214.非道王女は呼ばれる。
「…っ。どういう意味でしょうか、女王陛下。」
…鋭く光る瞳が紅蓮に燃えている。怒りと憎しみが、彼の全身から溢れ出すかのようだ。
言葉を疑うように、そして…どこか予想をしていたかのような声色で。一歩女王に向けて足を踏み出すと同時にジャラリと装飾品が強く音を立てた。
「えぇ?何度も言わせないで頂戴。」
面倒そうに彼へ言葉を返す彼女は、玉座で足を組み直しながら再度口を開く。
「サーシス王国を今度我が国の属州にすることにしたわ。…侵攻する、といった方がわかりやすいかしら?」
口元を醜く引き上げながら笑む彼女に、彼の端正な顔が酷く歪んだ。
…セドリック。
これは、確かゲームの…回想シーンの…。
…嗚呼…嫌だ。これから、彼は。
「何故‼︎あれから一年‼︎我が国は貴方の、フリージア王国の要求通り!変わらず我が国の黄金を提供し続けているというのに‼︎」
声を荒げ、歯を剥き出しにして怒る。敵意と殺意を感じた衛兵が彼に武器を構えた。
「私の属州になってもそんなの変わらずできるじゃない。」
まるで、何を下らないことをと言わんばかりに彼女は語る。指先で、己の赤い髪をくるりと弄った。
「別に抵抗しても良いのよ?金脈しか取り柄のない弱小国が勝てればの話だけど。」
ギリッとセドリックが歯を食い縛る。握り拳を震わせ、視線だけで焼き切りそうな眼差しが女王に、…私に、プライドに向けられる。
「我が国の、安全は保障すると。それと引き換えに我が国は閉ざされた門を開き、…ッ噤み、そして無償で黄金をフリージアへ運び続けたのです。」
逸る気持ちを抑え、彼は続ける。低く、唸るような声が地響きのように謁見の間に響く。
「一年前、私を…我が国を陥れた貴方に。」
彼の言葉に、機嫌が良さそうにプライドは口元だけを引き上げた。歪む端正な顔を楽しむようにうっとりと目を輝かせる。
「あれは仕方ないじゃない?私を恨むのは筋違いよ。同盟どころか交流もなかった分際でわざわざ自国の危機を教えてくれた貴方が悪いんだもの。それに…」
肘置きに肘を立たせ、呑気に頬杖をつきながらプライドは笑う。一度言葉を切り、彼の視線を目一杯受けてからニタリ、と嫌な笑いを引攣らせた。
「欲しくなっちゃったんだもの。世界で一番大きな宝石箱が。」
鉱物の国、チャイネンシス王国。
今は無きその国の名を呼ばずに、比喩するプライドにセドリックの全身から殺意のみが溢れ出した。黒い禍々しいその色に、恍惚と女王だけが堪えられずに心からの笑みを続ける。
「でも、そうねぇ…条件を聞くなら見逃してあげても良いわ。」
ニタニタと、女性のそれとは思えない笑みを浮かべプライドは彼を見下ろした。
条件…?と目を見開くセドリックにプライドは勿体ぶるように暫く彼の表情を眺め、そして続ける。
「我が出来損ないの妹、第二王女のティアラは今年で十六歳になるわ。それで、貴方がもしー…」
プライドが、語る。
まるで新しいゲームでも思いついたかのような口振りで。
笑みを崩さないプライドに対し、セドリックの顔がみるみるうちに強張っていく。目を見開き、口を歪めて彼女の言葉に耳を傾ける。
「…それを、この私にやれと…⁈」
何故そのようなことを、とでも言いたげなその表情に満足げに女王の目元が緩んだ。フフッ…と含むような笑みで、プライドはその問いに「だってぇ」と繋げながら嬉々として答える。
「愛した男に裏切られて絶望と憎しみに染まるあの子の死顔が見たいじゃない?」
アハハッ、と今から想像したのか笑い声が彼女の口から零れだした。まるで小さなお楽しみを取っておいた少女のような抑揚で放たれるその声は、若い女性のものとは思えないほどに深みと狂気が滲んでいた。
「いやなら良いわよ?その場合、貴方の国が地図から消えるだけだもの。大したことじゃないわ。」
心からどうでも良いように、…そして何処か反応を弄ぶように堪えない笑いをそのままにして言い捨てる。セドリックが俯き、苦悶の表情に顔を歪めると彼女の口元が更に引き上がり、言葉を放った。
