250.真白の王は恐れる。
チャイネンシス王国 城本陣。
『では、我が西の塔は戦闘準備が完了次第、サーシス王国に援軍へ向かいます‼︎』
『我が東の塔はもう準備は終えた!今すぐヨアンの元へ援軍に向かう‼︎』
敵兵の侵攻形態が固まった今、とうとう各塔が動き出した。元々は北の最前線か我がチャイネンシスの城、そして城下街への侵攻に柔軟に対応する為のものだったが、まさかサーシス王国と並行での防衛戦になるとは思わなかった。
「ヨアン国王陛下‼︎南方からの敵軍にとうとう城壁を突破されました‼︎」
僕の部屋に衛兵が再び駆け込んでくる。
急いでくれたからか、それとも緊張の為か汗で顔中を湿らせた衛兵が城の南方を指差し、叫んだ。
…もともと、今回の防衛戦の策は前提としてチャイネンシス王国の国王である僕が居るこの城に敵兵を近づけさせず北の最前線、西の塔、東の塔、更には各所にいる騎士達で侵攻を防ぎ、退けることが目的だった。
だが、連続する投爆により注意を引かれ、城の背後に国外から敵軍が迫っていることにも気がつかなかった。結果、いま我が城にはチャイネンシス王国の衛兵と兵士のみ。それなりに人数はいるが、恐らく侵攻してくる兵はそれを遥かに凌ぐ人数だろう。ここで外からの敵軍の唸り声を聞くだけで察しはつく。残りはフリージア王国の通信兵とステイル王子が念の為にと置かれた五名の騎士のみ。
ランスが今こちらに向かい始めてくれてはいるが、恐らく敵兵が僕の元に辿り着く方が早いだろう。
おおおおおおおおああああああああああああっっ‼︎‼︎
敵兵の雄叫びが聞こえる。…唯一の救いは、崩壊された国壁付近には民の居住地がなかったことだ。だからこそ、国壁を崩して最南に位置する我が城にこんなにも早く敵兵が到達しているのだけれど。…罪無き民が犠牲になるよりはずっと良い。
「神よ、…感謝します。」
映像に聞こえないように、口の中だけで呟く。そっと映像に目を向ければ東の塔の映像にはもう誰の姿もなかった。恐らくもう我が城に向けて馬を走らせてくれたのだろう。
…まさか、最初からサーシス王国が狙われることになるなんて。
フリージア王国との協力を知られた故か、それとも最初からハナズオ連合国を潰すつもりだったのか。…それはわからない。
だが、このままではチャイネンシス王国だけではない。サーシス王国、そして…フリージア王国の第一王位継承者プライド第一王女までも失ってしまう。
僕は震える手で、腰に収めた剣を握る。
僕一人ならば、死ぬ覚悟はできている。
この命を神に捧げる覚悟は、ずっと昔から。
足音が酷く鳴り響く。敵兵か味方兵かもわからない雄叫びや悲鳴がとうとう此処まで聞こえてきた。斬り裂く音や断末魔も聞こえ、今こうしている内にも我が城の兵士か、またはフリージア王国の騎士が犠牲になっているのだろうと理解する。…僕らのせいで。
僕の周囲を守る衛兵と、そして通信兵の騎士達が僕の周囲を固めてくれる。
僕はまだ、死ぬ訳にはいかない。そして降参する訳にもいかない。
今の僕の敗北は、僕個人よりも遥かに多くの人々の命運がかかっているのだから。
チャイネンシス王国と民。
サーシス王国と民。
そして、…フリージア王国の第一王女。
その全てを不幸にする訳にはいかない。
僕自身も剣を構え、部屋の扉を睨みつける。
更に部屋の窓にも目を向け、いつ敵兵が奇襲しても対応できるようにと身構える。
その間も銃声や断末魔、更に悲鳴がいくつも響き渡る。…その、時だった。
『御安心下さい、ヨアン国王陛下。』
静かに落ち着いた声が僕の耳に飛び込む。
声のした映像の方を見れば、既に準備を整え終えたのであろうステイル王子が僕に呼びかけるようにその口を開いていた。
『…国王陛下は、先程の騎士団の報告で迫り来る敵軍隊を騎士団長と副隊長の二人で遠ざけ、重傷者と共に無事本陣営まで退いたという報告を覚えていらっしゃいますでしょうか。』
ステイル王子の言葉に、僕はその時の報告を思い出す。確かに覚えている、数百は軽い敵兵をたった二人で抑えたという話に僕も、…恐らくはランスとセドリックも耳を疑った。そんなことが人間にできるものかとも考えた。
