280.配達人は扇動される。
「…ックソが。」
舌打ち混じりにヴァルは一人呟く。
苛立ちが収まらず、いつまで経っても腹が煮え返り、グツグツと音を立て続けている。足元を地面ごと滑らせ、セフェクとケメトと共に高速で街を移動する姿は暴走特急のようだった。
サーシス王国の南方付近に居たプライドと分かれた後、彼はそのまま城下まで降りてきていた。
高速で地面を滑らせながら適当に巡れば嫌なほど見覚えのある騎士の団服が目につき、更には避難所の入り口が壊されたり、騎士達が逃げ場を失った民を守って足止めを受けている箇所をいくつか発見する。
その度にヴァルは特殊能力で入り口を修復したり、周囲の建物と同化させた壁を築いたり、民を回収して回っていた。途中、何度か敵兵に見つかったこともあったが、それすらも現場にいた騎士やセフェクの攻撃で事なきを得た。ヴァル本人は隷属の契約で直接的な攻撃は不可能な為、余計に自身の当たりようのないストレスがひたすら蓄積されていった。
回収した民は後で纏めて戦火の離れた農村にと高速移動する地へ共に乗せた上で、更に土の壁で囲まれている。が、ヴァルの運転が高速且つ急停止や急カーブする為、何度も彼の背後からはいくつもの悲鳴が上がっていた。セフェクにその度「もう少しゆっくりに調整してあげれば?」と言われるが、本人は全く意に返さなかった。
城下を高速でグネグネと走り回りながら、ヴァルは考える。
何で俺がこんなことに、と。
……
ジルベールの屋敷。
駆け付けた騎士達に、捕らえた裏稼業の人間とその場を託した後。ヴァルはステイルに指示された通り、通信兵を通してサーシス王国本陣に報告を行った。
そして暫く経ち、ヴァルもセフェクとケメトを連れてフリージア王国の城下へ降り始めた時だった。
ステイルが瞬間移動で彼らの前に現れたのは。
「アァ⁈ふざけんな!なんでこの俺がハナズオなんざに行かなきゃならねぇ⁈」
ステイルから依頼を聞かされたヴァルは声を荒げて牙のような歯を剥き出しにして睨んだ。ヴァルの服を掴みながらセフェクはそれをじっと覗き込み、ケメトはステイルとヴァルを何度も見比べた。
「サーシスとチャイネンシスと両方の民の救助だぁ⁈それも北方の負傷した騎士の回収までなんでこの俺が‼︎」
ただでさえ、五日間ジルベールの屋敷の見張り、そして一日で連続の戦闘、何よりもステラの泣き声攻撃にそれなりの消耗と疲労があったヴァルにとっては、依頼を済ませた今はすぐにでも休息を取りたかった。更にはヴァルと比べて毎日睡眠は取れていたセフェクとケメトもそれなりに疲れている。今もひと仕事終えて気が抜けたのか、二人して眠そうに目をこすっている。
「強制はしていないだろう。あくまで〝依頼したい〟と、この俺自ら頼んでいる。」
「今回の宰相の屋敷だって下手に出た割に人使いが荒かったじゃねぇか?なぁ、王子サマが。」
ジルベールの屋敷、もとい屋敷に住む者の護衛と監視。それをステイルがヴァルに依頼したのは、同盟交渉が成立した日の夜だった。
ステイルは「ジルベールの娘の名は姉君達が付けた。二人に何かあればきっと姉君は気に病む」と伝え、相応の報酬と並べてヴァルを半ば無理矢理説得していた。五日間とはいえ、主題は単なる見張り。ステイルから提示された報酬も安くはなかった。それならばと、仕方無くヴァルもそれを受けた。…が、五日間殆ど屋敷から出てこない人間の監視は恐ろしく退屈だった。更には今日に至ってはステラという騒音兵器の攻撃を受け続けたヴァルは、ステイルから前払いで受けた報酬だけでは安過ぎるとまで思っていた。
「俺は兵士でも騎士でもねぇ、罪人だ。誰が好き好んでガキ連れで戦場に突っ込むかよ。」
