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第3話 極北の魔女(前篇)

2018年 8月11日 午後7時12分


日本 茨城県 亜衣の自宅


 池上中尉に取材を頼んでから一ヶ月近く経った……。


 頼んだときはゴタゴタしていてハッキリとした答えは聞けなかったけれど、後々に隼人くんが詳しい事情を話してくれたおかげで池上中尉は取材を許してくれた。でも、私の仕事や中尉の勤務とかの事情で1ヶ月近く会えずじまいになってしまった。


 職場から帰宅した亜衣はお気に入りのテディベアが刺繍されたエプロンを身に着けて夕食の準備をしてる。今晩のメニューは近くのスーパーで安くサバが手に入ったので味噌煮とお漬物と味噌汁にする事にした。


「お待たせ、隼人くん」


 亜衣は出来た料理を新聞を読んでいる隼人が座っているテーブルに配膳する。


「今日は味噌煮だよ。サバが安かったから」


「美味しそうだね。亜衣ちゃんの作る魚料理は初めてだ」


 ゆる過ぎず固すぎない魚の身と香る味噌の香りは隼人の食欲を促進させる。亜衣の手先はもとより器用だから料理や家事も全般的にこなせる……彼女の作る食事は隼人にとって最大のご馳走とも言える。


「冷めないうちに食べようよ、隼人くん」


「そだね。いただきまーす」


 二人は手を合わせ、亜衣の作った料理を食べ始めた。締まった肉と程よい味噌の味付けに舌鼓を打つ隼人の顔はほころび本当に幸せそうだ……そんな彼を見ているとこっちまで幸せになる。


「本当に美味しいよ……こんな美味しいの初めてだよ」


「ありがとう。おばあちゃんが私達に仕込んだのをそのまま作っただけだけど……」


 おばあちゃん……私と姉が両親を失ったときに育ててくれた人。私が軍に入隊する前に胃がんで無くなってしまった。私は一緒に料理の練習をしたけど由衣お姉ちゃんは「めんどくさい」と言って外で遊んでたっけ……。


「どうしたの?」


 突然、憂鬱の陰りが表情を覆って黙り込んでしまった亜衣を心配そうな目で隼人は見た。


「ううん。何でもない……少し、由衣お姉ちゃんの事を思い出して」


「そう……」


 自分では拭い切れない亜衣の胸を翳らす深い悲しみ。隼人は自分の無力さに悔しく奥歯をかみ締めた。


「あ、そうだ!!由衣で思い出したんだけど」


 隼人は空気が気まずくなる前にやけに明るい声色で話を切り替えた。


「池上中尉が明日が非番だから来られたら来てって言ってたよ。亜衣ちゃん明日の仕事は?」


 これは嘘ではない。つい帰る前に池上中尉に実際に言われたことだ。


「え……無いよ。でも、折角のお休みを良いのかな?」


「彼女は由衣の話がしたいって本気で言ってた。暇なら明日の10時に305飛行隊のオフィスに来てって言ってた」


 ある程度の原稿は書き終えた。由衣お姉ちゃんと自分の過去と翔くんから見たお姉ちゃん……あとは空軍時代を知る人からの証言だけ……


「……ありがとう、行かせてもらうね」


 亜衣の顔に少しだけ笑顔が戻った。愛想わらいか解らないけれど俯いた顔を見るよりは何倍もいい……隼人の気分も少し楽になった。



 翌日 午前10時07分


 百里基地 駐機エリア


 空の群青を濃くなり、日の照りがアスファルトを蒸し返す。蜃気楼が見えるほど加熱したアスファルトの上を亜衣と桃子は二人で歩く。駐機エリアではせっせと整備員や誘導員がせっせと自分に与えられた職務を全うしている。


「その……今日はありがとうございます」


 亜衣は桃子にぺこりと一礼した。


「良いの。私も由衣との思い出を誰かに話したかったし。まずは亜衣さんに見てもらいたいものがあるの」


「見せたいもの?」


「うん。これよ」


 桃子が“これ”は目の前の格納庫の中に鎮座していた。


「これは……?」


「私と由衣があの戦争で乗ってた三菱F-29雷燕って戦闘機よ」


 亜衣は航空機を間近で見たことは空母勤務だったからよくある。海軍時代にみてきた航空機たちは『無骨』の二文字しか感じることが出来なかった。しかし、『ライエン』と呼ばれる戦闘機からは美が感じられた……。美術館で見た日本刀に近い美だ。極限までに磨き上げられた流線的なフォルムや剣の鍔を思い起こさせる翼などに美が宿っていた。


「きれい……」


 亜衣のため息混じりの声を聞いた途端に桃子は吹き出し、声を上げて笑い出してしまった。何がなんだか解らない。おどけながら亜衣は桃子に


「あの、どうしたんですか?」


「いや……ふふ……本当に双子って似るんだなって……」


 亜衣は意味が解らないまま桃子の笑いが止まるのを待った。


「ごめんね……実はね、由衣も同じ事言ったの」


 



 2014年の8月ごろに私を含め胸にピカピカのウィング・マークを着けた7人の補充兵が松島基地に配属された。私たちの配属された部隊は第8航空隊『聖戦士クルセイダーズ』。日本海を渡って来る爆撃機や随伴の戦闘機を迎撃するのが任務の防空部隊だった。


