四、妖怪か精霊か、それとも神か
先程、少し男が動いた。
一瞬意識を取り戻し、抜け出そうとしていたのだ。
しかし、再びの絶叫。意識を持ってかれたらしい。
わかったのは、生きていること。わからないのは、せん妄状態が解けたかどうか。
(うまいこと、解けてるといいんだけど)
垂れさがった腕に希望を託した。
視線を動かす。
怪物の下、まだそこに杭がある。周囲には祠の破片と、石塁だったものが散らばっていた。
目を細め、よく見る。かすかに残る鈍色。
先端はまだ土の中のようである。
(……ということはあそこから動けない、はず)
動ける範囲は、あの巨体にしては狭いだろう。
体もまだ完全になっていない、足がないのだ。
封印としての機能は、まだわずかにしている。あの杭は凄まじいものだ、と感嘆した。
名のある杭師――ご尊顔を拝みたいものである。何百年前の人であろうと。
(とは言っても、いつまでもつか……)
いつ抜けて暴れ出してもおかしくない。
たとえ立派なものであれど、その効果には限度がある。
抜けかけなら、なおさら。
カバンの道具類を思い浮かべる。
薬草、穴抜けのひも、メモ帳、金、裁縫道具、ピック類――――
封印に使えそうなものはない。
一度帰って、状況を立て直すほかなかった。
(その前に、彼だけはなんとかしなきゃ)
右手を浮かべた。外套の一部はまた、鎌に変化する。
武器をとった右手は、カタカタと震えている。
瞼を閉じて、息を吸う。
目を見開き、駆け出した。
両足の星脈は、一歩踏むたび輝きを放つ。
コソバは、深く対象を観察した。
目の前の怪物は、ただ虚空を見つめている。未完成だからか、元から知性がないのか。
判断しようにも材料が少ない。
(にしても、あれはなんだろう)
走りながら考えた。
人よりも星燐を多く保有し、他者の星燐をどこまで使えるか。それにより、超常的存在は三段階の格付けをされた。
低い順に、妖怪、精霊、神となる。
妖怪は草木まで。 精霊は草木から動物まで。神はそれらすべて――さらには他の神の星燐すら操る。
基本、人間は妖怪以下。他者の星燐を操れるのは、杭師くらいのものである。
杭師も、保有量は並大抵だが、他者の星燐を操れなければ仕事にならないのだ。
いま、目の前にいる巨大な“なにか”。
星燐の量であれば、間違いなく“神”に一番近い。
しかし、本当に神であれば――ここ一体の草木は枯れ、自分も彼も生きてないだろう。
(封印も解けてるだろうし……本当、なんなのあれ)
すると何も宿っていなかった瞳に、縦長の瞳孔が入る。ぐりんと下に向け、コソバを捉えた。
(目が宿った――……)
咆哮をあげ、口内の液体をあちらこちらにばら撒く。
散らばったそれを避ける。べちゃっと地面につくと、生ゴミの腐ったような匂いを放った。
鼻が曲がりそうになる。湧いてくる空虚をなんとか堪え、走り続けた。
凄まじい速さで、黒い棒が飛んでくる。
足に力をこめ、跳ね交わす。
地面の割れるような音が響いた。同時に視界が雪によって奪われる。
するとまた、先ほどとは違う別の棒が、コソバを狙う。
左足が突き刺される既で交わし、それに登って駆けてゆく。
(これ、髪の毛か!器用なことで……!)
あちこちで響く地表を穿つ音。
視界の悪い中、時折伸びてくるそれを避けて登頂した。
化け物の頭部で、宙を舞う。
足下には怪物の頭と、それを覆う舞った雪。太陽に照らされ、鉱石のような輝きを放っていた。
口元を探す。伸びる枝のような二本の筋。
(いた、あそこ――!)
鼻の上に着地する。そのまま鼻筋に沿って駆けてゆく。流石の向こうも、雄叫びをあげた。
耳鳴りがする。顔をしかめ、ふらついた。
構ってなどいられない。
より一層力をこめ、肌を蹴った。妖魔の髪を飛んで交わしぬけ、勢いよく跳ね上がる。
そしてカバンとポンチョを投げ捨てた。
「彼を落とす、捕まえて!」
指示を聞いた相棒は、真っ直ぐ地面へと向かった。
肺胞全てに空気が巡るよう、息を吸う。
持っていた鎌を両手で握りしめ、腕を上げる。
声を上げ、力任せに振り落とした。
刃は人中に突き刺さる。
怪物は雄叫びをあげ、左右に大きく揺れ動いた。振り落とされまいと、鎌を掴んで必死に耐える。
(うまくいってるといいんだ、が――!)
上下に大きく揺さぶられる。片手が滑ってしまう。揺れに合わせ、タイミングよく取っ手を掴んだ。
雄叫びは止まず、耳鳴りも止まない。脂汗が額に浮かぶ。
鎌を引き抜くことができない。かといって、紐状にさせたら待つのは――
(やるしか、ない!)
揺れに合わせ、体を立たせた。
刃が入った間より、ふつふつと気味の悪い音と泡が沸き立っている。
しっかりと鎌を掴み、瞼を下ろす。
両腕に向かって星燐の流れを集中させた。指の先から筋が入り、白く輝きを放つ。
「レンズ!断つよ!」
先端が巨大な斧へと姿を変えた。
漆黒の線が首の上部、スレスレを掠める。
女の命、赤茶の束が切れ落ちた。
擦れた頸にチリ、と嫌な痛みが走る。
腹の底から声を出す。爪の間から血が滲み出す。痛みに視界が歪むも、押す力は緩めない。
肉の繊維を落とす感覚。腐った匂いが、両壁から立ち上る。
――刃は顎を貫いた。口先は落下し、大地が震える。木々はうねり、怒号が響いた。
コソバは宙で腕を広げる。武器は紐に形を変え、凄まじい勢いで引っ張られる。
鼻と瞼をつむり、身を任せる。
光が瞼の裏まで照らした時。コソバは目を開けた。
霧をぬけると、下の方に黒い物体が地を駆けている。レンズはソリのように変形していた。
手元の紐は、それへまっすぐ向かう。そして、奇声を上げるコソバを、しっかりと抱きとめた。
「あり、がと……レンズ……!」
後ろを見る。大きな黒い球体の中で、あの男が眠っていた。
その上では白雪が大きく舞散らされ、津波となってコソバの背を追う。
レンズが抱えたカバンを受け取る。
中を探り、地図と方位磁針を握りしめた。
「この先、大きな岩の後ろに奈落がある。それを避けて、真っ直ぐ降りて行こう」
言葉を聞き届けた相棒は、速度を上げる。
木々の合間を駆け抜けていった。