88.惨酷王女は足を運ぶ。
夕食後、私達は城の料理人にお願いして一人分の食事を用意してもらった。
そして各自部屋に戻った後、ステイルに特殊能力で迎えに来て貰い、ヴァルのいる部屋へと向かった。
「…!プライド様。」
視界が変わると既にアーサーが部屋に居た。どうやら私達より先にステイルに迎えに来てもらっていたらしい。
私とティアラが彼の名を呼ぼうとするよりも先に、彼は私達を守るようにして片手を広げて立ち塞がった。
「気をつけて下さい。」
そう言われ、アーサーの腕越しにヴァルのいるであろう部屋の向こうを覗き見ると…かなりの惨状だった。
もともと家具は無かったから良いが、暴れた跡だろうか。まるでバットを振ったかのように小さなクレーターが床や壁そこら中に出来上がっている。凄く嫌な予感がして、アーサーの腕を少しだけずらし、ティアラと一緒に思い切って部屋の奥を更に覗き込む。…ヴァルがいた。今は大人しく部屋の隅に座り込んでいるが、その手や足は皮膚がめくれ、所々は鬱血し、血が滲み滴り落ちていた。どう見てもさっき治療を受けた後にはなかった傷だ。部屋中の穴ぼこにされた壁や床にも血の跡が散らばっていた。一体、あれから何時間ここで暴れていたのだろう。家具一式が無くて逆に良かったかもしれない。
「…ぃよォ、今度は王族のガキ共か。殺風景が少しはマシになっただろ。王女サマに自由にしてて良いって言われたんでなァ?」
ニヤリと力無く笑いながら、ヴァルはそのつり上がった目で私達をじとりと睨みつけた。
「…暴れるな、とも命じるべきでした。」
大丈夫、とアーサーにお礼を言い、私はヴァルに歩み寄る。そのまま食事を入れたバスケットを彼の前に置いた。
「食べなさい。ひっくり返すなど粗末にすることは許しません。今日、貴方に怪我治療の特殊能力を施した医者によると今晩安静にすれば治癒がかなり進むと言っていました。…その様子では全く休めてはいないようですが。」
そのまま「もうこの時間帯ならば周囲に人もいないので騒がしくしても構いません。」と命じ、バスケットの蓋を開ければヴァルは私の命令に忌ま忌ましそうに舌打ちをしながらバスケットの中身へ手を伸ばした。ガチャガチャと食器を乱暴に鳴らす音が響き、ふとヴァルが気がついたようにバスケットの中から何かを掴み取り
食事用のナイフを思い切り私へ振り投げた。
「ップライド様‼︎」
同時にアーサーの声が響いた。響至近距離で、しかも一瞬の不意打ちだったせいで反応できなかった。ナイフは空気だけが私の耳を擦り、反応できた時にはカンッという軽い音と共に銀製のナイフの刃先が壁に突き刺さっていた。
コンマ遅れてティアラが悲鳴を上げ、アーサーとステイルが凄まじい形相でこちらに駆け出してこようとする。私が大丈夫と叫ぶと止まってくれたが、二人共背中越しでもわかるほどにヴァルへ殺気を飛ばしていた。その様子を見てヴァルが楽しそうにニヤニヤとした薄笑いを浮かべている。
「わりぃわりぃ、虫が見えたんでね。」
私を試すように下卑た笑いを向け、顎でナイフを投げた先を指す。振り返ってよく見れば窓から入ったのか中ぐらいの蜘蛛がナイフに刺されて絶命していた。
「…良い腕ですね。」
「王女サマとの契約後は宝の持ち腐れだがな。お望みならフォークでも試してみるか?」
下卑た笑いを崩さないまま、バスケットの中から今度はフォークを出して刃先を私に向けた。…大丈夫、さっきのナイフも私には当たらなかった。隷属の契約で彼は人に危害を加えることはできない。強迫だってできないから、こうやってギリギリの問いかけや態度で誤魔化しているだけだ。
「おい、そこの罪人。俺やティアラにも王族としてお前に命令権があることを忘れるな…‼︎」
ステイルが我慢ならないといった表情でヴァルを睨む。アーサーも剣を既に鞘から抜き、許しさえすれば一瞬でヴァルの懐に飛び込みそうだ。
それでもヴァルの笑みは消えない。ひらひらと手を振るような動作をするとフォークを後ろへ放り投げ、バスケットの中の食事を手摑みで頬張り始めた。パンはもちろんのこと、主菜のローストビーフも副菜の野菜も手から直接噛み切り飲み込み、スープもグビグビと喉を鳴らし、咀嚼音を酷く響かせながら食べ散らかし、あっという間に完食した。敢えて動物のように意地汚く貪り、私達に見せつけているような食べ方だった。
