そして夜が更ける。
「ステイルから、…ですか?」
摂政のヴェストが持って来たバスケットを眺めながら問い掛ける。ヴェスト付きの摂政業務を終えたステイルが、去り際にヴェストへ預けたらしい。
「ああ、正確にはプライドとティアラからステイルが預かった品を私が預かった。私がローザにこの後会うことを知っていたからな。」
アルバートが私と並び、興味深そうにバスケットを眺めた。入れ物から考えれば食べ物だろうか。ヴェストが「私とアルバートの分もあるらしい」と中身を一つひとつテーブルに並べて出した。
今日、プライドがティアラ達とジルベールの屋敷を借りてパーティーを行うことは報告を受けていた。その為に朝から城の料理人達に指示をする為に調理場にティアラと篭っていたことも、大量の料理をジルベールの屋敷まで馬車で運ばせた事も許可は降ろしていた。
目の前の不思議な形をしたパンや食べ物にアルバートが首を捻る。私が黙って手に取ると、ヴェストが「プライドが指示して作らせた創作菓子、らしい」と告げた。
ヴェストが念の為の毒味をと、一つパンを取り、千切って口に含んだ。中身は黒色に光り、アルバートが本当に食べて良いものかとヴェストを心配する。でも、一口食べればヴェストが「ほぉ」と声を漏らし、残りを半分ずつ私達に手渡した。
「これは異国の〝餡子〟というものだな。甘みが強い。」
勧められるまま口へ運べば、強く柔らかい甘みが口いっぱいに広がった。私も外交で数回口にしたことがある。…上手く調理されている。
「これをプライドが作らせたのか…。」
一体どこでこのような料理を考えついたのか、とアルバートが驚いたように呟き、他の菓子もとヴェストと手分けし始めた。私は自分だけの分を更に口に運びながら考える。
本当に、プライドが何故こんな様々な菓子を
…作れたのか。
今朝、私は予知をした。
プライドがティアラと調理場で一緒に料理をする姿を。
今回は夢でみたせいで、最初は単なる夢かそれとも予知なのか判断できなかった。まさか王女が…王族が自ら料理をするなど。しかも、それを人に振る舞うなどあり得ない。料理は料理人がするものだし、それ以外の…料理人が作った物以外を食すこと自体が論外だ。でも、夢で見た二人が作っていた菓子の姿と、目の前の菓子は全く同じ姿をしていた。このような不思議な菓子の姿が夢と偶然被るとは思えない。
…八年前から、ある日を境にパッタリと私はプライドの未来を見なくなった。
予知自体はそれ以降も変わらず月に数度見る。ただ、プライドの未来だけは見なくなったのだ。
それが、今朝になって数年ぶりに見た。本当に小さな予知だ。ただ、プライドとティアラが王族の規則を無視して料理をしている、それだけの。そして今、私達は知らずに料理人が作ったものではない素人料理を食べさせられている。
…なのに、咎める気にはなれない。
アルバートが差し出してくれた表面の硬いパンを口へ運ぶ。外の甘さと、中のふわりとした生地に思わず「美味しい…!」と声を漏らしてしまった。アルバートとヴェストの前では、うっかり素が出てしまう。
でも、本当に美味しい。我が娘が作ってくれたものだと思うと…余計に。
君の好きな味だろうとアルバートがもう一つ私に差し出してくれる。受け取り、ヴェストが開けてくれたワインを口に含みながら再びパンを齧る。
甘い、優しい味だ。
…こういうのを〝家族の味〟というのだろうか。
王族には一生縁の無いものだと思っていたのだけれど。
「…本当に。プライドに何が起こったのかしら…?」
衛兵が見ていないからと気が抜けて、片手を額に当てて脱力してしまう。私のこの姿にも慣れたヴェストもアルバートも気にせずにまた一口と菓子を摘んでいる。「確かに見たことのない菓子ばかりだが」「それ以前に何故突然このような菓子を作らせようと思ったのかが疑問だ」と返しながらも、静かに食べる手を止めない。
