94.惨酷王女は別行動をする。
「さて、と…馬車で移動時間も大したことはありませんでしたし、これで遅くても今夜には騎士隊が来てくれるでしょう。」
そう言いながら手足が自由になったステイルが私が放り込まれた布袋の紐を緩めてくれる。ぶはっ、と顔を出して作戦通り進んでいることに御満悦なステイルにお礼を伝える。
ステイルは笑顔で私に返してくれるとそのままゆっくりと、鎖に縛られているヴァルに近づいた。
「おい、いい加減に起きろ。さっさとケメトとセフェクを助けるぞ。」
そう言いながら十歳の小さな手でヴァルの顔をペチペチと叩いた。ヴァルが少し呻き、眉間の皺をビクビクと動かすと、やれやれといった様子でヴァルを縛り上げている鎖に触れ、瞬間移動で消失させた。ヴァルは身体が突然締め付けから解放され、ゆっくりと目を開ける。「ここは…?」とまだ少し朦朧としている様子だ。
「お望みの敵本拠地だ。作戦でも伝えた通り、この後は俺と一緒に行動して貰う。先ずはケメトとセフェクが捕まっているであろう〝上級〟から囚われている人間を解放していく。前科の知識を捻り出せ。」
姉君の次に王族の俺の指示もお前は抗えないことはわかっているな?とステイルに一瞥され、無言で頷く。
〝上級〟…主に特殊能力者のことだ。ヴァル曰く、人身売買では売られる人間にもランクがあるらしく、もともと特殊能力を秘めている可能性がある我が国の民は例外なく中級以上の価値があるらしいが、特殊能力者であることが確定している人間は〝上級〟、そして希少価値や優秀な特殊能力者は〝特上〟に分類され、檻に入れる時点で分けられておくことが殆どらしい。
…分類分け自体が腹立たしいことこの上ないが。
「では、姉君。俺は行ってきます。どうかアーサーからは絶対に離れないようにして下さい。…何かあれば、必ず合図を。」
ステイルからの声に私は頷き「気をつけて」と伝える。そのまま布袋へ再び顔を引っ込めてステイルに元どおり袋の口を縛ってもらった。これから私達とステイル、ヴァルは別行動になる。十歳の身体のまま、ステイルはヴァルを連れてそのまま馬車から出て行った。
「特殊能力者の年齢を促進減退させても特殊能力の成長に変化は無し…と。嬉しい誤算でしたね。」
ジルベール宰相の楽しそうな声が聞こえる。ステイルは、ジルベール宰相に年齢を減退させられても尚、問題なく十四歳時点での可能な重量を瞬間移動させることができた。ジルベール宰相もその事は昨日の作戦会議中にステイルへ試して初めて知ったらしい。何でも他者への年齢操作自体が極秘だった為、殆ど人に施したことは無かったらしい。でも、そういえば二年前にステイルが年齢操作で大きくなった時も当時の限界荷重以上は運べなかった。寿命や知識や思考、特殊能力なども変わらず、本当に年齢操作で操れるのはあくまで身体の年齢だけらしい。
「さて…と。では我々は暫くのんびりとさせて頂きましょうか。馬車の中身に気づいて頂けるまで。」
そのままジルベール宰相の気楽な声とゴロリと転がる音が聞こえた。また、さっきと同じように気を失った振りを再開させたのだろう。はい、という言葉と同時にアーサーもまた同じように気を失っている振りを始めたのだろう。ごろっと私の傍に転がる音が聞こえた。
私もそれに倣い、布袋の中で小さくなって転がった。
ステイルとヴァル。二人の、無事を願いながら。
……
…訳がわからねぇ…。
ヴァルは、静かにそう思う。
状況は、今朝に宰相と王子が説明した作戦通りに進んでいる。