食べ終えたヴァルはまたさっきと同じ嫌な笑みを浮かべながら私を見る。
「お上品な王女サマには見るに耐えなかったか?」
口元についた食べ残りを舌で舐めずり、笑う。じゅるり、という嫌な音が部屋に響いた。
…やはり、彼はずっと私達を挑発している。何故そこまで私達に不要なほど喧嘩を売るのかはわからないが、少なくとも今の状況が本人には酷く不満なことだけはひしひしと伝わってきた。
「いくら不快を買おうとしても無駄です。明日まで貴方をここから出すつもりはありません。」
私がはっきりとそう告げると、急激に彼の顔が歪む。舌打ちをし、つり上がった目を更に尖らせてそっぽを向いた。
「罪人へ餌付けの時間は終わりか?ならさっさと帰ってくれ。」
両腕を硬く組み、もう話す気は無いと全身で意思表示する。私は仕方がなく、彼が食べ散らかした食器を拾い始めた。
「ならばあとは大人しく眠ることですね。そうしないと少なくともこの部屋に来るまでの傷が完治しません。子ども達を助ける為にも貴方が先ずは万全の」
「ッ言った筈だ‼︎テメェらの助けは要らねぇと‼︎」
ヴァルが声を荒げ、怒鳴る。
顔だけがこちらを振り向き、牙のような歯を剥き出しにして、鋭い眼を刺すかのように私へ向けてくる。
隷属の契約で、彼は私達に嘘をつく事はできない。つまり、彼の言葉は全て本心だ。
獣の唸り声のように息を吐きながら威嚇され、少し怯む。それでもなんとか持ち直し、彼が散らかし終えた食器を拾い集めてバスケットにしまい、持ち上げた時だった。
「…っ。…あ、貴方は…け…ケメトと、セフェクを…助けたいのではないのですか…?」
ティアラだ。
ティアラが小さな声で細い身体を縮こませながらヴァルに問いかけた。ステイルとティアラの前に立つアーサーの背中から必死に呼びかけている。
「…そうだ。が、テメェらの助けは求めてねぇっつってんだ。」
ジロリ、とティアラを横目で睨みながらヴァルが答える。ステイルが小さくティアラを片手で制し、これ以上前に出ないように押さえている。
「…その子達が、大事なのではないのですか…?」
大事なら何故素直に助けを受けようとしないのか。きっとティアラはそう言いたいのだらう。ビクビクと肩を、そして唇を震わせながらも必死にヴァルを見つめていた。
「アァッ⁈大事なんかじゃねぇよあんなガキ共‼︎」
「えっ…?」
即答するヴァルの言葉に、ティアラは戸惑いを隠せなかった。ヴァルは苛々としたように舌打ちを何度も鳴らし、身体を揺らした。
なら、何故彼らを助けて欲しいのか。ティアラだけではない、私も、ステイルも、アーサーもそれぞれ理解できずに言葉に詰まった。
「…心配じゃ、ないのですか…?」
それでも、ティアラは問う。必死に、彼を理解しようと問いかけ続ける。
「心配じゃねぇッ‼︎適当な言葉で当てはめんじゃねぇ‼︎」
それでも、ヴァルは拒む。
隷属の契約は交わしている。不敬は許したけど、嘘を私は許していない。
彼の言葉は真実だ。
「ならっ…何故、助けたいと思うのですか…?」
「必要だからだ‼︎俺が!楽に生きていくっ…その為に‼︎」
楽に⁇
まさか、ヴァルはその子ども達を利用しているとでもいうのだろうか。自分にとって都合の良い人間だから、隷属の契約で自由が効かない自分の代わりに手足となって動く召使いや、労働力として、彼らを必要だとでもいうのだろうか。
二人も同じ考えなのだろう。ステイルは眉間に皺を深く刻み、穢らわしいものを見るような眼差しを向け、アーサーは怒りからか歯を食いしばり剣を剥き出したまま強く握り締めていた。
ティアラは衝撃を受けたように一歩下がり「そんな…」と涙を浮かべながら小さく呟いた。
「っ…貴方にとって、…ケメトとセフェクは…何なのですか…?」
最後に望みを託すかのように問う。心優しいティアラにとって、身近な人間をそこまで言うヴァルが信じられないのだろう。
