怪奇佰談 ミツケタ
世の中には喋ってはいけなかったり、覗いてはいけなかったり、ルール破りをしてはいけない場所が存在する。
噂に過ぎないと、笑うものがいる。しかし実際に体験してからでは遅いことがあるのだと、私は身を持って知る事になった。
町中に残る古めかしい小さな祠。地方の都市として発展し続けた町に残された心霊スポット。私は幼い頃から、この祠では拝んではいけないと言われていた。
何故そんな噂を、昔からこの土地で暮らす祖母や母をはじめ、町に古くから住む人々が信じていたのかわからない。
町が繁盛して来たのも、この小さな祠を町のみんなが大切にして来たと聞いているのに。繁栄を助けてくれる神様がいるのなら、その土地に住まうものとしては御礼くらい述べたいのが人情だろう。
子供の頃‥‥たしか学校の帰りだったと思う。小さな祠に向かって、熱心に拝むお年寄り夫婦の姿を見かけたことがあった。
何も変わった様子はない。だから子供ながらも、疑問に思った事があった。
「どうしてあのおじいちゃん達は拝んでもいいの?」
家に帰って祖母にその事を聞いた。近づくなと言われたのに、祠の側に行ってしまった私は確認された。私は祖母や母の言いつけを守り、拝んではいない。
「……あの人達はね、いいのよ」
お年寄り夫婦が誰とも聞かずに、祖母が私の頭を撫でるようにポンポンと叩く。たぶんあれは忘れろという意味が籠もっていたのかもしれない。今ならそのように理解出来たと思う。
他所の神社に行って神様にはお祈りをしているのに、どうして近所のあの祠の神様には駄目なのか。
きっと当時の幼かった私には、説明されても理解出来なかっただろう。 普段は優しい祖母が、その話をする時だけは、酷く厳しかった。子供心に、祠の事は触れてはいけないと怖くなったものだ。
そんな祖母も私が高校生に上がる頃には亡くなった。もともと心臓が弱く寝込みがちになっていた。
祖母は自分の身体のことよりも、好奇心の強い私を心配して、最後まで「祠で拝んではいけないよ」 と、言っていた。
祖母があそこまで固執する理由はわからなかった。きっと道端のお地蔵様には、拝んではいけないものがある‥‥そんな言い伝えと同じような理由があるからだと思っていた。
祖母が生きている間に、私はもっと詳しく話を聞いておくべきだったのかもしれない。
いつしか私も大人になって、町を出て社会人となった。好きな人も出来た。優しく気だての良い子で、付き合う内に半同棲までするようになった。
仕事が忙しいので、実家に一人残る母には紹介が遅れていた。ようやく少し早めの夏休み休暇が取れて、彼女と帰省する事になった。
初めて母に合わせようと思ったくらい大好きな彼女を連れて、私は気分が高揚していたのは確かだ。彼女も私の育った故郷の町や、母と会うのを楽しみにしてくれた。
田舎というわりには人も多く賑やかな町。私は実家へ向かう列車で、かつての思い出を彼女に語って聞かせた。
実家の途中の古めかしい祠は、いまもそこにあった。手入れをする人がいるのだろう、昔からこの祠の一画だけは変わらない。
「‥‥この祠は?」
無邪気に彼女が尋ねる。私は祖母の事を思い出し、昔からある「拝んではいけない祠」 だと伝えた。
彼女は古めかしい祠に「何だか可愛らしい祠で良いね」 そう呟いて、それ以上は聞いて来なかった。
実家では母が料理を用意して待っていた。彼女の事も気に入ってくれ、彼女も母とは仲良く出来そうだと笑いあった。
落ち着いた町の景色も気に入ったようで、夜は中々寝付けず話が進んだ。
一晩泊まって私達は自分達の家に帰ることになる。顔見せは出来たことだし、母の元気そうな様子も見ることが出来た。
年末年始の休みはゆっくり出来るといいねと再び笑い合い、母と別れた。
「‥‥仲良くやれそう?」
「ええ、自分の親よりもね」
ずいぶん気が合っていたからリップサービスだとしても嬉しい。
駅へと向かう帰り道、再びあの小さな祠の前を通る。電車の都合もあるので早めに出てきた私達は、祠の前でお祈りする若い男女に目を向けた。
────あの時の老夫婦もこの男女にも何か起こる様子は見られなかった。
「噂とか迷信とか、都市伝説の類いなのかもね」
彼女の言いたいことはわかる。拝んでいても車が突っ込んで来る様子は見られないし、雷の落ちるような天気でもない。
御参りの終わった男女の会話が私達の耳に聞こえてきた。
「この祠のおかげで、この町が発展し続けてるんだって」
「そんなん都市伝説だよ。そうやってパワースポットに仕立て人を集めたんだろ」
「いいじゃん、拝んで幸せになるならさ」
