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フリージア王国備忘録<第一部>  作者: 天壱
冒瀆王女と戦争
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342.王弟は胸を張る。


「…で、あるからしましてこの場面では…⁈せ、セドリック様⁈」


…頭が、熱い。


「セドリック様!お気を確かに‼︎」

「誰か水を‼︎セドリック王子殿下がまたっ…‼︎」

「セドリック様、少し休憩を…、…!こっ、国王陛」

机に突っ伏し、頭を燃やし尽くすかのような灼熱と戦う。

鼻先にぶつかる本が香りながら、必死に一人呼吸を整える。頭を両手で抱え、耐えようとするがどうにも耐え切れずに死にかける。不意に足音が近づく音が聞こえ、同時に教師達の声が一瞬で静まった。


「…………セドリック。…またそれか。」


溜息交じりの兄貴の声に、また見に来たのかと言葉を返す。…俺としてはあまり見られたくない醜態だというのに。国境の大規模建設で忙しいくせにと国王はそんなに暇なのかと言ってやりたいが、頭が熱くてそれどころではなかった。代わりに出たのは


「…………死ぬ。」


何とか全てを集大した言葉がそれだった。

兄貴が教師達に心配はないと声を掛けると、机に項垂れる俺の頭を鷲掴んだ。溜息交じりの笑い声が小さく聞こえる。


「やはりまたこの勉強法か。教師七名に同時に教わるなど普通ではないぞ。」

「………俺にはこれが合っていると言っただろう。」


勉学から逃げるのを止めると決めた日から、俺は兄貴に頼み、七名の教師に授業を頼んでいた。

同時に勉学内容を講義させ、口頭での解説を頼んだ。十年近くの怠惰を取り戻す為にはこれが一番早い。慣れたら他の科目のように十人以上に増やしたかったが、…この科目だけはこれが限界だった。教師には声が入り混じり少しやり難いとは思ったが、そこは頼んで了承を得た。本当に頭に入るのかと、疑問視はされたが。

当然、問題はなかった。今までだって複数に放たれた民の言葉も全て聞き分け、記憶できていたのだから。


……それに、いまはそれで死にかけている訳ではない。


「…あと追い付くまでどれくらいだ?」

俺の今の進捗状況を教師達に確認する。教師の一人が「実技を入れてあと半分です」と答え、兄貴が「もう、か」と半ば呆れるように溜息を吐いた。俺としては〝もう〟よりも〝まだ〟の方が正しい。早くこの教科を終わらせたいからこそ、こうして優先的に時間を費やしているというのに‼︎頭の熱が少し冷め、苛立ちのままに机に両拳を落とす。





「…っ、…マナーと教養は…地獄だ…‼︎」





口にした途端、また顔の熱が悪化した。

兄貴から「自業自得だ」といつもの言葉を返されるが、もう言い返す気力もない。

…まだ、実技はやっていない。実際の身の振り方や挨拶は全ての座学が終わってから習う予定だ。だが、口頭で教師から各場面での身の振り方や禁忌を聞く度に、顔から火が出るほどの羞恥に襲われた。


「俺はっ…彼女達に、どれだけの無礼をしておけば気が済む…⁈」

死ぬ。

思い出したくなくとも、俺の頭には鮮明にあの時の自身の行動が残されている。

沸騰しそうな頭を抱え、再び机に突っ伏した。

動作ひとつに関しても、今の学習内容と当時の自身の振る舞いを照らし合わせれば寧ろ無礼しかない。

敢えて彼女達に喧嘩を売っていると思われて当然の域を超えている。既にフリージア王国で俺が犯した無礼と禁忌だけでも細やかなものも含めれば五十を超えた。更に俺はその後もハナズオで何十も彼女達に無礼を重ねている‼︎マナーや教養が増えれば増えるほど、全く気付かなかった今までの行いの多くが王族としての禁忌や社交界の無礼に当てはまる。

本当に、よく国から追い出されなかったものだとつくづく思う。いや、それどころか処罰されても良い程だ。俺はこれを当然のように初対面の!更に第一王女でもあるプライドに‼︎そしてティアラの目の前でやったのかと‼︎‼︎

