こだま744号
京都駅の構内は人でごった返していた。
時刻は16時を過ぎており、通学で利用する人であったり、通勤で利用しているような人が一方向へと規則正しく歩いている。かと思えば、地図か携帯端末を片手に辺りを見回して、写真を撮ったりしているような観光客もいて、いかにも観光産業を盛り立てようという思惑に合致しているようである。
が、それに呼応するようなサービスを提供できているようには思えず、駅員は英語であったり中国語に対して苦しそうに日本語を交えて応対している姿が見えた。
「随分と過ごしやすくなったね、すっかり喋りつかれて喉乾いちゃった」
京都駅二階のドーナツ屋で、私の隣に座った友人が言った。
友人は先ほどまで英語での注文に四苦八苦していたドーナツ屋の店員と、外国人観光客の通訳を買って出ており、てきぱきと得意の英語でなんとか観光客の欲しいドーナツやらを注文することが出来た。他にもその英語力を信頼した観光客からいくつか京都の名所について質問され、今の今までずっと話をしていたのであった。
友人の頼んでいたコーラは、すっかりと氷が解けて薄くなっていそうであったし、私が頼んでいたホットコーヒーはすっかりと温くなっていた。
「ここのドーナツ屋、よく来たわねぇ。あなた、ずっとモチモチリングだったかしら」
「それを言うなら君はコーラばっかりだ。時には苦いコーヒーでもどうだい」
「いやだね。私は人生を甘く生きたいから」
そう言うと友人は笑ってコーラを飲む。
人生を甘く生きたいとは言うが、私にはとてもそうは思えなかった。海外で生まれた友人は、大学進学は京都に行きたいと京都にやってきた。仕事もそのまま京都市で見つけ、ずっと働いてきた。すっかりとベテランスタッフとなり、中核社員となったのではあるが、東京へ転職することを思い立ったのだ。
理由としては、やはり東京の方が仕事の働き口が多い事。
これ以上、京都に残る理由と比べて、東京に行くことが勝ったらしい。
「東京の家賃って高いのよ。月に十万よ、ワンルームで」
「緊急連絡先を私にしたんだから、死なないでよね」
私と友人は別に恋愛関係にあるわけではない。
確かに二人きりで旅行に出かけたり、ご飯を食べたり、お互いの家に泊まったりとした事はある。恋愛関係一歩手前というようなものである。だから、今回の東京へ引っ越していくというのが、少しばかり、いや、かなり驚きの事実であったのは間違いない。
かなりの衝撃であった。が、それを引き留めるだけの理由がない。
友人の人生を、私個人の心残りだけで引き留めていいはずがないのだ。
「さて、そろそろ新幹線の時間だ」
私と友人はドーナツ屋を後にして改札口へと向かった。
ゆっくりとした足取りの友人を追いかけるように、私は歩く。
改札口が近付いてきて、私の心臓が早鐘のように脈打つ。
「さて、東京は寒いぞぉ。京都とは大違いだ」
「ま、なんとかなるでしょ」
「去年の誕生日に渡したマフラー、使ってくれよ」
改札口の近く、私と友人はそう言葉を交わす。
正直な気持ちを口にしたことはない。今になって思うと、好きだという気持ちを伝えたことはあっても、東京に行くという事に対して衝撃を受けていることを伝えたことはあっても、行ってほしくないという気持ちを伝えたことはなかった。
今の時代、いくらでも連絡を取る手段はある。今生の別れというわけではない。
自分に言い聞かせるように心のうちで呟いた。
「じゃあ、行くわ」
「うん」
「東京来ることがあったら、連絡して、泊める事くらいは出来ると思うから」
「うん」
改札口へと友人は歩いていく。
胸の中で渦巻く気持ちを口に出してしまおうか。
と、迷う間も無く口が開く。
「あのさ」
私は改札口を前に、切符を取り出そうとした友人に声をかけた。友人は何か不意を食らったように顔をこちらへと向けてきている。
愛している、と伝えるべきだろうか。
いいや、それはきっと駄目だろう。友人に対して良くない。
なぜなら、それは呪いになる。東京で新しい生活を始める友人に対して、呪縛になる。
「またな」
私はそう伝えるしかなかった。
それを聞いた友人は、ほんの小さな微笑を見せて、何か言うのかと口を微かに開けた。
が、何も言わずに頷く。
そして、改札口を通っていった。
私は一人、じっと改札口のこちら側で、友人の姿が見えなくなるまで、エレベーターで上がって見えなくなるまで立っていた。
こだま744号が出発するアナウンスが聞こえた。