」


ゆっくり、ゆっくりと最初と同じ質問が投げかけられる。セドリックが歯を食い縛り、苦渋に顔を歪め、僕を掴む手を震わせた。

やはり、もしかしたら脅されているのか。嘘の証言をしろと恐喝されているのか。微かな希望を灯し、僕からも彼に小声で問う。女王に聞こえないようにできるだけ潜め、真実を彼に問う。


「…セドリック、これで最後だ。本当の言葉を聞かせてくれ。僕を兄と呼んでくれるなら、真実を聞かせてくれ。…彼女の問いに正直に答えてくれ。」


沈黙が流れた。

歯を食い縛り、酷く震える彼は僕から目を逸らさなかった。糸を引くような息の音が漏れ、彼がやっと言葉を発しようとするのがわかった。


「っ……すまない…兄さんっ…!」


震えた声が、放たれた。

期待していたのと違う言葉に、今度は僕が表情を忘れる。

大粒の涙を滲ませ、零し、顔を真っ赤にして歪ませる彼は、掠れるように小さく、だが女王に聞こえるほどはっきりと言い放った。


「……っ、…嘘じゃ、ないんだっ…‼︎その、女の言う通り…あの時、俺にはっ…サー、シス王国を守るだけ、でっ…精一杯、ッだった…‼︎」


泣きながら語られた真実。

しゃくり上げ、子どものように泣く彼は、嘘をついていなかった。僕にはわかる、この泣き方を僕はずっと前から知っている。


「………………信じてたのに。」


家族だと。兄弟だと。

君は、優しい人だと。

ランスの弟で、人を裏切るような人間ではないと。

僕らの夢を応援してくれた、君を。


セドリックの胸元を掴む手から力が抜ける。絶望に支配され、完全に脱力する。セドリックの顔の左右に両手を突き、俯けばとうとう眼鏡が落ちた。セドリックの顔に落ち、そのままカランと床に転がった。


「…穢らわしい。」


怒りが、悲しみが、憎しみに歪んでいく。

セドリックが、僕の言葉を疑うように見つめ返してきた。「兄さん」と、途切れ途切れに放たれたその言葉すら吐き気がする。


「忌まわしい、吐き気がする、嫌いだ、大嫌いだ、君を…一生嫌悪し、憎み、呪い続けよう。」


憎しみが、心を満たして拭えない。

見開いた自身の目から雫が溢れた。信じられないほどの低い声が僕の口から粘りを持って垂れていく。


「我がチャイネンシス王国を裏切りし、サーシス王国第二王子セドリック・シルバ・ローウェル。まことの神に呪われし穢れた神子。君は一生この瞬間も、裏切りも、大罪も永遠に忘れることができない。永久に己が罪に苛まれ、苦しみ続けるが良い。」


呪いの言葉が、溢れる。自分でも、何故こんなことを言ってしまうのかわからない。ただ、憎しみが身体を満たし、一つでも僕らを裏切った彼の心に傷を、痕を残せるようにと練り上げる。


「潔きランスの弟とは思えない。」


彼が、最も言われたくない言葉を知っているからこそ紡いでしまう。忘れることなどできない彼に。


「許さない、許さない、穢れた神子。君はランスとは相反の存在だ。神子などではない、忌子の名こそが君には相応しい。君のせいでランスはこんなにも不幸になった。君のせいだ君のせいだ君のせいだ。もうきっと誰も君を認めはしない。君を信用などしない。君が今日僕らを裏切ったように必ず多くの者に」


一度、言葉を切る。

瞬きも呼吸も忘れて僕を見上げるセドリックの目が絶望に染まっていく。顔色が蒼白となり、見開いた燃える瞳から涙が止めどなく溢れながら、表情も消えた彼は死体のようだった。