 18名のピカピカの新入りの中にアイツ―――由衣がいた。


 私と由衣が出会ったのはさっきにみたいな感じだった。


 私が自分の愛機を格納庫に見に行った時に機体の前で立ち尽くしていた同じくらいの年頃の女の子がいた。本当に魂を抜き取られたかのように魅入っていたの。あれは男にほれたような目だったね。で、私はその子に「何してるの?」と訊いたら彼女は


「え、あぁ……見惚れちゃってたみたい。ハハ」


 って言って、真夏の太陽に負けないような笑顔を私に返した。その後に知ったんだけど、彼女は私と同じ第一小隊に配属されたパイロットで名前は秋月由衣。彼女の訓練生のころの総合成績は私より高くは無いけれど、飛行訓練の成績は私のそれを超えてた。あの頃の私はパイロットの技能を目に見える数値だけで評価していた。私の目から見ると彼女は飛ぶことの上手いだけのパイロット。ハッキリ言ってそんなにいいパイロットではないと思っていた。


 初めての実戦までは……


 忘れもしないこの日の夕方。松島基地にスクランブルの指令が出て、私たち第8航空隊は敵の進入してくるであろう日本海上空へと緊急発進した。私達の官制名コールサインはユニコーン。私が3番機で由衣が4番機だった。


 初めての実戦は誰でも怖いモノ……初めての実戦でミサイルを撃てればそれで万々歳。撃墜できればその人のエースへの道は確定したようなもの。


 私たちの飛行隊が敵の爆撃機の編隊を発見し、中距離ミサイルで狙いを定めた時に恥ずかしいけれど手が震えた。死へとこれから行う殺人行為への恐怖が一気に押し寄せてくる。恐怖と緊張に胃袋が締め付けられて食べた物を戻しそうだった。


 由衣?うん。彼女は落ち着いていたと思う。左翼を飛んでいた彼女の様子はどこか静かだった。いや……爆発前の活火山みたいに激しい何かを押さえ込んでいるようにも見えた。


『各機、 アムラームを発射せよ』


 隊長機からの指令と共に20機のF-29がミサイルを一斉に発射した。私も命令されたから撃ったけど怖くて目を閉じてた……


 着弾してある程度数が削れると、散開して敵機を叩く事になる。だけど、新兵たちは足手まといなるから後方で防衛線を抜けてきた敵機を二人一組で攻撃するように指示が出た。


 私は由衣とロッテ―――いわゆる航空機の集団単位の一つを組んで後方で待機していた。恥ずかしい話、私はコックピットの中で敵機が来ないことを祈った。死にたくない。その一心で。


 だけど運の悪いことに味方の防衛線を抜けて敵の戦闘機が3機こちらにやって来た。その場にいたのは4機だけ。しかも全員が新兵だ。数では勝っていても、戦いを決めるのはやっぱり経験と技術……その事を知っている私達は途端にパニックに陥ってしまった。


 由衣を除いて。


 皆が逃げ惑う中、由衣だけが敵機と対峙した。私は逃げるよう促したが彼女はただ


『絶対に赦さない』


 その声は格納庫で明るく笑っていた秋月由衣の物ではなかった。魔女。悪魔に取り付かれた魔女のようだった。


 由衣は敵機に猛進した。


 経験値も数も全然足りていない初陣のルーキーが腕の立つ先輩方の攻撃を切り抜けた敵機とやり合うだなんて一言言って自殺行為だった。


 ダメだと思った。


 多分、みんなそう思った。訓練時代さほどの良いパイロットでもない彼女がこの状況を乗り切れるなんて誰も思えなかった……


 だけど、秋月由衣は違った。


 私はあの光景を一生忘れることは出来ない。襲い掛かったミグが30秒もかからずに明るい光に変わった……。


 その後、パニック状態の私達の中で何かが変わった。同じ新兵が戦い、敵機を撃墜した……この事実が私の闘志を燃やさせた。勇気を振り絞って、反転。私は声を震わせながら


「わ……私も戦う」


『ホント!?ありがとう。モモ!!』


 って人懐っこく私に応えた。出会って数時間もないのに私にあだ名で呼んだのに驚きを感じたのと同時に彼女の豹変に恐怖を感じた……人懐っこい声と冷たい殺意の籠もった声……この二面性が怖かった。



 その後、私はなんとか訓練で習った事を全てやりきって敵機を撃墜できた。


 空では平気だったけど基地に帰ると、私は自分の機体の格納庫で怖くなって泣き出してしまった。ミサイルアラートの音や空中をえぐった曳光弾が脳裏を離れなかった……。そして何よりも初めて人を殺した事が何よりも怖かった。


 ……だけどそんな私を由衣は優しく抱きしめ


「ありがとう。モモ……モモが勇気を出してくれなかったら私は今この基地に帰って来れなかった」


 って私にね。


 由衣と出会う前は肩肘張ってばかりで本当に友人って呼べる人はいなかったけれど、死線を一緒に越えた彼女と私は本当の友達になれた。


「本当に由衣は人として尊敬できたよ」


 格納庫の壁に寄りかかりながら桃子は亜衣に語った。


「あの……他には?」


「色々とあるよ。そうだね……日本海でやった名試合なんてどう?」


「名試合?」


「うん。ソ連のエース、シベリアの女豹ことリジーナ・カリヤスキーとの一戦だよ」


 そう言った桃子はどこか胸を踊らせていた。


 

後半につづく

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