この町の人ではないようだ。私が祖母や母に聞かされて来た内容と、随分話が違う。男女が立ち去ったあと、彼女も日傘をたたんでお祈りを捧げる。
「ネットで実際に噂になってる幸運をもたらすパワースポットなんだよ」
どうやら彼女は、この小さな祠の噂を知っていたようだ。ただし私の知る「拝んではいけない」 話としてではなく、田舎町を住みやすく発展させた土地の神様として──だ。
彼女は私にも、私達が幸せになるように祈ろうと誘われた。私が注意し続けていたせいか、母も祠の話を彼女にはしなかった。
土地の者に対して気分を害するのも良くないと、私達の将来を考えたのかもしれない。
亡くなってかなり立つ祖母の顔が思い出された。昼間で明るい事もあり、私も彼女の隣に並んで拝むことにした。
────何も起きなかった。
迷信だったのだろうか。地元の人達が町を盛り上げようと一丸となって、都市伝説の類いを作りあげた……そういう噂話が正しいのかもしれない。
私達は電車に乗り家に帰った。家に帰って来ても何も起きなかった。
騙していたわけではないと思うが、やはり担がれていたのかもしれない。祖母があまりにも真剣な表情で語るので、まんまと乗せられてしまった。そんな私に彼女は優しく微笑んでくれた。
翌々日の仕事が終わる頃に会社に警察の方が訪ねてきた。警察の方のお世話になるような事は何もしていないはずだ。
母の事で話があると言われたので、会社の応接室を借りて警察の方の話を聞く事にした。
「一昨日の晩‥‥お母様が自宅で襲われお亡くなりになりました」
一瞬、何を言われているのかわからなかった。一昨日の晩? 私達が帰った後に?
犯人は見つかっていないとの事。実家を訪れた私達は真っ先に疑われた。実家から出る姿や電車に乗る姿の目撃情報、自宅の最寄り駅の防犯カメラなどに私達の姿が映っていて、アリバイは成立しているそうだ。
母も私達を見送った後、近所の人と話す姿を目撃されている。強盗などが押し入った様子や、争った形跡もなく、室内も物色され荒らされた様子もなかったという。
死因は‥‥首と胸と腹を刺されての出血多量死だ。
「お母様の倒れていた近くには『みつけた』と古い文字で書かれていたようです」
証拠となるのは刺された傷口と、その文字だけ。調査中とはいえ、侵入経路も足跡もわからない、見つからない可能性が高いと言われた。
警察の方が帰った後、私は彼女に連絡するかどうか迷った。今は私も動揺していて、うまく話せる自信がないので止めた。私達が帰った後に母が殺されたなんて話をして、彼女の心に傷を負わせたくないのもあった。
父はすでにおらず母が亡くなり、私は孤独になった。兄弟もいない。親戚に叔母が一人いたような記憶があるだけだ。
何も考えられず、とにかく家に帰ろうと思った。
電車に乗り、駅へと着く。とぼとぼと放心した力ない足取りで自宅のあるマンションへの帰り道を進む。母の死のショックが大きくて、私は警察の方の言葉を意識して聞いていなかった。
どうして古い文字で『みつけた』 なのか‥‥少し考えればわかりそうなものなのに────
「ミツケタ」
────背後からゾッとするような声がした。精神的に参っていたおかげで膝が笑い、体勢が崩れる。
包丁‥‥ではなく刃の長い小刀が頭上を刺す。白い装束、今時幽霊でもこんな格好しない。
顔も身体も肌が焼けただれ、見るだけで痛々しい。
倒れた私を覗き込む、赤黒い肉眼に籠もる殺意だけの眼圧に、私は恐怖で頭の中が真っ白になる。
無言で白装束の女は急所を狙い刃物を突き刺す。私は無意識に転がって交わす。完全にかわす事が出来ずに、肩を貫かれ腹にも傷を負った。
────激しい殺意。呪いの呻き声のような、低く心臓を締め付けるような声。私は動きが鈍り、刃を足で蹴って反らすしかなかった。
「‥‥大丈夫?!」
突然彼女の声がした。血塗れの私は、殺されそうでろくに動けない。この殺人鬼が彼女を狙ったら──と、別の恐怖が私の身を襲う。
だが‥‥白装束の女は忽然と消えた。彼女が急いで救急車を呼んでくれて、私は一命を取り留めた。彼女が無事で良かった。あれは私だけを狙って来たのだろう。
救急車で搬送される中、彼女は私の手を取り無事を祈ってくれた。
しかし‥‥これで終わったわけではない。生命があってホッとするのはまだ早かった。治療が終わりひとまず個人用の病室で安静にしていると、暗がりから白装束の女が現れたのだ。
「────ミツケタ」
帰り道で襲われた時に比べて、焼けただれて両目まで潰れた口だけの女がニタッと嘲笑う。
ナースコールを押すだけの力はあった。誰かが駆けつけて来るまで、ベッドからろくに動けない私が生きていられるか保証はない。