「…裏切られ、その全てを失うだろう。」


人を信じ始めた彼に、淀みを注ぐ。

燃えていた彼の瞳が静かに濁り、澱んでいくのが目に見えてわかった。

ランスが必死に洗い流した彼の穢れを、再び僕が与えていく。

放心し、瞳の光も失った彼が、穢らわしい涙に濡れながら、その口が小さく動いた。「何故」と白々しい言葉に再び感情に火が付き、一気に彼の首に手を伸ば


『だから僕からも誓おう、ランス。互いに埋め合うと。僕が叶わない時は君が、君が叶わない時は僕が、僕らの大事なものを必ず守ると』


…不意に、昔の言葉が頭に過ぎる。

約束をした、ランスと僕は。


彼は、きっとセドリックの事を庇うだろう。

今の彼にとって、未だこの男は大事な血の繋がった弟だ。

自国と、自身を守る為に自ら手を汚した大事な弟だ。

…違う、ランスにとっては大事な弟でも僕にとっては忌まわしき裏切り者だ。〝僕らの〟大事なものでは決してない。僕はっ…


『俺にとって大事な、掛け替えのない家族だ。未だ心が身体の成長に追いついてはいないが…本当は、優しい子だ』

『ヨアン王子は俺にとって、兄貴と同じくらい信頼に値する存在だ。だから兄さんと呼ぶ。…俺の、…俺様の特別だ。』


憎らしくて悍ましくて穢らわしくて許せなくて殺したくて堪らないのに‼︎

ランスと、あの時のセドリックの顔が頭から離れない。


無抵抗に固まるセドリックの首へ、手に力が入らない。震え、強張り、締めることが叶わない。まるで神に留められているかのように身体が言う事を聞かない。

諦めて首から手を離し、僕を見つめたまま死体のように成り果てたセドリックの耳元へもう一度だけ呪いを吐く。




「この世の全てが君を呪い、咎め続けることを願い続けるよ」




ビクリとセドリックの身体が一度だけ震えた。

今更、己が罪に気付いたのか「あ…ア…ァ……」と涙を流し続けながら顔を醜く歪めた。

穢らわしい彼から離れ、開ききったランスの目をそっと閉じさせた。…どうか、早く彼が目を覚ますようにとだけ願う。


「…それで、僕はどの誓約書にサインを書きましょう。コペランディ王国の者はまだですか。」


眼鏡を拾い、掛け直しながら女王に向き直る。

僕とセドリックの様子を見物していた彼女は未だに興奮した様子で僕ではなくセドリックを見つめていた。

もう、敗北は決まった。ならば早く署名をして戦を終わらせなければ。今も多くの兵士がこの戦争で命を落としている。


「そうねぇ…あと半日くらいかしら?」


なっ…⁉︎と思わず声が漏れる。半日⁈何故‼︎もう勝敗は決した‼︎こうして城も占拠され、全てが終わったというのに‼︎

理解が追いつかず言葉が出ない僕に、今度はいつの間にか佇んでいたフリージア王国の摂政が口を開いた。


「…コペランディ王国、アラタ王国、ラフレシアナ王国は、チャイネンシス王国〝全土〟を侵略するまで止まる気はない。城下の侵略後は農村に至るまで全て。…ラジヤ帝国に抗う愚かさを知らしめるまで。」

降伏さえ、許されないというのか…⁉︎

信じられず、窓の外に目を向ける。美しきチャイネンシス王国が燃え上がり、至る所から煙が立ち上り、ここからでも悲鳴が聞こえてきた。


「そんなっ…‼︎どうか、どうか降伏をさせて下さい‼︎我々はもう負けたのです‼︎これ以上民が傷付くのはっ…ラジヤ帝国も貴重な〝奴隷〟という人材が減るのは望まないでしょう⁈」

奴隷を容認するような言葉に自分自身で嫌悪する。だが、今は早く降伏を成立させないと!早く、早く属州となる契約書を‼︎


「知らないわよ、そんなの。私達はフリージア王国だもの。人なんて勝手にまた増えるでしょう?……まぁ、この状況を貴方達の言葉でわかりやすく説明するのなら…。」

心からどうでも良さそうな口振りから、一変して彼女から引き攣った笑みが溢れ出す。

セドリックへ注がれていた眼差しが、真っ直ぐと僕に向けられた。悍ましいその笑みを正面から受け、思わず背中を仰け反らす。

彼女は放つ、両手を高々と掲げ、まるで天からの言葉を聞いたかのように








「神が、貴方達に〝死ね〟と言っているんじゃない?」








身体が、凍る。

信じられないほど、恐ろしい言葉に絶句する。

喉が渇き、口を開いたまま声が出ない。

セドリックも、ランスのことも全てが頭から消失し、真っ白になる。


…冒瀆、された。


僕らの信仰を、神を、生を、全て。

今こうしてチャイネンシス王国が滅びの危機に瀕していることも、セドリックに裏切られたことも、フリージア王国やコペランディ王国に標的にされたことも全て


神の御意思かのように。


「この結果が、その証拠じゃない?」


軽い調子で語る彼女に、意思より先に足が、手が伸びる。衝動的に彼女に掴み掛かろうとすれば騎士に再び拘束された。

意味の分からない声を、怒声を上げて僕が暴れる。力で全く敵わないにも関わらず、獣のように吠え、足掻き、喚く。…自分が自分じゃないようだ。こんな醜態、信じられない。憎しみと憎悪で訳がわからなくなる。