「でも、本当に良いのかしら。たかが一人騙して殺せば、自国が救われるのよ?それに、もう貴方の手はとっくに血塗れじゃない。」
ぐわっ、と彼の目が強く見開かれる。食い縛られた歯が音を立て、ガキィと音を立てた。喉から飛び出しそうな言葉を零さないようにと、震える顎で必死に堪えた。彼の内なる葛藤をまるで花を眺めるかのような眼差しで彼女は優雅に眺め続ける。
セドリックが自ら言葉にするのを敢えて待つように。
数秒の躊躇い後、彼は覚悟を決めたように口を開いた。その目は屈辱と背徳に染まっていた。
「ッ…わかりました。私のこの美貌をもってすれば塔に閉じこもった王女一人を虜にするなど容易いこと。その代わり、どうか我がサーシス王国の安全は保障して頂きたい。」
セドリックが必死に取り繕いながら、苦しそうに告げたその言葉にプライドが待っていましたとばかりにその笑みを広げた。
「なんならついでに貴方の隣国も解放してあげましょうか?」
はっ、と彼の開ききった目が激しく燃えた。俯きかけた顔を上げ、唇を引き絞り、放たれた言葉を確認するように息を飲む。
「それは、本気でしょうか…?」
「ええ、本気よ。」
私の手にかかればそれくらい簡単だもの、と組んだ足をそのままにゆらゆらと揺らし、遊ぶように優雅に笑んだ。だが、そこでセドリックは気がつくように唇を噛み締め、再び険しい表情をプライドに向けた。騙されるものかという確固たる意志がそこにある。
「っ、…ですが、今や元チャイネンシス王国はラジヤ帝国の属州。…例えプライド女王陛下といえども、フリージア王国の一存で解放できるものでは」
「できるわよ。だってラジヤは今、私に逆らえれない理由があるもの。」
はっきりとした声で、彼女は言い切る。優越感に浸ったかのようなその声と表情は、どう考えても嘘や虚言には見えなかった。
…人を信じられなくなった、セドリックの目にすらも。
「私の条件を全て叶えられれば、貴方は自国を守りきり、更には一年前に自身の愚かさ故に救えなかった隣国も取り返せる。…どう?やる気でた⁇」
フフッ、と含み笑いを交えながら笑う。セドリックの瞳の色が戸惑いや期待、疑惑、焦りと次々変えながら身体を震わせていくのをうっとりと眺めている。そして、その色が一つにまとまりかけた瞬間、満を持して彼女は口を開いた。
「でも、私の条件を一つでも満たせなかったその時は。」
ニタァァ…と、静かに彼女の口の両端が不気味に引き上がった。同時に彼の顔から血の気が引くのを確認し、紫色の瞳が歓喜に染まる。
「サーシス王国には次から黄金と一緒に自国の民も〝商品〟として出荷して貰うわ。」
奴隷生産国としてね、と笑う女王にセドリックは汗を滴らせた。恐怖に、じわりじわりと彼の身体が侵食される。狂気の権化のような彼女にセドリックは時間が経ってからやっと目を逸らした。
「…では、ティアラ第二王女との婚約を」
「あら、ただで婚約できるとでも思って?」
セドリックの言葉を搔き消すように、わざとらしくはっきりとした声の張りでプライドは彼を嘲笑った。驚きに目を見張るセドリックを愉快そうに女王は玉座から見下ろした。
「仮にも、この私の妹との婚約よ?簡単に婚約できる訳ないじゃない。」
この私、という言葉を強調させて語る彼女は戸惑いの色を隠せないセドリックを言葉だけで押し潰すように言い放った。「しかし、それでは」と、まず塔の王女を恋に落とすことすら前提として難しくなるではないかと口にしようとするセドリックを、わかっていると言わんばかりに彼女は嘲った。
「そうねぇ…まぁ、考えてあげなくもないわ。それなりの誠意を見せてくれれば。例えばぁ…。」
わざとらしく考え込むような仕草の後、プライドからの条件に身構えるように身体を硬ばらせるセドリックをそのまま目だけで見やり、…笑った。
「私の靴でも舐めてもらおうかしら?」
燃える瞳が、驚愕の一色に染まった。
冗談を言ったのかと疑い、眉を寄せながらも痙攣させるが彼女に訂正する気配はない。むしろ口元の笑みをそのままに組んだ足をまた更に組み直した。女王の絶対的権力と優位な笑みをそのままに顎を上げ、ゆったりとセドリックを見下した。
