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第一話 引き金

2007年 2月11日 21時22分


 東シナ海 護衛艦ゆきかぜ 艦長室


 闇に染まる東シナ海の水面みなもに白い航跡を数十隻の輪形陣の二組の艦隊が刻んだ。イージス護衛艦4隻、汎用護衛艦8隻、潜水艦4隻、ヘリ空母2隻などで編成された艦隊の舳先は東シナ海の南西の島々、そう尖閣諸島へと向かっている。


 尖閣諸島はプロトニウム分配条約により、南極と同じくどこの国にも所属しない土地となったが、ソビエト-中華人民共和国軍がつい先週に艦隊を率いて占拠したので日本の海上自衛隊で編成された第17艦隊がプロトニウム掘削の作業員の救援の為に出動することになったのだ。


 その艦隊の内の一つ極東方面第3護衛艦隊所属の新造艦、新かげろう型護衛艦DDH181「ゆきかぜ」は日本海ににおける通商海路シーレーンの哨戒と大陸から来るであろう難民の保護などの任を帯びて3日前に舞鶴基地より錨を上げ、北へと舳先を向けている。


 旧海軍の武勲艦、駆逐艦『雪風』は新時代の技術によってイージス護衛艦に生まれ変わった。その最大の特徴はプロトニウム機関による半永久的な航続性能ともいえるであろう。


 航行性能と共に、従プロトニウムの発見により新たに開発された事により、燃料の重量を考慮する必要性を無が無くなり、新たに豊富な武装が搭載された事も特徴の一つとも言える。


 ゆきかぜ艦長室で野崎進二等海佐は艦長の吉村和人一等海佐と自由時間の恒例ともいえるに将棋の対局に興じていた。


 野崎進は若く実に優秀だと人は言う。戦争が始まり、旧来の年功序列的なシステムが能力による昇進制に変わった事もあるが、わずか32歳で二等海佐、いわゆる中佐に昇進し現在は新造のイージス艦の副艦長の任についている。


 副長の野崎とは逆に艦長は老錬の二文字が相応しいと人は言う。20年近くのキャリアとそれで身につけた操船技術などが高く評価され、最新のイージス艦の艦長に抜擢された。


「うむ……良い手だ。さすがは野崎副長……兵学校主席卒業は伊達ではないか」


 野崎の一手に苦い表情を吉村は浮かべた。対する野崎ははにかんで頭を優しく掻いて、照れくさそうな様子だった。


「いえ、自分はそんな」


優秀。確かに野崎進はエリート中のエリートだが、それを鼻に持つ事は無く温厚そうな立ち振る舞いで部下からの評価は高い。しかし、彼の出世を良しとしない年長の士官達からは疎ましく見られている。


「そう謙遜するものでは無いよ。三十代の若さでイージス艦の副長に就任したんだ、実に優秀だよ。もっと良い仕事に就けただろうに……そう言えば、どうして自衛隊に入隊したんだね?」


「実家が貧乏で大学に行く事が出来ないと言われたので、無料で学べてなおかつ実家のために安定した収入の得られる職業として自衛官を選びました」


 野崎がそう言うと吉村は声を大にして笑った。一種の冗談。そう見られたようだが、これは事実である。野崎進の愛国意識はさほど高くないし、兵器への憧れも無い。ただ大学へ行きた、実家を経済的に助けたいという意志で自衛官となったのだ。


「そうか、私とは大違いだな」


「大違い、といいますと?」


 ふぅ、と吉村艦長は深い息をついて船窓から闇夜の水平線に目を移した。


「私の父は太平洋戦争の駆逐艦乗りだった。親父から聞いた話――――海原のロマンや戦いのときの緊張感、そんな物に憧れてこの道を選んだ……だけど、当の親父は猛反対した。『あんな思いをするのは俺達だけで十分だ。お前には絶対してほしくない』とね。それでも、憧れに負けてね……」


 満ち足りた顔の艦長。しかし、彼の表情からは公開の影が顔をのぞかせていた。言葉にせずとも野崎には解かった。艦長と彼の父親は決別したと。


「それでな、奇遇な事に親父が乗艦していたのは私達の船と同じ名前をした駆逐艦の雪風だった。あの幸運な船に乗っていたから私がこうして君と将棋に興じられているのかもしれないな」


 湿った空気を和まそうと艦長は冗談めかした口調で話を締めた。だけど、その目にはやはり後悔の色が残っている。野崎は少し次の手を考えながらも彼は話題変換の為にも艦長にふと問うた。


「艦長、このままソ連の艦隊と衝突……ひいては第三次世界大戦みたいな事になるのでしょうか?」


 駒を動かそうとした吉村の手は止まり野崎を見た。


「わからない。きみはどう思うかね?」


「自分にもよく解かりません。ですが、百余名の為に平和を壊すような事は避けるべきだと思います」 


「……そうかもしれないな」


 そうかもしれない。こんな敵対する大艦隊と大艦隊が正面を向き合えば、戦闘が起きても不思議ではない。それが飛び火し、第三次世界大戦になる事は重々ありうる。百余名の救助の為に数億もの犠牲が生まれうる戦争が起こるとなると、採算の合わない話だ。


