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少年と空-EAGLE KNIGHT-  作者: マーベリック
Alice in battlefield
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1話 紅茶とケロシン

2015年 8月12日 午後11時12分


空母J・グラフトン 第184航空隊の待機室


 誰もいない時計の秒針が刻む音と船の動力音しか聞こえない待機室でエドワード・エンフィールドは一人で航空隊つきの整備士やその他下士官の評価や先の戦闘での損害の報告書などをノートパソコンに黙々と打ち込んでいた。


「ふぅ……あと、7人か」


「エドくん」


 13人目の整備兵の評価を書き終えて、伸びをしているエドの前にに自分の機体の整備状況を確認してきたアリスがバスケットを持って現れた。


「アリスか」

 

「こんばんわ、エドくん。夜遅くまでご苦労様です。本当にいつも助かります」


「いや。俺に出来ることっていったらこれぐらいだし。それに翔ならまだしも、フランクに書かせたらこの隊の品性が疑われるからな」


「そんな事は無いと……それより一息入れましょう。アールグレイとティーポットを持ってきました。入れますね」


「おぉ。それは助かる」


 待機室にはコーヒーメーカーと部隊章のデザインのマグカップがあるが、コーヒーが苦手なエドにとっては無用の長物だ。しかし、エドはコーヒーの代わりに紅茶をこよなく愛している。あの芳醇な香りと上品な味わい……コーヒーとはまさに雲泥の差だ。


「ほぉ」


 ティファールが備え付けられたコーヒーメーカが置いてある棚に向かったアリスが手にしたもの、エビアンの1.5ℓのペットボトルを見てエドは感心した。


 紅茶は硬水が美味い。その事をアリスは心得ているようだ。……というか結構本格的に淹れようとしていた。紙パックでなく本物の茶葉と本格的なポット。この空母ではお目にかかることの出来ないような装備をアリスは持参している。


 5分程経って頃、芳醇な香りが部屋を満たしたころにアリスはヘルはウンズ印のマグカップを二つもってエドのデスクに向かってきた。


「はい。どうぞ」


「ありがとう。普通のパックでよかったのにずいぶんと本格的に淹れたな――――どうしてだ?」


「頑張っているエドくんのためです……そんな事より、飲んでください」


 そう言ったアリスの顔はぽっと赤くなってしまった。理由もわからないエドは訝しそうに一瞥したが、触れずにカップに口をつけてアリスの淹れた紅茶を味わうことにした。


「どうですか?」


「うまい……!!」


 柑橘と芳醇な茶葉が味を引き立て、その香りが鼻を抜けた。硬水も相成って本当に美味い紅茶だった。彼は欲求のままにカップに入ったアールグレイを飲んだ。


「本当においしいよ。アリス」


 感情を余り表に出さないエドだが彼の表情は驚きと喜びに満ちた少年のそれだった。本当に幸せそうな顔。アリスも隠しきれずに


「私もうれしいです。エドくんに歓んでいただいて」


「どこで習ったんだ?」


「ニューザクセンにいた時、母に教わりました。実は、軍人にならなければ喫茶店を開くのが夢でして……」


「夢があったのに、どうして軍人に?」


 夢がありながら、争いごとを好まない温厚で優しい少女でありながらパイロットとして最前線で戦う彼女にエドは問うた。


 その問いに一瞬アリスの顔は曇った。しかし、観念するかのように


「私の家は代々軍人の家系でして……プロイセン時代でのフランスとの戦争では騎兵隊として第一次と第二次大戦ではパイロットとしてドイツのために戦ってきた家の子だから軍人になるのが当たり前と父に言われたので」


「……すまない、変なことを……」


「良いんです。自分で選んだ道ですので……」


 アリスはコップを回しながらふと思い出した。自分の幼かった時代を……




 1997年、4月24日にアリシア・フォン・フランベルクはウォルフガングとその妻であり学校の教師であったエヴァの間に長女として生まれた。


 アリスは幼少の頃より、人と触れ合うのが好きな人懐っこい社交的な少女であった。母親に教わったケーキや紅茶を近所の人や友人に振舞い、おしゃべりをするのが大好きなどこにでもいる女の子だった。


 西ドイツの空軍の参謀であったウォルフガングも温厚で、人望の厚く多様な人と交流があった。中でもアリスが一番懐いた人物は、父が勤務するヴィットムントハーフェン航空基地の第71航空隊『リヒトホーフェン』に所属していた若きパイロットのヨアヒム・クルトマイヤー少尉だった。


 当時、任官したての若者週末や非番の日になるとよく7歳上の長男のカーライルやアリスの遊び相手になってくれたり、色々と良くしてくれたのだ。


 そして、アリスにとって忘れられることの出来ない思い出を作ってくれたのも彼だった。


 アリスの8歳の誕生日だった。兄のカーライルと共にクルトマイヤーが操縦するセスナに乗せてもらったのは。


 アリスは今でもこの光景を忘れられない。自分の暮らす町がジオラマみたいになり、行きかう車はおもちゃみたいに見える不思議な空間。緑と青にはさまれた空間。教会の牧師様が言っていた『天国』と呼べる空間。アリスはそこから見える景色に酔いしれた。


「どうだい、気に入ってくれたかい?」


「すごいです!!鳥さんになったみたいです。アリスもパイロットになりたいです!!」


 本当に美しい世界だった。この世界に住みたい。幼いながらにアリスは空という魔物に取り付かれてしまったのだ。


 それから暫く空の、興奮冷めぬまま家に帰ったアリスにカーライルは


「大きくなったらパイロットになるのかい?」


「はいです!!アリス、絶対にクルトマイヤーさんみたいな兵隊さんになって空を飛びたいです」


 その言葉を聞いたカーライルは苦い顔を浮かべて


「兵隊さんか……危ないからやめた方がいいと思うよ」


「どうしてですか?クルトマイヤーさんは何ともないのに」


「……そろそろ戦争が始まるから」


 カーライルは知っていた。東の果てで激しくくすぶる戦の炎の存在と、均衡した勢力で守られる平和のもろさを……


「戦争?」


「うん。だから、アリス……兵隊じゃなくて違う道を選びなよ。そうだな……お茶屋さんとか!!」


 父親はアリスに軍人になるように強要はしていない。しかし、この家は軍人の家……それがかもし出す空気が彼女に危険な道を歩ませようとしている。アリスのような優しく、純真な女の子が入っては決してならない軍人という道を……。


「お茶屋さんも良いです……なりたいモノがいっぱいで迷います~」


「はは。それで良いよ」


 こんな日々が夢いっぱいの女の子だったアリスにとって本当に幸せな日々だった。友達と遊んだり、家族と過ごす日々……それだけで本当にアリスは幸せだった。しかし、それは国際間が生み出す不穏な影を知る術も無い少女だからこそなのかもしれない。



 2007年2月13日 尖閣事件。


 この日、アリスの幸せだった日々は音を立てて崩れていくのであった。


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