ヴェストが手早く毒味を全て終えると、口元と手元を布巾で拭った。アルバートは未だに味わうように一つひとつ食べては私に勧めてくれる。
こんな不思議な菓子を作る方法など、王族の勉学には含まれていない。ステイルやティアラも書庫に篭っていた時期はあったらしいけれど、あの書庫にレシピ関連の本など私の覚えにはない。
それだけではない、プライドは変わった。
八年前までは確かにあの子はどうしようもない子だった。今まで私が予知した未来は絶対だった。必ずその時が来れば予知した通りの出来事が起こる。アルバートは未来は不確定で決まったものではないと言ってくれた。
…でも、不確定の〝未来〟もあれば、例えどんなに踠こうとも最後には予知通りの結末を迎える〝未来〟だってあった。
私がそれまで見てきた未来は全て後者だった。
前日までどれほど晴れていようと、大嵐は来る。重役暗殺をその日は免れようとも、また別の日には強い意志のもとにその重役は命を奪われた。
予知は未来を見通す特殊能力。決して未来を御し切る力ではない。…なのに、あの子は変えた。己が未来を、そして己だけではなく…
「レオン王子の未来を、…変えた。」
ぽつり、と呟いてしまった私の言葉に二人が振り向いた。また何かを予知したのかいとアルバートに声を掛けられ、ヴェストが紙に記そうとペンを取り出した。私が首を振り、プライドの話よと返すと二人は同時に息を吐いた。
私自身は、レオン王子の予知は何も見なかった。だが、プライドが私の元へ来て伝えたレオン王子の未来。あの子はそれを、己が手で確かに変えたのだ。
己が経歴の傷よりも、同盟国の…そして我が国の未来を。
我が国の良き王配となり得る彼を、アネモネ王国の良き国王となり得る者としてアネモネへと返還した。
まだたった十六歳のあの子が。
私が十六歳の時なんて、アルバートに出会って、更には予知能力に目覚めて、周りの環境が変わることに戸惑うばかりだったのに。
「婚約解消については、…私の把握不足もあった。」
すまない、とヴェストが私とアルバートに頭を下げる。貴方が謝る事ではないと伝えれば、アルバートも頷いた。
…プライドに、一度くらい母親らしいことをしてあげたかった。
でも、結局は今回もあの子の経歴に傷を与えるだけだった。もう、私は母親としてあの子には本当に何も残せないと思った。でも、あの子はそんなことはないと…そう言ってくれた。
母親としてあの子の力になるどころか、逆に私があの子に救われてしまった。
実の両親にすら抱き締められたこともなかった私が、初めて血の繋がる家族に抱き締められた。
まだ、間に合うのだろうか。
いつか…来るのだろうか。
〝女王〟としてではなく、〝母親〟としてあの子の為に必死になれる。…そんな日が。
今回、八年ぶりに見れたプライドの小さな未来。
ティアラと笑って料理をする、今の優しいプライドの姿。
どうか、変わりませんように。
あの子達の笑顔が、未来永劫変わらなければ良いと…心からそう思う。
「…その為にもちゃんと今度こそ婚約者を見つけないと。」
うっかり溢す私に、アルバートが「プライドの話かい?」と尋ねる。私が菓子を摘みながら頷けば、今度はヴェストが「候補自体は多くいるだろう」と私とアルバートに視線を配った。
「…また政治的理由での婚約ならば、既に多くの国から申し入れが届いている。それに、もし先にプライド自身が特定の相手を望んだ場合は…。」
…特定の相手。
歴代にも己が意思で婚約者を選び、結ばれた女王はいる。私の祖母もそうだったという。
