223.非道王女は明日に備える。
「ありがとう、二人とも。」
自分の部屋へと視界が変わり、御礼を伝えるとそっとステイルが手を離してくれた。
「いえ、無事国王も健在になられて何よりです。これで四日後の防衛戦は間違いないでしょう。」
ステイルがにっこりと笑みを返してくれて、私もそれに頷く。ランス国王も凄く元気そうだったし、本当に明日にもチャイネンシス王国に行ってくれそうだ。ふと、返事が無いアーサーを見るとフードを深く被ったまま固まっていた。どうしたのだろう、流石にもう疲れたのだろうか。
ステイルも気付き「おい、どうした」と少し乱暴にアーサーのフードを取り去った。無抵抗にフードを外され、やっとアーサーの顔が露わになった。けど…
見事に顔面蒼白だった。
更には額から凄い量の汗が溢れ、唇があわあわと震えている。まさか体調でも崩したのかと思えば、アーサーは「これ…」とガクガクと震える手で私達にセドリックから受け取った指輪を見せた。
「こんな上等な物…どうすりゃァ良いんすか…⁉︎」
そう言っている間にも完全にアーサーは動揺を隠し切れないように目の焦点が合っていないようだった。アーサーのその動揺する姿が面白くて、思わず笑ってしまう。ステイルも可笑しそうに口元を引き上げながらアーサーの震える手のひらで踊る二つの指輪を見やった。
「確かにかなりの品だな。流石は金脈の地で名高いサーシス王国の第二王子だ。」
ステイルの言葉に余計アーサーの手が固まったまま震える。私やステイルは高級な装飾は見慣れているけれど、それでも思わず息を飲む程の一品だ。一見シンプルな金色の指輪だけど、よく見ればローウェル王家の紋章を始めとした職人技の細工や彫り物が至る所にあしらわれている。流石ナルシスト王子のセドリック。身体中に身につけている装飾全てがが宝物レベルなのだろう。そして、その内の二つ。黄金細工に限定すれば私やティアラの品より高価かもしれない。…今のアーサーにはとても言えないけれど。
「貰っておけば良い。セドリック第二王子も感謝の気持ちと言っていただろう。」
「ッ重ぇよ‼︎」
ステイルの言葉に対し、前のめりにアーサーが声を荒げる。振動で落とさないようにぎゅっ、と指輪を握ったけどその間も手がビクビクと震えていた。
「嫌なら売るか?かなりの値がつくぞ。あのサーシス王国の品だ。出所は速攻でバレるだろうが。」
「人から貰ったモンを売れる訳ねぇだろォが‼︎」
流石アーサー、至極もっともだ。本気でどうすれば良いかわからないらしい。男性は特にこういうアクセサリーの使い道は大変だろう。しかもアーサーは騎士だ。普段指輪など絶対嵌めない。
「そんなに気が引けるならセドリック王子の要望通りにサーシス王国の騎士になるか?言っておくがお前の価値はその比では」
「えっ。駄目よ、アーサーは私の騎士だもの。」
そんな簡単にサーシス王国に転職されたら困る。
特殊能力がなくても、アーサーがいたから切り抜けられたピンチや助けられたことは沢山ある。何より私やティアラ、そしてステイルにとっても大事な人だ。ステイルの特殊能力があれば頻繁に会えるかもしれないけれど、流石にそれでも馬車で十日以上の地は遠すぎる。給料に不満があるならちゃんと私からもジルベール宰相や父上に相談するのに。
そう思って口に出してから、ステイルの冗談にうっかり本気で口を挟んでしまったことに気づいた。
アーサーもいきなり話に入ってこられたのに驚いたのか、ピタッと震えごと動きが止まっていた。ステイルが私とアーサーを見比べて何やら笑っている。
…しまった、談笑の空気を完全に壊してしまった。
「あっ…いや、ごめんなさい、つい。」
急いで二人の会話に入ってしまったことを謝る。でもアーサーから返事はなく、何故か無言で折角外したフードをまた被ってしまった。そんなに怒ってしまったのだろうか。
ステイルだけが楽しそうにフードの中のアーサーを覗き込みながら「…だ、そうだ。どうだ、感想は?」と悪い笑みを浮かべている。どうしよう、冗談の通じない王女だと思われてしまったら。
アーサーが被ったフードを押さえながら未だに無言で沈黙を貫く。まさかそこまで怒らせると思わなかった。どうしようかとアワアワしながら、恐る恐るアーサーの肩に手を伸ばす。ちょん、と指先でその肩に触れた途端
