269.冒瀆王女は止める。
「……っ、…ステイル。」
合図ですぐに駆け付けてくれたステイルは、私の姿を見て酷く顔色から血色を失わせた。
目を見開いて、手を酷く震わせたステイルがふらりと驚愕に表情を固めたまま一歩一歩歩み寄ってきてくれる。
「…ステイル、ごめんなさい。人前で合図を。」
最初に先ず、人前でステイルの合図や私の元に瞬間移動できるのを見せてしまったことを謝る。本当はセドリックや他の騎士達の前では安易に使うべきではなかった。…でも、今はこれしかなかったから。
私の謝罪にも未だ言葉が出ないようで、ステイルの視線は私の足へ突き刺さったままだった。
「…姉、君…、…っこれは…何故ッ…!」
パクパクと開かれた口から、必死に絞り出すように声が漏れてきた。まだ頭の整理がつかないのか酷く混乱した様子で。……一瞬、カラム隊長とアラン隊長に厳しい眼差しが向けられた気がして、激情を滲ませたそれに私まで背筋が凍った。急いで説明をと私が口を開こうとした、その時だった。
「ッ俺の、…せいだ。」
セドリックが、先に声を発した。
涙を滲ませたままのその瞳を握り拳で押さえつけ、噛み締めるように放ったその言葉にステイルが凄い勢いで反応した。
セドリックの方へ顔を向け、顔を真っ赤にして睨み付ける。カラム隊長とアラン隊長が「違いますステイル様!全ては近衛である我々の責でっ…」と同時にそれぞれ声を上げたけれど、それすらもう届いていないようだった。激情と憎しみが入り混じっているようなその瞳に酷く覚えがある。ステイルの両手がセドリック王子の襟元を乱暴に掴みあげ、自身に引き寄せ
「ッステイル‼︎‼︎」
ー る前に、私は力の限り声を張り上げた。
突然の私の大声にアラン隊長が驚いたように、抱き上げてくれている手を上下に震わせた。
ステイルがはっ、としたようにセドリック王子の襟元から手を緩め、離してくれた。駆け寄りたくても歩けない今は、振り返ってくれたステイルに両手を広げてみせることしかできない。
「姉君っ…‼︎」
まるでいま気がついたように、ステイルが今度こそ私の傍まで駆け寄ってきてくれた。ステイルを落ち着かせるようにその首に腕を回し、頭を撫でる。「大丈夫、私は大丈夫だから」と何度も繰り返すとやっと目の色だけは落ち着き、瞬きを数度繰り返していた。息を未だ荒くするステイルに、言い聞かせるように私は言葉を重ねる。
「お願い、よく聞いてステイル。セドリックは悪くないわ、私が勝手に飛び出して怪我を負ったの。カラム隊長とアラン隊長も命懸けで…本当に、命を捨てるような決断をして、辛い思いをして、それでも私を助けてくれたの。彼らがいなかったらこの程度じゃ済まなかった、きっと今ごろ死んでいたわ。だから、本当に私以外誰も悪くないから。」
動揺を隠せない様子のステイルの顔に手を添える。私の言葉を一言一句必死に飲み込んでくれたステイルの唇が震えた後、最後に強く引き絞られた。
一度だけ頷いてくれたステイルが、そのまま地を睨むように俯いた。その口が小さく「アーサーをっ…」と声を漏らし、そこから先を躊躇うようにピタリと噤んだ。代わりにギリリッと音を立てて歯を食い縛る。
「守ると…ッ…言ったのに…‼︎‼︎」
再び食い縛られた口から言葉が漏れた。…誰に対してかわからないほど、強く放たれたその言葉が、声が、…私よりもずっと痛そうだった。
カラム隊長の表情に影が落ち、私を抱き上げてくれていたアラン隊長の手が力がこもったように震えた。
私が怪我したことに補佐として、…弟として責任を感じてくれているステイルに、足よりも遥かに胸が痛んだ。本当に私は自分のことばかりだったのだと後悔する。
本当は、ステイルに怪我のことも隠そうとしていたのだから。
「……ステイル、お願いがあるの。」
顔から、そっと腕を緩めて降ろしステイルの震えた拳を掴む。どちらの拳も、鎧越しでもわかるほどに固く握られていた。
私の言葉に小さくステイルが顔を上げてくれる。「何でも」と短く返してくれたその目が今にも泣きそうなほどに萎んでいた。
