340.冒瀆王女は惑い、
「…ええと、…ティアラ、大丈夫…?」
フリージア王国に帰国した翌日。
昨日は母上への報告、そして母上からはラジヤ帝国との和平の話を聞いた。ハナズオ連合王国にいた時も通信兵を介して聞いていたけれど、それも含めてお互い全ての確認と報告会だった。
その後には留守を預かってくれていた騎士団への挨拶にも回ると本当に一日があっという間だった。…母上への報告前に私とティアラが暫く放心状態だったせいもあるけれど。
そして今日。
ティアラは私の部屋のソファーで膝を抱えて小さくなったままだ。一人でいるより私と一緒の方が安心するらしい。ただ、近衛騎士のカラム隊長とアラン隊長も一緒だったので、私もティアラに直接的な話はできないままだった。本音を言えば、セドリックにあんなことを言われるような出来事やきっかけに覚えがあるのかとか凄く気になるけれど。
ステイルやアーサー達もずっと心配して私達に事情を聞いてくれたけど、何も言えなかった。一生懸命に口を閉ざすティアラをよそに、私がセドリックの言葉を言いふらす訳にもいかない。
せめて、セドリックに変なことをされた訳じゃないと弁明するのが精一杯だった。…質問の感じからステイル達は私がまたセドリックに何か言われるかされるかして、ティアラがそれを目撃したと思っているようだけれど。でも実際は逆と言えるわけもない。
「大丈夫ですっ、…セドリック王子が全部悪いんですもの…。」
ぷくっ、と膨らませたティアラは怒ったように窓の外を眺めた。…ただ、その言い方は若干語弊が残る気がする。
その証拠に話を聞いていたカラム隊長とアラン隊長が心配そうに私とティアラを見比べていた。でも、二人の目には少なくとも私はセドリックに敬愛の誓い以外は何もされていない筈だ。敬愛の誓い自体、あれは私への賞賛に近いし以前の髪への口付けと違って無礼でも何でもない。…なのに私が突然動揺してしまったせいで、二人に不要な誤解を招いていそうで凄く申し訳ない。本当に私は何もされていないと訴えたい。
「私こそ、ごめんなさい…。」
ティアラがしょげた声のまま私に小さく頭を垂らした。
私に秘密事をさせていると気にしてくれているのだろう。気にしてないわ、の意思を込めてティアラの髪をそっと撫でると耳元で小さく「ありがとうございます…」と返してくれた。
ティアラがセドリックへの気持ちがあるのか、迷惑なのかだけでも聞けたら力になれるけど、…この様子ではなかなか時間がかかりそうだ。
残念ながら前世も今世も恋に無縁の人生の私にその辺の機微は全くわからない。正直、姉としては情けない限りだ。…あれ?そういえばー…、他にもティアラに何か確かめたいことがあったような
コンコン。
突然、扉を叩く音にティアラと二人で顔を上げた。
すぐにステイルの声がしてきたので、二人で一緒に返事をした。近衛兵のジャックが扉を開けてくれ、ステイルが挨拶と一緒に部屋に入ってきた。休息時間を貰って早足で来てくれたのか、若干息がいつもより切れている。
「ステイル、そんなに急いでどうしたの?」
「申し訳ありません。早く確認を済ませておきたかったもので。」
私の問いに丁寧に断りを入れてくれると、ステイルはそのまま私の隣に座るティアラに目を向けた。いつもより若干強い眼差しに、ティアラも背中を伸ばして首をひねった。私達の反応にステイルは一度だけ深呼吸で息を整えると、ゆっくり口を開いた。
「…ティアラ。そろそろ、話して貰えるか?」
本題からダイレクトに話してくれるステイルに、ティアラが三回瞬きをして返した。そのまま「あっ…えと、…兄様、話っていうと…」と、不意打ちを受けたように言葉を濁す。
昨日のセドリックに何を言われたかについてか。それとも…
「お前があの時に見せた、ナイフ投げについてだ。」
…それだ。
ステイルの言葉に私も頷く。そうだ、セドリックのいざこざで忘れかけていたけれど、私がティアラに聞きたいことはそれだけじゃなかった。
防衛戦中に突然見せた、ティアラのナイフ投げ。ハナズオ連合王国ではステイルが私の代理で忙しかったし、じっくりティアラに三人で話を聞く時間がなかった。
近衛騎士の任中のカラム隊長とアラン隊長も同時に頷く。あの時、ティアラのナイフ捌きを目撃した二人がちょうど近衛任務中だったのもステイルが急いで来てくれた理由かもしれない。近衛任務中なのが、アーサーやエリック副隊長だったら説明から始めないといけないから余計にパニックになりそうだもの。アーサーもエリック副隊長もセドリックへの正体不明のナイフ攻撃のことは知っているから、余計に。
「…どこから…話せば…。」
ティアラは一度だけコクン、と喉を鳴らすと、迷うように首を捻った。今度は言い淀んでいるというよりも、本当に何から話せば良いのかわからないといった様子だ。
ステイルもそれを察すると「先ずはいつからナイフを扱うようになったかからだ」と促した。
「…ナイフ、を練習するようになったのは…二年前からです。」
二年前!予想外の年月に私もステイルも顔を見合わせる。
そんな長い期間やっていただなんて、全く気づかなかった。ティアラはまるで怒られている最中かのように、裾を両手で掴みながらポツポツと答えてくれる。
「どうやってだ?俺も姉君もお前が武器を振るう姿なんて一度も見た事がなかった。」
その通りだ。ティアラは殆どの時間は私やステイルと一緒に過ごしていた。もしティアラがそんな素振りを見せたり、教師に指導を受けていたら気づかない筈がないのに。……ある時を、除いて。