崩れるようにその場に座り込んでしまった。
「えっ⁈あっ…アーサー⁈」
そんな触られたくもないくらい怒ったの⁈
思わず一歩引いてアーサーに声を掛ける。ステイルが耐え切れないように口を押さえて笑い出した。
アーサーが俯いたままフードを口元すら見えないほど限界まで引っ張って固まっている。
「ごっ、ごめんなさい、そんなに気を悪くさせるとは思わなくてっ…。」
「〜〜っ…いや、違います‼︎これはっ…。」
今度はアーサーが私の言葉を打ち消すように声を上げてくれた。
「…〜っ……う…嬉しかった…だけなんで…。」
ぼそっ、と呟いたアーサーに私は首を捻る。何が嬉しかったのだろう。もしかしてステイルがアーサーに「お前の価値はその比ではない」と言おうとしてくれたことだろうか。確かにあんな高級品の指輪よりもと言われたら嬉しいし、照れるのもわかる。でも、実際アーサーの価値は能力抜いて騎士としても人としても私達にとって遥かに上だ。相変わらず謙虚だなと思う。
アーサーが怒ってないことにほっとして、取り敢えず話題を戻そうと「それでアーサー、その指輪は取り敢えず貰って置いたらどうかしら」と言ってみるとフードを引っ張ったまま何度も強く頷いてくれた。
「いやっ…もう、指輪より遥かに良いもん貰ったんで…大丈夫です、…はい。……すげぇ、大事にしますっ…。」
これ見る度に思い出します…!と、指輪を握ったままグーにした手を軽く上げて答えてくれる。そんなにセドリックに御礼を言われたのが嬉しかったのだろうか。まぁ一応サーシス王国の第二王子だし、気持ちはわかる。とにかく、「大丈夫」と言うからには何とか指輪を受け取る気にはなれたらしいので良かった。
そろそろ明日に備えましょうか、と未だに笑いで肩を震わせているステイルが切り出してくれる。私もそれに頷き、二人に今日のお礼を重ねた。
フラフラとステイルに言われて立ち上がったアーサーが、最後私に挨拶する為にフードを外したら顔が茹で蛸のように真っ赤だった。あんなに深くフードを被っていたから暑かったのだろう。
そのままアーサーと挨拶を交わした後、ステイルの瞬間移動でアーサーが目の前から消失した。アーサーが消え、ステイルと私だけが残った後「では、俺も失礼します」とステイルが私に挨拶してくれる。私はそれを
引き止める。
「あっ…ちょっと待ってステイル。」
私が声を掛けるとステイルは目をぱちりと丸くして動きを止めた。どうしましたか、と尋ねられ、逆にそう言われると何だか恥ずかしくなる。それでも、もう引き止めてしまったのだしと思い、そのままステイルに駆け寄り、思い切ってステイルに抱きついた。
「…っ⁈ぷ…プライド⁈」
「ごめんなさい、ちょっとだけこうさせて。」
色々なことがあり過ぎて、しかもこれから戦争が待っている。自分でも頭がぐるぐるしてきて仕方なかった。この数日間があまりにも瞬く間過ぎて。二人が来てくれるまでも、ずっと頭に色々なことが巡ってしまった。
でも…アーサーが、ステイルが来てくれた途端にすごくほっとした。
ちゃんと傍にいると、…そう言ってくれた二人が。
セドリックの所に行くのにも、ランス国王の病を目の当たりにするのにも、二人がいればきっと王女として毅然としていられると思えた。
明日には、国を出ないといけない。戦に身を投じるその為に。だから
「今だけ少し、…甘えさせて。」
明日から、また第一王女として立っていられるように。
そう思って私よりも背の高いステイルの肩に額を埋めると、そっとステイルが私の背中に手を回してくれた。それが嬉しくて、ステイルを抱き締める腕に力を込めると、強過ぎたのかステイルの肩が僅かに震えた。…でも、その後に私の背中に添える手も強めてくれた。まるで弟というより兄のようなステイルの強くて優しい温かさが、すごく安心させてくれた。
暫く経って、ゆっくり腕の力を緩めるとステイルも合わせるように私の背中に回す手を放していった。肩からも顔を離し、間近にいるステイルの顔を覗き込むとやはり私の腕の力が苦しかったのか顔を真っ赤にして私を見つめ返してくれた。