僕の姿を、女王がセドリックに向けたのと同じ恍惚とした表情で眺め続けた。引き上げた口端は狂気に満ちていた。


「アッハハ!…醜い姿。これが神を愛するチャイネンシス王国の国王なんて。」


笑みをそのままに騎士に腕ごと捕らえられる僕の頬に手を添える。首を激しく振り、拒絶すれば今度は摂政に顔を押さえつけられた。それに合わせて女王が僕の頬に研ぐように爪を立てる。


「決めた。…貴方も生かしてあげる。もっともっと歪む貴方が見たいもの。」


整った爪先で引っかかれ、小さな熱が頬に残った。手を離し、歪な笑みのまま女王が騎士に合図を送る。騎士に腕を引かれ、暴れ続ける僕が王座の間から連れ出されていく。

バタン、と僕の喚き声が扉に閉ざされ、小さくだけ漏れ聞こえた。


ー …僕は。……何故、こんな。


僕の姿が、消える。

騎士と摂政、女王とセドリックだけが王座の間に残された。


ー …嗚呼…そうか、………そうだ。…セドリックが、僕を裏切って…。


「…ッ何故だ…兄さん……何故…。」


漏れ出るような、掠れた声がセドリックから放たれた。

放心したままのセドリックが、仰向けに倒れたまま譫言のように呟いた。それに気付いた女王が、…引き攣った笑みのままにセドリックに歩み寄る。


「残念。絞め殺されかける貴方も見たかったわ。」

アッハハ!と笑う彼女に、セドリックは反応しない。

濁りきった瞳で天井を見上げながら、力なく倒れたままだった。それを見た女王が、試すようにその場にしゃがみ込み、セドリックを真上から見下ろした。…僕を、チャイネンシス王国を裏切った、彼を。


「…偉いじゃない、約束通り嘘は吐かなかったもの。…ねぇ?一度も。」

フフフッ…と堪え切れないように笑いを含み、放心状態のセドリックの前髪を撫でた。顔が良く見えるようにと、外へ外へ払っていく。


「あんなに一生懸命、ハナズオを守ろうとしたって訴えたのに。無実も、私達フリージアが裏切ったことも、脅されたことも言ったのにねぇ?」

カワイソウカワイソウ、と棒読みに彼の頭を撫でる。それでもセドリックは、心が死んだように反応しない。顔を痙攣させて呻くランスの方がずっと、生きているとわかるほど。


ー …何を、言っているんだ?彼女は。


セドリックは、嘘を言っていない。ならば彼は僕らを売ったということになる。自国を守る為だけに、僕らを


『本当にハナズオ連合王国を守りたかった‼︎裏切るつもりなどなかった‼︎援軍だと思って、フリージア王国を連れて来た‼︎だが奴らは俺達を裏切り!サーシス王国や兄貴を人質にしてあの誓約書にサインを』


………あ。


そうだ。…セドリックは言っていた。

守るつもりだったと。フリージア王国に裏切られ、ランス達を人質にされたと。

確かにそう訴えてくれていた。あの時の目だって嘘や言い訳のような目じゃなかった。なのに、何故…何故僕は、…僕は。


『嘘はだぁ〜め』


何故彼女の、あの女の言葉を信じてしまったのだろう。

他ならないセドリックの言葉ではなく、彼女の言葉を。


「流石ジルベールだわぁ…あはっ。…本当、面白いくらいに思い通り。老害もこういう時くらいは役に立つものねぇ。」

貴方も見習いなさい?と気軽な口調で傍に控える摂政を窘めた。無言で頭を下げる摂政を、指先だけで追い払う。


「ねぇ?…王子様、死んじゃったの?そんな反応つまらないわぁ。」

髪を払い、輪郭を辿るように顎を撫で、彫刻のような彼の顔を丸ごとなぞる。


「悲しいわよねぇ?あんなに必死になってハナズオ連合王国の全滅から自国だけでも守ったのに。だぁれも貴方を褒めてくれない。本当のことしか言わない貴方を、誰も信じてくれない。…きっと、これから先も、誰も。」