セフェクとケメトの頭をそれぞれ鷲掴みながら睨んでくるヴァルに、ステイルは少し眉間の皺を深くした。確かに、戦場に行くのはヴァルだけではない。セフェクはともかくケメトは必要不可欠な存在だった。ヴァルはケメトが居ないと特殊能力も土壁程度しかできない。そして二人の安全を考えてもヴァルが彼らを連れて行きたくない気持ちはステイルにも十分理解できた。
「調子に乗るなよ?王子サマ。王族であるテメェにも命令権はあるが、俺の雇用主は主だけだ。」
グルルと唸り声を上げんばかりに鼻息荒く睨むヴァルに、ステイルが眉を寄せる。そのまま「テメェにはガキ共のことで借りがあるから、ある程度は聞いてやってるだけだ」と言い放つヴァルからは、完全に拒絶と若干の敵意が溢れ出していた。
「同盟国だか植民地だか知らねぇが、ンな他所の国がどうなろうと知ったこっちゃねぇ。しかも相手はあの馬鹿王子の国だ。」
最後は吐き捨てるように言い放つヴァルにステイルは深くなり過ぎた眉間の皺を指で押さえる。ステイルとしても、ジルベールの一件で頼まれてくれただけでも充分にヴァル達を巻き込んでしまったとは思っている。
それにヴァルの意見も一理あった。彼は過去の所業はともかく今は〝配達人〟だ。他国同士を繋ぐのが仕事であり、他国との争いやボディーガードが仕事ではない。
ステイル自身、セフェクとケメトの事を抜いてもこれ以上ヴァルを巻き込むのはとも思っていた。だからこその〝依頼〟だ。
「…これは〝命令〟ではない。お前にも断る権利はあると思い、こうして頼んでみたが…足りないならば仕方ないな。」
もう時間はない、と溜息混じりにステイルは覚悟を決める。ヴァルがうんざりとした表情で「結局は王子サマの命令か」と先に声を漏らした。ステイルが王族として命じれば、ヴァルは隷属の契約で己が意思関係なくそれを拒むことはできない。
「命令だ。今から話すことは絶対に秘匿しろ。」
セフェク、ケメトもだ。と二人に目を向けながらステイルは言う。ヴァルが予想外のところに命令を使われたことに片眉を上げた。口を歪めるように結んでから、改めてステイルを見る。
「ヴァル。今、俺と同じく姉君もその戦場に居ることは知っているな?」
「あー?…それがどうした。主なら近衛騎士がいる。国なんざデカいもんは知らねぇが、主一人程度なら騎士がいりゃあ守れんだろ。」
犬でも追い払うように手をパタパタと払いながら、面倒そうにヴァルが返す。ステイルにこれ以上命令される前に逃げようかとも考えたが、すぐにステイルの特殊能力を思い出して無駄だと思い直す。ステイルは時間が無いとも言っていた。王族の命令を行使しない限りはこうして適当に受け答えて躱せばと聞き流すようにヴァルが顔を逸ら
「この防衛戦に負ければ、姉君は国王と共に民の前で火に炙られると宣誓された。」
「……アァ?」
一瞬、意味不明にしか聞こえなかった言葉にヴァルが逸らした顔のまま鋭い眼だけをギロリとステイルに向けた。
無表情のままヴァルを見返すその目は、彼から見ても嘘をついているようには見えなかった。何より、理由はともかくプライドならやりかねないという確信に近いものがそこにあった。
ヴァルの反応を予想していたかのようにステイルが言葉を続ける。
「嘘ではない、疑うなら姉君に確認しろ。俺の依頼に答えるかどうかはその後お前が決めれば良い。」
舌打ちが、また大きく鳴り響いた。苛々とした感情が身体中から発せられるように満ち溢れ、ヴァルの目を血走らせた。ステイルに、プライドを出せば自分が応じると思われるのも不快だったが、それ以上にステイルの思惑通りに言葉を発しようとしていることが死ぬ程不愉快な上、認めることすら拒絶したくて堪らなかった。
