195.義弟は行く。
セドリック第二王子が我が国を来訪した日から、三日が経った。
一日目は我が姉君、プライドに無礼な振る舞いを行い、
二日目はプライドへ乱暴な行為を犯した。
そして三日目。当初の予定通りならば帰国する手筈だった今日。
セドリック第二王子は未だ、我が城に滞在をしている。
あろうことかプライドが、セドリック第二王子を引き止めたのだ。
ハナズオ連合王国とコペランディ王国との繋がり。
更にはアラタ王国とラフレシアナ王国の戦準備。
それによって凍結されたサーシス王国との同盟交渉。
それを俺が報告し終えた直後、プライドは急ぎセドリック第二王子の元へと急いだ。
更には本来ならば顔も見たくない筈のセドリック第二王子を多少強引に引き止め、その国の事情を我が母上へ説明するように促したのだ。
だが、セドリック第二王子は未だそれに関しては全く口を開こうとしない。
「…セドリック第二王子は今朝も未だ部屋から出てきていないのかしら。」
朝食を共にした直後、独り言のようなプライドの言葉に俺は周囲の侍女達に目で確認をとる。侍女達からの反応から察するに、やはり部屋から出てきていないらしい。俺が「そのようですね」と返すと、プライドから小さくも深い溜息が漏れた。
「お姉様、本当にセドリック第二王子を引き止めて宜しかったのですか?」
ティアラが小首を傾げながらプライドに問う。俺もそれには強く同意する。プライドはティアラに「ええ…ごめんなさいね、ティアラやステイルにまで心配をかけちゃって」と苦笑いしながら頷いた。俺もティアラも首を振って否定したが、確かにプライドのことが心配ではあった。
昨日、プライドの言葉で帰国を取り止めたセドリック第二王子は、そのままその場に居たジルベールも含めて自国の侍女と衛兵を残して全員を追い出し、部屋に閉じこもってしまった。
更には後からティアラに詳しく聞いた話では、奴はその直前にもプライドに乱暴を働いたという。国ぐるみの疑惑がある上にプライドへの無礼の数々。プライドが国から追い出すのならば未だしも、何故引き止めたのか。
プライドのこのような行動には今までも何度か覚えはある。だが、…あのような人格を疑う王子に対して、まさかと。
どうみてもセドリック第二王子は王族として以前に人としてその人格を疑う振る舞いが目立つ。そのような男を何故。
…いや、それこそ今更か。ジルベールやヴァルにも手を差し伸べたプライドにその問いはもはや愚問だ。
プライドのことだ、恐らくはそういうことなのだと、もう察しはついている。
セドリック第二王子に部屋から追い出された直後も、俺はティアラやジルベールと共にプライドへその真意を尋ねた。プライドはセドリック第二王子に関して予知したことは話してくれたが、その内容は明らかにしてくれなかった。「これはセドリック第二王子の口から言うべきだから」とそう告げた後のプライドは厳しい眼差しでセドリック第二王子の部屋の扉を睨みつけていた。
そして、こうも言っていた。
『明日、彼が落ち着いてから改めて話してみるわ。……絶対にこのまま国へは帰さない。』
そこには今までの時とは違う、手を差し伸べようとする相手への怒りも滲んでいた。あんなにも嫌っていた相手すら見過ごせない己への苛立ちか、正直に語ろうとしないセドリック第二王子への苛立ちか、それともセドリック第二王子の更に奥にいる何者かへの敵意か。…いずれも未だ、確証は無い。
「…ねぇ、……イル。……テイル…?」
だが、またプライドは一人で解決しようとしているのだろうか。一人で抱え込み、そして悩もうというのか。更には選りに選ってあの無礼なセドリック第二王子の為に。やはり、俺からもう一度プライドに問い質すべきか。だが、プライドが己が口から言うべきでないというのならば無理に聞くのは…いや、それではまた一年前の繰り返しだ。しかし、俺は今は殆どプライドと行動を共にできない。そんな俺に打ち明けたとして何が残るのか。それならばいっそせめてアーサーにだけでもと俺からプライドに説得を