「…お部屋で練習してたの。…お姉様や兄様に知られちゃったら止められると思って。」
ごめんなさい…と、ティアラが頭を下げた。
ステイルは予想していたらしく、溜息を吐きながら「…今からお前の部屋を姉君と一緒に見せて貰っても良いか?」と尋ねた。眼鏡の黒縁を押さえるステイルに、ティアラは小さく頷いた。
今までも何度かお邪魔したことのあるティアラの部屋。いつもは私の部屋にティアラが訪れてくれるので、なかなか私達が入る機会のない場所だ。
最後にティアラの部屋に三人で集まったのは、レオンが婚約者として我が城に滞在した二日目の時だっただろうか。
ステイルと一緒に招き入れて貰ったティアラの部屋は、一年前と殆ど変わらなかった。
壁一面には元の壁が見えないほどに沢山の本のページが貼りつけてあり、鍵付きの宝箱入れや装飾の凝った手鏡も置いてある。以前と変わらず女子力の高い部屋だ。
…が、しかし。
「…なるほど。この貼り付けていたページはそういうことか。」
ステイルが躊躇なくティアラの壁に貼られた本のページを数枚めくった。
何枚も重ねられていたページの下にある元の壁には、いくつもの刺し傷が残っていた。…恐らく、ナイフ投げ練習で残った跡だろう。一箇所めくっただけであっさりと痕跡が見つかってしまった。
まさか、と思って私も近くの壁のページをめくってみたけれど、やはり同じように刺し傷がいくつも残っていた。
もしかしてこの壁に貼り付けられたページを全て剥がしたら、一気にこのファンシーな部屋がホラーに変わるのではないかと想像しただけで背筋が冷たくなる。
ティアラ本人は壁の落書きを見つかったくらいの反応だけど、初めて知った私達からすれば開いた口が塞がらない。その証拠にアラン隊長とカラム隊長もステイルがめくった箇所を穴が空くほど見つめている。
ティアラ曰く、どの体勢やどんな方向にも投げられるように部屋中を使ったらしい。
ステイルが他にも数カ所の壁を確認した後にティアラへと振り返った。
「…ナイフはどこに隠していた?」
ステイルの問い掛けに、ティアラはしゅん、とした表情のまま鍵付きの宝物入れを開けて見せてくれた。てっきりティアラらしい小物や宝石、装飾品が入っているのだろうと信じて疑わなかったそこには
ぎっしりと大量のナイフが仕舞い込まれていた。
思わず目にした瞬間に「ひっ!」と私が短く悲鳴を上げてしまった。
ステイルはそれを確認すると、腕を組みながら「他にはどこに隠してある?」と尋ねた。するとティアラは片手で階段を降りる時のようにドレスの足元、そして胸元を軽く引っ張って見せた。
「あと、これだけ…。」
ぽいぽいぽいっ、とドレスの中から宝箱の中身と同じシンプルなナイフが十本以上取り出される。どうやらドレスの下に直接身に付けていたらしい。胸元や太ももに固定していたナイフを取り出す時には、流石にステイルやカラム隊長達も顔を背けていたけれど。
刃物部分には一応カバーが付いていたけれど、何かの拍子に切り傷とか出来たらと考えるとそれだけで怖い。…そういえば、寝ているティアラを動かした時にも意外と重かったような。やはりドレスだけの荷重じゃなかったらしい。
「もう良い…」とステイルが溜息と同時に黒縁を指先で押さえ付けた。そのままティアラにナイフを仕舞うように促す。ティアラが頷くと、再びナイフを身体中に仕舞い込んでいく。
「そんなところにしまっていたということは…お前の専属侍女も協力者か。」
「カーラーもチェルシーも私がお願いしたから秘密にしてくれただけっ!二人は悪くないわ。」
ステイルの言葉にティアラが初めて反抗する。
確かに着替えを手伝ってくれる侍女に隠すことは難しいだろう。
わかったわかった、とステイルが返しながらナイフをしまい終わったティアラを見直す。数秒間、上から下までティアラを見つめた後「最後の質問だ」と言ってしっかり腕を組んだ。
「そのナイフ投げの技術。…誰に師事を受けた?」
独学ではないだろう、と尋ねるステイルにティアラが唇を小さく噛んだ。
言いにくそうに視線を泳がせると、先にステイルが「見当はついている」と言い放った。…まぁ、私も少しは予想がついている。ティアラにナイフ投げなんて物騒な技を教えられる人間なんて一人しか思い付かない。
ティアラも観念したのか、大きく息を吐くと静かにその口を動かした。
「……ヴァルに。」
教えて貰いました…と、続けるティアラにステイルだけでなく私も頭を抱える。やはりか。
「セフェクとケメトと遊ぶ、というのは口実だったか…。」
溜息交じりのステイルの言葉が重々しく吐き出された。
二年前、ヴァル達が配達人として城を出入りするようになってからティアラはセフェクやケメト、そしてヴァル達だけを部屋に招いて〝一緒に遊んで〟いた。私やステイルも当時は一体何をしているのか心配になったけれど『おままごととかばかりですし、お姉さんぶっているのが恥ずかしいんですっ!』と言ってどうしても部屋に入れて貰えなかった。
「あの前科者はっ…‼︎」
予想通りの答えにステイルが怒りを露わに拳を震わす。
可愛い妹のティアラにそんな物騒なものを教え込まれていたのが許せないのだろう。その勢いのまま「プライド!少し離れるかもしれません‼︎」と声を上げるから訳もわからず了承してしまう。すると私より先にその意図に気がついたティアラが「あっ」と声を漏らして急ぎステイルに駆け寄った。
「待って兄様‼︎ヴァル達は悪くな」
パッと。
…一瞬で、ステイルが目の前から消えた。