MISSION7 過去と今
「おわっちまった」
夕焼けの刻、尋問を終えた翔は意外な顔をして牢に戻った。
尋問と言ってもただの尋問だった。
爪を剥いだり指を切り落としたりもしなければ殴られもしなかった。聞かれたことは所属と、階級、部隊のことなどを尋問官に話しただけだ。
かっこつけて、唾でも吐きつけてやろうと思ったが出来なかった。尋問官はあのクララという少女だったからだ。
終わったらそのまま独房へ戻され、それっきり。
翔は少し色の付いたシーツのベッドに横になり水銀灯の明かりを見つめる。
翔の心にはある疑問がふと沸き上がる。
「俺が教わってきたソ連の連中とは違うぞ」
彼の知っていた「敵」の姿は「鬼畜」の二文字だった。
敵を無慈悲かつ残忍に殺し、自国民からは食料を奪い、女を犯す。
そんな野蛮で下劣を極めた最低の生命体を滅ぼすために自分達は戦っている。と兵学校の教官から教わった。
しかし、彼女やここにいる兵士は違う。餓民から食物を奪うどころか保護し、敵への扱いも紳士的だ。
「どうなってんだ?」
ぼそりと翔は呟く。
「風宮少尉」
鉄格子の向こうにはお盆を持ったクララが、微笑を浮かべていた。挨拶代わりなのであろう。
「どうした?」
「食事です」
言われてみたら不安が無くなったせいか空腹感が彼の胃袋を刺激した。
鍵のかかったドアを開けて入ってきたクララ。彼女は翔にお盆を差し出した。そこには固そうなパンにスープ、いわゆるボルシチが乗せられている。
「失礼します。きゃっ!!」
すてん、と言わんばかりに派手に転倒したクララは食事の中身を派手にぶちまけた。しかし、最悪な出来事がそこで起きた。
「熱っ!!」
翔は苦悶の表情と悲鳴を露わにした。彼の頭にはとろみがかった液体、ボルシチが乗っていた。
「あ・・・すみません!!・・・くすっ」
クララは吹いてしまった。翔の今の惨状が異様に漫画じみていたからだ。
「んだよ。俺にアホとでも言いたいのかよ?」
「いえ・・・少しその・・・おかしくて・・・」
息が切れそうな彼女の笑い声に翔も何故か解らないが笑えてきた。
「で・・・これどうすんだよ?」
少し間をおいて翔はクララに問う。
「あ、すみません。シャワー使ってください。シャワー室まで案内します」
そう言って彼女は翔をシャワー室に案内することにした。シャワー室は階段を上がった階層にあった。
「案内ありがとうな」
そう言って翔は男のマークの書かれたドアをくぐった。
午後 6時43分
空母 J・グラフトン
吉田光は焦りの色を満面に出し、廊下を歩いている。
翔・・・竜也
ため息をつく。彼女の友人、風宮翔が爆撃任務で撃墜されたのをきっかけに光の平静という文字を心から失った。
「光ちゃん・・・」
背後から声がした。か細くい声だった。その声の持ち主は黒く長い髪を持つ少女だ。彼女の名は秋月亜衣、病棟で看護婦の任に着いている。
「あ、亜衣。どうしたの?」
「・・・さっきから辛そうだよ?休みなよ・・・」
「大丈夫・・・何ともないよ」
「嘘。翔君と竜也君が心配なんでしょ?」
「そんな訳・・・」
光はこの先の言葉が出なかった。
無い、といえば嘘になる。有る、とも言えずに言葉を濁す。今の彼女の心境は至極辛かった。
そんな二人の目の前にフランクとエド、アリスが現れた。しかし、彼らは耐G胴衣を身に纏い、ヘルメットバッグを傍らに担いでいた。
「どうしたの?フランク、その格好」
光が問う。
「第七人工島に総攻撃を掛けるんだ」
エドが応える。しかし、その傍らにいるフランクの拳は震えていた。
そして陰鬱な様子のフランクは言葉を漏らす。
「俺が・・・俺がもっときちんとしてれば翔と竜也は・・・!!」
「だから、お前の責任じゃないって言ってるだろ?フランク」
エドは優しくフランクの肩にその手を添えた。
「そうですよ。それにまだ二人とも死んだって決まった訳じゃないですし」
アリスもフォローにはいる。しかし、フランクは浮かばれずにその場を去った。
「フランク・・・」
一同の周りを鉛のように重く冷たい空気が包み込んだ。
†
翔はシャワーを浴び終え出てきた。
捕虜の身分なのににシャワーを浴びるという前代未聞の行いを終えた翔は壁に体育座りで寄りかかり、彼を待っていたクララに声を掛けた。
「終わったぞ」
石鹸の香りがクララの鼻腔をくすぐった。
「はい。では、もどりましょう」
こうして、シャワー浴び終えた翔はクララと一緒に彼の独房へ戻った翔はふと思った事を口にした。
「そう言えばお前、日本語うまいけどどこで習ったの?」
数秒の沈黙。しかし、観念したかのように息を吐き、クララは答えた。
「私、昔日本に住んでたんです。」
「まじでか?」
訊いた途端に、翔は驚嘆の表情を浮かべた。
「はい。父は日本の外交官でした。戦争が激しくなって父は私と母をロシアへ逃がしてくれたんです」
大抵、敵国民は収容所に送られる。多分、彼女の父はそうさせないために危険を冒し二人をロシアへ逃がしたのであろう。
「実際、私の本名は山村クララなんです。ハリヤスキーは母の姓でして」
「なるほど・・・複雑だな」
