266.冒瀆王女は頼む。
ヴァルらしき声が過ぎ去った後、すぐに崩落し始めた筈の城が動きを止めた。
遠目でわかるほど不自然に城全体が崩落を止め、今にも崩れようとしていた上階がそのままの位置に固定された。
よく知っている。この瓦礫の不自然な動きと能力を。
まさか、とアラン隊長が声を漏らした時、私も黙って頷いた。胸元に両手を合わせて押さえつける。すると、少ししてまた城の方から高速で何かがこちらに向かってきた。ジェットコースター以上の速さで向かってくるそれに、私は確信をもって目を凝らした。アラン隊長が警戒するように私を抱えたまま戦闘体勢の構えを取るけど、その高速物体は近くに来た瞬間に一気に急停止した。
そのまま、勢いに押されるように一人の騎士がそこから飛び出し、私達の前で綺麗に着地する。本人も未だ茫然としている様子の彼は
「カラム隊長っ‼︎」
カラム!とアラン隊長からほぼ同時に声が上がった。座り込んだままのカラム隊長にアラン隊長も私を抱えた状態でその場にしゃがんでくれる。プライド様…と私を見て小さく口を動かすカラム隊長に腕を伸ばし、その首に回して引き寄せる。私を見て目を見開いたカラム隊長の顔が近付き、そのまま私の首元まで抱き締めた。
「…良かった…っ。」
思わず、安堵の声が漏れる。
本当に良かった、私なんかのせいでカラム隊長が本当に死んでしまったらと。私が勝手なことをしたせいでカラム隊長とアラン隊長を危険な目に遭わせてしまったことの罪悪感と、それを越えるカラム隊長が無事でいてくれたことの喜びで気がつけばまた涙が滲んでいた。
ごめんなさい本当にありがとう、と繰り返しカラム隊長とアラン隊長に伝えれば二人ともそれ以上の数、とんでもありません当然のことですと、返してくれた。
「…御心配、おかけ致しました…。」
最後、私が腕を緩めると申し訳なさそうにカラム隊長が私に頭を下げてくれた。何故カラム隊長が謝るのか一瞬わからなかったけれど、私に心配をかけたことまで気にしてくれたのだと分かり、目元を拭いながら笑みで返した。本当にこんな時まで優しい人だ。
そのままアラン隊長がそっと、私を腕の中から降ろしてくれようとし
思わず、声を上げる。
「ッ!待っ、て下さい‼︎」と上擦った声を上げ、必死にアラン隊長の首に腕を巻き付けて抗う。すると、アラン隊長の動きがピタッと止まり、再び私を抱き直すようにして顔を覗き込んだ。カラム隊長も目を丸くして私を見直す。…………非常にまずい。
いえ、その…と何とか逃れようと二人の刺さる視線から目を泳がせて言い淀むと、すぐにアラン隊長が「まさかっ⁈」と声を上げた。…バレた。
「おいカラム‼︎プライド様の左足ッ‼︎」
アラン隊長が声を上げ、目で私の足を指し示す。そうだ、アラン隊長は私を助けてくれた時に瓦礫に足が挟まれたのを見ていたんだった。いえ、これは、その、と言い訳が上手く出ずにその間にもカラム隊長が「失礼致します」と私の鎧の足部分に触れた。カラム隊長の背後からヴァルが訝しむように眉を上げて覗き込んでくる。
ガチャガチャと私の足部分の鎧を外し、外気に晒された。その途端、熱を帯びて痛んだ足が少し冷やされたと同時に、カラム隊長が無事だったことで一息ついてしまったせいか忘れかけてた痛みがまた追い掛けるように私の足を駆け巡った。
明らかに赤く腫れ上がった足を見てアラン隊長が息を飲む音が間近に聞こえた。更にはカラム隊長がそっと触れてくれただけで激痛が走り、思わず悲鳴をあげてしまう。
「これはッ…‼︎今すぐ怪我治療の特殊能力者に見せましょう‼︎すぐそこで騎士達やセドリック王子が控えている筈です!七番隊も居ます‼︎」
カラム隊長の言葉に、俺が連れて来る‼︎と、私を動かさないようにアラン隊長がカラム隊長に私を預けた。そのまま目にも留まらぬ速さで駆けて行く。
どうしよう、気が抜けたらどんどん痛みが増して来た。それに痛いのは左足だけじゃない。
痛みに段々また声が出なくなり、歯を食い縛り耐える。さっきまであんなにアラン隊長の腕の中で暴れられたのが嘘みたいだ。私を両腕で抱えるカラム隊長が「すぐに騎士が来ます!」と声を掛けてくれ、そっと地面に横たわらせるように下ろしてくれた。それになんとか頷いて私も答える。
「ッおい主!さっさとあの王子を呼べ‼︎アイツならフリージアでも何処でも運べる筈だろ⁈」
ヴァルが声を荒げる。セフェクとケメトが「主…⁉︎」「大丈夫ですか⁈」と口々に声を掛けてくれる。確かにステイルを呼べば安全な場所に連れて行って貰えるし、フリージアに行けば医者にすぐ診てもらえる。でも!