ただでさえ、重傷者を引き連れてなど足枷にしかならないのに。なのに、騎士団長とその副隊長は見事退避を成功させ、…信じられないことに未だに騎士団には一人の死者も出ていないという。
『副隊長の名はアーサー・ベレスフォード。今年副隊長に就任した、八番隊の騎士です。そして、今ヨアン国王の城に控えさせて頂いた騎士は同じくその八番隊の騎士五名です。』
ステイル王子の言葉に、思わず僕は息を飲む。
昨日の作戦会議。もともとは僕の城には通信用の騎士以外は全員我が国の兵のみで賄う予定だった。…だが、そこでステイル王子からの提案だった。コペランディ王国が突入してくるであろう北方と真逆の位置である南方の我が城の背後を指差し「僕ならばここを攻めます。念の為に城の警備に我が騎士団を数名だけ置かせて頂きたい」と。…彼はそう確かに言った。
『彼らは僕がジルベール宰相と騎士団長に要望を伝え、選出して貰った騎士でもあります。』
…不要だと思った。もともとこの城に近づけないことが目的の策で、更にコペランディ王国がわざわざ僕らのような弱小国を攻め落とす為にそこまで策を巡らすとも考えられなかった。
正面から攻めても充分にコペランディ王国と二国でチャイネンシス王国を落とせるのだから。
何より、敵兵の数だけは圧倒的に不利な現状で、騎士をこの城に多く割くのは得策ではない。攻められるべきでない我が城に騎士を置くのならば、他の本陣に戦力を割くべきだとも考えた。
だが、ならばとステイル王子は五名だけでも騎士を我が城の護りにと望まれた。…たった五名くらいならば無意味な城の警護に割かれたところで戦況に問題は無いと、僕もランスも頷いた。…逆を言えば、もしもの事態になってもたった五名の増援など無意味に等しかったというのに。
…本当に、賢い御方だ。
ステイル王子のあの時の判断は正しかった。
そして今、彼の恐れた通りに南方から奇襲を受けた。あの時、素直にステイル王子の助言通り兵力をもっと注いでおくべきだったと今更な後悔だけが肌に残る。
僕が心中でひたすら後悔を繰り返す中、ステイル王子は平静に言葉を続ける。その表情は無表情にも見えたが、僕への侮蔑や呆れなどは感じられなかった。…むしろ別の映像で、同じく奇襲を受けている筈のサーシス王国の城にいるジルベール宰相の笑みが浮き立って見え
パリィィィィインッッ‼︎‼︎
突然、部屋の窓が外から割られた。衛兵が僕が硝子を浴びないようにと庇ってくれ、その影から一瞬、何者かの足が見えた。
「ッここが王室かァ⁈」
「俺達が一番乗りだ‼︎‼︎」
「あの優男が国王か⁈」
城壁から何かで登ってきたのか。敵兵が窓を割って侵入してきたようだ。最初の数名が侵入を成功させたことで、次々と後を追うように大勢の敵兵が窓から我が王室に土足で乗り込んで
ー …来ようとした瞬間。
後続の敵兵達が、一瞬で窓から姿を消した。
ズシャァアアアアアアッッ‼︎‼︎と、何かが裂かれるような音が響き、消えた筈の敵兵の悲鳴も一瞬遅れてから轟いた。
既に我が王室に侵入した敵兵も、窓の外から味方が消えたことに唖然としていた。一人が窓の外へ顔を覗かせ、何かあったのかと確認しようとした瞬間。今度はその男の首が一瞬で何かに刎ねられた。
『彼らは皆、アーサー副隊長よりも長く八番隊に在籍していた精鋭達です。特に…』
なんだなんだ⁈と敵兵が声を上げる。敵兵が今目の前まで迫っていることをステイル王子もジルベール宰相も通信兵からの映像で目にしている筈なのに、二人とも恐ろしく冷静だ。ジルベール宰相の横に並ぶセドリックだけが僕を案じるように声を上げてくれていた。
ぎゃあああああ‼︎と、再びどこからか悲鳴がいくつも聞こえる。また我が兵の誰かか、と考えたところで僕はふと気がつく。
さっきから確かに大勢の敵兵が我が城に侵攻している。…だというのに、何故まだ一人も扉からこの部屋に入って来ないのか。
「テメェら‼︎何しやがった⁈」