「はい。簡単に言うと戦争に家族が引き裂かれたんです」
戦争に家族が引き裂かれた。この言葉は翔にもあながち当てはまる。
「俺もだ。クララ」
「え?」
「俺も戦争で家族を失った」
翔は誰かに家族の事を言うのはこれが初めてだった。
「俺が十二の時に母親が爆撃で死んで。六つの時に親父が日本海で戦死した」
翔の言った言葉はクララに鉛のように胸にのしかかった。
自分ではないが他の誰かが、彼の家族を殺した。その事実だけでも彼女に居たたまれ無さを感じさせた。
「俺の親父はパイロットだった」
遠くを見るような目で翔は語る。
「俺は親父に憧れてた。F-15に乗って空を自由に飛ぶ姿がカッコ良くてさ、俺もああなりたいって思った。それでパイロットを目指すことにしたんだ」
その言葉を訊いたクララは驚いた表情で言う。
「少尉のお父さんってまさか・・・風宮三郎大尉ですか?」
「良く知ってんな。そうだよ。その通りだ。日本海海戦でソ連機を20機近く撃墜した、風宮三郎だ」
「それであなたは・・・」
「そう。親父の背中を追ってパイロットになったんだ」
クララは首肯し、彼の言葉に耳を傾ける。
「俺は、あの背中に憧れてこの道を選んだ。別に国の為じゃない。家族の仇討ちとかでもない。ただ俺は・・・」
「空に、そして何より戦闘機にたまらなく魅せられただけなんだ」
翔は初めてだった。自分の事を素直にさらけだせたのが。これは竜也にも話せなかったことだ。
その理由はひとえにクララという存在だ。
彼女の優しい朗らかな雰囲気。彼女の笑顔が彼にそうさせたのであった。
クララは翔の腰掛けているベッドの上に座り、言った。
「もっと聞きたいです。少尉のお話」
「どんな話?」
「日本について」
「はい?お前、住んでた・・・」
突然の問いに少し動揺した翔だが無理もないと彼は理解した。
なぜならソ連の人民や資本主義国家の人民はどうあがいても分厚い鉄のカーテンを越すことなど出来ない。
「わかった。でも一つだけ条件がある」
「なんですか?」
目を輝かせ少女は言う。
「風宮少尉ってやめろ。翔って呼んでくれ」
「わかりました」
そして翔はクララを自分の傍らに座らせ語り始めた。故郷の美しい桜の事。友達とやったいたずらの事。色々なことを。
楽しい事とはまるで魔法のようだ。時間と嫌な事を忘れさせてくれる。
とても敵同士の間に流れる空気ではない。でも敵同士であることは変わりない。
「また行きたいな・・・日本に」
ぼそりと彼女は呟く。
「どうして、戦争なんて」
彼女はうつむく。その横顔にある物は静かな悲しみだけだ。
翔の脳内ではいくつかの答えが浮かび上がる。
社会主義と資本主義。新資源プロトニウム。
だが出た結論は。
「知るかよ」
こんな答えしか出ない。出たところでどうといった所では無い。
「解るわけねぇじゃん。俺ら下っ端に」
「ですよね」
クララの無理な笑顔。さっき見せていた心からの笑顔と比べれば一目瞭然だ。彼女の悲しい笑顔など。
「でも、私たち一応仲良くできてますよね?こんな風に、みんな出来たら・・・」
「出来ないから・・・出来ないから戦争なんて起きてるんだろ?」
翔は頭を垂らす。思い何かに引きずられるように。
理解し合うことが出来ないから、沢山の人が死んだ。
シンプルなことだ。
そんなシンプルな理由の殺戮の中に翔はその身を投じ人を殺めている。
今、この瞬間に翔はそれを知った。
「ですが・・・それを多くの人が出来れば戦争なんて・・・」
「そんなこと言ったて・・・」
翔の声は爆音に消された。
まばらに聞こえる爆発音。体に伝わる振動。
「・・・これって?翔君・・・」
「爆撃だ」
翔は思い出した。今日は連合艦隊の第七人工島攻略作戦が行われると。
二度と感じたくない振動が彼の体を突き抜ける。
翔の網膜の裏をほとばしる悪夢のフラッシュバック。火炎地獄と化した街、血塗れになった母の死相。すべてが蘇った。
「翔君!!」
クララの声が翔の意識を引き戻してくれた。翔は思考をリセットするために頭を横に強く振る。
「一緒に来て!!」
翔の手をクララはおもむろに引き、牢の外へと連れ出す。
人の濁流の濁流に逆らい、彼女と翔は階段を下り、ある薄暗い場所にたどり着いた。
クララはボタンを押し部屋に明かりを灯す。
「ここは?」
翔は辺りを見渡す。
あるのは無限にも広がる無骨な火砲の林だけ。
「武器庫です」
クララは背伸びをして棚から何かを取り出す。
「これ、お返しします」
その手にはホルスター、翔の装備品のM12が握られていた。
「どうしろって言うんだよ?これ持ってソ連のために戦えってか?」
「いえ・・・ただ護身用に返しただけです。それじゃ私は・・・」
そう言って彼女はどこかへ走り去ろうとする。
「何処行くんだ!?」
「私の・・・私の成すべき事をしに行くだけです。翔君も、成すべき事をしてください・・・じゃ」
行ってしまった。
残された翔はしばし虚空をにらむ。
「・・・よし」
そして意を決して彼もまた走り出した。右も左も解らない戦場。そこに翔は己の身を投じる覚悟で走り出した。
自分のいるべき場所に帰るため、成すべき事を成すため。