焦燥と怒りで指先を僅かに震わせながら、今まで以上の険しい眼差しをステイルに向ける。だが、当のステイルの方は無表情の中でも涼しさすら感じられた。胸ぐらを掴んでやりたい衝動も、どうせ無駄だと頭の中で水を掛ける。そして威嚇するように歯を剥き出しにしてヴァルはステイルを睨
「ヴァル、僕は行きたいです!」
ぐい、と裾を引っ張るようにしてケメトがヴァルを呼んだ。「アァ⁈」と反射的に声を荒げながら振り返れば今度は反対からセフェクにも腕を掴まれた。
「行ってあげれば良いじゃない!私達だって主は心配だもの。報酬だって貰えるんでしょう?」
「主は僕達にとって大事な人だから、力になれるならなりたいです。それに、ヴァルと一緒だったら僕は何処でも絶対怖くないです。」
二人から交互に腕を、裾を掴まれ重力に抗いながら、暫くは黙していたヴァルがぐんなりと息を吐く。ガシガシと髪を乱すように頭を掻き、大きく吐き切ると付け足すように「仕方ねぇ」と呟いた。
「…取り敢えずハナズオには行ってやる。テメェの言う通り民の救助をするかどうかは主の話を聞いてからだ。…が、少なくとも騎士なんざを助ける気にはなれねぇが。」
ケッ、と吐き捨てるヴァルにステイルが腕を組みながら頷いた。その反応もステイルの予想の範囲内だ。だから彼は再びその口を開く。
「良いだろう。だが、…一つだけ問おう。ヴァル、お前が俺に借りを感じているというのなら、騎士団にも返すべき借りのある人間がいるんじゃないのか?」
ステイルの言葉にまたヴァルの表情が不快に歪んだ。覚えのない難癖をつけられているような感覚に、また舌打ちが連続で鳴った。それでも思考を巡らし、ステイルの言葉の意図を探り出す。
「…ガキ共の件なら、テメェはともかく、騎士共は王族からの任務に従っただけだ。恩は感じちゃいねぇ。六年前のことなら、既に罰は主から受けた筈だぜ。」
苛々と声を低めながら言葉を返す。良いからさっさと瞬間移動させろと怒鳴りたい気持ちを必死に内側に抑えながら、ヴァルは首をゴキゴキと左右に鳴らした。
「アーサーも騎士だ。姉君から聞いたぞ、あの時の頸の痣はお前を庇った時のだと。」
「…否定はしねぇ。が、それがどうした。その程度で俺がガキ連れて戦地に行く理由にはならねぇな。」
俺の命なんざじゃ割に合わねぇ、と忌々しげにステイルの言葉を叩き捨てる。ヴァル自身、今まで何度も裏切りを繰り返した身として〝借りは必ず返す〟などと殊勝な考えは持ち合わせていない。ただ、プライド達へ殲滅戦についての〝借り〟だけが妙に胸の中で跡を引き、本人にとって気持ち悪く、痼りのように引っかかっていた。だからこそ、善意ではなく、あくまでその痼りの解消の為にステイルの依頼とジルベールの家族を守っただけだった。
それどころか今は、プライドやレオンだけなら未だしも、ステイルにまで自分のことが都合の良い〝善人〟のように甘く見られていたことに嫌悪感すら抱く。
するとステイルは口を開こうとし、…おもむろにセフェクへケメトの耳を塞ぐように手振りで指示した。セフェクが首を傾げながらケメトの耳を手のひらで塞ぐと、ヴァルが嫌な予感がしたように今度はそのセフェクの耳を自分の手で塞いだ。ステイルがその図に満足したように腕を組み直すと、改めてヴァルを正面から見やった。
「お前が善人でないことも、罪人なのも俺は理解している。だが、〝俺程度〟のことをお前が借りに思っているのならば。…これを知れば、お前はさぞかしアーサーへの借りが不快なものとなるだろう。」
そう言いながら、目でセフェクとケメトを確認する。二人とも聞こえていないことをその反応から確認し、そして続けた。
「──────────────」
ステイルのその言葉に、ヴァルの顔が不快に歪んだ。