────バチッ
部屋の明かりがついて、白装束の女は退散した。明かりに弱いというよりも『みつけた』者以外には見られてはいけないようだった。
腹に再び刺し傷を負い、血が滲み出る。明かりをつけたナースが惨状を目にして、パニックになった。
その後もう一度手術となり、トラブルが起きないように、大部屋に移され、念のため彼女も病室へ呼び出された。
動けなくていいので念の為、他の患者もいる部屋にしてもらうように伝えた。医者は不審そうな顔をすることなく計らってくれた。
どうもそういう患者は私に限らず、世の中には偶ににいるそうだ。
彼女は私に泣いて謝った。私を偶然のタイミングで助けに来れた理由を泣きじゃくりながら小さな声で伝えてくれた。
彼女のもとにも警察官がやって来て、簡単な事情聴取を受けたそうだ。
彼女は古めかしい祠と文字と、私の拝んではいけない話が紐づいて、直接話そうとやって来た所だったのだ。
◆
あれから白装束の女は現れなくなった。私は傷の回復を待ってから実家のある町に帰り、母の遺体をあらためて弔った。
実家の現場検証保全の協力の為に貴重品などの回収も行った。古めかしい小さな祠は、何も変わらず残っている。
地元の警察の方から話を聞けた。この町では、町の出身地の人が正体不明の殺人鬼に襲われる事件が、過去に何度も起きていたらしい。
殺人鬼の動機はいまもわからないらしい。昔から言い伝えを守る家の老婆の話では、町のシンボルになりつつある古めかしい祠が関係しているとのことだった。
こうした事件が起きると、すぐに神社へ祈祷を行ってもらい、殺人鬼を調伏するのだそうだ。
私は‥‥不用意な行為で母を失った。祖母の言う事を守り続けて入れば、こんな事は起こらなかった。
ただ、あの時は彼女や男女のカップルらしき二人組も拝んでいたはず。ネットに上がるくらいだ。他にも噂を聞いて訪れて来た人達はいるはずだ。
私の祖母は「拝んではいけない」 と言い、世間的には幸せにしてくれる祠と噂されているのは何故なのだろうか。
私は痛む身体を引きずるようにしながら、町に関しての話を集めた。
町の人口の大半は、過去の出来事など何も知らない新世代だ。市役所や図書館にも、古めかしい祠については触れられていなかった。
真相を知っていそうな祖母のような人は、殆ど亡くなっていて手がかりは途絶えた。
答えは意外な人から聞く事が出来た。私のもとに、疎遠になっていた叔母が訪ねて来たのだ。
叔母は、ずっと昔に小さな祠で拝んでしまったそうだ。そして白装束の女に襲われたという。私の父が庇ったが、父も襲われる資格があったため殺されてしまったという。
この土地の人間ではない祖父が家族を守りながら神社へ駆け込み、神主さんがお祓いをして助かったそうだ。
「あの祠は昔──村の発展のために犠牲にされた、娘の鎮魂を行う為に造られたんだよ」
この地に限らず生贄を捧げる信仰というのは、昔はよくあった話だそうだ。ただ祠の主の怨みは凄まじく、その時の村の人間全てを永劫呪って焼死したという。
あまりにも怨みが深い為に、当時から村にあった神社の神主が祠を作り鎮魂を行った。
村の人間で拝んでいいのは神主の家系だけだった。集落の人間が拝みに行くと惨殺される事件が多発したため、鎮魂の祠で「拝んではいけない」と言う話が伝わったのだ。そして代々集落の家系に受け継がれた。
時代が下がると村の家系も地元から離れたり、情報ツールの発達で言い伝えの信憑性も薄れていった。
私としても大人になってから、きちんと話を聞いた所で、信じたかどうか怪しいものだ。
実際それで夜道に襲われ母を失った今は、信じざるを得ない。非科学的であっても、二度と祠を拝もうなどと思わないだろう。
祠が取り除かれる事があるとするなら、当時の集落の家系全てが滅んだ時だろう。血が受け継がれる限り呪いは続く。
それに拝んではいけないのは村の出身の家系だけで、私の彼女のように関係者と親しくても、白装束の女には襲われない。
むしろ無関係の人間が拝みに来る事で村は発展していき、町になり都市になった。皮肉な話だ。ネットの噂は無関係な人々には正しかった。
何も知らない人間なら感謝の祈りを捧げたくもなるものだから。幸せを願い、自然と拝みにも来るかもしれない。
この町に出身地を持つ先祖や身内がいたのなら気をつけてほしい。
彼女はいつまでも探している。もしみつかってしまったのなら、夜の帰り道に『ミツケタ』 と言う声を聞くことになるのだから。
お読みいただきありがとうございました。この作品は夏のホラー2023にて投稿した「拝んではいけない」の、うわさバージョンによるリメイクになります。