 しかし艦長は


「だがね、副長……私は百名を見殺しにして保てる戦いの無い状況を平和だなんて呼びたくない。どうせ、そんな状況ならいずれ火種はどこかでくすぶるに決まっている」


 彼は言葉を切り、盤上の歩を一歩前へと進めて彼に語り続ける。


「政治や戦況というのはね盤を見るのと同じなんだよ。大局を見なければならない。でも、大局を見るとそこにいる駒――――個人の気持ちを忘れてしまう……そんな中で個人の気持ちを忘れない人物を有能と呼ぶのだと私は思う……はい、王手」


 目から鱗。この瞬間、野崎はこの人には敵わないと思った。将棋でも軍人としても。


 吉村一等海佐は乗艦している一水兵の名前と顔まで覚えている。そんな彼を乗員は父のように慕い、彼の命令に忠実にあろうと必死に訓練を続けている。正に指揮官の鏡であり、自衛隊の至宝とも言える人物だ。


「やはり、吉村一佐には敵いませんね。では、これにて自分は」


「あぁ。今回は冷や汗をかいた。また、一局頼めるかな?」


「はい。喜んで」


 野崎は起立して艦長に敬礼。吉村が返礼すると彼は艦長室を後にした。



2月12日 午前10時22分


尖閣諸島沖合い 200海里 ゆきかぜの艦橋


 睨み合い。


 目前に控えた両者から漂う緊張の色は濃厚で、ソ連の艦隊への立ち退き交渉をしている間でも背筋を氷が滑るような緊張感がこの場にいる皆に伝わっている。両艦隊の距離は100海里。目には見えないが高性能なレーダーとコンピューターを装備するイージス艦を中心とするデータリンクによって、日本艦隊はソ連の艦隊を捕捉出来ている。


 変な動きをしたらミサイルの飽和攻撃が襲い掛かる……互いに額に銃を突きつけあっている状況だ。


「交渉はどうなっているのですかね?」


 艦長席に座っている吉村艦長に不安に耐え切れなくなった野崎は訊いた。艦長の顔には脂汗と厳しい表情が浮かび上がっており、只ならぬ雰囲気を纏っていた。


「わからない。上手く行く事を祈るほか無い……」


 訓練で毎回装備するヘルメットと防刃機能の施された救命胴衣、だが、今回は実戦に一番近い状況だ……野崎は装備と実戦に対する恐怖で押しつぶされそうになる。


 この艦隊で与えられたゆきかぜの任務は至ってシンプルだ。ヘリ空母『あかぎ』の防空と対潜戦闘、そして水上戦闘だ。ゆきかぜはまだ実戦形式の演習を行った事も無い。故に乗員たちの実戦におけるポテンシャルの高さは解からない。


 いや、それはどの艦も同じだ。


 護りの剣はその刃を一度も血に染めたことは無い。運が悪ければ、この日65年ぶりに日本人は戦場で人を殺める事となる。WGUに加入と同時に形骸化した『九条』は再び日本人を戦火へと導くのかもしれない……そう思うと不思議と恐怖だけでなく怒りもこみ上げて来た。


「返答、来ました!!」


 慌しい様子で通信士官が艦橋に駆け込んだ。その表情には安堵は無く、どこか怯え絶望した様子だ。


「そちらが引かねば攻撃する。我が海軍にかかればそちらは鎧袖一触との事……」


「何だと!?うぅ……」


 温厚な艦長が激高するや否や、彼は苦しそうに自分の胸を押さえてその場に膝を突いて倒れこんだ。


「艦長!!早く、艦医を!!」


 艦長が倒れると艦橋はパニックに陥った。同時に野崎も。


「艦長!!」


「うぅ……あのバカのせいで血圧が……くっ」


 血圧が上がったことによる一種の心臓発作だろう。艦医と衛生兵が艦橋に現れたのと同時だった。


「CIC(戦闘情報中枢)から連絡!!レーダー照射を……いや、ミサイル発射されました!!こちらに向かってきます!!着弾5分!!どうしますか、艦長!?」


 艦長が倒れた今、副艦長である野崎が艦長の任を継ぐことになっている。だが、一度も操艦を行った事は無い……。だが、やらねば200名以上の命が一瞬にして奪われる。野崎は深呼吸を一つして、気持ちを切り替えて


「両舷全速。CIC、シースパローの発射を許可する」


 と実に落ち着いた声で指示を下した。彼はCICに繋がっている内線の受話器を取り


「CIC聞こえますか?」


『野崎……いや、副長でありますか。どうしましたか?』


 通話相手は砲雷長で野崎の防衛大時代の先輩である矢部耕太三等海佐だった。


「艦長が倒れられまして、指揮は自分が継続する事になりました」


『だったら、指示をくれ!!早くしないとミサイルが!!』


「シースパローの使用を許可します」


『よし来た!!シースパロー発射ヨーイ!!』


 電話口の向こうで矢野の熱い叫び声が響いた。そして、数秒も経たないうちに甲板から天に向けて真紅の火柱が立ち上がった。


 この瞬間、第三次世界大戦の引き金とも言われる『尖閣事件』の火蓋が切って落とされた。

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