「…テイル、…ステイル?…ねぇ、ステイル!大丈夫⁇」
「!…すみません、少し考え事をしていて。」
気がつくとプライドが心配そうに俺の顔を覗きこんでいた。しまった、大分深く考え込み過ぎてしまったらしい。ティアラと手を繋いだプライドは、ちょうどヴェスト叔父様の部屋へと向かう俺と道が分かれるところだった。プライドに体調を心配されたが否定し、俺への用件をもう一度と促す。
「…今日は、午前から近衛騎士でアーサーとエリック副隊長が来てくれるの。」
「はい、俺も存じています。アーサーにどうぞ宜しくお願いします。」
プライドの言葉に頷き、笑む。アーサーや近衛騎士の分担は全て頭に入っている。アーサーが傍にいるなら少なくとも今日一日前半は安心だ。既にアーサーは二度、セドリック第二王子の魔の手からプライドを守っている。
「ええ。だから、セドリック第二王子に話しに行くのもその間にしたいと思って。昨日もアーサーに助けて貰ったし、…アーサーがいてくれると安心だから。」
当然、俺も大賛成だ。いや、むしろそうして欲しい。その方が何かあった時にも安心だし、俺も安心して摂政業務に集中できる。
「…それでね、…その…もし、難しかったら断ってくれて全然良いのだけれど。」
珍しくどこか歯切れの悪いプライドに俺もティアラも首を捻る。少し恥ずかしそうに俺から目を逸らし、指先で頬をかくその仕草が可愛らしいと場違いなことを思ってしまう。
だが、次のプライドの言葉にその思考すら一瞬で水泡に消えた。
「セドリック第二王子のところに話に行くの、…ステイルも、一緒に来てくれないかしら…?」
勿論、休息時間の合間だけでも良いから。そう恥ずかしそうに告げるプライドに頭が真っ白になる。表情が固まるのが自分でもよくわかる。その間も気付かずプライドは言葉を続けた。
「ごめんなさい、こんな弱気なこと言っちゃって。…でも、傍に居てくれたらそれだけですごく心強いから。もし難しいようならその時は」
「行きます。」
プライドが言葉を続けるよりも先に気がつけば言葉を放っていた。プライドが目を丸くしてパチパチと瞬きをしている。だが、それに構わず俺は早口に舌先を滑らせる。
「行きます。ヴェスト叔父様にお願いして何が何でもアーサーがいる間に休息時間を纏めて頂いてきます。プライドはどうかそれまで待っていて下さい。必ず、必ず御迎えにあがりますから。」
自分でも前のめりに言っていることがよくわかる。だが、抑える気はなかった。ただひたすら鼓動が速まるままにプライドに告げる。プライドの隣に並ぶティアラが俺の心を読んだかのように嬉しそうに俺とプライドを見比べていた。
プライドは少しそのまま目を丸くしたままだったが、それが告げ終わるとにっこりと柔らかい笑みを返してくれた。
「ありがとう、ステイル。すごく嬉しいわ。」
その言葉だけで、心臓がドクン、と高鳴った。思わず胸を片手で押さえ、そのままプライドに挨拶を返す。プライドがティアラにも一緒にいてくれるかと聞き、ティアラがそれに快諾すると今度はティアラのその頭を優しく撫でていた。
「それでは、俺は一度これで。区切りがついたらすぐにプライドの部屋に伺います。」
わかったわ、無理はしないでね。とプライドとティアラに見送られ、俺は足早にヴェスト叔父様の元へと向かう。
ー 駄目だ。
わかっている、不謹慎だと。
プライドが俺やアーサー、そしてティアラにも傍に居て欲しいと願うということはそれほどまでに彼女がセドリック第二王子を脅威に感じているということだ。
ー 駄目だ駄目だ駄目だっ…!
足早に歩き続けながら真っ直ぐの廊下の角を曲がるまで必死に進み続ける。
…セドリック第二王子は、プライドに脅威を感じられるほどに様々なことを犯してきたのだ。髪に口付けだけではままならず、唇を奪おうとし、さらにはティアラの話ではプライドに手を出し、木に押しやったという暴挙。プライドが一人では嫌だと怯えるのも当然だ。
ー …っ、落ち着け…!
