328.冒瀆王女は望み、
「……騎士を退任、なんてされませんよね…?」
私の言葉に、カラム隊長とアラン隊長は返事もないまま顔を硬直させてしまった。
私の言葉に目を丸くするティアラは、口を両手で塞ぎながら私と騎士二人を何度も見比べた。
どこか返答に悩むように言葉を詰まらせる二人は、暫く沈黙した。私も二人から返事を聞けるまで沈黙を貫き通しながら何度も見つめ返すと、カラム隊長が閉め損ねた窓から風が何度も吹き込んできた。風が掠る音に紛れるようにそれぞれから喉を鳴らす音が聞こえた。そして
「…。…いや〜、どちらにしても俺とカラムは処分は免れないと思います。」
敢えて軽い口調で、アラン隊長が最初に口を開いた。
言い方こそ私に重く取られないようにしているけど、やはり否定はされなかった。苦笑いをして頬を指先で掻くアラン隊長に今度はカラム隊長も続いた。
「今回の防衛戦で我々は許されない失態を犯しましたから。近衛騎士の退任、隊長格の剥奪もあり得るでしょう。」
さらりと厳しい言葉を自分に刺すカラム隊長は、気を取り直すように今度こそ窓を閉めた。パタン、という音がして余計に部屋の中が無音に近づいた。
「今回のことは私の責任です。近衛騎士から勝手に離れ、命じたのは私ですから。」
「それを含めて必ず御守りすることが我々の使命でした。」
カラム隊長の言葉がいつもより少し厳しめに私に向けられた。そのままゆっくりと歩き、アラン隊長の横に再び並ぶ。私が二人に向けて身体を捻らせて振り向くと、二人とも話しやすいようにとわざわざ私の正面にと位置を変えてくれた。ティアラとベッドを挟んだ向かい側だ。カラム隊長もアラン隊長も真剣な表情で私を見つめ返してくれた。
二人の言うことは、尤もだ。護衛対象の負傷、さらには第一王女。その責任は大きい。だからこそ私は母上には大した怪我ではないと足の怪我を誤魔化したし、帰国もずらさせて貰った。国王二人にその口裏合わせをお願いした時も、ジルベール宰相同様に国王と王女の会話に入ることを躊躇ってか二人とも何も言わなかった。…でも、その表情は終始ずっと険しかった。
「ならば、私自身が許します。母上にも騎士団長にも改めてお願いするつもりです。それに」
「ッ守れなかったんですよ俺達は‼︎‼︎」
…突然、アラン隊長から悲鳴にも怒声にも聞こえる叫び声が部屋中に響いた。
今までアラン隊長から受けたことのない程の声量に思わず身を強張らせる。カラム隊長が「アラン!」と叱咤するように声を掛けると、歯を食いしばったアラン隊長が小さく「失礼しました」と私とティアラへ謝った。
「…なので、近衛騎士として。そして騎士隊長として。何より騎士としてけじめはつけさせて頂くつもりです。」
最初から決めてました、と続けるアラン隊長はまるで何事もなかったかのように明るく私に笑みを向けた。少し眉が下がった顔が、すごく…辛い。
「プライド様がお気になさることではありません。これはあくまで騎士としての責任の問題ですから。」
落ち着いた口調で話すカラム隊長も、笑みを返してくれたけどやっぱりどこか陰りが見えた。胸が余計に苦しくなって声が出なくなる。
「短い間ですが、近衛騎士としてお仕えできて光栄でした。ありがとうございました。」
「アーサーもエリックも優秀な騎士です。二人をこれからも宜しくお願い致します。」
ありがとうございました、とアラン隊長に続き、カラム隊長が頭を下げた。礼儀正しく頭を深々と下げる二人はそう全て決していた。
きっとこの後、騎士団長や母上からどんな処分を受けようとも二人の意思は変わらないのだろう。ティアラも口元を覆った手を胸元にまで下げて、悲しそうに瞳を揺らしている。「そんな」と小さく溢すのがうっすらと聞こえた。ティアラもこの一年で私の近衛をしてくれるカラム隊長やアラン隊長をすごく慕っていた。
「…御守りできず、申し訳ありませんでした。」
低い、沈みきった声が下げられた二人の頭の下から聞こえた。そんなことありません、と答えたけれど、まるで聞こえなかったように二人共暫く頭を下げ続けていた。