枯れるほど止めどなく涙が溢れ続ける瞳だけが、彼が生きている証拠だった。

女王がいくら責苦を囁いても、彼には……いや。届いている。きっと、これから先何度も彼の頭に繰り返し蘇り続けるのだろう。

反応のない彼に、女王がつまらなそうにその頬を指で弾いた。長く鋭く整えられた爪が彼の頬に傷を作った。…それでもセドリックは動かない。

飽きて溜息を吐く女王は、思い付いたように突然笑みを浮かべた。そして放心するセドリックへそっと、囁きかける。


「…ねぇ?私が復讐してやりましょうか?」


初めて、セドリックが大きく瞬きを返した。

セドリックの燃える瞳が濁ったままに、ギロリと彼女に向けられる。反応が返ってきたことを嬉しそうに、女王が言葉を続けた。

「ヨアン国王を火炙りにしてやりましょうよ。貴方にその点火をさせてあげる。…ああ、そうだ。何ならチャイネンシスの国民も一緒に並べちゃいましょう?貴方を信じてくれなかったヨアン国王を沢山苦しめてあげましょう?ねぇ、楽しそ」


「止めろッ‼︎」


セドリックの口が、はっきりと開かれた。怒りに燃えた瞳が、強く濁った光を放った。激情に駆られたセドリックに、女王が嬉しそうに顔を綻ばせた。


「兄さんにっ…‼︎チャイネンシス王国にこれ以上手を出すな…‼︎俺はお前の言う通りにしただろう⁈」

「えぇ?約束はサーシス王国に手を出さない、でしょう?チャイネンシス王国は入らないわ。大体もうこの国はラジヤの支配下に」


「ッならばお前のものでもないだろう⁈あの人をこれ以上苦しめるな‼︎」


女王の言葉を遮るようにセドリックが怒鳴る。…僕の、為に。あれ程酷いことを言った、僕なんかの為に。

セドリックの怒声を嬉しそうに浴びながら、女王が自分の髪を払った。勢いよく身体を起こすセドリックに、慄く様子もなく笑う。


「ねぇ、なんで?何故まだあの国王を庇うの⁇」

興味を持った子どものように首を傾げ、笑いながら彼に問う。答えが知りたくて仕方のない表情にセドリックが乱れた髪をそのままに顔を歪めた。

「兄さんは俺の大事な人だ。理由などいるものか。兄貴と兄さんの為ならば俺は」


「忌子とまで呼ばれたのに?」


今度は、女王がセドリックの言葉を上塗った。期待に輝く瞳が、セドリックを紫色に反射させた。そしてセドリックは




……突然、また身を硬直させた。




表情が固まり、また彫刻のように動かなくなった。信じられないほどすぐにまた涙が溢れ、流れて頬を伝った。

きっと、思い出してしまっている。あの女王の言葉の一瞬で、僕が浴びせかけた罵詈雑言と呪いの言葉を。

忘れることが出来ない彼は、一字一句違うことなく鮮明に脳に焼き付けてしまっているのだから。


「…アハッ。……壊れちゃった?」


涙を流すセドリックを、楽しそうに女王が覗く。今は彼の無反応すら面白いと言わんばかりに彼を突き、頬をつねり、そして両手で軽々と無抵抗な彼を押し倒した。


「嗚呼…面白い。面白いわぁ、セドリック。」

また彼の髪を撫で、輪郭を露わにさせ、ひたすら撫で回す。そして不意に、彼の傍らで小さく呻き、痙攣するランスに目を向けた。


「本当はねぇ、貴方のお兄様をグッチャグチャに拷問して、もう二度と一人で生活できないくらいにして、…それから貴方にサインを書かせたかったの。」

まるで、楽しい秘め事を語るようにセドリックに囁きかける。セドリックの表情がピクリ、ピクリと痙攣し、指先が震えた。


「そうすれば貴方はもっともっと苦しむでしょう?そして、…ヨアン国王はきっともっと貴方を憎んでくれたわぁ。だって」

