327.冒瀆王女は尋ねる。
『帰国の延期…ですか、プライド。』
通信兵により、我がフリージア王国の城と映像で繋がった母上に私は頷く。
終戦後、初めての会話に凄く緊張した。しかも、昨夜はステイルに母上への報告も任せてしまっていた私とティアラは出だしから「御連絡が遅くなって申し訳ありませんでした」からのスタートだった。
私からの報告を聞いた母上は、いつもの澄ました表情から僅かに眉を寄せて私の言葉を聞き返した。
「ええ、母上。申し訳ありません、全ては私の責任です。…実は、〝少々〟傷を負ってしまいまして。近衛騎士のお陰で〝大事には至らなかった〟のですが、やはり傷を負ったまま第一王女である私を帰す訳にはいかないと国王お二人も言ってくださって。」
私の負傷、という言葉に珍しく母上の目が見開かれた。こちらの国の誰が映像を見ているかはわからないし、向こうにも父上やヴェスト叔父様以外に護衛の騎士や衛兵が傍にいるのだろう。人前用に表情を崩さない母上が落ち着いた声で「どのような怪我を…?」と心配してくれた。大したことありません、と返しながら私は言葉を続ける。
「足を〝捻った程度〟です。特殊能力者の治療も受けましたから治りも早いでしょうが、万全を期す為にも完治までは是非、と。私と致しましても、帰国する前に女王代理としてできれば完治した後のこの足でハナズオ連合王国の民の前に立って挨拶をしたいと思っています。…もし、母上の御許可さえ頂ければ。」
実際、ステイルの瞬間移動を使えば足が完治しようがなんだろうがフリージア王国で安静にするという方法もある。だけど同盟国である国王二人からの滞在の要望だ。母上としても無下にはできない。
『…わかりました。プライド、貴方の滞在を認めましょう。』
国王には私からも挨拶をさせて頂きます、と。何だか前世で友達の家に突然お邪魔することになった時の母親のような言葉に、場違いにも何だかむず痒くなる。取り敢えず滞在延長の許可を貰ってほっとしていると、すかさず母上から「ただし」と言葉が切られた。
『必ず、一週間以内には帰って来なさい。その時には必ず、陸路ではなく貴方とティアラはステイルに直接我が城へ送って貰いなさい。』
一週間。意外と長い猶予を貰えた。てっきり二日三日程度だと思ったのに。その事に心の中で安堵しつつ、逆に何故一週間〝以内〟なのだろうと少しだけ疑問を抱く。しかも何故私とティアラだけ瞬間移動で帰国を?
完治した後ならまた先行部隊での移動で良いんじゃないかと思うのだけど。でも母上の目は真剣で、まさかこんなに母上が心配性だなんてと驚いてしまう。
そのまま、母上から了承を得た私はカラム隊長に抱き上げて貰い、母上へ映像を送る視点の場所をすぐ傍で話を聞いてくれていたランス国王とヨアン国王に譲った。二人が早速母上と挨拶や言葉を交わしながら、私のことから今後の交易についての見通しまで話を進めてくれる。
これで、大ごとになる心配は無くなった。
私を抱き上げてくれたカラム隊長にそのままベッドまで運んで貰いながら、私はほっと息をつく。
国王二人が、私達の滞在延期を受け入れてくれて本当に良かった。しかも、私の懇願に応えて母上への話も合わせてくれた。最初にお願いした時は「ですが、それではフリージア王国に不誠実なことに」「我が国の為に怪我を負ったというのに、これ以上我が国を庇うような」と言ってくれたけれど、それでも私がどうしてもとお願いして了承してもらった。
ジルベール宰相も最初は考える表情をしていたけれど「負傷したことは報告されるのならば」と目を瞑ってもらえた。この後、怪我治療の特殊能力者と共に来てくれる予定の騎士団長にも相談しないと。
何となく無意識に背後を振り向いてしまえば、近衛騎士二人の表情が目に入って。…少し胸が痛んだ。
最後、国王二人は母上との話を終えると、私にも丁寧に挨拶をしてくれた後また公務に戻っていった。ジルベール宰相もそろそろ戻らなければ、と言って部屋を出ていったけれどその直前「…血の誓いについては後ほどじっくり」と言われてしまい、背筋が凍った。