思い知れば思い知るほど羞恥の炎に焼け焦げる。しかも、プライド達だけに留まらない。俺はその行いをこの七年ずっと国内の社交界や城下で犯していたのだから‼︎


「兄貴っ…暫く社交界と城下には降りたくない…‼︎」

あまりの恥で弱音が漏れる。頭が焼け過ぎて、思わず机にそのまま額を叩きつける。教師達が驚いて声を上げ、繰り返し五度目で何とか思い留まった。


「当然の報いだ。罰の一つとして言い渡しただろう。マナーを全て身に付ける迄は外出禁止。…だが、当然身に付ければ社交界にも城下にも今迄のように出て貰う。」

「ッ今迄のようになどできるものか‼︎」

あんな恥ずべき行為‼︎と声を荒げて顔を上げれば、兄貴が突然噴き出した。俺は真剣に言っているというのに‼︎


「…お前に会いたがっている民も多い。早く教養を身に付けて己が言動を省みろ。」

「ッだから‼︎既に省みた結果!合わす顔が無いと言っている‼︎俺が女性達にどのような振る舞いをしてきたか見ていただろう⁈」

っハハハハハハッ…と、とうとう兄貴が腹を抱えて笑い出した。「兄貴‼︎」と叫んだが、全く兄貴の笑いは止まらない。それどころか周りの教師まで俺と兄貴を見比べて笑いを堪えている。余計に恥ずかしくなり抑えたくとも、どうしても顔の火照りが止まらない。目に涙まで溜まってきた。駄目だ、また堪え切れそうにない。


「〜〜〜っっ…。」

再び頭を抱え、机に顔を押し付ける。兄貴の笑いは止まったが「休み休みで良い。あと一時間後にはヨアンも来る予定だ。そしたら休憩に来ると良い」と言って俺の頭を鷲掴んで髪を乱すと、さっさと公務に戻ってしまった。……もう、髪型すらもどうでも良くなる…。

教師が休むかと聞いてきたが、手を振って断る。耳を塞がなければ問題はない。彼らに再び続きを促すと、教師のダンから始めに再び七つのマナーの講義が再開された。

早速四つプライド達への新たな無礼に気づいてしまったところで、俺は机に押しつけた手のひらに力を込めて無理矢理上体を起こす。


……本当に。気付けば気付くほどプライドが俺を何度も庇ってくれた理由がわからない。

何故、ハナズオ連合王国を救ってくれただけでは飽き足らず、俺にあそこまでのことをしてくれたのか。


『力なんて無くても‼︎才能に頼らなくても!己が意思で足掻いた貴方を誇りなさい‼︎』


俺を捨て置いても変わらなかった。

それどころか構わなければ彼女は怪我をせずに済んだかもしれない。


『…守る、って言ったのにね』

連れ出してくれた、それだけでも救われた。

己が無力感に押し潰されかけた俺に、共に出る事を許し、誘ってくれた。

俺のせいで、多くに求められ愛される彼女はその足に無惨な傷を負った。

その彼女が、何故俺に詫びたのか。

詫びるべきなのは、俺の方だったというのに。


『貴方のせいじゃないわ。…貴方が居なくても、きっと私は飛び出しちゃったもの』

何故、あんな時にまで優しい言葉を掛けるのか。俺が余計なことをしたせいで、俺などの為に、俺はどれだけ愚かであれば気が済むのかと、息をするのすら罪深く思えたほどに後悔した。

