290.第二王子は放つ。
「ッ侵攻の勢いが凪いだ…?一体何故…⁈」
敵兵に一歩も引かず剣を振るっていたランスが顔を上げる。
先程までは途切れることなく迫り、雪崩れ込んできていた敵兵の流れが先ほどから突然途絶え始めていた。未だに多くの敵兵が城下に攻め込んではきている。だが、途方も無い無尽蔵な侵攻は止んでいた。
南方へと目を向ければ、蛇のような大群がやはり途切れていた。未だ遠目だがとうとう大群の尻尾も見えてきた。終わりが見えてきたことに静かに息を吐きながら、自分の周囲を必死に守る兵士達と共にもう一歩、敵を薙ぎ倒す為に前へと踏み込んだ。
「ッ兄貴‼︎」
ランスの耳に、聞き慣れた声が響く。
思わず踏み込んだ足をそのままに、振り返りそうなのを寸前で踏みとどまり、先ずは敵兵を一人薙ぎ倒した。それから兵士達が自分の周りを固めたことを確認してから、急ぎ今度こそ声のする方へと振り返る。
「セドリック…⁈何故、お前がここに…⁈」
目を見開き、今にも滑り落としてしまいそうな剣を握る手に力を込め直す。同時にセドリックに並ぶようにしているティアラの姿にもう一度目を見開いた。
馬鹿者、ここをどこだと、城はどうした、今は戦中だぞ⁈と様々な言葉が頭を過ぎったが、今は会話をする余裕はない。敵兵に侵攻を許さないように指揮や戦闘で手一杯のランスは、歯を食い縛りながらそれ以上の言葉を耐えた。
馬でランス国王軍の背後から合流を果たしたセドリックは騎士達に号令をかけた。更にティアラも自分達に必要な護衛を残し、それ以外の騎士をランス国王軍の最前線へ応援に向かわせた。
跳躍の特殊能力者により騎士達がそれぞれまるで足に発射台でもあるかのように馬の上から高く飛び跳ね、そのまま一跳びで最前線まで飛び込んでいった。
「セドリック王子は私から離れないで下さいね‼︎騎士が守って下さるのに離れては不利ですからっ!」
兄の元へ向かおうとするセドリックへ先手を打つようにティアラが注意する。「ッわかっている!」と返しながらも、歯を食い縛るセドリックは視線を外したまま敵兵と奮闘するランスを見つめ
シュシュシュッ‼︎
…目前を、銀色の刃が走った。
なっ⁈と声を上げ、ナイフが過ぎ去った先を見れば今まさにセドリックを守る騎士に襲い掛かろうとする敵兵の喉元にナイフが突き刺さった瞬間だった。瞬きもしないままセドリックが今度はナイフが飛んできた方向を振り返ると、ティアラがナイフを投げた腕の形のまま強い眼差しで金色の瞳を光らせていた。
「余所見しないっ‼︎戦場で油断は禁物です‼︎」
キッ、と自身を睨むティアラにセドリックは辿々しく言葉を返しながら、改めて彼女の腕前に感嘆する。慣れない馬の上で、更には自分と騎士を避けて見事に命中させたその腕前は本物だった。
ここに辿り着くまでもティアラは既に何度か自身のナイフの腕前を敵兵で披露していた。残数が減らないかと、騎士からも武器を使う数を控えて我々にお任せをと声を掛けたが、彼女が捲って見せたティアラの団服の裏側には見事にビッシリと一目では数え切れないほどのナイフが収納されていた。
「見事な腕前だな…。」
誰へでもなく、口から溢れ出たセドリックの言葉にティアラは振り向いた。再び厳しい眼差しでセドリックを睨みながらまた右手にナイフを二本挟み「当然ですっ‼︎」と声を張り上げた。
「たくさんたくさん練習しましたもの!大好きなお姉様を守る為にっ!」
すごく大変だったんですからねっ‼︎と声を荒げるティアラが、その勢いのまま再びナイフを振るう。今度は自分の方に銃口を向けた敵兵を、騎士が銃を構えるより速く振るい、その額にナイフを打ち込んだ。
「ずっとずっと!私にも何かできないかと探してっ!…強くならないとお姉様も誰も守れないって知ったからっ‼︎」
