288.第二王子は思い出す。
「ッ聞いても宜しいか⁈」
チャイネンシス王国城下。
侵攻している敵兵群を騎士達が薙ぎ倒しながら、彼らは捜索を続けていた。
跳躍の特殊能力を持つ騎士が、自身や他の騎士達に触れては高く跳ね上げ、上空から他に敵兵と混戦中の軍は無いか、更には襲われている民や避難所はないかと確認しながら突き進んでいる。
先行したランス国王軍と合流する為に。
「急ぐ内容ならばどうぞっ!」
セドリックの問いに、強めの声で返すのはティアラだ。騎士が手綱を引く馬に乗り、今は騎士に操縦を委ねている。全速力で駆ける馬の操縦に未だティアラは慣れていない。
そして第二王子であるセドリックと第二王女であるティアラを守るようにして騎士達は二人を囲いつつ、順調に敵の掃討を進めていた。
その為、声すら届くほど至近距離で馬を走らせている状況にティアラは若干不服だった。そして彼女のその不服を理解しながら、それでもセドリックは続けて声を上げた。
「ッ何故私と行動を共にすることを選ばれたのですか⁈」
「言った筈ですっ!この国の民とお姉様の為だと‼︎」
セドリックの言葉をはっきりとした口調で斬り捨てるティアラは、怒ったように目を尖らせる。
「それは聞きました!私の為でないこともわかっております‼︎ですがっ…それならば他にも方法があった筈です‼︎」
セドリックの言葉にぷくっ、とティアラは頬を膨らませた。確かにセドリックの言う通りだ。
セドリックがランスの援軍に行くと言った時、ティアラがセドリックとの同行を名乗り出る必要はなかった。ステイルにセドリックの同行を任せることも、あそこでティアラが名乗り出なければセドリックをサーシス王国の城内に押し留めることも可能だった。
ティアラは怒った表情のまま、くるりとセドリックの方へと向き直る。馬の手綱を殆ど背後の騎士に任せたまま、すぅーー…と勢いよく息を吸い上げ、発した。
「貴方一人では死んじゃうからに決まっているでしょうっ‼︎兄様は足手まといを連れて行ってくれるほど甘くはないんですからっ‼︎」
ばかっ‼︎と今度は叫んだ後も慌てる様子もなく彼女は声を張り上げた。再びティアラから暴言を投げられた上、更には足手まとい発言までされたことにセドリックは目を丸くした。その発言が耳に届いた騎士達もティアラからの発言とは思えず、中にはティアラを二度見した者もいた。
「ナイフのことだって本当はまだ内緒にしたかったのに‼︎全部全部貴方のせいですからねっ!ばか!ばかばかばかっ‼︎」
ムキーッと怒り出すティアラに、セドリックが完全に押される。「も…申し訳ありません…」と言葉は何とか出るが、それ以上言い返すことはできなかった。
「お姉様なら絶対貴方を連れて行きますっ‼︎だから私はそうしました!それにっ…」
途中、ティアラの言葉がボソボソと小さくなった。顔を逸らされ、どこか哀愁漂う横顔にセドリックが凝視する。が、ティアラはすぐにまた強い眼差しでセドリックを見直すと目が合った途端に、再び「ばかっ!」と力一杯叫んだ。
「あとっ!…私にも敬語敬称はやめて下さい。お姉様が敬語無しで語られているのに、私が貴方に敬語を使われては困ります。私は第二王女で、お姉様は第一王女なのですから。」
ぷく、と怒ったままセドリックを丸い瞳で睨みつける。今までは会話することも避けていたから指摘もしませんでしたが、と続けながら有無を言わせない迫力がそこにあった。
「……わかった。ならば俺にも不要だ、…ティアラ。」
頷き、言葉を返すと今度はもうティアラから返事は返ってこなかった。フンッ!とセドリックから顔を背けたティアラはそのまま真っ直ぐと進行先を見据え、手綱を強く握り直した。セドリックもそれに習い、前方に向き直ったその時。
「!前方よりサーシス王国の軍を確認‼︎この先の広場で戦闘が行われています!」
上空へ何度目かの跳躍を終えた騎士が声を張り上げた。振り返れば、騎士は真っ直ぐと今まさに馬を走らせている先をその指で指し示していた。セドリックが「兄貴っ…‼︎」と叫ぶのとティアラが「急ぎましょう‼︎」と叫ぶのは殆ど同時だった。その直後、馬に鞭を打ち更に騎士達は速度を速めた。一秒でも早く、ランス国王率いる兵の援軍へと向かう為に。