最後にゆっくりと同時に頭を上げる二人が、落ち着いた笑みで笑う。「エリックもまぁ暫くは近衛の任が難しいと思うのでその間は引き続き護衛させて頂きますけど」「後任についても私とアランで相応しい人材を」と何でもないように話を続ける。まるで、本当に短い休暇を取るだけのような気軽さで。だから私は
気付けば二人の腕を掴んでた。
突然、私に掴まれたのに驚いたのか二人が言葉も止めて、目を見開いた。
至近距離に来てくれた二人の腕には簡単に手が届いたのに、私自身の腕が震えて上手く力が入らなかった。騎士の二人が腕を振れば簡単に振り解かれてしまう程の力で、それでも二人は振りほどかずにいてくれた。「プライド様…?」とアラン隊長が声を漏らす。上手く、言葉が見つからない。私にそこまでの権利がないのもわかってる。でも、間違いなく確かなことは。
「あんなに…護って下さったではないですか…。」
アラン隊長の叫びに打ち消された直前、言おうとした言葉を今度こそ口にする。
私の言葉にアラン隊長が、カラム隊長が口を結ぶ。自分でもわかる、今の私がどれだけ情けない顔をしているか。それでも今は、ちゃんと伝えなきゃいけないと思ったから。
「…助けて下さったではないですか。お二人のお陰で、私はこうして生きているというのに。」
助けてくれた。
勝手な行動をして、迷惑をかけた私を。
あの時、この二人でなかったらどうなっていたかなんてわからない。
もしかしたら本当に今度こそ命を落としていたかもしれない。目の前で味方兵士を死なせて、打ち拉がれたかもしれない。…最悪、その兵士と共に死んでたかもしれない。
なのに。
「アラン隊長も、カラム隊長も私の命の恩人なのに。感謝こそすれ、何故…。」
そこまで言って、また言葉が出なくなった。
喉の奥に何かが詰まったようで、これ以上言葉を発することに凄く躊躇った。見開いたまま身動ぎ一つせず真っ直ぐ私に目を向けてくれる二人に一度、口の中を飲み込んだ。それでもやっぱり喉の詰まりも無くならない。
罰するとか、責任とか、近衛騎士とか、第一王女とか関係ない。頭ではわかっている。アラン隊長とカラム隊長が騎士として、責任を自ら取ろうとする理由が私への後ろめたさからだけではないことを。私の感情一つで解決する問題ではないことを。…そして、私が今こうしてしまう理由も。
言葉にしようと決した瞬間、じわりと視界が滲んだ。こんなふうに子どもみたいに駄々をこねることしかできない自分が情けなくて、嫌で、でもそれ以上に
「……私はっ…まだ、お二人に護って欲しいですっ…‼︎」
言葉にした途端、とうとう声まで上擦った。
鼻の頭が熱くて、視界が揺らんで二人の顔がよく見えない。私の方を向いてくれていることはわかるけど、怒ってるか呆れているか、困っているかさえわからない。
「私は、…まだ至らない王女です。こんなに、お二人が心配して下さったのに…気付けなかった、…愚かな王女です。」
ティアラの言葉を聞くまでずっと気付けなかった。あれがなければ、今のことだって、二人が近衛騎士として責任を感じてるとしか思えなかったかもしれない。
でも今は、アラン隊長とカラム隊長がどれだけ私を心配してくれて、…どれだけ胸を痛め続けてくれていたかがわかるから。
「ですが、…だからこそ。どうかこれからも私をっ、…………っ。…守、って下さっ…。」
最後は、…上手く喋れなかった。守ってください、と言いながらとうとう俯いて二人から顔を逸らしてしまう。二人の腕を握る指に力を込めながら、まだ震えが止まらなかった。
…わかってる。
二人が騎士としてその終幕を望むのならば、私が引き止められることではないと。
それでも、二人がそれを決していると確信した瞬間。どうしようもなく胸がざわついた。嫌だそんなと子どもみたいな拒絶ばかりが心を満たして。
九年前の我儘姫様だった私が、確かにそこにいた。
とうとう涙が止まらなくなって、自分でも訳がわからないくらいに感情が波立って。
なんで、なんでこんなに悲しいのか辛いのかもわからなくなった。こんなに、言葉が出なくなるほどに泣くことではないとわかってる。なのに、何故か酷く辛くて泣きたくなって。
こんな風に泣かれたら皆が困るだけだ、心配させるだけだと必死に自分に言い聞かす。