プライドに、そんな相手が現れてくれたらどれ程良いだろう。今のあの子に社交界や、交際の申し入れは後を絶たない。その中であの子が今度こそ本当に運命の相手に出会えたら。
そして、その相手が王配に相応しき人格者であってくれれば。
私が、誕生祭で婚約者としてアルバートに会えたように。
「…あれば良いわね。」
気づけば目を閉じ、笑っていた。
アルバートがそっと私の肩に手を添えてくれる。見上げれば優しい眼差しを私に向けてくれていた。
すると、私達に視線を向けたままのヴェストが二回ほど小さく咳払いをした。
「…。…ステイルは摂政としても優秀だ。何より姉妹想いで、賢くて覚えも早い。」
…何故、突然ステイルの話になるのだろうか。
ヴェストは三カ月程前からステイルを付けて摂政業務の手解きをしている。その間、ステイルの物覚えや飲み込みの良さはヴェストから聞いてはいた。
私とアルバートが突然の話題に「そうね」「知っている」と答えると、今度は小さな溜息を吐かれた。
「…そうか。君達にはプライドもステイルもティアラも、可愛い娘息子でしかないのか。」
アルバート、お前もか。と呟きながらヴェストが首を横に振る。アルバートの方を振り向けば「勿論、優秀な第一、第二王女と第一王子でもある」と返しながら、やはりわからないように首を捻っていた。
「ステイルが十七歳になるまで、あと二年だ。」
…十七。ヴェストの言葉にふと考える。男性が成人として、結婚を許される年だ。といっても男性は自分より若い女性を妻とすることが多い為、十七で婚姻をすることは殆ど無い。アルバートも私と婚約したのは十九の時。ヴェストも二十の時だった。
私が「三人とも素敵な婚約者が見つかると良いわね。」と返すと、ヴェストから再び低い溜息が漏れた。
「…プライドとティアラは、間違いなくお前達の子だな。」
指先を額に当てながら言うヴェストは、何やら考え込むようにそのまま唸った。
摂政としての公務に加え、王女二人の婚約者探しにステイルに摂政業務の手解きと彼も疲労が蓄積しているのかもしれない。
アルバートがもう休むかと声を掛けると、ヴェストが少し乱れた髪を手櫛で整えながら頷いた。
ふと、まだ私だけ食べ終えていない菓子に気づき、再び口に運ぶ。
「…美味しい。」
何度食べても、そう思う。予知でみた、プライドとティアラの笑顔が頭に浮かぶ。
食べて無くなってしまうのが勿体ない。…でも、食べないのはもっと惜しいから。
「………ありがとう。」
ヴェストを見送るアルバートに聞こえないように口の中だけで呟いた。
一口ひとくち、味わいながらゆっくり食べる。
娘の作った料理を食べた女王なんて、私くらいかもしれない。
この幸せを胸に秘め、私は口に広がる甘さにその身を委ねた。
……
「こ〜んばんわっ。」
男は、突然現れた。
落ちた旧家とはいえ、元貴族。それなりに立派な家に住み、家族に見放された後も使用人を雇い一人で住み、ある程度の警備もされたその屋敷に。
男は、月夜に現れた。
「う…わぁ〜…ボロッボロじゃん、この家。ついでのアンタもボ〜ロボロ。」
可笑しそうに笑いながら、男は怯える老人を指差した。けらけらとせせら嗤い、老人の寝る筈だったベッドに土足で上がり、足を組む。
「でも、そのまぁまぁイッちゃってる感じはギリッギリ及第点かな〜。」
何を、貴様何者だ、そこから降りろと何度も力の限り声を張り上げ怒鳴っても、男はニヤニヤと笑ったまま動かない。
「感謝しろよ?忍び込むのも結構疲れたんだからさぁ。」
もう二度と門以外からは入らねぇ、と愚痴りながら男は足を組み直す。
「なぁ、アンタさぁ…ポックリ逝く前にすげぇイイ思いしたくね?」
引き攣る笑みをそのままに、男は老人を見下ろす。
絶対に自分の話に乗ると、その確信を包み隠すこともなく。