299.貿易王子は連携する。
「あ…あぁっ…あ…だれか、…誰かっ…!」
何処へ行けば良いかもわからない。
その女性は一人、行き場もなく彷徨っていた。
城下に振るわれた情報では、侵攻を受けるのは隣国のチャイネンシス王国のみ。サーシス王国も援軍をする為、敵国からの報復やそのまま侵攻を受ける可能性がある。可能な者は避難所に隠れるか、可能な限りは城下町から逃れよとのことだった。
だから彼女は、他の民と同様に避難所に昨夜から避難していた。
だが、当日になればその戦の規模は彼女達の予想外に膨れ上がっていた。至る所で戦闘が行われ、今までに見たこともなかった外界からの侵攻兵士が目で捉えきれないほどの数で攻め込んできたのだ。
次第に敵兵の手は避難していた自分達にも伸び出した。敵兵に避難所が見つかった時は、もともとサーシス王国に配属されていたフリージアの騎士に助けられた。だが、国内の人間以外を信用できない彼らは戦ってくれる騎士達を置いて何人かはその場から逃げ出してしまった。
あまりの恐ろしさにその場から動けなかった民は、そのまま助けてくれた騎士によって救助された。だが、騎士から逃げ出した彼らは散り散りになり、更には他の避難所も入り口がわからぬように擬装され、閉め切られた状態だった。
今から自分の足で城下から田舎町に行くにも、距離があり過ぎる。四方から怒号と轟音が響き、何処へ逃げれば良いかもわからない。
「だれかっ…嫌っ…!」
一体どうなっているのか、訳もわからない。これなら素直に城下町から離れるべきだったと後悔する。
ふらふらと駆けながら、行き場のない足取りを止めかけたその時だった。
「!大丈夫ですか⁈」
突然、知らない方向から声を掛けられる。
振り返れば、騎士だった。先程自分達を助けてくれた騎士とはまた違う、見たことのない武装した騎士が二人。自分の方へと駆け寄ってきた。逃げようにも、ふらふらのその足ではもう無理だった。女性は力が抜けたようにその場にガクンと座り込んでしまう。彼らは駆け寄ると「もう大丈夫です‼︎」と声を上げ、その背にそっと手を添えた。そして
懐から取り出した小さな金属の塊のピンを抜き、高々と天へと放り投げた。
破裂した閃光弾が、太陽に負けず眩い光を放った。
…
「…あ。また一個上がったね。これで七つ目だ。」
そろそろ戻った方が良さそうだよ、とレオンは前方へと声をかける。その横では護衛の騎士が三名、閃光が上げられた位置を確認してすぐに手元の地図にその場所へ印を記していた。
「サーシスの方は大漁みてぇだな。…チャイネンシスの方は怪我人なんざ兵士ぐれぇだ。」
民なんざ一人も転がっちゃいねぇ。と退屈そうにヴァルが言葉を返す、特殊能力で再び作り上げ滑らせた地面に同乗するレオン達に向かって。
更にはその背後でぐったりと座り込んでいる数人の兵士達へ軽く目を向けた。
「チャイネンシス王国は既に侵略対象として確定していたからね。きっと国王からも城下町から全ての民が退去するように指示があったんじゃないかな。」
ヴァルに釣られるように兵士へレオンも視線を向ける。自国の為にボロボロになるまで戦い続けていた彼らを、レオンは心の底から敬意を表した。
そんなレオンの言葉にチャイネンシス王国の兵士も肯定するように力なく頷いた。
「あ、そこから北にいくと最前線しかないよ?西に曲がって建物に沿った方が…」
「ッうるせぇ‼︎わかってんだよ‼︎」
ぐわん、と。
レオンからの指示にイライラと声を荒げながら、ヴァルが乱暴な運転で急カーブを曲がる。保護された兵士達が土のドームで囲まれた中で思い切りひっくり返った。レオンや騎士達も振るい落とされないように足元へと力を込めた。そのまま特殊能力により滑る地面は西のサーシス王国へと加速していく。途中、何度か混線中の兵士やフリージアの騎士達も見かけたが、ヴァルは気にも留めずに横切った。
「クッソ…こんなにうるせぇなら船に置いてくるんだったぜ…!」