一度言葉を切り、彼の耳元からそっとセドリックの顔を覗き込む。ギロリと彼の濁った目が彼女を刺し、再び女王の顔が興奮したように紅潮し、…言葉を紡ぐ。


「こう言うつもりだったのよ?『セドリックが自身と自国の民の為に自らランス国王を八裂きにした』って。」


ぐわッ、と再びセドリックが動き出す。彼女の服を今度こそ掴み上げ、至近距離まで引き寄せ、睨み付けた。額同士が触れるより先にセドリックが声を荒げた。

「そんな戯言ッ‼︎誰が信じるものか‼︎」と今にも噛み殺さんばかりに歯を剥き出しにした。…それでも、女王は余裕の笑みでセドリックに口を開く。


「〝忌子〟〝許さない〟〝呪う〟〝穢れた神子〟」


次々と、僕が彼に放った言葉を紡ぐ。今度は放心せず耐えた彼が、それでも目にいっぱい涙を溢れさせながら彼女を睨んだ。胸元から首に彼の手が行こうとした途端に騎士が動く。…だが、女王自らそれを止めた。


「信じるものか、ですって?…アッハハハハ……ねえ。この世の誰が貴方を信じてくれるというの⁇」

重い、彼女の言葉に今度こそセドリックの手が緩み沈んだ。その途端、軽々と彼女はセドリックの手を払い、逆に倒れ込んだ彼を抱き締めるようにしてその首のうしろに手を回した。


「殺すなら殺して良いわよ、セドリック。私を殺せば、その瞬間にチャイネンシス王国だけでなくサーシス王国もラジヤの支配下に堕ちる。…本当は、最初からラジヤ帝国はハナズオ連合王国両方を滅ぼすつもりだったもの。」

息を飲むセドリックが目を見開いた。

パクパクと口を動かしながら、驚愕の一色で彼女を見つめ返した。その表情に、女王の顔が怪しく歪む。


「感謝しなさいよ?私が貴方達を引き取ってあげたのだから。協力する代わりに、サーシス王国の支配権とチャイネンシス王国の鉱物だけは私に譲りなさいって。」

本当なら、今頃サーシス王国も火の海よ?と窓の外を目で指し示しながら彼女は嗤う。否定したいようにセドリックが必死に首を振れば余計に彼女の口が引き上がった。


「ほ・ん・と・う・よ。」

軽々しく語る彼女が、嬉しげに口遊む。

蒼白となる彼の顔色が歪み、拒絶するように唇を震わせた。


「何故っ…‼︎何故貴様がそこまで我が国をっ…‼︎」

「何故って?簡単よ。」

驚愕するセドリックに嬉しそうに彼女が微笑んだ。髪を撫で、払い、口付けできるほどに顔を近づけ、至近距離から彼を覗く。引き上げた口を俄かに開き、そして語る。




「美しい貴方の顔が、醜く歪む姿が見たかった。」



…セドリックの表情が、凍りつく。

限界まで見開かれた瞳が揺れ、顎を酷く震わせた。そんなことで、と枯れた声が彼の喉を鳴らす。

セドリックの表情が凍れば凍るほど、彼女の顔が恍惚に染まっていく。

固まる彼の輪郭を撫で回し、愛しむように笑みを広げた。


「嗚呼…もっともっと、貴方のその美しい顔が歪むのを見たい。喜びなさいよ?その美しさ故に、結果として貴方は自国だけは守れたのだから。」

フフフッ、ハハッと彼女が笑う。常軌を逸したその笑みで、セドリックを嘲ってゆく。セドリックの目の光が、希望か絶望か悩み惑うようにチカチカと点滅していく。彼の感情の乱れを味わう女王が、再びセドリックに言葉を注ぎ、染めていく。


「ねぇ。…さっきの話、本当にやっても良いのよ?」

ギョロリギョロリと、彼女の瞳が動く。

セドリックの表情を、一瞬たりとも見逃さないように細心の注意を払う。彼が息を飲み、瞼を痙攣させ、全身を震わせ、荒い息を細く吐く。汗が滴り、彼女の細い指が彼の喉をなぞった。