「ッだめ…‼︎今、私は此処からっ…離れられない…‼︎」
今は、戦争中だ。
私は女王代理として此処にいる。それを怪我したからって自国に一人だけ逃げるなんて絶対にできない。まだ、ランス国王もヨアン国王も、沢山の民や兵士、そして私の為に戦ってくれている騎士達やステイル達も居るのだから‼︎
何言ってやがる⁈と怒鳴るヴァルと、怪我を負ったままでは危険ですと叫ぶカラム隊長に私は首を振る。
「ッ命に、別状はありません…‼︎足が動かずとも、戦場には居られます…!私一人がッ…逃げる訳にはいきません…‼︎」
自分の団服の裾を掴み、訴える。もし、こんなところをステイルに見られたら問答無用でフリージア王国に強制送還されてしまうだろう。怪我を負った王女なんて足手まとい以外の何物でもない。母上だって、今回の防衛戦を任せてくれた時にそれをステイルに任せていた‼︎たかが足の怪我程度で逃げる訳にはいかない!
「大丈夫…‼︎すぐ復帰します…!今は、南方の敵を押さえて、それに城下にもっ…!」
そこまで考え、ふとある考えが頭に巡る。言葉を止めて、ヴァルへ視線を向ける。固まる私にカラム隊長とヴァル達が狼狽えるように声を掛けてくれる中、ふと気付いた疑問が唐突に私の口から溢れ落ちた。
「…ヴァル、貴方は何故ここに…?」
すごく今更の問いを、彼に投げかける。突然の質問に驚いたように目を丸くするヴァルは私の意図もわからないままに口を開いた。
「…あの王子に呼び出された。城下の民の救助と、…ついでに北方の騎士の救助だ。」
あと一つは…もうどうでも良い、と溢すヴァルに私は目を見開く。
ステイル…‼︎
やはり、ステイルだった。今どこに居るのかはわからないけれど、私が城下の民を救助したいと言ってからきっとすぐに動いてくれたのだろう。
『約束してください、次は必ず頼ると。俺達の力が必要でも、…不要でも』
痛みに勝り、一年前のステイルとの約束が私の頭を埋めつくす。そうだ、あの時私は約束したのに。ちゃんとステイル達を頼ると。
『姉君。貴方は一人でも行くのでしょう。ならば、俺も共に。貴方の御心がそれを最良とするならば、俺も貴方に従います。…全てはプライド第一王女の御心のままに。』
あとを押されるように、今度は二年前の言葉を思い出す。今まで、一度だってステイルがわたしの意思に反して強硬手段に出たことがあっただろうか。
じわり、と気がつくと目に再び涙が滲んだ。
私が突然泣き出したのに驚いたのか、カラム隊長が「どういたしましたか⁈」と私の名を呼び、ヴァルが目を丸くしたまま身体を逸らした。大丈夫、と返して目を擦る。そのままヴァルへ改めて視線を向けた。
「……ヴァル。今すぐステイルの指示通りに彼らの救助をお願いしたいの。」
足の痛みは、まだ続く。それでも、さっきより声を発するのは辛くない。
私の言葉にヴァルが眉を顰め、次には顔を歪めた。わかっている。ヴァルは別に騎士でも兵士でもない。配達人の職務外のことを私も、ステイルも彼にお願いしようとしている。
敢えて命令ではなく、彼が拒めるように言葉を変えて頼む。
「…主を放って、縁もゆかりもねぇ奴らの後始末しろってか?」
顔を歪めたまま低い声で私に返すヴァルは、何か言いたげに私をその場から覗き込んだ。若干怒りや苛立ちの感じられるそれに思わず息を飲む。
「…ええ。貴方なら、きっとできると思うから。だから、………私は、貴方を頼りたい。」
願いを込めて、そう伝えればヴァルの歪んだ表情が驚きに染まった。見開いた目が真っ直ぐに私へ向けられ、口が結ばれた。
「ちゃんと、…ステイルも呼ぶわ。約束する。でも、今の私の足では…誰の元にも届かないから。」
話す事で紛らわしているけど、まだ足が酷く痛む。多分いまは立ち上がることすら出来ないだろう。平然としているつもりでも、額に酷く汗が滲んだ。笑ってみせたいのに、上手く笑みも作れない。
「お願い。どうか、一人でも多く。…ただし、危険なことはしないで。それだけは命令します。」
地べたで寝っ転がっている王女にこんな事言われても威厳も何もあったものじゃない。初めて〝命令〟の言葉を使えばヴァルは項垂れるように片手で頭を額ごと抱え、俯いた。地の底に響くような唸り声みたいなものも聞こえ、葛藤しているような、うんざりしているようにも聞こえた。
「……五日間もフリージアで番犬させられたかと思えばこれだ。」