そんなティアラを、私に向ける時のような忌々しい眼差しでヴァルが今度こそ振り返り、真っ直ぐに睨む。拳を床に強く突き立て、怒鳴り声を上げた。
「死ぬ程うざってぇガキ共だ‼︎この四年間!こうして思い出すだけでも気分がわりぃ‼︎最初は何度も何度も殺したくなったぐらいだ‼︎」
咆哮のような怒鳴り声が部屋中に響く。
やはり、まだ静かにしろと命じておくべきだった。私がそう思っていると、ヴァルは最後にティアラに向かい、息を荒げた。
「気が済んだならとっとと消えな、王女サマ。恵まれた人間は恵まれた世界で大人しくしてな!虫唾が走る…‼︎」
そのまま最後に「テメェみてぇな甘ちゃんは反吐が出る」と言い捨て、私達に背中を向けて転がった。
…今の台詞、聞いたことがある気がする。
確かゲーム内で数少ないヴァルの出番回だ。城下で逃げ回るティアラを追い、瓦礫で壁を作って立ち塞がるヴァルが「可愛い王女サマには気の毒だが、テメェみたいな甘ちゃんは反吐が出るほど嫌いでね」と笑うシーンだ。…その後攻略対象者が助けに来るけど。ヴァルはゲームの攻略対象者ではないし、ティアラと相性が良くないのだろうかと考えてしまう。でもどの攻略対象者の心にも寄り添って救ってくれるティアラならヴァルにも…。そこまで考えた時、ふと思い出す。そういえばゲームの進行上の都合、ティアラは少しずつ攻略対象者との仲を深めていく流れだった。四年前に一度会ったとかいえ、まだ殆ど初対面だ。多分ヴァルの心に寄り添うのも時間が必要なのだろう。アーサーなんてゲームの中盤から「触るな」発言されても最後には結婚まで進展したのだし、もう少し様子をみれば良いのかもしれない。…残念ながら今はそんな時間が無いのだけれど。
ティアラが一歩前に出てヴァルに近付こうとするが、ステイルとアーサーに止められた。隷属の契約があるとはいえ、今のヴァルにか弱いティアラを近づけたくないのは当然だ。そのままステイルが「姉君もこちらに。」と私にも呼びかけてくれる。もう食事も渡したし、確かに彼にはもう用がない。明日の為にも今日は休むべきだ。
「…私はもう少しここに居ます。ステイル、アーサー。ティアラをお願い。」
それでも、と。私の言葉にヴァルが「ア゛ァ⁈」と振り返って唸り、ステイルとアーサーが戸惑いの声を上げ、ティアラが心配そうに私を呼んだ。
「ティアラ、恐い思いさせてごめんなさいね。大丈夫、ちゃんと私が話すから。」
きっと、もう暫くもすればティアラならきっとヴァルと打ち解けることもできる。ただ、時間が必要なだけだ。私は一度ティアラ達の方まで歩み寄ると可愛い妹の頭を撫で、声を掛けた。今度は私が話すと、その意思を込めて。
人の悲しみに敏感なこの子が、あんなに怖がっていた筈のヴァルに言葉を掛けたのにはきっと理由がある。それに何より…今のヴァルとティアラとの問答が私にはどうにも気になった。
ステイルとアーサーは私とヴァルを二人きりにすることにかなり反対したけれど、隷属の契約で人に危害を加えられないし何より主である私なら安全だと伝えてお願いしたら何とか了承してもらえた。本当は一晩明けてからステイルに迎えにとお願いしたけれど、最終的には二人の猛反対で一時間後にステイルがアーサーと共に迎えに来てくれることになった。ステイルには「アーサーと待機しています、何かあれば合図で呼んでください」と念を押された。…そんなに私は信用ならないだろうか。
ステイルがアーサーとティアラを瞬間移動させる手前、ティアラが震える腕で私を抱きしめてくれた。未だ目に涙を溜めたまま、「何もできなくて…ごめんなさい」と小さな声で呟いた。…それが私への言葉か、それともヴァルに対しての言葉なのかはわからなかった。そんなことないわ、ともう一度頭を撫で、私は目の前から三人が消えるまでずっとティアラへ笑いかけた。
今のヴァルの言葉の真意はまだ、わからない。
ただ、彼は助けを求めていた。二人を助けて欲しいと。
でも、もしも。
もし、彼が本当に子ども二人を都合の良いように利用することしか考えていないのならば。
彼らを助ける前に、ちゃんと私はそれを理解しておかなければならない。
取り返しがつかなくなる、その前に。