217.義弟は観察する。
視界が変われば、そこは初めて目にする風景だった。
ハナズオ連合王国 サーシス。
煉瓦造りの小さな家ばかりが軒並み並ぶ。色合いなどは微妙に異なるが、全て同じ造りの家が建ち並んでいた。王都に瞬間移動した筈だが、まるで田舎町のようなのどかな風景に思わず拍子抜けしてしまう。金脈の地と聞いていた上、セドリック王子の豪奢な装飾品の数々からどれ程煌びやかな都かと思ったが、全く想像の真逆だった。むしろ、自分の幼い頃の家の記憶と少し重なり妙に懐かしさが込み上げた。
「…こんなに、簡単に…。」
セドリック王子が信じられないといった表情で目の前の光景に絶句する。
俺がそっとセドリック王子に触れた手を緩めると、気づく様子もなく街の光景を凝視したまま口をあんぐりと開けていた。
「セドリック第二王子、少しお下がり下さい。」
カラム隊長が礼をし、そのまま騎士達が合図のままに俺とセドリック王子、そして侍女達を取り囲むようにして護衛の形態を作る。今は人影のない道の外れだが、大通りに出ればフリージア王国の騎士やセドリック王子は目立つだろう。万が一の奇襲の為にもしっかりと護衛形態を保持しなければならない。
セドリック王子と俺を中心に、そして引率をセドリック王子の護衛が担うように前へと進む。見上げれば城はすぐそこのようだ。これならば目立ったところで、足止めを食わずに済む。「行きましょう」と声をかけ、俺達の歩幅に合わせて騎士達が一つの塊となって動き出す。
大通りに出た途端、見慣れない騎士団服に響めきが起こった。
「⁈なんだあれはっ…!」
「まさかまたコペランディ王国か⁈」
「逃げろ‼︎子どもを家に隠せ‼︎」
誰もが口々に叫び、避け、怯えて道を開ける。かなりの緊張状態であることがよくわかる。その内、石でも投げてきそうな空気が肌に伝わってきた。これは…と俺がセドリック王子に声を掛けようとした瞬間だった。
「静まれッ‼︎」
ビリリッ、と今まで聞いたことのない覇気のある声が真横から響いてきた。セドリック王子の呼びかけに一気にその場の民からざわめきが消えた。
「この者達は我が国、ハナズオ連合王国の味方だ!それは俺様が保証してやる‼︎」
騎士団に囲まれた状態から、少し自分の姿が民に見えるように一歩前に出る。堂々としたその佇まいと覇気に、この男が第二王子であることを今更ながらに思い出す。
セドリック王子が顔を上げ、声を発する。それだけで、先程の響めきが嘘のように歓声と甲高い悲鳴が上がった。
「セドリック第二王子殿下‼︎」
「セドリック様‼︎いつの間に城下に⁈」
「セドリック第二王子殿下!その者達は一体…⁉︎」
「キャアアッ‼︎セドリック様セドリック様が!」
…偉い人気ぶりだ。
正直、この数日間のこの男の醜態を知ると何故人気なのか疑問に思わざるを得ないが、その声を聞くだけでも誰もが興奮状態になっているのがよくわかる。更には、女性の中には「手を振って下さい‼︎」「笑って下さい‼︎」と、何やらリクエストを投げる者まで現れている。だが、セドリック王子は神妙な面持ちのままに再び騎士達の影に下がると、じっと南方へと向かう足のまま視線を城から外そうとはしなかった。まるで、逸まる気を、速めたい足を必死に抑えるようにも感じた。
最南の城前まで辿り着けば、今度は門兵がセドリック王子の姿に目を剥いた。「セドリック第二王子殿下…‼︎」と唇を震わせ、慄いた。
「城の者に急ぎ伝えてくれ。セドリック・シルバ・ローウェルが今帰ったと。」
静かに、声色を抑えるように放つ言葉に衛兵の一人が急ぎ城内に駆け込んだ。そのまま俺達もセドリック王子に連れられるようにして入城を果たした。
……
「セドリック様…‼︎」
城の中に通され、客間まで辿り着くよりも先に俺達を迎えたのはこの国の摂政と宰相だった。俺達の姿に目を丸くしながらも、セドリック王子に駆け寄り、心から安堵した表情でセドリック王子を迎えた。
「…すまなかった、よくこんな時にも国を支えてくれた。…それで、兄貴の様子は。」