「今、この場でね。」
ペロリ、と自身の唇を舐め、今すぐにやれと言わんばかりにセドリックの方へと磨かれた靴を突き出した。宝石の装飾も施された、土汚れ一つない靴だ。
だが、そういう問題ではない。
一国の王子に、己が靴を舐めろと命じたのだ。
これ以上ない恥辱と侮辱だ。
直に足ですらないそれは、誓いにもならない。
単なる強者が弱者へ強制する隷属と服従、そして何より相手への辱めの為の行為だ。
爛々と光沢する靴をチラつかせるように足先で揺らし、女王は嗤う。「どうしたの?しないの⁇」と。敢えて軽々しい疑問の声で尋ねた。
屈辱で身震いが止まらないまま、セドリックが一歩一歩拒絶する身体を無理やりに動かすようにプライドの前へと進み出た。
顎を震わせ、歯を噛み砕かんばかりに食いしばる。そしてゆっくりと片膝をつくようにしてプライドの足下へと跪いた。力の入った身体の挙動も足音も厚いカーペットに吸い込まれた。そして震える手で、そっと女王プライドの靴に触れた。
自国を裏切り、自分を裏切り、陥れ、兄の心を壊し、チャイネンシス王国の名と文化を奪い、奴隷生産国に堕とし、自国を人質にとった、悪魔のような女の靴を。
…ああ、嫌だ。
そうだ、ゲームでは確かここはシルエットだけだった筈なのに。
屈辱に顔をこれまで以上なく酷く歪め、表情筋を引攣らせ、それでも、徐々に口を開きプライドの靴に顔を近づけるセドリックが。
自身の誇りも、矜持も尊厳も、全てかなぐり捨てるセドリックが。
誰も信じられずに疑い続け、今この行為が本当に自国やチャイネンシス王国を救うことに繋がるのかすら疑問に思いながら、それでも目の前の唯一の手段に縋るしかないセドリックが。
兄達と、民の為に全てを捨てて、舌を。
…いや。やめて。
美しい金色の髪が、舌より先にプライドの靴をかかった。
こんなことをしても、無駄なのに。
だって、プライドは最初からっ…
ゆっくり、ゆっくりと覚悟を決めたようにセドリックが目を閉じる。まるで、己が心を殺すかのように。
美しい王子が自分に傅き、その足元に下る姿にプライドが興奮で頬を紅潮させ、セドリックに反して見開いた目を輝かせた。
望んでない。
私は彼のこんな、姿見たくはないのに。
セドリック。
誇り高く、兄想いで、…優し過ぎた人。
そうして、セドリックの舌がとうとうプライドの靴に触れー…
……
「…っ…ッッいや‼︎」
パシン、と。腕を振るった瞬間に何かを弾いた。
は、と目を開けて振り向くと専属侍女のロッテが目を丸くして私を見ていた。
「ロッテ…!あ…ご、ごめんなさい!今わたし…」
寝ぼけた頭で慌てて謝罪する。うっかりロッテの手を寝ぼけて弾いてしまったらしい。
「いいえ!大丈夫ですよ、プライド様。何か酷く魘されているようだったので…。…大丈夫ですか?」
嫌な顔ひとつせずに私に向けて笑ってくれるロッテに、ほっとしながらも私は首を捻る。額から首元まで汗で湿らされていた。喉が渇いたみたいでカラカラだ。気付けば胸で必死に息を吸込み吐き出していた。
「ええと…昨日、少し寝付けなくて。変な時間に寝たから夢見が悪かったのかもしれないわ…。」
どんな夢かは覚えていないけど、睡眠時間が少なかったせいで眠りが浅かったのだけは確実だ。
昨夜、セドリックの部屋の前で彼と話した後も暫くは彼の堪え切れない嗚咽が扉越しに聞こえてきた。その度に「大丈夫よ」と伝えたけれど、次第に彼からの返事もなくなり、最後に朝陽が昇ってから近衛兵のジャックと一緒に部屋に戻ったので凄く眠い。
前世では夜更かしし過ぎると必ず新聞配達の音とかしたけれど、こちらでは馬の蹄の音が聞こえてきてしみじみと朝だなぁと実感した。
私は部屋前とはいえ、ジャックが毛布とかクッションとか色々用意してくれて羽織ってたから大丈夫だったけれど、部屋の中にいたセドリックが風邪を引いてないかが心配だ。
眠りが浅いせいか単純に睡眠時間が短いせいか、頭が凄くぐわんぐわんする。