無力な俺の存在は、やはりどう足掻こうとも他者に迷惑を掛けることしかできぬのだと。そう、思い知らされた時だった。


『…大丈夫よ。貴方が思っている以上に、この世界は貴方に優しいから』


彼女は、救う。

その言の葉一つで、信じられぬほど簡単に。

今、この時だけではない。まるで、俺の十七年間全てを見通したかのように語った。

神子である己も、兄貴を苦しめるだけだった己も、知識を放棄し、見目を磨くことでしか兄貴や兄さんに還元できなかった己も、その全てを汲み取るかのように。

信じられず言葉を失う俺に、彼女は語り続けてくれた。


『本当の貴方は、きっともっと沢山の大事なものを守れるわ』


〝本当の〟と、彼女は言った。

俺の〝神子〟を予知で彼女が知っていたと兄さんが教えてくれたのは終戦後のことだった。


〝本当の〟俺…俺自身が最も忌み嫌った存在だ。


物心つく前に俺から自由を奪い、上層部の玩具へ堕とし、兄貴の立場を脅かし、追い詰め、兄さんと兄貴の約束すらも危ぶませる〝神子〟の俺を。

なのに、彼女は告げた。その俺ならば、多くの大事なものを守れると。…今まで、その大事なものを傷つけることしか能のなかった〝神子〟の俺ならと。


『だって、貴方はあんなに素敵な国王二人の自慢の弟なんだから』


俺に仄かに触れ、笑う。

その言葉に心臓が止まるかとも思った。

〝神子〟の俺を赦しながらも今の俺を



兄貴と兄さんの〝弟〟として認めてくれた彼女に。



俺にとって、何物にも勝る誉れだ。

昔、兄さんが俺を兄貴の弟として認めてくれた時と同じように胸が熱く燃え滾った。


〝神子〟よりも俺は二人の〝弟〟でありたかった。


俺にとって、何にも優り偉大な存在だった二人の〝弟〟に。

だが、無力で無知で無能な俺では相応しくないことも……誰より、理解していた。

だからこそ〝王弟〟の名すらも気が咎めた。俺の存在で、…見目だけしか価値のない俺が、二人の弟であると名乗るのも恥ずかしかった。


…だが、もしも。


『セドリック』

もし、この俺に二人の弟として…〝王弟〟として再び〝神子〟が生かせるというならば。


『貴方が援軍に向かうと決めたのは…ランス国王の為?』

それが、許されるというならば。

兄貴と、兄さん、ハナズオ連合王国の民の為。そしてプライドの多大な恩赦に報いる為に。

俺は、今度こそ立ち上がらねばならないと。

守られるでも庇われるでもなく、今度こそ〝守る〟立場に俺は在りたいと。



その為ならば忌まわしき〝神子〟すらも受け入れようと、そう思えた。



〝神子〟への恐怖と、今度こそ間違わぬか、本当に守れるのか、また余計な事をして失わないかと不安に襲われる俺に彼女は手を重ねてくれた。

俺からは触れぬと約束した筈の彼女は、何度も自ら俺へと手を伸ばす。


『…セドリック、よく聞いて』

気付けば俺は、心の底から彼女の言葉を求めていた。

跪き、乞うように言葉を待つ。


『…大丈夫。本当の貴方は、容姿だけでは推し量れない程、素敵だから』

〝神子〟のことだと、すぐに悟った。

やはりどれほど見目を飾り立てて繕うとも所詮は〝神子〟…それが無ければ無能な器でしかないのだと




『違うわ』




…また、彼女は俺の心を覗く。

期待し、望み、言葉を待てばこれ以上ない柔らかな言葉が注がれた。


『…自分を殺さないで。自分にできることを全てやって、大事なものを守る為に一生懸命な貴方が…きっと一番素敵だと、私は思うわ』


〝殺さないで〟と。ずっと〝神子〟を殺し続けていた俺に言ってくれた。

〝神子〟を殺すのではなく、縋るのでもなく、ただ大事なものを守る為に全力を尽くせと。…認めてくれた。

無知で、知識を全て吸収してしまい、無能で、一度も忘れることができず、無力で、一目で技術すら盗み得てしまう不揃いだらけのこの、俺を。


〝神子〟ではなくどちらも合わさった〝俺〟として見てくれた。


『もう大丈夫。…お兄様方はきっとずっと前から、貴方を待っている』

その一瞬で、兄貴と兄さんの言葉をいくつも思い出した。

兄貴も兄さんも、俺が口を噤んでからずっと〝神子〟の名を口には出さなかった。寧ろ、俺が風化させようとしているのに気づいてからは他者がそれを語ることも制してくれた。

俺が傷つかぬように、また飲まれぬように、自分達の為ではなく俺の為に。…この名を共に風化させてくれた。だが、同時に



何度も二人は、俺に勉学を望んでくれた。



何も知らぬ兄貴だけではなく、俺の思惑を知る兄さんまでも。

何度も、何度も、三千を優に超えるほど。


〝待っている〟


…待っていて、くれた。

その事実が全身をこれ以上なく震わせた。

〝神子〟ではなく俺という人間が、…〝俺〟となれる日をずっと望んでくれていた。

気づいた瞬間、堪え切れなくなった。

こんな俺を、何年間も待ち続けてくれた。

強要せず、ひたすらに何度も、何度もと。


情けなく、泣きそうになる俺を抱き締めてくれた手が柔らかく、撫でられた頭が擽られたように心地良かった。