片腕でそれぞれ摂政を、そして宰相を順々に抱き締めたセドリック王子は彼らを労うように肩に手を置いた。そして最後は低く声色を落とす。「それがっ…」と言葉を濁す摂政に、宰相が小さく俯いた。どうやらまだ国王の体調は戻っていないらしい。そのままセドリック王子が言葉を返すと、顔を少し上げた摂政が「その者達は…?」とやっと俺達の姿を尋ねた。
「フリージア王国の騎士団。そして、第一王子のステイル・ロイヤル・アイビー殿下だ。」
セドリックの紹介に合わせ、俺が一歩前にでる。フリージア王国という名に、その場にいる城の人間誰もが息を飲み、絶句したように口を開けた。
「御紹介に預かりました、ステイル・ロイヤル・アイビーと申します。この度はセドリック第二王子殿下と我が母上…ローザ女王の命により伺いました。我が国はサーシス王国と同盟を結び、チャイネンシス王国を守る為共に戦う所存です。」
笑みを作ってそう言えば、宰相が「まさか本当に…!」と声を漏らし、摂政が「セドリック様が…⁈」と呟いていた。…あまり期待はされていなかったらしい。
「もし、可能であれば今すぐにでも同盟の締結をと考えております。誓約書はこちらが用意しておりますので、あとは場と御許可さえ頂ければ。」
母上もすぐに此方に到着します、と言ってみせれば摂政が衛兵や侍女達に合図を送り、締結の為の場所を用意させ始めた。
摂政はそのままセドリック王子に歩み寄ると「ランス国王の元にっ…」と声を潜めて誘導した。恐らく、病状の国王の元へ一見させる為だろう。
もし国王自身が今の時点で同盟締結をすることが難しいようであれば、第一王位継承者であるセドリック王子が母上と同盟を締結させることになる。…母上の口からそれを伝えられた時に酷く狼狽えていたあの男が、ここまで来て怖気付かなければの話だが。
セドリック王子が俺達に断りをいれ、一度客間へと案内される俺達と分かれた。その途端、セドリック王子達が足早に摂政達と去っていく。
…まだだ。
ふと、過ぎった考えを押し留め、目だけで彼を見送った。無意識に眼鏡の縁を自分で押さえつける。
宰相に案内されるままに俺と騎士達は客間へと向かった。母上をこの場で瞬間移動で迎えに行くべきかとも考えたが、万が一セドリック王子が病床の国王を前に怖気付いて同盟締結を足踏みする場合も考える。その場合は俺が脅してでもセドリック王子を納得させてから母上を呼ばなければならない。
暫く待ってから、静かに客間の扉が開かれた。ノックの音に立ち上がり、迎えればセドリック王子だ。
彼は小さく俯き、その顔は見るからに血の気が引いていた。先程、国王の元に向かった時よりもその瞳の色は更に深く暗く冷え切っていた。
「……国王は、…未だ病の最中でした。」
しん、と静け切った部屋中だからこそ聞こえる程度の声色で、セドリック王子が呟くように放った。そのまま「同盟締結の手続きは難しいでしょう」と力無く続けるセドリック王子には先程の城下の民へ見せた覇気の欠片もなかった。
やはり、怖気付くか。
俺が「心中御察し致します」と返しながら、ですがと。それでも同盟は第二王子の手で進めるべきだと諌めようとした瞬間。
「なので。」
突然、はっきりとしたセドリック王子の声が部屋中に響く。俺の続けようとした言葉を遥かに上回る声量だ。驚きのあまりニ度も瞬きをすれば、俺の顔をしっかりと正面から捉え、彼は顔を上げていた。
「国王代理として、第二王子であるこのセドリック・シルバ・ローウェルが望ませて頂く。どうか、ローザ女王陛下をこの場に御招き願います。…ステイル第一王子殿下。」
そこには、確かに第二王子が立っていた。
はっきりとした物言いはまさに王族そのものだ。更には背筋を真っ直ぐ、強く握られた拳を己が胸に叩きつけて険しくさせたその顔つきには、つい先程の陰り切った姿は微塵も無かった。
何よりも、この俺にすら有無を言わせぬほどにその瞳は
強い意志の焔を灯らせていた。