「必要なら黙るけど、…それだと今までの閃光弾の位置がわからないよ?」
君、覚えてないだろう?と平然と言い返すレオンに、ヴァルが当たるように更に速度を速めた。ヴァルの怒りに気づいたセフェクが、これ以上ヴァルの運転が荒くなる前にと能力でレオンの顔面に水を放ったが、首を傾げる動作だけで避けられてしまった。そのまま笑顔を向けてくるレオンに今度はセフェクまで怒り出した為、ケメトがヴァルとセフェク二人の様子に一人ハラハラさせられた。
今ヴァルはジルベールの提案で、レオン率いるアネモネ騎士隊とサーシス王国、チャイネンシス王国両国の合同救助活動を行っていた。
最初にヴァルの特殊能力でサーシス王国城下の至る所に送られた騎士達が、二人ずつ捜索隊として要救助者や民を探し回る。
発見して保護し次第、彼らは閃光弾で合図を放って居場所を知らせる。
ある程度の閃光弾の合図が集まるまでヴァルは、チャイネンシス王国の要救助者を保護。
そしてヴァル達と同乗した騎士達が閃光弾の上げられた場所を地図に明記。サーシス王国に戻り次第、騎士達のナビでヴァルは無駄無く全員の救助に向かうことができる。
最後にそのままサーシスの城下外の農村に彼らを降ろし、再びチャイネンシス王国に。
アネモネの武器と、連携。そしてヴァルの機動力あってこそ可能にされた救助方法だった。見事に効率化されたそれを、ヴァル自身も認めてはいる。だが、それでもやはり
「…あ。八つめ。ヴァル、もう少し速度を上げ」
「お望みならなァ‼︎精々振り落とされるなよ!このお坊ちゃんが‼︎」
うざってぇ。
その言葉を飲み込み、ヴァルはぐんッと更に速度を上げる。ヴァルに足元を固定されたセフェクとケメトは良いが、とうとう騎士やレオンは堪えるのが難しく、仕方なく保護された兵士達と同じドームの中に飛び込み避難した。
進行方向がサーシスになっている為、今ならばドームの中でも閃光弾の見張りをすることはできる。「すごい速さだね」と気楽に騎士達に話し掛けるレオンはやはり動じてはいなかった。
「そういえば。…もしかしてプライドに何かあったのかい?」
思い出すように唐突にレオンが言葉を掛ける。突然のそれに、ピクリと小さくヴァルの右肩が上がったが、言葉だけは「あー?知るかよ」とつまらなそうに返した。
「さっき、ジルベール宰相との通信の時にわざと話を切っただろう?」
気づかれていた。その事に苛々と舌打ちをするヴァルは、返事を止めて代わりに操縦を荒げる。返事のないことに、レオンは一方的に言葉を続けた。
「配達人の君が、こうして救助活動していることにも関係あるのかな。」
プライドにレオンへの嘘や隠し事を許可されていて良かったと心からヴァルは思う。そうでなければ、既に彼は全てを吐き出していただろう。
「可能性としては、負傷か戦線離脱。行方不明か死亡…。でも、彼女が望んで戦線離脱するとは思えないし、行方不明ならむしろ捜索に君やステイル王子を動かすだろう。なら残りは負傷か死」
「ッうるせぇ‼︎黙ってろ‼︎‼︎」
レオンの言葉を打ち消すように、ヴァルが声を荒げる。殺気も混じえたその怒号に、レオンも一度口を閉ざした。その背中から、自分の推測が的外れではないことを確信する。
暫くは沈黙が流れ、サーシス王国の国境にかかったところで騎士が閃光弾の位置を教える為にヴァルに方向を指示し始めた。彼らの言う通りに移動し、遮蔽物の多い城下に入ると仕方なくヴァルは速度を落とし始めた。
「…………一つだけ、答えてくれないかい?ヴァル。」
ぽつん、と零れるような声量でのレオンの呟きがうっすらとヴァルの耳に届く。怒号や戦闘音ではっきりとは聞こえず、ケメトと同時に目だけで振り返った。またいつものニヤけ顔かと思い、睨めば
しん、と冷たい翡翠の瞳が自分達を見つめていた。
いつもと違うレオンの雰囲気に、振り返ってしまったケメトが身を強張らせた。ヴァルも思わず目を見開けば、レオンは真剣な表情をそのままにまだ目を逸らせない様子の彼へ再び口を開く。