ぼそり、と小さな声でヴァルの苦情が聞こえた。カラム隊長も目を丸くし〝フリージア〟という言葉に思わず私も身体を起こす。そろそろラジヤとの会談が始まった頃かもしれない。「フリージアに何かあったのですか⁈」と叫ぶと、王族には何もねぇよと返された。王族じゃなくても民にっ…と声を上げると「問題ねぇ」と短く切られる。隷属の契約で私に嘘をつけないヴァルの言葉なら本当だろう。思い切り身体を起こしたせいで、足に激痛がまた走り、更には髪が乱れて数本顔にへばりついた。それを見て、ヴァルが小さく溜息をつく。
「……そんなに自国が恋しかったら、さっさと帰ってくるんだな。」
フリージアに。とヴァルがその場にしゃがみ、上半身を起こした私と目線が一気に近くなる。さっきみたいな怒りは感じられない鋭い眼差しが正面から私を覗く。そのまま、そっとゆっくり指先だけで私の前髪に触れた。汗で額にベタついてしまった髪をそのまま私の耳にかけるように触れ、顔から避けさせた。
「アンタのいねぇフリージアはどうにも味気ねぇ。」
どこか憂いを帯びたその瞳に、思わず心臓が脈打った。私の居場所がちゃんと在ると、改めて言ってもらえた気がした。
ヴァルはその一言だけ言うと、私から手を引き、立ち上がった。ケメトとセフェクに声を掛け、何も言わずその場から去ろうとする。
「ッ…待、って下さい…‼︎」
ヴァルがこれからどうするつもりか、何処に行くつもりかはわからない。ただ、まだ伝えていないと思い、急いで引き止める。ヴァルが再び顔を顰めたまま無言で振り向いた。私が子どものように手を伸ばして「最後にこれだけ」と訴えると再び私の元に来て、片膝をついてくれた。すぐ傍まで来てくれたヴァルに感謝しながら、私は彼へと手を伸ばし
腕の力だけで抱き締めた。
上半身を少し捻らせたせいで、足が少し動いてまた響いた。私に抱きつかれたヴァルが、腕の中で「なっ…」と短く声を上げた。それでも構わず首に手を回し、彼を引き寄せる。片膝ついた状態のまま、私が引き寄せたせいで前のめりに倒れこんだ彼が私の背後に手をついた。
「カラム隊長を助けてくれてありがとう。」
…これだけは、ちゃんと言っておきたかった。この後ヴァルがどうしようと、そして私が万が一どうなろうと、…この感謝だけはちゃんと伝えたかった。
あの時、私はヴァルに命じていないのに。
それに、ヴァルは王族にも騎士にも良い印象がない筈だ。なのに自分から助けに行ってくれた。
本当ならちゃんと頭を下げて御礼を言いたかったけれど、今はどうにもならないから。
せめてこの感謝の気持ちだけでも伝わるようにと腕に力を込める。
ぎゅっ、と力を込め続けている間、ヴァルは一言も発しなかった。もしかして首を締めてしまったかと思い、少し緩めた時
「プライド様‼︎七番隊の騎士を連れてきました‼︎」
アラン隊長の声が遠くから聞こえた。同時に耳元でヴァルの舌打ちが響いた。驚いて見れば、鋭い眼を更に鋭く光らせてアラン隊長の声のした方に向けていた。
どうしたのかと思い声を発しようとした途端、先にヴァルから「主、上げるぞ」と声を掛けられる。答えながら何の意味かと思えば、ヴァルが身を起こし、さっきまで引き寄せていた私の身体に腕を回して両腕で抱き上げてくれた。
驚いて目を丸くすれば、ヴァルが軽く目だけを私へ向けた。
「…今回だけは、千年どころか億年に感じられちまいそうだ。」
舌打ち混じりに、独り言のように小さく呟くヴァルの言葉に私は見上げ、首を傾げる。一体どういう意味だろう。目だけで尋ねる私にヴァルは「忘れろ」と返すと、そのまま駆け付けてくれたアラン隊長に私を手渡した。
アラン隊長の背後には数人の騎士とセドリックもいる。…彼にも、ちゃんと謝らないと。
騎士が増えた事にヴァルは居心地悪そうに眉間に皺を寄せ、今度こそ私達に背中を向けた。ケメトとケフェクがヴァルに掴まりながら「主!行ってきます!」「無理しないで下さいね!」と手を振ってくれた。
「プライド様!今、応急処置するんで動かないで下さい‼︎」
アラン隊長が声を掛けてくれる。そのまま地面に私を降ろす時間も惜しいように腕に抱えたまま連れてきてくれた騎士に治療を頼んでくれた。カラム隊長が「痛むのは左足だけでしょうか⁈」と私を覗き込み、私が右足も捻ったことも伝えると二人の顔が一気に真っ青になった。
左足を騎士が治療してくれ、アラン隊長が抱き上げてくれ、カラム隊長が急いで私の右足の鎧も外してくれながら、私は首だけでヴァル達が去った方向に顔を向けた。
特殊能力で足元の地面を盛り上げ、そのまま高速で彼らは走り去っていった。
その方角を見て、心の底から彼に感謝する。
きっともう大丈夫だと、…そう思えたから。
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