「…私の足は、もう今日一日は動かない。きっと足手まといになるわ。それでも、お願い。フリージアにはまだ帰さないで。私は、まだここで女王代理として皆と共に在りたい。同盟国であるハナズオ連合王国と運命を共にしたい。ここで逃げる訳にはいかないの…!」
ステイルの拳を私からも強く握り、訴える。ステイルがいま特殊能力を使えば、私は強制的にフリージア王国に送還されてしまうだろう。でも、私やハナズオの為に沢山の策や手を打ってくれたステイルだから。
今まで何度も頼らせてくれたステイルだから。
私の訴えに、ステイルは固く閉ざした口と共に辛そうに顔を歪ませた。私が最後まで言い切った後も暫くは沈黙が続いていた。
崩落が終わって少し経ったからだろうか、だんだんとさっきまで止んでいた敵軍の怒号が大きくなってきた。また、再び南方から攻め込んできているのかもしれない。ステイルの返事を待ちながら、心臓が気持ち悪く脈打った。急がないと、折角抑えた筈の敵兵がまた城に攻め込んでしまう。ステイル、ともう一度訴えようとした時
「……プライド。貴方の、御望みのままに。」
小さく、私の耳を掠めるくらいの声がステイルから聞こえた。瞬きをして見返せば、さっきまでの強張った表情から持ち直したように、落ち着き静まり返ったいつものステイルが、そこにいた。
「…先ず、ここは危険です。一度サーシスの城に戻りましょう。……そしてセドリック第二王子殿下。」
話し出したステイルが、アラン隊長とカラム隊長と目を合わせ、最後にセドリックに真っ直ぐに向き直った。涙がやっと止んだセドリックが同じようにステイルへと向き直る。服の袖で一度で涙を拭いきったセドリックは再び緊張した様子で喉を鳴らし、ステイルを見返した。
「…先程は、大変な無礼を致しました。どうかお許し下さい。」
礼儀正しく、深々と頭を下げたステイルにセドリックが驚いたようにたじろぎ、目を丸くさせた。「ッと、んでもない…‼︎」と必死に制止しようとするセドリックが頭を上げるように願ってやっとステイルがその頭を上げた。
「アラン隊長、カラム隊長。一時的に城へ撤退します。同行する騎士の選別と残りの騎士は先に南方への押さえつけをお願いします。そして…」
落ち着いたステイルの声とその指示にアラン隊長とカラム隊長が返事をする。一度言葉を切り、少し気まずそうに目を逸らした後、改めて順番に二人の目を見た。
「…引き続き、近衛騎士として姉君の護衛をどうか宜しくお願い致します。」
はい、必ず、と騎士二人の声が合わさった。
カラム隊長が騎士達を一人ひとり選別してくれ、選ばれた騎士達が前に出る。ステイルが姉君の容体についても後で詳しく、と治療をしてくれた騎士達に声を掛けた。
ステイルはまずセドリック王子に触れ、瞬間移動で消した。そのまま流れるように私と近衛騎士達を瞬間移動させようと歩み寄る。私の手を取り、「他の騎士達もそちらに瞬間移動させ次第、俺もすぐに行きます」と言ってくれた。頷いてお礼を言うと、再び「姉君」と潜める声で私に囁いた。
「申し訳ありませんでした。…貴方は、俺を信じてくれたのに。」
目を伏せ、まるで今から怒られる前の子どものように表情を曇らせるステイルに、思わず「何言っているの!」と笑ってしまう。驚いたように顔を上げた彼の頭を、もう一度私は鎧のついてない手で撫でた。
「ちゃんと応えてくれたじゃない。何度だって信じるわ。」
こんなお荷物の私が、戦線離脱しないことを許してくれた。ヴァルの派遣も、こうして頼れる騎士達を当時近衛騎士に提案してくれたのもステイルだ。…ステイルが居なかったら、私はとっくに命を落としているか、取り返しのつかない結果を招いていたかもしれない。本当に御礼を何度言っても足りないくらいだというのに、逆に謝られてしまうのが不思議なくらいだった。
私の返答にステイルは目を丸くした後、…小さく笑んだ。丁寧にアラン隊長に抱えられた私の手を取り、もう片手をカラム隊長へと伸ばした。
そして、一息分の間を置いてから私達の視界が切り替わった。
城内に変わり、ティアラやジルベール宰相、そしてセドリックが同時に振り返ってくれる。そのまま戦況の確認をしようとした瞬間
「プライド様⁈」
「ッお姉様っ‼︎‼︎」
…再び、私の醜態に悲鳴と響めきが上がった。