281.金色の王子は思い悩んだ。
102months ago
「セドリック‼︎降りてこい!」
大木を見上げ、俺は声を上げる。
セドリック・シルバ・ローウェル。先月八歳になった俺の弟は、近頃頻繁に教師から逃げ出すようになった。
木の枝にしがみつき、頭を抱える教師を無表情で見下ろすセドリックは俺の声に身を起こした。
「…兄貴。」
セドリックは、四年…いや三年ほど前から俺のことを〝兄貴〟と呼ぶようになった。城下の子どもの呼び方を真似したらしい。以前よりも〝兄弟〟としての認識が強まったそれをあの時は嬉しく思えたが…こう悪さばかりされると、今度は王族としての粗雑が目立ち、心配になる。
ある日を境に起こった為、きっかけに心当たりが全くない訳ではないが、それがどうしてこの行動に帰結したのかが俺には全く理解できない。
俺の存在を確認したセドリックは、少し不満気に眉を寄せると渋々と木から降りてきた。木の下でセドリックを待ち侘びた教師が「では部屋に戻りましょう!」と急ぐ様子でセドリックを促した。だが、教師がいくら言ってもその場から動こうとしない。
「…セドリック。ちゃんと部屋に戻って勉強しろ。今日の分を終えたらまた俺の部屋に来ても良い。」
「わかった。…兄貴は、今日はチャイネンシス王国には行かんのか。」
頷き、教師の背後に続いたセドリックは直後に振り返り、顔を顰めた。俺の返事を受けるまでは動かんと言いたげにまたその場に踏み止まる。
「今日は行かん、一日中城にいる予定だ。」
腕を組み、はっきりとそう告げるとセドリックの目が輝いた。嬉しそうに笑い、教師を追い抜き駆け出して行く。教師が俺に頭を下げた後、セドリックを追いかけるようにしてその後に続いていった。
…俺が、セドリックの面倒を見るようになってから四年経つ。
最初の頃は、我こそはとセドリックの教育係や世話役を名乗り出る者も多くいたが、結局誰一人として続かなかった。
セドリックはいつまで経っても俺以外の人間には心を開かず、…時には四年前のように手痛い目に遭い、余計にその不信感を募らせた。
八歳になったセドリックに、せめて友人の一人でもとも考えたが…俺自身も友と呼べるのはチャイネンシス王国の第一王子であるヨアンのみ。
その上、自分から誰とも関わろうとしないセドリックをそのまま社交界に放るのも躊躇われた。先ずは必要な教養を身に付け、それからと…思ってはいるのだが。
「ランス第一王子殿下‼︎セドリック第二王子がまた逃げ出しました‼︎」
「ッまたか‼︎いい加減にしろセドリック‼︎」
教師に教わる時間だけは、一日に何度も何度も逃げ回る。まさか、追いかけられるのを楽しんでいるのではと思い、敢えて放って置いても見たが、変わらずセドリックは教師が去るまで逃げ続けた。
そして、教師が去ると何事もなかったかのように俺の所に来る。
城内でもとうとう「第一王子のランス様が弟君であるセドリック様を奔放に育て過ぎた」「敢えて王族として不相応な教育を施しているのではないか」と噂される程だ。…まぁ、代わりに四年前の噂や異名が風化し始めているのはアイツにとって良いことだろうが。
「ッ見つけたぞセドリック‼︎言ったそばから逃げる奴があるか!」
今度は廊下の物陰に隠れているところを見つけ、今日三度目の叱咤と同時に軽くその頭に拳を落とす。ガンッ!と音が鳴り、セドリックが頭を押さえて痛そうに呻いた。
「〜〜っ…。…別に、兄貴に追いかけてくれとは言っていない。…俺よりも兄貴は取り組むべきことはあるだろう。」
「俺のことを思える余裕があるならばちゃんと逃げずに勉学を受けろ!」
そのまま、拳がいつもより効いてしまったのか、口を閉ざしたまま涙目になるセドリックの手を引く。痛みが和らぐようにと頭を撫で、共にセドリックの部屋へと向かう。教師に俺からも詫び、今度こそ部屋に入ったセドリックを見送り、扉が閉まるまでその姿を見守った。
俺から教えてやれれば良いが、俺からの指導すらセドリックは逃げる。まだ子どものアイツに無理矢理教え込む気にもなれない。何より、…セドリックが勉学を忌み嫌う理由は俺もわかっているつもりだ。
四年前のことを考えれば無理もない。だが、それでもほんの一ヶ月ほど前までは決められた勉強を問題なくこなしていた。なのに突然、ある日を境に火がついたかのようにセドリックは勉学から逃げるようになった。俺が不在の時は一日中逃げ続け、…更に言えば逃げ出すセドリックを見つけ、捕まえることができるのも俺ぐらいのものだった。
お陰でセドリックの勉学の時間中は、なるべく俺も城にいるようにしていた。…それでも、俺がその後にチャイネンシス王国へ行くと言えば俺の服を引き、嫌だと何故わざわざ兄貴があの国に行かねばならんのだと騒ぐことが毎度のことだった。
…誰か、いれば良いのだが。
セドリックを理解してくれる者が、あと一人でも。
「………もう一度、チャイネンシス王国の訪問に誘ってみるか。」
やはり思い当たる人物は、一人しか居ない。