『迎えに行ってあげなさい』


彼女は赦す。

俺が、行くことを。

彼女からの赦しが、まるで万物全てから赦されたかのように俺の背を押した。…きっと、俺は期待していた。プライドに弱い自分を突き動かしてもらえる、この時を。


『世界中の人に自慢して。貴方はあのお兄様の…ランス・シルバ・ローウェル国王の自慢の弟だということを』


俺は、兄貴の弟だと。

それが俺にとってどれだけ誇らしいことか。

彼女に応えようとなんとか頷けば、更に俺へと言葉を与えてくれた。


『そして、ヨアン・リンネ・ドワイト国王にとっても自慢の弟。…きっと貴方が一番、お二人の素晴らしさは知っている筈よ』

…嗚呼、知っている。

あの二人は俺の誇りだ、自慢だ。

世界で一番心優しく優れた素晴らしい王だと胸を張り、何度だってそう言える。二人に救われた俺が言うのだから間違いない。


いつだって、皆にそれを知って欲しかった。


俺のような人間の影に消えず、常に照らされていて欲しかった。誰より眩い人達だと思えたから、正しい評価を受けて欲しかった。



それは、まるで聖書の御言葉のように。



俺の震えを抑えるように彼女が俺の手を頬に当てさせ、手を添えた。

彼女は、何度も何度も俺を救う。

見捨てられて当然の、地に堕ちたままが相応しい俺を、何度もその手で引き上げる。


『なら、胸を張りなさい。貴方は貴方にとって世界一の王の弟なのだから!』


胸を張れ。

その言葉が、恐ろしいほど俺の胸に火をつけた。

ずっと己を咎め続けていた。…第一王子である兄貴の弟として産まれてしまったと。〝神子〟などの力を持って、第一王位継承者の足を引っ張り続けたと。

だが、俺にとって何者よりも良き王の器である兄貴の〝弟〟だという誇りが、焼け焦げるほどに心を燃やした。

〝神子〟ではない〝俺〟として。兄貴の弟…〝王弟〟として、この胸を張れた。


出来ぬことなどあるわけがない。

俺はあれほど素晴らしい人と血を分けることができた、弟なのだから。


彼女に答え、とうとう行くべき時が来た。

行かねば、と彼女の元から去ろうとすれば最後にこの右手を掴み取られた。

見返せば、その瞳は傷を負った者とは思えぬほどに強く、そして美しくこの俺を照らしてくれた。


『隠し続けた爪を、…牙を。今こそ解き放ちなさい、セドリック・シルバ・ローウェル…‼︎』


まるで、啓示だ。

俺を赦し、救い、授け、解き放つ。

全身が粟立ち、彼女の白く細い手を握り返した。

もし、呪われし神子の力が意味を成して俺に降ろされたとするならば。






それは今、この時の為だと確信できた。






宣言、した。

あの時は信じられないほどにこの身に恐れなどなかった。まるで、祝福を得たかのように身が動き、戦場に立った時にすら長らく殺し続けた神子を馴染みきったかの如く振るうことができた。

連れ出してくれた彼女との記憶が、俺に力を授けた。

剣の振り方、銃の撃ち方、避け方、身のこなし、そして協調と連携。間近にそれを目にした俺に模倣など容易だった。

熟達した騎士の、そしてプライドの立ち回りを目にした俺に、恐れるものなど何もないと。


きっと、俺はわかっていた。

彼女ならば俺を救ってくれると…期待した。

最初に手を差し出されたあの時から。

彼女ならば信じられると思えた、あの瞬間から。

醜くも期待し、頼り、乞い、願った。

いつだってそうだった。彼女は気高く、強く、そして何にも優り美しい。




気付けば縋り付きたくなる、ほどに。




『僕らにとっての神は、支配するものではありません。僕らを赦し、守り、…時に救いの手を差し伸べて下さる存在です』


昔、兄さんが語ってくれた言葉だ。

兄さんやチャイネンシスの民にとって〝神〟がどのような存在か、幼いこの俺に教えてくれた時の言葉だ。

初めて聞いた時は、そんなものかと。たったそれだけしかできぬ存在かとも思った。

…だが、今ならわかる。それがどれだけ大きく尊き存在か。








プライドに神の如く縋り続けた、この俺には。








俺は、プライドを兄さんの語る〝神〟と重ね続けた。

彼女ならば信じられると、救ってくれると。いつしか確信のようなものを抱き、縋った。

縋ることしかできぬ、弱かった俺を彼女は何度もその手に取り、救い上げてくれた。


『ねぇ、…〝神子〟の自分はそんなに嫌い?』


優しい声で、俺に問う。

俺の悩みも痛みも全てを汲み取り、問い掛ける。

他の誰に問われようと、答えれはしなかっただろうに。

他ならぬプライドでなければ、兄貴や兄さんにも語れなかった胸の内など曝け出せなかった。


まるで、神への懺悔の如く彼女へ吐露をした。


俺はこの〝神子〟を嫌悪した。そして、得るべきではなかったと。

もし、兄貴が得られればどれほど良かったか。そうすれば、最初から兄貴一人で敵兵も容易に退けることができただろう。きっと無力な俺が兄貴達を守る、あの一時の為だけに授けられたのだろうとそう思った。

