そして涙が落ちる。
「俺からも、…良い…でしょうか…」
恐る恐るといった感じで話す彼は、最初に見た時の威勢が嘘のようだった。
騎士団長が「お前っ…」と何か言おうとしたがクラーク副団長に止められる。
「ええ、構いませんよ」
そう許すと、彼は詰まらせるようにポツポツと語り出した。
「…親父…、…父を救ってくださり…ありがとうございました…。」
気恥ずかしさか、顔を俯かせながら彼は語る。長い髪が首から垂れ、床につく。
「………。……れ…るでしょうか…」
「…え?」
小さな声で聞こえなかった。もう一度聞き返すと彼は身体を起こし、それでもまだ俯いたままだった。
「俺は…特殊能力者です…。…ですが父…みてぇに騎士に向いた力でもねぇし、…作物育てるぐれぇしか役にもたたねぇ…です。」
彼は静かに自分の両手を見た。遠目からでもわかる、落ちない土汚れの染み付いた手だ。
騎士団長も何か思うところがあるらしく、ぐっと堪えながら我が子の言葉を聞いている。
後ろでは部屋を出た筈の騎士達がなんだなんだと開いた扉から様子を覗いていた。
「俺は‼︎…親父の足元にも及ばねぇ…クソみてぇな人間です…」
床に拳を突き立て、まるで自身を罰するかのように鋭い音を立て、拳に血が滲んでいた。
彼に初めて会った時のことを思い出す。
夥しいほどの罵声。彼は今までその罵声を何度己自身に向けてきたのだろうか。そしてどれだけ自分を否定し、傷つけてきただろうか。
騎士団長の方を見れば同じように拳を握り、歯を食いしばっていた。だが、次の息子の言葉で彼の表情は一変する。
「…俺…これからもっと鍛えます…親父のクソみてぇな稽古受けて…鍛えて……だから」
ぐわり、と彼が初めて顔を上げた。
髪が垂れ下がり、顔が見えないが確実にその目は真っ直ぐに私に向いていた。
「俺もッ‼︎なれるでしょうか…⁉︎親父みてぇな…立派な騎士に‼︎」
ぼたぼたと髪の隙間から雫が滴り落ちている。彼はその涙を拭うこともせず、掠れるような声で「ッ今からでも…!」と呟いた。
だから、私は答える。
「なれますよ。」
彼が、固まる。
簡単に言って良い事ではないのはわかっている。騎士になるのは大変なことだ。騎士を目指し、叶わず人生を終える人間がこの国だけでも何千といるだろうか。
それでも、私は思う。
きっと彼は騎士になる。父親のように立派な騎士に。己に失望し、それでも立ち上がりその道を目指すというのなら。父である騎士団長という大きな壁を身近に知りながら、それでも目指すというのなら。
「例えこの世界の誰が貴方を否定しようとも、私は肯定します。貴方はお父上のような立派な騎士になれると。そして、これから先…私の命ある限り待ち続けましょう。貴方が騎士として再びこの部屋に訪れるその時を。」
ゆっくりとそのまま彼に歩み寄る。
涙を流しながら、震え、それでも髪に隠れたその目は私から離そうとしない。
「顔をよく見せて」とそう言いながら、両膝をつき、銀色に輝く彼の長い髪をゆっくりかきあげた。
綺麗な瞳だ。深い、青い瞳。騎士団長と同じ色だった。やっと彼としっかり目が合った。泣いている彼が、自分より年上の筈なのにまるで小さな子供のように感じられて優しく頭を撫でてしまう。
「約束しましょう。私は死ぬまで貴方を待っています。騎士になり、お父上のような…いいえ、これから先の人生で、貴方が目指す騎士になれたその時は…愛する民を、そして私の大事な家族を守って下さい。」
彼の両頬にそっと手を添える。熱く、そして涙で濡れている。どれだけの覚悟をもって、これを打ち明けてくれたのだろう。
「…っ、…護れる…でしょうかっ…俺…俺なんざに…っ。」
鼻を垂らし、瞬きひとつせず私を見つめ続ける。きっと、彼はずっと、自分を否定し続けている。
「できますよ。だって貴方は家族を想い涙する優しさと、こんなに立派な両手があります。それに…」
彼の手を両手で握る。
私みたいな小さく貧弱な手ではない、大きくて強い手だ。ところどころ擦り傷や血豆ができている。鍬や農作業でできたものだろうか。その上、先程床に叩きつけたせいで血が滲んでいた。
彼が、自分の手を握る私を信じられないように目を見開く。それでも私は構わず、彼が痛くないようにその手を握った。
「貴方は、…こんなに…強くなりたがっているではありませんか…‼︎」
私からも、必死に彼に訴える。
何度も自分を卑下しながら、それでもなれるだろうかと語る彼は、強くなりたい、強くなりたいと身体中から叫んでいるようだったから。
彼の目にさらに大粒の涙が溜まり、溢れた、
「…ッ…ゔ…あぁ…」
顔を背け、首を振り、言葉にならないように唸る。そして、んぐ、と何かを飲み込むと彼はまた口を開き始めた。
「ッなります…‼︎何年…何十年掛かっても…騎士に…‼︎そして…」
彼が、手に添えた私の手を握り返してきた。
強い、熱いその手は泣いているせいか震えている。
「一生…!貴方を護らせてください…‼︎‼︎」
フーッフーッと獣のような息遣いとともに真っ赤な目で彼は私から目を離さない。
私を…?私なんかを…?