「貴方の兄…ランス国王を、八つ裂きにして二度と一人で生きていけない身体にすることも。ヨアン国王を民と並べて火炙りにすることも。……簡単よ?」


顔から血の気が引き、歯を鳴らす。

駄目だ、と震える息がそう言葉を作った。

顔を左右にゆっくり振り、顔をじわりじわりと滲みを作るように歪ませ始めた。比例するように女王の表情が悦に輝く。


「言ったわよね?私の言う事を何でも聞くって。……じゃあ、聞かせてよ。」

ニタァァァと、裂くような笑みが彼女を満たす。セドリックの耳元に毒を囁き、震える彼を覗き込む。


「〝忌まわしい、吐き気がする、嫌いだ、大嫌いだ、君を一生嫌悪し、憎み、呪い続けよう〟…どんな気持ちだった?信じていた人に憎まれた気分は。」


唄うように言葉を奏でる。

笑いながら語らう彼女に、セドリックが酷い汗を滴らせた。唇どころか息すらも震わせ、目を見開いた彼が歯をガチガチと鳴らした。


「〝まことの神に呪われし穢れた神子〟…だったかしら?ねぇ、素直な言葉を聞かせてよ。…辛かった?悲しい?憎い⁇…ねぇ。」


彼女が、僕の言葉で彼を刺す。

セドリックが身体を震わし、拒絶するように歯を食い縛る。脳裏に再び焼き付く僕の呪いが、彼を鮮明に捕らえ、苦しめる。

「言葉にしてくれないとわからなぁい。…ねぇ?教えてくれないなら、今すぐ二人を」



「い、やだ‼︎…ッッッ…傷つけっ…で、くれっ……死んで…ッ欲しくない…‼︎ッ嫌、だ‼︎」



子どものような嘆き声が、部屋中に響き渡る。

頭を両手で抱え、耐えられないように声を上げた。火が付いた彼に、彼女の光り輝いた瞳が手を離し、一歩引いた。慄いた訳じゃない。彼を絶好の場所で眺める、その為だけに。


「辛い、苦しッ…胸が、焼けるっ…‼︎痛い、痛い、痛い痛い痛い痛っ…………ッッ………悲しいっ…。」

本当に心臓に発作が起こったかのように胸を鎧越しに鷲掴んで押さえ付け、感情をただ羅列するように並べる。最後の小さな一言で、彼の目からポロッと涙が溢れた。

すると、それがきっかけで押さえ付けていたものの歯止めが外れたように彼がその前髪ごと鷲掴み、掻き上げ、その顔を酷く歪め始めた。


「何故っ…何故兄さん…っ、…俺を恨っ…!信じて、くれなかったんだッ‼︎」


吐くような彼の叫びが、木霊する。涙を溢れさせ、我を忘れたように顔を痙攣させた。「もっと聞かせて」と唄う彼女に、セドリックが咽び泣く。喉を引き、俯き、喚く。


「俺はッ…守りたかったのに‼︎兄貴っも、兄さんも、民も‼︎約束っ…約束したのにっ…‼︎何故俺にっ、あんな…‼︎…ッッ…ないと…言ってくれたのにっ…‼︎」


『忌みも、嫌悪も、穢らわしいとも思わない。僕の神に誓おう、セドリック』


血を吐くような彼の嘆きが、彼自身の首を絞め続けた。


ー セドリックっ…すまない、すまない…っ。


何故、僕は彼を信じてあげられなかった…?

何故、彼にあんな酷い言葉を。

何故、彼に呪いをかけた?

大事な僕の兄弟に、僕らの為に必死で動いてくれた彼に、…こんなになっても変わらず僕らを庇ってくれる、優しい彼に、僕は何故




あんな、酷い事ができたんだ。




「ねぇ…?最後にヨアン国王は貴方になんて言ったの?」

うっとりと笑いながら問う彼女が、嘆き続ける彼に目を奪われる。引きつけを起こし、嗄れ、しゃくりあげ、涙を溢れさせる彼を、…まるで芸術品でも眺めるように恍惚と目を輝かせる。


ー ッやめてくれ…‼︎どうか、これ以上っ…もう…


「………この世の、全てが…。」


彼の、表情が死んでいく。

また、放心した時のように表情を固め、その目が濁ったまま光を失っていく。

それに気付いた彼女が目を丸くし、つまらなそうに顔を不機嫌に沈めた。歪みも苦しみもせず、感情が堰き止められた彼が、無機物のように色褪せる。ただ、その燃える瞳から溢れる涙だけが、彼の苦しみを物語っていた。