『勿体無いわね』とプライドにそう語られても頷けた。俺のような人間でなく、兄貴のような、兄さんのような人が〝神子〟であればどんなに良かっただろう。だからこそ、俺はこの才を生涯殺し続けようとあの時に







『そうじゃないわ』






彼女は、語った。

この才は今の俺には、忌むものでも憎むべきものでもないと。これからの俺を幸福にしてくれるものだと。…意味もわからず理解もできず言葉を詰まらす俺に彼女は更に続けた。


『…もし、私が神様だったら。……その才能を、ランス国王か貴方に授けなければいけなかったら。…きっと私も貴方に授けると思うわ』


わからない。

何故、兄貴ではなく俺のような人間に授ける必要があるのか。俺の愚かさも弱さも全て彼女は知り尽くしている筈だというのに。

だがプライドの言葉が単なる情けとは思えず、惑えば彼女は仄かに笑んだ。


『貴方は誰かを押し退けるくらいなら、全てを譲ってしまうような人だから。大事な人の為になら、最後には全てを捨ててしまうような人だから』

まるで、俺の過去全てを覗いたかのように彼女は語った。予知とはそれほどまでに万能な力だったか。…いや、違う。彼女だからこそ、…俺は気付かれてしまったのだろう。


『そんな貴方にこそ与えたい。貴方の大事な人も、貴方自身もいつか守ってくれる。そんな才能を』

そうだ、俺は守れた。確かにあの時、この手を兄貴に届かせることができた。この時の為に神子の力を得たのだと思えるほどに。

続く彼女からの問いは確信に満ち、それだけでもこの才に呪われ続けた人生が報われた。なのに、彼女は変わらず再び俺の傷を撫で、癒し続けてくれた。


『そして、…ランス国王には王の器を。…きっとその理由は私よりも貴方の方が知っている筈よ』

ああ…わかっている、わかっている…‼︎

世界中の誰よりも、この俺が知っている。兄貴の偉大さも優しさも。それを認められれば喜びが胸を満たし、彼女の前では何度でも身体が震え、涙が込み上げた。もう耐えることも諦めれば、彼女は優しく俺の涙を拭ってくれた。

『ランス国王は本当に素敵な国王よ。〝神子〟なんて跳ね除けちゃうくらいに偉大な人。…………弟の貴方が一番に信じてあげて』


…今まで受けた、彼女のどの言葉より衝撃だった。


わかっている。わかっている、…筈だった。

世界中の誰よりも、この俺が知っていると思っていた。兄貴の偉大さも優しさも。

だが、その兄貴を俺自身が本当の意味で信用してはいなかった。

〝神子〟の存在で、また兄貴の存在が影に隠れると。まるで兄貴を心の底で見下していたかのように思い続け、疑問にも思わなかった。



俺は、愚かだ。



今まで何万何千も思った言葉が再び俺の胸を裂く。

何故、信じられなかった?兄貴ならば大丈夫だと。俺がどうあれ、もう皆が兄貴の偉大さは知ってくれていた。民に愛され、信頼され、その戴冠を祝福された兄貴は






もうとっくの昔に、俺などを越えていた。






脈打ち、津波のように感情が押し寄せた。

己への嘆きとそれ以上の安堵が込み上げ、張り詰めた何かが音を立てて千切れ、溢れた。

嬉しくて、悲しくて堪らない。兄貴はもう大丈夫なのだという喜びと、ずっと信じ切れていなかった愚かさに。十年前の恐怖に屈し、神子を殺し続けなければ兄貴を脅かすとしか考えてこれなかった己自身に。

