そして吹き抜ける。
「プライド第一王女殿下‼︎」
何百以上もの騒めきを超える快活な呼び声に振り向けば、ランス国王だ。
ランス国王がヨアン国王、そしてセドリックと共にこちらまでわざわざ足を運んできてくれていた。国王とセドリックの名を呼びながら正面から迎えれば、ステイルとティアラも私の一歩引いた位置に並んでくれた。
「この度は祝勝会参列だけではなく、このような場にも足を運んで頂き感謝致します。」
「いえ、こちらこそこんな素敵な場に立ち会わせて頂きありがとうございました。この後もどうぞ宜しくお願い致します。」
ランス国王からの挨拶に私からも答えて挨拶を返す。
ざわざわと周囲の騒めきでこんなに至近距離で話してもお互いに耳を澄ませないと聞き取れない。私の傍にいてくれるステイルやティアラ、アラン隊長やカラム隊長は聞こえるだろうけれどきっとそれより背後の人にはさっぱりだろう。
「本当に、ハナズオ連合王国と同盟を結ぶことができ嬉しく思います。遠き地ではありますが、是非我が国にも機会がありましたらいらっしゃって下さい。」
母上も心からお待ちしています、と続けると国王二人がそれぞれ優しい笑みで頷いてくれた。
「同盟時の契約通り、我がハナズオ連合王国は国内が完全に整い次第、フリージア王国との貿易を開始します。それ以外でも何か我らが国でできることがあれば、何でも仰って下さい。」
「フリージア王国への大恩は必ず返させて頂く。」
ヨアン国王、そしてランス国王に私達からも御礼と笑みで返す。
ステイルも私の代理で働いてくれている間に国王二人とは色々関わりがあったらしく、いつもよりも打ち解けた様子の笑みだった。国王二人の背後に控えたセドリックは、やはり民の前では国王二人を立てるのか、何も言わずにじっとこちらを見つめてきていた。…でも、完全にその目は何か言いたげに私へと向けられている。
燃える瞳で、また子犬のような眼差にして向けてくるので仕方なく私から「セドリック、この後も宜しくお願いね」と声を掛けてみる。
すると、国王二人もセドリックを前に出させるように間を空けた。二人に許しを得たセドリックが、二歩前に出て私の目の前に立つ。何か言いたい事があるのだろうと、敢えて言葉を待つ。
セドリックは最初に「こちらこそ宜しくお願い致します」と返事を返した後に、また何か言いたげに口を噤んで視線を泳がせた。
「もう今更でしょう?言ってみなさい。」
もう慣れてしまった彼の言い澱みに私から促してみると、彼は一度だけ喉を震わした後に私に向けて口を開いた。
「プライド。…今だけ、一度お前に触れさせて欲しい。」
突然の要望に思わず一瞬だけ口を開いたまま固まってしまう。
どうやら未だ私に自分から触れないという約束を気にしてくれているらしい。若干、例の三日間のやらかしを思い出して悩んだけれど、今は国王二人や民の目もあるしと思い、了承する。
私が考えを巡らせている間にも、ランス国王が「何故お前はそういう言葉選びをっ…」「セドリック、いつものような真似は駄目だよ⁈」と、民の前だからかセドリックを以前のように叩くことも押さえつけることもできず、口だけで制止した。更に言えばステイルから何やら怖い気配がして、ティアラも半歩だけ私を守るように前に出た。背後のアラン隊長とカラム隊長から若干臨戦態勢のような気配も感じて、一触即発感がものすごい。
セドリックは兄二人の言葉に構わず、私に向かってゆっくりと手を伸ばしてきた。どうやら握手を交わしたかっただけらしい。私が応えるようにその手を掴み、
…優しく引き寄せられた。
少し、私の身体が前のめりになるくらいで、転ぶ程ではなかった。
何かと思い、セドリックに握られた手を注視する。すると、今度は私を引き寄せたとは反対の手が動いた。その手も私へと伸び、セドリックの身体が私に更に近づいたと気づいた瞬間。
…真っ赤な指輪を、そっと手の中に握らされた。
くっ、と小さな硬い感触の物を摑まされ、離された後に手の中を確認してみる。セドリックがいつも手に着けていた指輪の一つだ。彼の瞳の色と同じ赤色の宝石がついた指輪。確か、着けていた指は…。
「セドリック、これ…。」
その指輪の意味を理解し、他の民に見られない内にもう一度握り締めて隠した。国王やステイル達にはもう見えてしまっただろうけど、民にまで見られたら大変だ。
