205.非道王女は掴み上げる。
「どういうこと…?」
情報処理が追いつかず、茫然としてしまう。
背後にいるカラム隊長やアーサーも私の様子を気にかけてくれるようで声を掛けてくれたけど、この内容を彼らに言って良いか私も悩む。
彼が言えなかったのも当然だ。どこの文面をとってもハナズオ連合王国の異常事態。まだ同盟を結んでもいない他国にこんなことを言える訳がない。今、こうして私に見せてくれたことすら奇跡だ。特に、国王乱心なんて…表現こそ選んでいるが、つまりは発狂だ。同盟破棄どころか、他国に話せば国王の威信にも関わる。
「もう、…間に合わないっ…!あと六日しかない…‼︎援軍どころか今からアネモネの船を借りれたとしてもっ…侵攻前に帰れるかすらっ…‼︎」
書状には早くサーシス王国に帰って来て欲しいという訴えも添えてあった。乱心した国王に変わり、摂政が急いでセドリックを呼び戻そうとしたのだろう。
手紙の日付が今から十日前。つまり、国王の乱心はセドリックが国を飛び出して二日後。そして更に二日後に同盟破棄。その日に摂政が急いで手紙を出したということになる。
そして九日繰り上げられたのなら、確かにあと六日だ。
更に我が国からハナズオ連合王国まで今から王族用の馬車でも十日はかかる。一番間に合う可能性があるのは隣国のアネモネ王国から船を出してもらうことだ。順風に行けば最短五日で辿り着く。ただし、アネモネ王国からの船の便が出ているかもわからないし、天気や波の状況次第では馬車より日時がかかる可能性もある。それを突然船を出せと言って、最短の五日だなんて相当腕の良い船長や航海士が必要だし、それをすぐ用意できるとも思えない。
でも、それでやっとギリギリだ。だから、彼は今すぐにでも帰ろうとしたのだ。侵略が始まるより一分一秒でも早く、国へ、兄の元へ駆けつけるために。
「俺の、せいだっ…俺が、勝手に…国を出たせいでっ…‼︎」
顔を覆った震える指の間から、涙が溢れる。俯き、嘆くように彼の声が響いた。
違う、彼のせいなんかじゃない。
書状の両端を握り締めたまま、私は口にしたい気持ちをぐっと抑える。
ゲームでも、サーシス王国の国王は確かに発狂…乱心した。でも、それはセドリックが国を飛び出したからなんかじゃない。国王がそうなるのはっ…。
何から何までおかしすぎる。
ゲームの中ではコペランディ王国が侵攻を早めたりなんかしなかった。
更に、チャイネンシス王国がまだサーシス王国と同盟破棄をしていなかったなんて。
母上に彼が昨日訴えた時、何か言いそびれている気がしたけど、これだった。ゲームでは外道女王プライドにチャイネンシス王国が一方的に同盟を破棄したことも言ってたのに‼︎
だめだもう前世の記憶が役立たない
私自身訳がわからなくて、一体何がどうなったのかわからなくなる。
「頼むっ…帰らせてくれっ…!間に合わない…!兄貴の、兄さんと、話をっ…‼︎」
涙のせいで息苦しそうに叫ぶ彼は、必死に私へ訴える。もうセドリック自身もどうすれば良いかわからないのかもしれない。
駄目だ、今はゲームの設定なんかを気にしている場合じゃない。今、こうして目の前で苦しんでる人が現実にいるのだから。
「セドリック、私の話をよく聞いて。話せるだけのことでも母上に話しましょう。貴方が、国とお兄様の為に言いたくない気持ちもよくわかる。でも、これ以上母上に隠し事をしては今度こそ信用問題になる。今は先ず、国の恥よりも国自体を守る事が大切よ。」
「駄目だっ…乱心した兄貴のっ…国王との調印なんて、あり得ないっ…‼︎使者が言っていた…!兄貴はもう、話せる状態ですらないとっ…‼︎」
私の言葉に激しく首を振る彼の目から、涙が飛んだ。彼にとって、受け止められる量を遥かに超えた事態だ。額に尋常でない汗を滴らせ、瞬き一つできず、再び帰国を訴える彼は酷く混乱しているようだった。
それでも、今はそんなこと言ってられない。国王が乱心したのならば、今のサーシス王国の代表は彼なのだから。