今度はナイフを五本、指の間に挟むとそのまま遠投するように高く放った。ナイフがそれぞれ並ぶようにして弧を描き、そしてストンと敵兵が騎士や兵士達に構えた銃に当たり、軌道をずらした。その隙を騎士が無駄にすることなく斬り込み、更に敵の壁を剥がしていく。
「だからこっそり教えて貰って、毎日毎日練習しましたっ‼︎」
「教えて貰う⁈誰にだ‼︎」
ナイフを的確に打ち込み、遠方から確実に騎士達を援護するように攻撃を続けるティアラにセドリックが尋ねる。怒号と喧騒の中、互いに声を張り上げた。だが、それに対しての返答はなかった。代わりに返ってきたのは
「なのに貴方は甘えてばっかり‼︎」
セドリックへの叱咤だった。
予想外の返答に言葉を無くすセドリックへ、再びティアラが言葉を続ける。
「何度も何度も泣きたくなって!その度にお姉様に甘えて!助けて貰って‼︎また甘えて!いつもいつも貴方は助けて貰うのを待つばかり‼」︎
甘えっ子!甘えん坊‼︎と更にティアラの猛追は続く。ナイフを四方八方に的確に打ち込みながら、言葉は確実にセドリックのみを撃ち抜いていく。
人の心やその傷に敏感な彼女だからこそ、途中から気付いていた。そしてある時を境に、セドリックが内側から痛みを発するその時は必ず目の前にはプライドがいた。
まるで、プライドなら助けてくれることを知っていたかのように。何度もプライドに甘え、泣き、その度に手を取られる彼の姿はまるでー…
「…っ、だから!私は貴方が嫌いなんですっ‼︎貴方なんてっ…お姉様には絶対に相応しくないんだからっ‼︎」
もうどうにでもなれと言わんばかりにはっきりと言い放つティアラは、そのまま再び周囲を見回した。
騎士達が最前線に出たことで、ランス国王の方も余裕が出てきたように見える。騎士達は剣で敵兵を薙ぎ倒し、銃で遠方から各自に撃ち抜き、さらに特殊能力で火や水を出して敵兵を驚かせた。ティアラとセドリックが連れてきた騎士は少人数体制ではあるが、たった一人であろうとも彼らの戦力は他を見事に圧倒していた。その様子に小さくほっと息をつくティアラは、再び思い出すように口を開いた。今まで溜め込んでいた鬱憤を全て出し切るように舌を回す。
「自分で剣だって満足に握れないくせに!我儘ばっかり言って!守って貰ってばかりの貴方はっ…」
「ならば今、剣を取ろう。」
突然、セドリックが言葉を放った。
はっきりとした低い声色で発したそれはティアラの軽やかな声を上塗りするようにして彼女の耳に届いた。
予想外の返答にティアラが振り向き、セドリックを見れば彼は既にその手に剣を握っていた。馬上に腰を下ろした状態から完全に馬上に足を乗せ
まるで、馬上から飛び出すかのように。
「!何をしているのですかっ⁈」
これにはティアラも、彼女の背後に乗っている騎士も驚き目を見張った。馬から降りようとするのもそうだが、馬から騎士達のように跳び上がれる筈が無い。馬には単騎で乗れたとはいえ、全速力で駆ける馬に乗ること自体はセドリックも慣れていない。馬上から跳び上がるなど、騎士だからこそできる離れ業だ。
なのに、彼は明らかにそれをしようとしている。また何を、とティアラは慌てて声を上げた。セドリックにここで無茶をさせて怪我をさせる訳にはいかないのだから。
「馬鹿なことをせずに馬にちゃんと乗って下さい!貴方はっ…」
ダンッ!と。
彼は、ティアラの制止も聞かずに跳び上がった。特殊能力のない彼は跳躍の能力で補助を受けた騎士達ほどの飛距離はでない。だが、馬から跳び上がった彼は綺麗に弧を描き、自軍の騎士を越すようにして着地と同時に敵兵へ斬りかかった。剣を振るうこと自体が初めての彼の剣筋は
まるで、熟練の騎士のように鮮やかだった。
一閃で的確に兵士達を無力化し、まるで手慣れたように敵の剣をいなし、その隙を突いて一撃を与えた。追撃してくる敵へ身体を捻り、懐に潜り込んだまま斬りつける。…まるで、プライドのように。