意図を問うように顔を上げる私に、セドリックが真っ直ぐ燃える瞳を向けてきた。
「貰って欲しい。…他ならないお前に、この場で形にして誓いたい。」
あの時のような気取るような言葉じゃない。真摯に訴えてくれている言葉だ。その瞳を、表情を見ればわかる。…今は彼の気持ちが、ただただ嬉しい。
私は彼の言いたい言葉をその指輪だけで受け止め、頷いた。わかったわと返し、指輪を握った手をそのまま胸元まで運んだ。
「この誓い、果たしてくれると信じているから。……大事にするわね。」
装飾が一つ、無くなったままの彼の左手に目を向ける。きっと彼はもうその指に装飾をつけるつもりは無いだろう。…少なくとも、この誓いを果たしてくれるまでは。
私の答えに、セドリックが静かに微笑んだ。まるで初めて絵を褒められた子どものような柔らかな笑みに、思わず自分の心臓を押さえつける。その隣で、ランス国王が恥ずかしそうに私に小さく頭を下げてくれた。ヨアン国王も困ったように笑いながら、それでもどこか嬉しそうにセドリックの背中に手を置いた。
…それに対し、何故か私の方は微妙に穏やかじゃなかった。私というか、私の周りが。
カラム隊長とアラン隊長は私が手を引かれた瞬間、一瞬前のめりになっていたし、いつの間にか私の隣にまで並んでいたステイルは、顔を向けるとどこか訝しむような表情をしてセドリックに目を向けていた。そしてティアラは
「びっくりしましたっ。またセドリック王子がお姉様の髪や唇に口付けをしちゃうのかと思っちゃいました!」
あ。
……きゃああああああああああああああ⁈‼︎
ティアラ!ティアラがサラッと‼︎すごくサラッと爆弾発言を‼︎
あまりの衝撃に固まってしまう私をよそに、ティアラは何でもないようなにこやかな笑顔のままだった。なんだかステイルの黒い笑みを思い出すそれに、アラン隊長やカラム隊長、当の兄であるステイルもびっくりしてティアラを凝視している。でも一番驚いているのは
「ッなっ……‼︎…‼︎」
「くちっ…‼︎…セドリッ…⁈」
…ランス国王、ヨアン国王両名だった。
目を限界まで見開いて、ティアラの発言を確かめるように見返している。
開いた口が塞がらないまま、二人の目線がティアラから私。そしてセドリックへと向けられた。兄二人からの視線に物凄く危機を感じたらしいセドリックが、僅かに背を反らせると顎を首の方に引いて身を硬くした。完全に怒られる前の身構えた姿だ。そして同時にランス国王の顔色がみるみる赤くなった。一気に息を吸い上げ、セドリックの両肩を鷲掴む。
「セドリック‼︎‼︎今のは本当か⁈プライド王女殿下に何というっ…‼︎」
「申し訳ありません、プライド王女殿下…‼︎セドリックは教養の方が未だ足りず、この責任は必ず取らせます。第一王女殿下の、まさか唇までっ…‼︎」
セドリックに詰め寄るランス国王と、私に頭を下げてしまうヨアン国王に、私まで焦ってしまう。
声が聞こえないまでも、私達の様子から不穏を感じ取った騎士や兵士達が民から隠すように私達を囲ってその背中でバリケードを作ってくれた。お陰で人目につかずには済んだけど、同時に逃げ場もなくなった。
この件に関しては私も許す訳にはいかないのでどうしようもない。二人の勢いから逃げるように一歩後退りながら、なんとか言葉を返す。
「へ…陛下の責任では、ありませんから…。それに、母上にも知られておりません。口付けも唇に関しては幸い未遂で」
「はいっ!お姉様を木に押しやったり、乱暴な言葉で怒鳴ったり、お姉様を泣かせたことも母上はご存知ありませんから。」
ッッッティアラ‼︎⁉︎
怒ってる⁈やっぱり怒ってる⁈
変わらずの笑顔で、はっきりとセドリックのやらかしが赤裸々にされてしまった。
私が戸惑ったままティアラに目で訴えると「私はまだ許してはいませんっ」と頬を膨らませてステイルの背中に隠れてしまった。…そういえば、あの時ナイフで応戦してくれたティアラは、私がセドリックに何をされていたのかその目で見ているんだった。
それを見たステイルが今度は笑いを噛み殺している。明らかに私や国王から顔を背けながら口元を片手で押さえて肩を震わせていた。…すごく、すごく嫌な予感しかしないまま改めて国王に振り返る。すると
二人とも、絶句してしまっていた。
私への眼差しが〝迷惑を被った人〟から〝被害者〟になっている。
言葉が出ない様子の二人の目が私に真偽を確かめていたので、観念して私が一度だけ頷くと国王二人の顔色が赤色から蒼白に変わっていった。