……
「…ランス国王とセドリック第二王子が、御心配ですか?」
…ふいに、隣から優しく声を掛けられた。
振り向けば、プライド第一王女が僕を覗き込むようにして微笑みかけてくれている。
チャイネンシス王国、城本陣。
どうやら僕の鬱々とした感情が表に出てしまっていたらしい。
勧められたソファーに身を沈めながら、僕は取り繕うこともできずに愛想笑いで返してしまう。前のめりに腰を落として指を組み、ひたすらに送られてくる映像ばかりに目が行ってしまう。今のところどこも問題はない。だが、…ランスのところから送られてくる映像は未だに乱戦の最中だった。まだ死者が出たり劣勢になったとの報告は無いが、きっと時間の問題だろう。早くセドリック達が間に合えば、という気持ちと…セドリックが敵兵に見舞われないで欲しいという欲求が混ざり合う。
セドリックは、昔から勉学や教師から逃げ続けていた。
彼が剣を握ったり、護身格闘術を習う姿を実の兄のランスですら、見たことがなかった。せめて身を守る方法を、と僕からも何度か説得を試みたがセドリックはやはり首を縦に頑なに振らなかった。「王子の俺には優秀な護衛がいる。俺には全く必要ない!」と言って聞かなかった。戦争や裏切り、勢力争いなど自衛の必要性を説いても、彼は理解をしなかった。まず、それを理解するに必要な知識が、………彼には足りていなかった。
そんな彼が、フリージア王国の騎士を連れてとはいえ戦場に駆け込んでいったことに僕の胃はグラグラと揺れ続け、手足からゾクリと寒気が侵していった。そして、親友と弟を巻き込んで置きながら自分一人いつまでも城に引き籠もることしかできない己自身への嫌悪も増した。
「大丈夫ですよ、セドリックなら。…きっと。」
優しく、再びプライド王女が声を重ねて下さる。…彼女のことは未だに理解しきれない。
セドリックは数日フリージア王国の城に滞在していた。その間、セドリックと彼女の間に何があったのか僕は未だ知らない。
今まで僕とランス以外へ信頼を寄せたことのなかったセドリックに一体何があったのか。知りたいような、…今となっては知るのが怖い気すらした。
セドリックは、僕らの為に国を飛び出してくれた。例え、フリージア王国の交渉に失敗しても…構わないと思った。どんな理由であれ、セドリックが初めて自分の意思で国を出て外の世界を知る機会になるならばとも思った。
僕と民はすでに降伏するつもりだったし、その最後の希望をセドリックに託すのも、…サーシス王国の第二王子であるセドリックに託すのも、良いと。ハナズオ連合王国として、最後に彼らへの信頼と感謝の証として一縷の希望だけを許したかった。
それに何より、もしかして…とも思った。教養もマナーも交渉術も携わってこなかった彼だけれど、…それでも彼は。
「ちゃんと、私からもいくらか〝差し上げました〟から。」
プライド王女の予想外の言葉に僕は思わず「えっ…⁉︎」と声が漏れた。
一体、セドリックに何を贈ったのかということよりも、まるで全てを理解しているかのような彼女の言葉に目を見張る。彼女の背後に控える二人の近衛騎士も理解できないように首を捻った。そんな僕の戸惑いを知ってか知らずか、彼女は柔らかく笑んでそれに答えた。
「予知しました。…きっと、セドリック第二王子ならば大丈夫です。」
〝予知〟という言葉に、僕より先に部屋中の騎士達がどよめいた。
〝予知〟…以前、文献で読んだことがある。特殊能力者を世界で唯一産み出すフリージア王国では、王族に必ず予知能力者が産まれると。そして、その予知能力を得た者こそが次世代の王の啓示だと。
驚く僕に、プライド王女はその唇を緩やかに動かした。
「──。」
短く、小さく紡がれたその言葉に、僕の心臓は一瞬動きを止めた。
…何故、彼女がそれを。
この数年間、チャイネンシス王国でも…サーシス王国でも殆ど紡がれることのなかった言葉だ。
過去のものとされ、長い年月を経て風化し…いや、風化〝させた〟ものだ。
他ならない、セドリック自らの手によって。
その、異名は。