ロッテと並んでマリーまで心配してくれて「昨日は何時頃お休みに?」と聞かれて苦笑いする。本当のことも言える訳なく「どうだったかしら…?」と濁してしまった。その間にも身支度を済まさせてもらい、ぼやける頭でぼんやりと夢を思い出そうとするけどやっぱり思い出せない。
「今朝は女王陛下がお呼びとのことです。」
マリーの落ち着いた声で一気に目が覚める。
そうだ、今日は母上と約束の三日目。
わかったわ、とマリーに返しながら私は一人息を飲む。身支度を頭から爪先まで終えた後、一息ついてから部屋から出るとティアラが扉の前で私を迎えてくれた。
「おはようございます、お姉様。」
眩しい笑顔に私からも笑顔で返す。「おはよう、ティアラ」と言えば嬉しそうに私の手を握ってくれた。同時に、近衛騎士のエリック副隊長とアラン隊長が挨拶をしてくれた。二人にも挨拶を返し、ティアラと一緒に母上のもとへ向かう。昨日は食事以外は室内謹慎で話せなかったし、歩きながらコソコソと内緒話をするようにしてティアラに昨日のことを話す。
侵攻までの期間が早まったこと、チャイネンシス王国とサーシス王国の同盟破棄、ラジヤ帝国と母上との会合、そして私が…
「お姉様が防衛戦に⁈」
その話をした途端、ティアラの目が水晶のように丸くなった。
「ええ、そうなの。大丈夫、ちゃんと騎士団の皆も付いてるから。」
心配しないように私からは笑って見せたけど、ティアラは不安が未だ残るように目を小さく窄めながら私の手を握る力を少し強めた。今までと違って確実に戦場に行く訳だし、心配かけるのも当然だ。
そのまま話題を変えるように、今度はセドリックと早速関わってしまったことを謝ろうとした時だった。
「あ…。」
ティアラが小さく声を漏らした。見れば視線が私達の進行方向先の一点に集中している。私も合わせるように視線を向ければ、セドリックだった。
彼も母上に呼ばれたのか、丁度落ち合ってしまったらしい。彼の背後には城まで連れてきた侍女や衛兵達が並び、それぞれが城に来た時と同じ量の荷物を抱えて彼に続いていた。…どうやら、彼らは今日帰国らしい。
ティアラもセドリックの事情は知ったことだし、少しは心開いてくれるだろうかとも思ったけれど、やはりまだ警戒しているらしい。私を守るようにセドリックと私の間に入って手を真っ直ぐと横に広げていた。…どうしよう、完全にポジションがおかしい。
ヒロインを守るセドリックポジションにティアラがいて、守られるティアラポジションに私がいて、悪役女王の私のポジションにセドリックがいる。セドリックも可愛らしいティアラに威嚇されたのがショックなのか、私達の方に気がつくとハッとしたように目を見開き、そのまま逸らしてしまった。…なんか、ちょっと申し訳ない。
「セドリック。貴方も母上に呼ばれたのね。」
大丈夫よ、とティアラの肩にそっと手を置いて彼に声を掛ける。すると「あ…ああ。」と顔を逸らしながらも少し曇り気味に返事が帰ってきた。まさか本当に風邪でもひいたのだろうか。
そのままティアラに耳打ちでセドリックを色々説得したこと、そしてこの後しようと思っていることも含めてを話したら、驚いたように目をぱちぱちさせた。
「お姉様…。」
茫然と、何か言いたそうに口を開きながら最後には「お話しして下さったのは…嬉しいです」と言って再び私の手を両手で握ってくれた。
「…私は、怒ってます。…けど、……我慢はできます。」
忠告を聞かなかった私に対してか、それともセドリックに対してか。ぷく、と頬を膨らませてそれ以上は何も言わなかった。私に甘えるように手から腕にしがみつき、一緒に謁見の間まで歩いてくれた。そのまま「兄様は朝早くからヴェスト叔父様とご一緒なんですよね?」と明るい口調で話しかけてくれる。
ステイルは、二日前から摂政のヴェスト叔父様と一緒にセドリックの話の裏付けをしてくれていた。
今日も私達より早くからヴェスト叔父様と一緒に母上への報告の最終確認があったらしい。
そうね、と返しながらティアラの手を握り返し。そうしてセドリックと微妙に距離を空けたまま、私達はとうとう大きな扉の前に辿り着いた。