「俺を呪い、…咎めつづ、…続、けることを、願い続ける……と。」

ぽつり、ぽつりと呟く彼は、まるで文字を音読するかのように無感情だった。嗄れた声で語る彼が、また光を失ったまま動かなくなった。涙を流し、放心する彼を、愛おしげに女王が撫でる。


「嗚呼っ…大丈夫よセドリック。…もう、この言葉は貴方に使わないわ。」

一見優しさや慈悲とも取れる彼女の言葉が、それに反して楽しそうな声色で紡がれた。「だって」と再び歪んだ笑みを露わにする。


「こんな反応つまらないもの。もっと、もっと美しく歪む貴方の顔が見たいから。」


信じてたのに、信じてたのに、信じてたのに、信じてたのにと。繰り返し感情の死んだ彼が小さく言葉を紡ぐ。そんな彼の唇を指先で撫でる彼女は、…酷く残酷な笑みを彼に向けた。


「私の手の中で、安心して苦しみ続けなさい。…セドリック・シルバ・ローウェル。」


セドリックは、何も返さなかった。

無感情に言葉を紡ぎ続ける彼が、最後に小さな声で呟いた。


「…………………兄…、さ……。」


ー すまない、すまない、すまないすまないすまないすまないすまないっ…!

君を、信じてあげられなかった…‼︎

君の優しさを知っていたのに!神にも誓ったのに‼︎

…ランスッ…‼︎頼む、目を覚ましてくれっ…‼︎

君にしか、救えない。

セドリックを、彼を、救えるのは君しかっ…!

あんなに、優しい子なのに…。

僕のせいで、酷い傷を心に残してしまった。

僕らの為に苦しんで、僕のせいで傷付いて、僕らの為に傷口を自ら広げ、僕のせいでまた昔以上に心を死なせてしまった…!


セドリック、ランスっ…

すまない、すまない、すまない…







……………………ッごめん…っ…




……




「…さん、…兄さん!」


…聞き慣れたその声に、何故か酷く胸が締め付けられた。


「兄さん!…どうしたんだ?」


僕を気遣う心優しいその、声に。

…あれ、僕は何をしていたのだろう。

ぼんやりと、…意識が少しずつ正常に色を付けていく。

僕の肩を揺らすその手に視線を向ければ金色の髪が陽の光を浴び、眩く僕を起こした。


「……ん、……セドリック…かい?」


ぼやけた金色の輝きが、だんだんと輪郭をはっきりさせた。一度だけ目を強く瞑り、指先で擦る。しっかり目を開けばよく知る存在がそこに居た。


「兄さん。…大丈夫か?酷く魘されているようだったが…。」

心配そうに僕を覗き込むセドリックに、ほっと力が抜けた。不思議だ、いつもの見慣れた顔なのに。

どうやら彼らを待ちながらソファーでうたた寝をしてしまったらしい。昔は落ち着かない空間だったのに、今やもう一つの我が家のようだった。


「すまない、客間で待たせ過ぎた。」

水を用意させるか?と尋ねてくれるセドリックに大袈裟だなと思いながら笑い掛ける。


「大丈夫だよ、セドリック。…夢でも見てたみたいだ。」

どんな夢だ?とセドリックが首を傾げたけれど、もう覚えていない。ただ、酷く後悔と絶望に飲み込まれた感覚だけがまだ喉に引っかかっていた。


「そんなことより、勉学の方は順調かい?凄く頑張っていると聞いたけれど。」

「ああ…それは、…そうなんだが。」

話を変える僕に、セドリックは少し言い淀んだ。何かまた問題か、それとも〝神子〟のことで何か言われたのかと考えると彼は一度目を逸らした後にまっすぐ僕を見つめてきた。


「その、……実は兄さんに、…そっ、…相談が。」


僕に、相談…?