大人しくしろ‼︎と部屋に既に侵攻していた残りの敵兵達が、揃って銃を構えて僕らの元へと歩み寄る。我が衛兵も負けじと銃を構え、通信兵の騎士がそっと剣を構えた。味方が突然消えたことで興奮状態の敵兵がそのまま狙いも定めず引き金を
「貴様ら。私を越えず王を狙うとは何様のつもりだ?」
突然。黒い陰が出現した。
本当に一瞬だった。
風が吹いたかと思えば、先程は居なかった筈のそこに騎士が立っていた。
窓から入ってきた男達の背後に、ただ一人。
長く黒い髪に隠れた紫色の瞳を光らせて。
『八番隊隊長、ハリソン・ディルク隊長。』
銃の引き金を引こうとしていた男が振り向こうとした時には、既にその銃を握る右手が腕ごと切り落とされた後だった。
更に他の侵入してきた男達に至っては、突然身体から血を吹き出し、反応する間もなく崩れ落ちた後だった。
腕を切り落とされた男だけが唯一命を残し、一拍置いてから叫喚を上げた。
ぐああああああああああああああ⁈と叫び、無くなった腕を押さえると、黒髪の騎士はそのまま片腕を失くした男を背後から躊躇いなく踏みつけた。
『いま国王陛下の目の前にいる彼は、あのアーサー副隊長の直属の上司ですから。』
まるで、こうなることが予想できていたかのようにステイル王子の言葉は続いていた。剣を片手に小さくハリソン隊長は顔を上げた。真っ直ぐに切り揃えた前髪の下の瞳が、足蹴にした男を睨んでいる。味方…の筈なのに、こちらまでも身震いするほどの冷たい瞳だった。
あの、アーサー副隊長の直属の上司。それはつまり、彼を凌ぐほどの技能を兼ね揃えた騎士ということだろうか。
血を溢れさせて絶叫し続ける敵兵を、変わらず足蹴にしたまま見下ろすハリソン騎士隊長の姿に思わず僕は息を飲む。
「……答えろ。何故貴様らは私を捨て置き、窓からの侵入を試みた?」
男を踏みつけ、睨む彼は低い声で言い放つ。だが、痛みに悶える男は叫ぶばかりで答えはしなかった。
「…答えないか。ならば良い。たかだか腕の一本程度で戦う意思が折れた軟弱者に用は無い。」
躊躇いなく、ハリソン隊長が剣を振るう。何も抵抗できず、敵兵が崩れるようにその場に沈黙した。
剣を鞘に納めず、ハリソン隊長は他に敵兵が居ないかを目で確認すると僕と、そして映像に映る面々に一度だけ頭を下げ、また一瞬で消えてしまった。風が吹き、幻でも見ていたかのような錯覚すら覚える。
『申し訳ありません、ヨアン国王陛下。八番隊は些か特殊でして。ですが、任務は必ずやり遂げてくれる者達です。どうぞ、少々の無礼と無愛想は御許し下さい。』
呆然とする僕に、若干穏やかなジルベール宰相の声が掛けられる。数度瞬きをして、割れた窓と敵兵の骸に今さっきのことが夢ではなかったのだと理解した。
いえ、とんでもありません。と答えながら、窓の外を眺める。先程までここに侵入しようとした敵兵の怒声が今は何も聞こえない。先程窓から消えたアレも、恐らくは八番隊の騎士の手によるものなのだろう。そして、今の今まで敵兵があの扉から入ってこなかった理由は、…恐らくはあのハリソン隊長が。
『彼らには〝ヨアン国王を含む城内の者の警護と城内に侵入した敵兵の排除〟を任せています。破られた南方から城下に下った敵兵に関しては他の騎士や衛兵、そしてランス国王率いる兵に任せる他ありませんが…少なくともヨアン国王と城の安全はお任せ下さい。』
再びステイル王子の声に振り返る。にっこりと笑い、今起きた出来事も想定内かのように語り続けた彼に若干の畏れを抱く。
彼は、こうなることを全て予見して、八番隊の五名の騎士を僕の城に配置してくれていた。たった五人という数で、騎士を控えさせることを僕とランスに納得させた。更にはたった五名で我が城全てを護り抜けるような騎士を、ジルベール宰相と騎士団長に用意させてくれていた。
恐ろしい程に用意周到な策。
それを彼は僕らにすら気づかれずに張っていた。
「僕ならばここを攻めます」と、あの時の彼の言葉が静かに僕の頭で繰り返し回り続ける。
何故か今の僕には、目の前に迫っているコペランディ王国やラジヤ帝国、更には一瞬で敵兵を掃討した八番隊の騎士達より何よりも
あの若き策士の第一王子こそ、何よりも敵に回してはいけない気がした。
231