「大丈夫、大丈夫よセドリック。」
私はなんとか彼を落ち着かせようと、再び彼の腕を握り締めて言葉を掛ける。ゆっくり、先ずは彼が今の状況を受け止められるように。
「駄目だっ…駄目なんだっ…間に合わない…‼︎俺のせいで、…っっ追い詰めて…しまった…‼︎」
思考が行き止まったように言葉を繰り返す。きっと、今の彼は兄のことで頭がいっぱいなのだろう。自分を責め、自身の頭を抱える手の指が、爪が食い込むように綺麗な金髪をかき乱した。
「セドリック、大丈夫だから。先ずは落ち着いて。きっと、間に合うから。」
身体中を震わせ、背中を丸めた彼は今にも壊れそうだった。
駄目だ、間に合わない、兄貴、俺のせいで、と繰り返し唱え、もう身体が震え以外完全に動かないようだった。
「聞いて。今は先ず母上に相談しましょう。そうすればきっと」
「ッッやめてくれ‼︎‼︎」
再び彼の怒声が響く。泣き過ぎてガラガラの、痛そうな声を混じえて、彼が叫ぶ。
あまりの怒号に思わず蹌踉めき、彼から一歩下がってしまう。
私に向けて見開いた目は涙がとめどなく溢れ、目の中の焔が酷く荒れていた。フーッフーッと獣のような息遣いが私の耳まで聞こえた。歯をギリリッと鳴らし、もう泣き顔を隠そうともせずに正面から私を睨みつけた。
「甘言はよしてくれっ…!もう…駄目なんだっ…!」
パタパタと彼の目の滴が頬から顎を伝い、床に落ちてカーペットに吸い込まれた。更には首元の衣服までをも濡らす。真っ赤な顔から鼻をすすり、嗚咽が喉を鳴らしていた。「わかっているんだ、…もうっ…」と言葉を零し続ける彼は最後に口から強く酸素を吸い上げ、そして咆哮した。
「救えないんだッ…‼︎‼︎」
ボロッ、と彼の涙が更に勢いを増した。
「……さない。」
…想いが、先に口から溢れ出た。
息を荒くして泣く彼に、私はもう一度至近距離まで歩み寄り、彼の両肩を腕を伸ばして鷲掴む。そして
足を引っ掛け、押し倒す。
ドダンッ、と身体が膠着していた彼の身体は、あまりにも簡単にバランスを崩して床へ仰向けに崩れ落ちた。私も彼を床に押し付けるようにして共に倒れ込み、そのまま彼の上に覆いかぶさるようにして伸し掛かる。
突然のことに、彼だけでなく彼の付人達も反応できないようだった。すぐに私を取り抑えようと動いたけど、セドリックが手の合図でそれを留めた。彼の両肩に力を入れながら、丸くした目で私を茫然と見つめる彼を私からも覗き込む。
「諦めるなんて、絶対に許さない。」
自分で思ったよりも低い声が出た。泣いて赤くなっていた彼の顔色が次第に血が引くように薄まった。
「〝救えない〟なんて言わせない。最後の最後まで足掻きなさい。」
許さない、こんなに早く諦めるなんて。
どんなに辛くても、怖くても、彼は立ち上がらなければいけない。
それが、王族の使命なのだから。
「一緒に母上のもとへ行くわよセドリック。私の言う通りに母上に告げなさい。そして、母上の御許可を頂けたその時は。」
彼の両肩から、その胸倉を強く掴み上げる。
「世界で一番貴方を嫌う私が、貴方の味方になってあげる。」
見開いた彼の燃える瞳が、まるで鏡のように私を写した。自分の目が尋常でなく怪しく光っていて、セドリックからあんなに溢れ続けていた涙が止まり、放心したようにひたすら私を見上げていた。 彼の頭が冷えるように、敢えて冷たく突き放すように彼の心臓へ言葉を射し込む。
「貴方が理解するまで何度でも言うわ。まだ間に合う。サーシス王国は勿論、そしてチャイネンシス王国も」
私の言葉を信じられないように、彼が息を飲んだ。崩れ、倒れたままの頭が金色の髪でボサボサと散らばり、乱れている。その中、燃える瞳だけが真っ直ぐと私に向けられる。
最後に私は、一度切った言葉をはっきりと彼に言い聞かすように胸を張って告げた。
「救える。」
次の瞬間。
彼の瞳がまた潤い、再び涙がその頬を濡らした。