さらには銃を向けてきた兵士より先に懐から銃を取り、殆ど無動作でその手を撃ち抜いた。続けて勢いをつけて飛び込んでくる兵士を刃で迎え、力が拮抗し合ったところで相手の足を払い、その隙に鎧の隙間を貫いた。
騎士達も突然戦線に出たセドリックには驚いたが、それ以上に〝何の違和感もない〟ことに驚愕した。まるで、騎士団の一人が横に並んでいるだけのような感覚に息を飲み、敵兵を圧倒しながらもセドリックの動きに舌を巻いた。
自分達の動きを把握しているかのように、常に連携を取り、足手まといどころかもう一つの目や手足があるかの感覚を誰もが覚えた。
「本で読んだ‼︎こうしてお前達は連携をするのだろう⁈」
騎士達からの視線に気付いたようにセドリックが声を上げた。騎士達がそれぞれ短く答えると、セドリックは好戦的に笑い、更に足を前へと踏み込んだ。その奥にいるランスの、更に前方の最前線に向かうように。
「異国の文献にあった。〝将を射んと欲すればまず馬を射よ〟と。」
独り言のように呟いた途端、彼は銃を手に取った。そのまま軽く見回すと戦線に埋まっていた騎士の一人に声を掛ける。
「すまないが、俺を先程の騎士のように跳ばすことはできるか?敵兵が見渡せる程度の高さで良い。」
セドリックからの突然の頼みに騎士は目を丸くしたが、すぐに頷いた。騎士がセドリックに触れ「どうぞ!」と声を上げる。その瞬間、セドリックは一言騎士に礼を告げた後、一気に高く跳ね上がった。天へと上がるまでにセドリックは確認する。敵兵が乗っている馬の数。そして落下が始まった瞬間セドリックは
敵兵の馬に一発ずつ銃弾を放った。
パンパンパンッ‼︎と乾いた音が何度も響き、その数だけ馬が悲鳴を上げてその場で暴れ、周囲の敵兵を巻き込んで地に倒れた。
さらに銃弾が一度無くなるとセドリックは惑う様子もなく上着のポケットに手を入れ、そのまま更に奥にいる馬四体に
四本のナイフを放った。
馬が再び悲鳴を上げ、裏返るように乗手と共に倒れ込み地面を揺らした。
セドリックが無事に着地した時には敵の陣形がかなり崩れていた。馬を失い、更に馬が暴れ倒れたことにより二次被害も大きい。最前線より奥にいる馬ばかりが狙われた為、サーシス王国軍やフリージアの騎士には被害がなかったが、その分敵兵は被害とパニックで背後から無理矢理最前線へと押し出され、そこを付くように騎士や兵士達が次々と彼らを無力化していった。
「…ッこの機を逃すな‼︎今のうちに畳み掛けろ‼︎」
ランスは敵兵の勢いが揺らいだのに気付き、兵士と騎士達に向かい声を荒げた。
一気に雪崩れ込んできた筈の敵兵の体制が崩れ始め、この勢いを逃すまいとまた更に一歩敵兵へと攻め入った。
馬に乗り、流れがとうとう自軍側に流れ始めたことを肌で感じながら、ランス自身はセドリックの立ち回りから目が離せなかった。自軍へ指揮を取りながら、目だけは食い入るようにセドリックへと突き刺さる。
着地し、その足で切り開くように騎士達と並ぶセドリックは、見事な身のこなしと連携で敵兵を薙ぎ倒していた。背後にいるティアラと言葉を交わしながらも、その立ち回りには一縷の隙もなかった。
共に戦う騎士達の目には、セドリックが剣や戦闘に熟達していたように映った。出陣前に映像からのヨアンの言葉を耳にした騎士達も、セドリックはヨアン国王の知らぬところで戦闘技術を磨いていたのだと考える。
だが、ランスは知っている。
セドリックは本当に今まで一度も剣を振るったことがないことを。
撃ち方はおろか、銃を握ったことすらないことを。
兵士同士の連携どころか、護身格闘術すら携わったことがないことを。
そのセドリックが、自国の兵士より遥かに上回った戦闘能力を誇るフリージア王国騎士に〝並び、連携している〟その異常さを。
敵の怒声に気づき、再び剣を振るい始める直前。ランスは口の中だけで小さく呟いた。
「……神子。」
風化された、その名を。