「プライドは。生きて、いるんだよね…?」
はぐらかすことを許さない、その意思をはっきりと感じ取れる声色にヴァルは僅かに顔を歪めた。再び進行方向へと目線を戻し、レオンから顔を逸らせないケメトの顔を手で強制的に進行方向へ逸らさせた。それから一人、舌打ちをする。
「……生きてなかったら俺がこの場にいるかよ。」
とっくに帰ってる。短くそう答えた彼の声色もまた、夜のように静まり返っていた。
その反応に、レオンの表情がほっと和らいだ。「そうかな」と柔らかく答えながら、いつもの滑らかな笑みがそこにはあった。
「良かった、それだけ聞ければ充分だ。」
ありがとう、と返しながらレオンはおもむろに立ち上がる。速度が先程より落ちたとはいえ、まだ高速移動中だ。傍にいる騎士が制止の声を上げるが、レオンは手で制したままフラフラと歩み始めた。
背後から近づいてくる気配にヴァルが再び振り返ると、丁度レオンが笑みのままに手を振っているところだった。何のつもりだと言おうとしたが、それより先にレオンの手がヴァルの肩に掴まった。
「早く会いたいなぁ、プライドに。」
君もそうだろ?と、耳元で囁くように言うレオンにヴァルは鬱陶しそうに眉間に皺を寄せた。
「定期的に国まで会いに行ってる奴が何言ってやがる。」
「そんなこと言ったら、今日だって一度はプライドに会ったよ。」
でも、会いたいんだ。と笑うレオンにうんざりと息を吐くヴァルは、仕方なくレオンの足を特殊能力で固定した。足元が安定したことで、ヴァルの肩から手を離したレオンはそのまま腰の銃に手を掛ける。
「プライドと会えない時間は、一秒だって長過ぎる。」
パァンッ!と銃口が火を吹いた。顔のすぐ傍で鳴らされ不快にレオンを睨んだが、銃声自体には大して感想はなかった。敢えて言うのならば「銃の使い方知ってたのか」ぐらいのものだ。
レオンの銃は、遠方にいる敵兵をすれ違いざまに撃ち抜いた。そのままセフェクに「僕の方が早撃ちかな?」と大人げなく笑うせいで、彼女は手の届く範囲にいるレオンにそのままポカポカと拳を叩き込んだ。
「なら、今からでも国を放って主に婿入りでもするか?」
「嫌だよ。アネモネ王国と離れ続けるなんて、それこそ永久の牢獄だ。」
さらりと語るレオンに、ヴァルは頭をガシガシと掻き毟る。聞くだけでむず痒くなるレオンのその言葉をヴァルは「ケッ」と吐くように聞き飛ばした。
「まためんどくせぇ言い回ししやがって…。」
「心からの言葉だよ。…君も、フリージアから離れるのは嫌だろう?」
「生憎、俺には愛国心なんざ毛ほどもねぇ。」
テメェと一緒にすんな、と一蹴したヴァルは手でレオンを払うような仕草をした。それを意外そうに首を傾げるレオンは再び敵兵を銃で撃ち抜きながら「えー」と声を漏らす。
「じゃあ、プライドと離れるのは?」
「……………。」
やっぱりこのまま振い落とすべきかと、かなり真剣にヴァルは考える。その沈黙を返事と受け取ったレオンは滑らかな笑みを静かに浮かべた。
「なら、早く終わらせちゃおう。救助を進めればそれだけ多くの騎士や兵士が憂いなく戦える。」
まるで試運転程度のような動作で、レオンは確実にすれ違う敵兵を撃ち抜き続けていく。
すると今度はレオンに対抗するかのようにセフェクが放水で敵兵の群れを馬ごと吹っ飛ばした。それを見たレオンが感嘆の声を小さく漏らすと、フンっと鼻を鳴らして彼女はケメトを握る手を強めた。
「ヴァルの隣は私達なんだから!」と叫ぶ彼女は今度こそ避けられない位置にいるレオンへと手を構えて見せた。
馬とは比べものにならない速度を誇る巨大な地面の塊が、凄まじい放水と遠隔射撃を繰り返しながら城下を走り抜けていく。
城下で逃げ場を失った、女性のもとに。
避難所の入り口を破壊された民のもとに。
傷を負い、動けなくなった兵士のもとに。
子どもを庇い、負傷をした騎士のもとに。
入り口がみつかり、敵兵が攻め込もうとする避難所のもとに。
何より速く、確実に。