不意に疑問が頭を掠める。
未来の極悪非道皇女に守られる価値なんかがあるのだろうか。
でも、いま私の手を握ってくれる青年の気持ちは真っ直ぐと本物だと伝わってきた。その気持ちは素直に嬉しい。だから、私は笑みで彼に返す。
「貴方…名前は?」
「アーサー…。アーサー・ベレスフォードです。」
アーサー…
その名前に私はハッとする。
アーサー・ベレスフォード
アーサー…
攻略対象者のアーサー騎士団長‼︎
ここにきてやっと私は崖の崩落がゲームの中で彼が語る過去であったことを思い出した。
そうだ、彼はゲームの中での騎士団長だ。最後の決着でも攻略対象者で唯一、剣技でラスボスのプライドをも圧倒した最強の騎士‼︎役に立たない特殊能力だなんてとんでもない‼︎彼の能力はっ…
一気に芋づる式にアーサーについて色々な設定が駆け巡るが、今だけは全て後回しにしようと必死に意識を集中させる。
「プライド様…?」
アーサーが涙で腫らした目で私をみている。
アーサー。まさか騎士団長の息子さんが攻略対象者だったなんて。
でも…
ふ、と思わず笑みが溢れる。
良かった、やっぱり彼は騎士になれる。
「…アーサー。…約束を果たされるのはきっと遠くない未来でしょう。」
アーサーが驚いたように目をぱちぱちとさせている。意味がわからないといった様子だ。
言って良いかわからない。
でも、この言葉が彼の背中を少しでも押してくれるなら。
「いま、予知しました。貴方は近い未来、立派な騎士になります。私だけではない、皆が認める、強い騎士に。」
彼が握り返してくれた手をさらに強く握り返す。
「そして、私の背中を預けるべき騎士となるでしょう。」
「え…」と小さな声と共に彼の見開かれた目からまた涙が溢れ出す。
「待っています、アーサー。そして…」
彼の未来を話してしまった。きっとゲーム通り彼は立派な騎士になる。ならば、これもちゃんと伝えておかないと。
私は結ばれた互いの両手を自分の胸に引き寄せ、彼の耳元で囁いた。
「私がこの国の民の敵と判断した時は、真っ先にこの首を切りなさい。」
国民の平和の為にその刃を、私に。
呆然とした表情の彼は、私が手を離し立ち上がろうとすると「ッなにを…⁉︎」と言って逆に引き寄せてきた。
しまった、少し脅かしてしまっただろうか。
私は引き寄せられた手を振りほどかないように注意しながら、「大丈夫、最後のだけは予知ではありません。」と言って笑ってみせた。
「貴方の剣は、愛する者を護る為に。…そんな騎士になって欲しいという私の願いです。」
どうか、ティアラを、私の家族を、貴方の家族を…国民を。私という悪から、どうか護って。
アーサーは暫く言葉にならないようだったが暫く待つと、最後に何度も、何度も頷いてくれた。
「わかりました…‼︎俺は必ず騎士になります!貴方を、貴方の大事なものを…親父もお袋も国の奴ら全員を、この手が届く限り護ってみせる…そんな騎士に‼︎」
アーサーはそう叫ぶと、力が抜けたように手を私からゆっくりと離した。
副団長がいつのまにか私達の傍まで歩み寄り、アーサーの肩にそっと手を添えてくれた。「行こうか」と優しい口調で彼を促す。
一緒にいた騎士団長は…と彼の方を振り向くと
…彼もまた、泣いていた。
いつから泣いていたのかも分からない。大きな手で目を覆いながら、その指の隙間からは止めどなく涙が溢れている。
心配になり、近付き声を掛けようとすると「プライド第一王女殿下」と先に声を掛けられる。はい、と返事をすると騎士団長がその場に平伏し、ガンッと音を立てて額を床に打ち付けた。
「この度、…命を救って頂き…っ、ありがとうございました…‼︎」
ポタポタと涙がまた床に流れ落ちていく。
「…友にっ…部下に、家族にっ…ッ、…再び会えて…良かった…‼︎」
騎士団長の声は既に嗚咽が混じっていた。こうして聞くと、アーサーによく似た声だ。
「そして何よりっ…息子が…騎士にっ…、…と…その言葉を…聞けて…っ…。」
嗚咽を零しながら話す騎士団長にアーサーは酷く驚いた様子だった。目をまん丸にして父親を見ている。
そして、最後に騎士団長は嗚咽を堪えるように一言、絞り出した。
「…ッ、…生きてて…良かった…‼︎‼︎」
その言葉が、今は何より嬉しい。
思わず涙が目に溜まり、涙ぐむ。
子どもの私より小さく平伏したロデリック騎士団長をそのまま上から抱き締める。
この大きな背中で、沢山の人を救い、護ってきたのだろう。
あんなに部下や同僚、家族に愛されて。
なのに、彼はゲームの中では死んでいた。
奇襲者に嬲られ、崖の崩落にあって
部下を誰一人守れず、息子と仲直りすることも叶わず、きっと全てを悔みながら死んでしまっていた。
だから今、彼が生きていることがこんなにも嬉しい。
生きていて良かった、とそう語ってくれたのが嬉しい。
良かった、良かった、良かった…
「良かった…っ…」
泣き出す騎士団長の背に身を預け、涙が止まらなかった。
それから、アーサーが父親であるロデリック騎士団長と稽古を重ねるようになるのはすぐ翌日からの話だった。