二人から手を離し、一度強めに自分の目元を拭った。ぐちゃぐちゃの泣き顔を見せる訳にもいかず、顔を逸らす。「ごめんなさい」と伝えたら、ティアラがそっと私の背中をさすってくれた。お礼を言いながら、ゆっくり深呼吸をして、時間をかけながらも何とか涙を抑えこむ。
「…………わかっています。…お二人を止める権利など私にはないことを。」
喉が嗄れたから、少し低めの声で改めて二人に語り掛ける。
腫れた目で顔を上げれば、二人共変わらず真剣な目で私を見つめてくれていた。口を強く結んで、顎が微かに震えていて、私が手放した後の手すらそのまま固まっていた。
「だけど、どうか…叶うならばもう少しだけ考えて下さい。お二人を、…騎士として望む人間がここに二人はいるということを知って下さい。」
…私が、気付けたように。
その意味を込めながら私は隣に寄り添ってくれるティアラの肩を抱き寄せた。私の言葉に応えるように、ティアラが何度も二人に向かって頷いてくれる。
「私は、誰でもなく近衛騎士にアーサー、エリック副隊長、そしてアラン隊長とカラム隊長を強く望みます。更に騎士としても、…騎士隊長としてもお二人に強く期待しております。……とても優秀で心優しい貴方方を。」
ティアラの肩を撫で、そのまま手を離す。そして何も言わず、まるで息すら止めているように固まったまま私の話を聞いてくれる二人へもう一度順番に手を伸ばす。
「……どうか、忘れないで下さい。」
最初に、アラン隊長の手の部分の鎧を外す。上手く出来なくて、ガチャガチャと少し手こずりながら外そうとすると、アラン隊長が無言でガチャリ、と自分からもう片手で簡単に鎧を外してくれた。
「お二人がこの後、どのような決断をされたとしても。」
次にカラム隊長へ手を伸ばす。私の意図を理解したカラム隊長が、私が外そうとするよりも先にガチャリと。やはりいとも簡単に鎧を片手だけ外し去ってくれた。
「これだけは、…何にも勝る真実であるということを。」
片手ずつ、私に向けて差し出された二人の剥き出しの手を見る。骨太なアラン隊長の手も、引き締まったカラム隊長の手も、どちらも騎士らしい鍛え抜かれた逞しい手だった。
そっと両手で最初にアラン隊長の手を包むように取り
その指先に口付けをする。
「ッ⁈…プッ、ラ…‼︎⁉︎」
アラン隊長の驚いたような声が聞こえた。
唇に触れた指先が痙攣したように震え、振動で擽られた。そっと添える手と共に唇を離すと痙攣のような震えが腕まで広がっていた。
そのまま隣のカラム隊長の手を取る。一瞬、慄くように手を俄かに引かれたけれど、私がそれでも手を伸ばすとそれ以上は引かずに手を取られてくれた。
同じようにその指先に口付けをすると、息を飲む音が私にまで聞こえた。微かに震え続けるその指先から唇を離し、手を緩めると自らゆっくりその手を引いていった。
二人を静かに見上げると、アラン隊長もカラム隊長も信じられないように目を見開いて、驚き過ぎて顔を真っ赤にしたまま固まっていた。…驚くのも仕方ない。二人とも、今の口付けの意味は当然知っているのだから。
〝賞賛〟の証。
「…貴方方は、私の命の恩人です。そして、私は心から貴方方の勇気とその功績を讃えます。」
これが、その証明です。と告げて二人の指先にそれぞれ目を向けた。
二人共、顔を真っ赤にしたまま表情がまた固まっていた。私の言葉にも口を俄かに開いたまま何も返さない。
騎士隊長の二人が戸惑うのも当然だった。王族からの口付けなど、王族同士であろうとも滅多に受けることのないものだ。その意味の重要性も貴重性も、私自身理解した上で。…私はそれを二人に贈りたかった。
二人の功績は恥ではない。誰でも真似できるような…越えられるような行為ではないと私は知っているから。
そしてもう一つだけ、二人にそれぞれ伝えたかった言葉をと思ったその時だった。
トントン。
一定速度で鳴らされた、少し大きめのノック音が部屋に響いた。
驚いて、少し上擦った声で先に返事をするとノックの主が静かに名乗った。
「騎士団長、ロデリック・ベレスフォードです。怪我治療の特殊能力者をお連れしました。プライド様、お時間を少々宜しいでしょうか。」