初めてかもしれないセドリックのその発言に、気付けば僕は目を丸くした。彼は今まで自分から悩みを打ち明けることなんてなかったのに。

これも、プライド王女の影響かなと思いながら僕は彼に続きを促した。九日前での防衛戦から多くのことがあり過ぎた。更に彼は三日前から勉学に没頭し続けているとランスから聞いた。僕にできることなら何でもしたいと心から思


「こっ…、…恋した相手には、…どう、関われば…良い…⁈」


「……え…?」

……あれ。何を言っているんだろう、この子は。

思わず口元が中途半端に上がったまま固まってしまう。僕の疑問を気にせず、セドリックは流れるように言葉を続けた。


「俺の、…愚かなところをたくさん見られてしまった。謝罪や、正しい振る舞い方や婚約者との関わり方は学んだが…ただ俺の片想いである相手との関わりや不敬にならん愛情表現や、それに何よりあそこまで無礼を犯した相手に惚れてしまった場合はどうすれば許され…いや許されなくとも償い方やここからどうやって彼女と接すれば」

「ちょっ、ちょっ、ちょっと待ってくれないかいセドリック⁈」

堰を切ったように語り出す彼を慌てて止める。

恥ずかしげもなく語る彼に、僕の方が顔が熱くなる。冗談を言っているのかとも思ったが、どうやらその表情から見て本気らしい。……一体どうすれば。

彼が僕を頼ってくれたのは嬉しい。でもまさか、よりによって恋の相談を受けるとは思わなかった。更に言えば相手は誰なのか。この数日で彼が関わった女性といえば、…いや絶大な記憶力を持つ彼ならば今まで出会った全ての女性達が容疑者だ。だが、いま僕が思い当たる人物と言えばー…。


「ええと、…まずその人は、どんな地位の方なのかな…?」

僕に言葉を止められ、きょとんとするセドリックに必死に冷静なように取り繕う。

もし、ハナズオ連合王国の令嬢や城下の町娘や侍女ならば相談にも乗れる。そう思いながら、気付けば僕はソファーから立ち上がり、焦りを誤魔化すように彼の肩に手を置いていた。

するとセドリックは少し言い辛そうに唇を結んだ後、部屋に僕ら以外誰もいないことを目で確認してから小さな声で呟いた。


「………………異国の王女だ。」


ぽわ、と彼の頬に一気に赤みがさした。彼のその表情と、異国の王女という言葉に確信を持つ。三日前、彼が別れの間際にフリージア王国の王女を赤面させた事件を思い出す。そして僕は


「ランスーーッッ‼︎‼︎セドリックが!セドリックが‼︎」


気が付けば客間の扉を開けて大声で叫んでいた。国王である彼の自室に向かい、力の限り。


「ッやめろ兄さん‼︎兄貴にバラすな‼︎」

ランスの名を叫び呼ぶ僕に、セドリックがしがみついた。バッターン‼︎と叫び掛けた方向から激しく扉が開け放たれる音が響く。同時に「また何かやらかしたのかセドリック‼︎」というランスの怒鳴り声とドタドタと駆けてくる足音が凄い勢いで近付いてきた。


「酷いぞ兄さん‼︎裏切ったな⁈」

「口止めはしなかったじゃないか‼︎」

思わずセドリックに釣られて上擦った声で言い返してしまう。こんな風にセドリックに声を荒げたことなんて初めてだ。僕の肩を掴む彼の方を振り向けば、彼の顔は真っ赤だった。そして僕も確実にそうだろう。


「大体‼︎兄貴に恋愛相談などして役に立つものか‼︎教師に言えるわけもないからこうして兄さんに相談を」

「僕だって分からないよ!今まで恋愛なんてしたこともないのにっ…!」

我ながら子どものような言い合いをしていると思い、余計に恥ずかしくなる。なんで僕はこんなことを大声で言っているんだ⁈

部屋の前に控えていた侍女達や護衛が皆、目を丸くして僕らを見ている。僕の発言に若干口が笑っている者もいた。


「セドリック‼︎一体今度はなにをやらかした⁈」

ことによっては外出禁止だけじゃ済まさんぞ‼︎とランスが階段を駆け下りてきた。僕とセドリックで扉の前で揉み合った体勢のままランスの方へと顔を向ける。するとランスは僕らの姿に「まさか…喧嘩か⁇」と逆に拍子抜けしたように目の前で立ち止まり、首を捻った。

ランスの訝しむような表情に、なんだか一気に冷静になる。顔の火照りが段々冷めて、ふとセドリックの方を見直した。すると


「〜〜〜っ…。……恨むぞ…兄さん……。」


顔を未だに真っ赤に熱らせたセドリックが、若干涙目で僕の方に俯いていた。


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