馬車がたどり着いたのは宰相が言っていた通りの岩場だった。すぐそこは断崖もあり、軽く顔を覗かせたが底が暗くて見えなくなっていた。崖上でなくここが崖下だったら、岩でも落として一網打尽にできたものをと少し思う。大岩や洞穴がひしめき合い、馬車から出た時には他の連中はもう奥に引っ込んだのか、人影もなく閑散としていた。
馬車が止められた場所から推測して、すぐ傍の歪な形をした洞穴が商品の置き場だろうと考えて、隣にいるガキに伝える。上級もそこかと聞かれ、まずは等級を確認する為に一旦全員置き場で確かめたり尋問して、そのまま奥の檻に分別されるもんだと伝えれば黙って頷いた。
この国の第一王子が、だ。
王子に命じられるままに俺が先導を切り、洞穴に足を進める。入り口から数歩入った所に一人、見張りがいた。銃を抱え、商品が来ないのを訝しんでいるのか目線をウロウロと彷徨わせている。どうする、と王子に俺は声を潜めて投げかける。
隷属の契約で誰にも危害を加えられない俺だが、王女の許可を得たコイツの命令を受ければ一時的にそれも許される。…だが、俺の特殊能力はただの土壁だ。瓦礫さえあればそれで壁を作ったり、自分自身の範囲なら完全に囲むことはできるがそれだけだ。離れた相手を土壁で閉じ込めたり、攻撃できるほどに優れてはいない。四年間の瓦礫運びで力はついたが、それを人間相手に振るえたことはない上にもともと腕っ節は以前組んでいた連中の中でもからっきしだった。ナイフでもありゃあぶん投げてやるが…。そこまで考えた時だった。
俺の背後にいた筈の王子が俺の目先にいる見張りの背後に突然現れ、そのまま首を捻り上げて意識を奪った。ゴキッという鈍い音がここまで届く。
ハァ⁈と思わず言葉が漏れ、振り返るがやはり俺の背後に王子は居ない。目の前で大人一人の意識を奪ったガキがその王子だ。
「視界に入ればこっちのもんだ。」
背後を取れば訳もない。そう簡単に語る見かけ十歳のガキは「早く来い」と俺を呼び、男の服に触れた。
「今すぐこの男の服を着ろ。口元をちゃんと隠すのを忘れるな。他の連中はともかく、鎖の男達にはお前は顔を知られているんだ。」
王子が特殊能力で男から衣服だけを剥ぎ取り、俺の目の前に瞬間移動させる。命令されるままに男の服を急いで着込むが、その間も平然としている王子を目だけで睨む。「やはり筋力は衰えるか…まぁ、暫くは関節技で凌ぐとするか」と平然と独り言を呟いている。そのまま男が手からこぼした銃を俺へと蹴り飛ばし「俺が撃てと言った時だけ、連中へ攻撃することを許してやる。」と俺へ許可を出す。
なんなんだ、このガキは。
十歳は見かけだけとはいえ、裏稼業の人間でもねぇただの王子だ。それが当然のように銃を持った男を一撃で意識を奪い、テメェは必要無いとばかりに俺に銃を渡す。ふと、頭に四年前の崖の一件を思い出し、姉も姉なら弟もかと考える。そのまま身包みを剥がされた男をまた目の前から瞬間移動で消す王子へ思い出すように「バケモン」と思わず思ったことが口から出た。
すると、王子は俺の方へ振り向き、無表情だった口元をゆっくりと引き上げた。
「言葉に気をつけろ、と言いたいところだが…四年前の姉君と同じ評価だというのならば悪くはないな。」
なんだこの姉弟は。衣服を着込み終わり、口元を隠しながら銃を手に、俺は手の中の武器よりも目の前のガキが末恐ろしく思えた。
…改めて、ケメトもセフェクも普通のガキだったのだと思い知らされる。
本当に、普通の。
「…ッ。」
クソ、まただ。
胸の底が気持ち悪く揺らぎ。心臓が脈打った。
昨夜のあの女の言葉を思い出し、小さく舌打ちをした後、俺は目の前の王子にまた細かく指示を受け、路商品置き場へ進んだ。路はそれなりに広く、周囲の灯りがなくとも洞窟内だけで充分明るいが下り坂になったその路には薄気味悪さすら感じた。
まるで、地獄へ続く路みてぇだと。