「ありがとうステイル、元気が出たわ。」
流石に男の子に対して、女子の腕で圧迫されて息苦しいのを我慢していたのねなんて指摘することもできず、代わりに感謝を込めて笑顔で返すと、ステイルが一歩引いて口元を手の甲で隠してしまった。
そのまま私から目を逸らすと「聞いても…良いでしょうか…?」と眼鏡の縁を押さえつけながら問い掛けてきた。答えれば、やっとこっちに目を向けてくれる。
「何故っ…俺に、……突然。」
アーサーやティアラではなく。そう小さくステイルに続けられ、少し照れ臭くなって指先で無意識に頬を掻く。確かにティアラだって私の妹だし、アーサーだって傍にいてくれると言ってくれた。ただ…
「ステイルは、…私の一番最低に格好悪くて情けないところを知ってくれてるから。」
一年前、レオンの弟達を憎んで、泣いてしまった私を受け止めてくれたステイルだから。こんな弱い今の私も受け止めてくれると思えた。
そう思って思わず笑ってしまうと、気のせいかステイルの顔が更に赤くなった。もしかして、そんなことで突然断りなく甘えてきた姉に怒っているのだろうか。でも「一回ぎゅっとさせて!」なんてそっちの方が恥ずかしくてとても言えなかった。
「本当に突然ごめんなさい、もう次からは控えるから。今日はちょっと元気が貰いたくて」
「良いです、…控えなくて。」
慌てて謝る私に、突然ステイルが打ち消すように言葉を重ねてくれる。
驚いて、打ち消されたまま言葉を止めるとステイルが真っ赤な顔と逸らした視線をそのままに、自分でも言ったことに驚いたように少し目を見開いていた。
それでも、私が言葉の続きを待つと頭の中を整理しながら辿々しく繋げてくれた。
「俺っ…は、…プライドに頼って貰えるのは嬉しく思います。だから、その、…………プライドさえ良ければ、いつでも…。」
何故か最後の方は小さく消え入りそうな声だった。ギリギリ聞こえたけれど、ステイルも聞こえたのか自信がなかったのか、チラリと一瞬私を見てくれ、そしてすぐ逸らしてしまった。でも、その優しさが凄く嬉しい。
「ありがとう、ステイル。……!あ。ステイルも、いつでも甘えてくれて良いからね?」
聞こえたことと、そして姉としてもしっかりと頼って欲しいとそう伝えれば、また小さく「いえ俺はっ…」と少し濁した後にすぐ止まり、最後には口元を隠したまま無言で頷いてくれた。
「…やっぱり、ずるいな…。」
え?と何やら小さく呟いたステイルに聞き返すと「なんでもありません」と早口で切られてしまった。気を取り直したように未だ若干火照った顔で「では、俺もこれで失礼します」とやっと私に向き直ってくれると、礼儀正しく挨拶をして今度こそ瞬間移動で消えてしまう。
最後にステイルを見送った後、私も灯を消して服もそのままにベッドに潜り込む。なんだか今日は色々あって疲れてしまった。気が抜けた途端に身体が重く感じる。服については明日ロッテとマリーに怒られよう。
明日になれば私は騎士団やジルベール宰相、ステイル、アーサー、そしてティアラと共にハナズオ連合王国に向かう。我が国の誇る、先行部隊とともに。
ごろり、と寝返りを打ちながら、ふとさっきのセドリックの姿が思い出された。
兄である国王が目覚め、誰に縋るでもなく一人涙した姿。
そしてアーサーに心からの感謝を伝え、今自分ができる知る限りの誠心誠意を尽くした姿。
…そして時々見せた俺様な態度や無礼な振る舞いも、全てが彼の嘘偽りない姿だ。
「………辛かったわね。」
ゲームのセドリックを思い出し、思わず言葉が漏れた。目の前に居ない、遠き国にいる彼へ投げかけてしまう。
ゲームで自国を人質にとられ、プライドに都合良く利用されて人を信じられなくなった彼が唯一素直に語り掛けられた相手は、発狂しベッドで眠り続ける兄へだけだった。
ゲーム開始時、彼はあくまでサーシス王国の〝第二王子〟だった。
彼は、ずっと国王である兄の乱心を民や他国に隠し続けて〝代理〟として振る舞い続けてきたのだから。
いつか、兄が目を覚ますその日を信じて。
兄想いの優しい王子様。
大丈夫、兄弟揃って笑い合える日はきっと来る。
…ゲームのように、ヨアン国王が欠けることなど許さない。