「ッこの大馬鹿者‼︎‼︎」
ガゴンッ‼︎‼︎と、まるでハンマーで壁を叩いた時のような音と共にセドリックの頭に拳が叩き落とされた。ぐあっ‼︎と呻き声を上げたセドリックだけど、無抵抗にランス国王に殴られたまま黙りこくっている。
「大変申し訳ありません…‼︎まさかセドリックがそこまでの無礼を犯していたなど今の今まで知らずに我々は…」
「女性に‼︎王族っ…しかも第一王女…!…同盟を望む相手の、…ッいややはり先ず何より女性に手を挙げるなど論外だッ‼︎王族としての恥以前の話だ‼︎お前は一体フリージア王国で何を」
再び国王二人の猛攻が始まる。
セドリックに今度こそ拳を叩き込んだ後のランス国王と私に平謝りするヨアン国王は、このままだと本気でセドリックと三人で平伏し出しそうな勢いだった。特にランス国王に至っては既にセドリックの頭を鷲掴んでいる。
「プライド第一王女殿下‼︎並びにステイル第一王子殿下、ティアラ第二王女殿下‼︎この度は我が国のみならず第二王子のセドリックがご迷惑をお掛けして大変申し訳ありませんでした…!我が愚弟に関しては厳しく処罰も辞さない故、誠に、誠に申し訳なく…‼︎」
我が国からも相応のお詫びを…!と気が付けば雪だるま式にハナズオへの貸しが増してしまっている。
セドリックの頭ごと自身も頭を下げてくれるランス国王とヨアン国王に私から必死に顔を上げて貰うようにお願いした。よりによって歴史的イベントの時に国王二人に頭を下げさせてしまうなんて‼︎
セドリックも二人に謝らせてしまっているのに気を咎めたのか「お前からも謝罪をしろ‼︎」とランス国王に髪ぐちゃぐちゃのまま頭を鷲掴まれても文句一つ言わず「大変申し訳ありませんでした…」と自分から腰を折って謝ってくれた。パッと見はランス国王が豪腕で強制的に制しているようにも見えるけれど。
「ッセドリック!お前はこの後のダンスも自粛しろ‼︎」
「僕もそうした方が良いと思うかな…。」
全く‼︎と怒鳴るランス国王にヨアン国王も同意する。
確かに今の話を聞いた後では、危なっかしくて私やティアラ相手にダンスなどさせられないだろう。国王二人からのダンス自粛令に一瞬「なっ⁈」と狼狽えた様子のセドリックだったけれど、すぐに萎れたように「わかった…」と肩を落とし項垂れてしまった。
記念すべき日に少し不憫だけどこればかりは仕方ない。それでも、取り敢えず国王二人の土下座を回避できたことに、私はホッとひと息吐いて胸を撫で下ろす。すると、ステイルもそれを回避できたことに安堵したのか「そういえば、そろそろ城に戻る時間ですね。」と少し機嫌が良さそうに声を掛けてくれた。
「では、プライド王女殿下。セドリックの非礼の後で申し訳ありませんが、どうかこの後も宜しくお願い致します。」
「もう二度とこのようなことが無いように、こちらも対処させて頂きます。」
国王二人が完全に私に頭を下げ慣れてしまった状況に私から「こちらこそ宜しくお願い致します」と返して頭を下げた。
若干先ほどよりも国王二人と溝が出来てしまっている気がするのは考え過ぎだと思いたい。立場としては向こうは国王で私は第一王女でしかないのに、私の方が上みたいで凄く肩身が狭い。
祝勝会も、残すは国王二人とのダンスのみ。
最後くらいはお互い晴れやかな気持ちで終わりたいと願いながら、私達は馬車に向かった。
少し機嫌が治ったティアラが私の腕に掴まりながら「陛下とのダンス、すごく緊張しますけど、すっごく楽しみですっ!」と声を跳ねさせてくれた。私も同意しながらティアラに笑い掛ける。…そのまま、何となく最後に背後を振り返った。
私達が長話をしている間も民や騎士達により叩き壊された壁。近衛騎士の二人の肩越しに見えた時には殆ど崩れ落ちた後だった。
国境の壁は記念碑に一部だけ残されたら、跡地には明日から早速大規模な建物を建設させる予定らしい。サーシス、チャイネンシスを結ぶ公共の機関、もしくは施設にするために。…そして、二度と壁で国内を阻まない為に。
崩された壁の傍で国も身分も関係なく肩を組み合い、笑い合い、抱き合う彼らは本当に幸せそうだった。
世界中がこうあれれば良いのに、…そう思うほどに。
…昨日よりもずっと、風通しの良くなった国。
深呼吸をするかのように吹いた風が、去り際の私達の髪を揺らしてくれた。