耐え切れず嗚咽が僅かに漏れ、醜く呻きながら嘆く俺に彼女はこれ以上ない優しい言葉を与えてくれた。


『……頑張ったわね。…もう、大丈夫』


俺の全てを汲み、救う。何度も、何度も彼女は救う。

彼女の前に耐え切れず全てを曝け出して幼子のように泣き喚く。

〝頑張った〟と、その一言が十年前の俺を優しく包む。

〝もう、大丈夫〟と、その言葉が今の俺を解き放つ。

ふた月前の、兄さんの言葉が何度も頭に巡った。

兄さんは言っていた。〝もう、…大丈夫だから〟と。

わかっている、つもりだった。兄貴が立派に戴冠を終えた、あの時から。なのに、………それでも怖かった。


奪う、奪う、奪うと。


失わせるのが、奪うことが怖かった。

どれほど俺のエゴであろうとも、俺が堕ちて兄貴が認められるのならばそれが良いと思った。

自己満足で構わない。俺が恥晒しであろうとも、兄貴がその分認められるのであれば。

見目だけ磨けば、兄貴や兄さんに並べられる。それで俺は充分過ぎるほどに満足だと。……そう、思っていた。

だが、今は。


『……きっと、お兄様方のような素敵な人になれるのでしょうね』


あの人達に、この人に、……そして彼女に、並びたい。

プライドの言葉に押されるように、新たな欲求が湧き上がった。


胸を、張りたい。


外見だけではない、中身も、能力もその全てで彼らに並ぶに相応しいと、そう思われる自分になりたい。

今は並ぶには劣る、見窄らしい俺だからこそ眩い彼らに憧れる。

兄貴や兄さんのように頭に手を置かれ、意思を持って頷けば俯いた状態での髪が更に垂れた。


『………楽しみね』


忘れられぬ頭で良かったと、心からそう思った。

今この瞬間を、彼女に与えられた多くの言葉を、俺は死ぬまで抱いて居られる。

罪深き俺を彼女は咎め、救い、赦した。許されぬ罪を未だ抱えたまま、それでも俺に救いの手を差し伸べた彼女が、もう俺には人の形を模した神のようにしか見えなかった。


別れの間際には、彼女に縋るのはこれを本当の本当に最後にすると心に誓いながら二度目の誓いを立てた。

本当は手の甲ではなく、あの爪先に〝崇拝〟の誓いを立てたかった。だが、ハナズオ連合王国の王弟である俺にそれは許されない。…それくらいは理解もできた。

だからこそ、チャイネンシス王国の宝石とサーシスの黄金を遇らった大指の指輪と、神聖なる彼女の手の甲に誓いを立てた。

必ず成長してみせると。この神子の力を発揮し、全てを乗り越え、王弟の名に相応しき男になると。…必ずこの意志を貫くと、誓いを込めた。


俺は、忘却をしない。

そんな俺だからこそ、全ての誓いを彼女らに捧げた。

知も力もこの身に宿し、必ず完遂するその為に。


無力で無知で無能でこの上なく愚かな俺の人生はたった一人によって報われ、そして







終幕を、与えられたのだから。








「セドリック様、…お加減は如何でしょうか…?」

ふと、教師の一人に声を掛けられ顔を上げる。…どうやらさっきまで赤面していた俺が無反応だったせいで心配を掛けたらしい。問題ない、と返して続きを促した。大丈夫だ、ちゃんと彼らの講義も聞いていた。


「失礼ですが、本当に全てを…?」

宜しければ休憩を、と言ってくれる教師のオーガスタが若干呆けた顔で俺を見た。聞いていた証拠に今さっき彼女が講義した内容を暗唱すれば、いつものように響めきが起こった。


「素晴らしいですセドリック様…‼︎流石はー…っ…!。」

また別の教師が目を輝かせて声を上げ、途中で慌てたように口を噤んだ。

彼らも俺の異名については気を遣ってくれているらしい。まぁ、この中の四名は当時の俺がその名を呼ばれた途端に逃げ出した所為もあるだろう。

……だが、今は。


「……当然だ。」

口を開いたことで、講義を一時中断した教師達全員へ俺は敢えて不敵に笑ってみせる。装飾の無い右耳へ己が髪を掻きあげ、そのまま背後へ流しながら彼らへ言い放つ。




「俺様は〝王弟〟…あのランス・シルバ・ローウェルの弟なのだから。」




これ以上ない誇りを掲げ、胸を張る。

兄貴に、兄さんに相応しき弟となる為に。

プライドとの誓いを守る為に。

そしてティアラの、…隣に立つその日の為に。




俺は、セドリック・シルバ・ローウェルなのだから。


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