扉が静かに閉ざされ、ティアラと近衛騎士二人と私だけの部屋になった時。
「…やっと帰りやがったか。」
低い溜息交じりの声が窓から静かに飛び込んできた。
見ればヴァルが丁度さっき出ていった窓から室内に足を踏み入れる瞬間だった。ケメトとセフェクが私とティアラに手を振りながらパタパタとこちらに駆け寄ってきてくれる。
「国王二人まで手玉に取るたぁ流石じゃねぇか、主。」
…何やらまたすごい誤解のある言い方をされた。「単に私がお願いしただけです」と返したけれど、まるで耳に届いてもいないかのようにヴァルはそのまま窓の壁に寄りかかって頭を掻いた。
「そろそろ俺らもとんずらするぜ?もうこの国に用はねぇからな。」
未だ眠そうに身体を揺らすヴァルに、もう少し休んでから帰ればと言ってみたけれど「王子や宰相にこれ以上の仕事依頼されたくねぇ」と言われてしまった。…確かに、破壊された城や民家の補修だけでもヴァルが居れば大助かりだろうし、私自身お願いしたくないと言えば嘘になる。
思わず苦笑いをしてしまうと、ケメトとセフェクが「お大事に!」と二人で声を合わせて言ってくれた。二人に御礼を言った後、そのまま私は再びヴァルへと目を向ける。
「ヴァル。…本当に色々ありがとう。ちゃんと今度この分のお礼もするから。」
二人も、本当に。とケメトとセフェク三人へ心からの感謝を伝える。彼らが居なかったらきっと国への被害はこの比ではなかった筈だ。そこまで考えて、ふとレオンには未だ御礼を言えてないことに気がつく。今度会ったらちゃんと言わないと。
「…礼なんざより、さっさとその足を治すんだな。」
色々仕事外のことを任されたことを怒っているのか、変わらず唸るような低い声で、ヴァルはギロリと鋭い悪い眼差しを私に向けた。
そのまま私に背中を向けると思った瞬間、何か煮え切らない様子で舌打ちを数回繰り返しながら私の傍に並ぶケメトとセフェクの隣まで歩み寄ってきた。グラグラとまだ眠いのか、身体を重そうに揺らしながら私の目の前までやってくる。「…なに?」と不機嫌なのか何なのか感情が読めないヴァルを見返すと、暫く何も言わずに数秒間沈黙を貫いた。ユラリと上半身だけを前のめりに倒すようにして私の耳元に顔を近づけてくる。何か直接言いたい文句でもあるのか、と私からも彼へ耳を少し傾けると
「………国で、待ってる。」
ボソッと、ヴァルの声が少し熱い吐息と共に私の耳を温めた。響くような低い声に思わず肩が震えて息を飲む。
そのまま顔を離されてすぐ、目を丸くしたままヴァルの方へ振り返ると、さっきと同じ不機嫌そうな仏頂面のまま私を上から睨んでいた。
傍にいるセフェクとケメトに「行くぞ」と声を掛けるとそのまま再び扉ではなく窓の方へと歩み出す。続く二人とそして完全に私に背を向けたヴァルを目で追いながら「またフリージアで」と何とか声を掛けると、振り返らないまま手だけを適当にヒラヒラと振ってきた。ケメトとセフェクも私とティアラに笑顔で手を振りながらヴァルに掴まった。
今度はゆっくりと窓から真っ直ぐ下降していく三人の姿を見届けた。
『さっさと帰ってくるんだな』
昨日、戦場に現れたヴァルに言われた言葉を思い出す。
開きっぱなしにされた窓から風が吹き込み、私の髪を揺らした。髪を耳元にかきあげた時、指先が触れた耳が未だ少し熱を持っていた。
…うん、ちゃんと帰るわ。
心の中だけで彼に答える。
早く治して、フリージア王国に帰らないと。
私の大事な人達の故郷に、皆で。
そこまで思ってから、私の為に再び窓を閉めに動いてくれたカラム隊長と背後に控えてくれているアラン隊長に目だけを向ける。ティアラが気づいたように「お姉様…?」と私へ首を傾げた。
「…アラン隊長、カラム隊長。」
思ったままに二人の名を呼ぶ。隣に語り掛けるくらいの声量になってしまったけれど二人ともすぐに返事をしてこっちを向いてくれた。
順々にその目をしっかりと合わせながら、私は再び口を開く。足を治す前に、騎士団長に会う前にもう一つ。
「……騎士を退任、なんてされませんよね…?」
私には、確認すべきことが残ってる。