やっと角を曲がるところで、短く俺は振り向く。大丈夫、もうプライドもティアラも見ていない。
…そうだ、いま俺は怒るべきだ。プライドをそこまで怯えさせたあの男に。プライドにそれほどまでの行いをしたあの第二王子に!
なのに。
「〜〜〜〜っっ…。」
…嬉しい。
角を曲がった時点で壁に寄り掛かり、緩む口元を片手で押さえつけながら息を整える。駄目だ、気が抜けた途端に身体中が熱く火照っているのが嫌なほどよくわかる。きっと鏡を見たら耳まで真っ赤に染め上げられているだろう。
嬉しい。あの、プライドが。俺を、俺自身を自ら必要としてくれた。
今までこの特殊能力の必要性で頼って貰えたことは何度もある。その度に自身の特殊能力があって良かったと思ったし、誇らしくもあった。だが、特に予知をした後のプライドは自分自身だけで全てを解決しようとしていた。俺達に出来る限り迷惑はかけたくない、心配をさせたくないと。一年前はそれでついに遠ざけられてしまったことすらある。
そのプライドが、とうとう特殊能力関係なく〝ステイル〟という俺自身を、頼ってくれた。
姉として、第一王女としての矜持からか恥じらいながら。それでも、俺を頼ってくれた。
ヴェスト叔父様付きとなり、多忙となった俺を常に案じてくれていた。今は城内ならば近衛兵だけでなく近衛騎士も常に二名もいる。アーサーだって今回は一緒だ。なのに。
それでも、俺を求めてくれた…‼︎
俺に迷惑がかかるであろうことも、既にセドリック第二王子程度が相手ならば十分な程の護衛がいることも、わかった上で!それでも、望んでくれた‼︎俺が一緒にいて欲しいと‼︎
駄目だ、嬉し過ぎて口元の緩みが止まらない。このままではヴェスト叔父様にお願いするどころではなくなってしまう。大体不謹慎だ、それほどプライドが怯えさせられたというのに。俺はちゃんと気を引き締め
『傍に居てくれたらそれだけですごく心強いから』
「〜〜っっ‼︎‼︎」
駄目だ、また顔が熱くなってしまった。
口元だけじゃ隠しきれず両手で顔面を覆いその場に座り込む。周囲の侍女や衛兵が気がつき声を掛けてくれるが、大丈夫です。の一言が限界だった。
プライドの、あの恥じらいながらの笑みと、声に。思い出すだけで、愛しさが留まることも知らずに溢れ出してくる。
傍に居るだけで、と。
俺の存在が、心強いと。
一年前から一緒にいることが少なくなり、プライドから遠退いてしまったらと不安に思う時も少なからずあった。
プライドのあの言葉が、俺にとってどれほどのものだったか彼女はきっとわかっていないだろう。
「……………いる。」
傍に、居る。
何度も決意したこの想いを、改めて言葉と共にこの身に刻み込む。
プライドは、セドリック第二王子にもまた慈悲の手を伸ばすのか。
ならばセドリック第二王子とハナズオ連合王国が我が国、もしくは他国に戦火を広げようとするのを引き止めるつもりなのか。
今までの見聞きしたセドリック第二王子から推察するに、例え相手がプライドであろうとも簡単にそれに頷くとは思えない。
俺がセドリック第二王子と顔を合わすのは、次で三度目だ。
奴は一度の警告ではままならず、再びプライドへ愚行を犯した愚者だ。
セドリック・シルバ・ローウェル。
プライドの慈悲がいつまでも続くと思うな。
プライドが伸ばすその手を払い除けるのならば、それも良い。
だがもし、我が国やプライドに危害を加えるつもりであれば…その時は彼女が許そうとも、俺達が許さない。
例えお前達、ハナズオ連合王国が我が国を手中に収めるべく狙っていようとも。
コペランディ王国、アラタ王国、ラフレシアナ王国。
ヴェスト叔父様の推察通り、その三国と同様に例えハナズオ連合王国もまた〝あの大国〟の息がかかっていようと…関係ない。
ラジヤ帝国。
狙われたが最後、その侵略の恐怖で正気を失う者も絶えないという大国。
来るならば、来い。
お前達の銀の皿ならば、この俺がいくらでも磨いてやる。
その、首と共に。