323.第二王子は捻れた。
俺が十歳になった年。
…兄貴と兄さんに嵌められた。
突然社交界のパーティーに引きずり込まれた。兄貴と兄さんの望みとあり、仕方なく参加はしたが、誰とも関わる気はなかった。どうせ神子への興味本位だ。神子は死んだ。それ以外何も取り柄のない俺に関心を持つ者などいる訳がない。
だが、噂が囁かれたと思えばそれは全て、俺への容姿についてばかりだった。まるでそれは、神子でない〝俺個人〟への評価のようで
「だが、面倒を見られているランス第一王子殿下の方針により、他者とは一切関わらないらしい。」
……兄貴の悪口を聞いた途端、どうでも良くなった。
今までもこういう噂を聞く時はあった。俺と兄貴のペンダントを知られてからは特に。民からの評判が上がったが、チャイネンシス王国に否定的な我が国の上層部からは兄貴の嫌な噂も広まった。
俺からも何度か言い返してやったが…兄貴は、自分からそうしようとはしなかった。
俺が奴らに「俺様の兄貴に何か文句でもあるのか」と言い返し、時にはエージー卿の時のように問い詰めても、兄貴は俺の手を引いて止めるばかりだった。「放っておけ」「噂などいずれは風化する」と。
せっかくの社交界。兄貴や兄さんが波風を立たせたくないのはわかった。…だから、態度で示せば良い。
兄貴は俺を決して縛ってはいないと。
マナーや挨拶の仕方などわからない。
習ったことがないのだから当然だ。だが、今まで見聞きした情報ならばいくらでも頭の中にある。
他の招待客を見ても、それが王族として正しい挨拶なのかどうかもわからない。
上の立場の人間としての挨拶などどうすれば良い?兄貴や父上の挨拶などは見たことはある。だが、第二王子の俺も同じ挨拶なのか?社交界でもそれで良いのか?式典と同じで良いのか?どの式典の時の挨拶を真似すれば良い??
頭の中でこれまで出会った人間全員の挨拶を高速で再生するが、どれが最適かはわからない。そう考える間にも、足は自然と兄貴の悪口を噂した男の娘の前まで辿り着く。
それなりに美しい女性だ。ならば女性相手に相応しい言葉はと。…その途端、俺の頭に巡ったのは
《私は乙女の前に跪き、その美しさをこう例えた。〝華君〟と。乙女は私に深海のような瞳を向けた。私は胸の高鳴りを抑えながら彼女に語り掛ける。「美しき方よ、突然の無礼をどうぞ御許し下さい…》
遠い昔に読まされた、異国の文献だった。
気付けばその文献通りに俺は語り、そして笑んで彼女の髪に触れ、その手に口付ける。
その後は、あまりにも簡単だった。
俺が笑めば女性は顔を火照らせ喜んだ。
書籍通りの言葉を投げかければ、その通りに女性は喜んだ。
会話だって簡単だ。同時に複数の女性に話しかけられようと、記憶を頼りに一人一人に言葉を返せば良い。その度に女性が喜び、声を上げ、時には腰が砕け、時にはよろめいた。
バードランド卿達に暗記と解読をさせられた書籍も無駄ではなかったらしい。今まで父上や兄貴、兄さんが民と挨拶を交わしてもこれほどの熱量が帰ってきたことなどない。
「セドリック第二王子殿下は、普段は何をされているのですか?」
「セドリック第二王子殿下、お逢いできて光栄です。」
「セドリック第二王子殿下、そのっ…もし宜しければ…!」
誰も、俺が神子などとは言わない。
それでも好意的に近づき、言葉を交わしたがり、その目を輝かせる。大した中身のない言葉でも、俺の口から放てば皆が満足する。
俺は何を今まで怯える必要があったのか。
女性達の目を見れば、わかる。
誰もが俺を見て顔を火照らせ、目を輝かせている。
神子の時は皆が俺の噂や肩書きを求めた。…だが、今は。
「美しき人よ。私は…貴方方のお眼鏡に適いましたか。」
髪を一束手に取り、笑い掛けてみせる。そうすれば思ったようにまた別の女性が頬を赤く染めて唇を震わせた。
返事が無かったから試しに手の甲代わりにその髪に口付けをして見せれば、まるで茹だったかのように火照り、その場にへたり込んだ。
言葉など不要だ。…笑めば全て解決する。
知識など不要だ。…同じ台詞でも、彼女達は充分に満足する。
この容姿こそが、俺の価値。
…会話は、楽しい。
俺が語れば語るほど誰もが喜んでくれる。
俺の言動全てに目を奪われ、顔を紅潮させる。
〝神子〟でない俺でも、人に求められる。
ちゃんと俺には〝神子〟以外の価値がある。
こんなにも人を喜ばせ、求められる力があるというのならば〝神子〟などやはり俺には必要ない。
兄さんの言う通り本当に神がいるとすれば、神は俺に二物を与えた。
〝神子〟と〝容姿〟
〝神子〟はもう居ない。俺が二年前に殺した。
だが、この容姿さえあれば問題ない。
一つを捨てたならば、その分もう一つを磨けば良い。
美しく在れば良い。
俺が無知で愚かで無能でも、恐れることなど何もない。
「…なぁ、兄貴。」
俺は、第二王子だ。
兄貴が国王になっても、俺が第二王子なのは変わりない。王族としてこのままの生活が続くだけだ。
この容姿さえあれば問題ない。
多くの人間に求められ、必要とされる。
「俺はどうやらこのままでも充分価値があるらしい。」
〝神子〟でなくても、俺の存在意義がここにある。
これで、勉強などせずとも堂々と兄貴と兄さんの傍に居られる。
恐れるものなど何もない。
この唯一の価値さえ磨けば、もう何も失くしはしない。