第2話 イーグルナイト
2018年 7月29日 午後1時24分
日本 茨城県 百里基地
蝉の声を掻き消すような轟音と共に澄み切った空に白筋が浮かびあがる。
ここは百里基地―――首都防空の第一線の基地であり、先の大戦を生き延びた猛者たちの陣地。
落ち着いた白い夏物のワンピース姿の亜衣は関係者のプレートを下げ、翔と隼人の所属する302飛行隊の滑走路脇の隊舎を目指した。
302飛行隊は百里基地で50年近く活動する伝統のある飛行隊で終戦と共に旧海軍の兵員で再編され、現在はF-4EJ改ではなくF-28の火器管制レーダーを改造したF-28Jシリーズを運用している。任務は主に領空侵犯機への対応だが有事の際は敵艦隊への攻撃も考えられる。旧自衛隊のF-2の任務とファントムⅡの任務の両方を引き継いだことになるのだ。
隊舎に到着した亜衣。時間は約束の1時半を廻っているが隼人と翔の姿は見受けられない。
「あの……矢吹中尉と風宮中尉はどこにいるか解りますか?」
近くを通りかかった『302TSQ』と刺繍された帽子をかぶっている飛行服姿の中年の男に亜衣は問うた。
「矢吹と風宮……あぁ、あいつらならスクランブルで3時間ほど前に上ってるよ。それとあいつらは今は大尉だよ」
亜衣は空母時代の癖で彼らの階級を間違えたようだ。ついこの間に昇格したばかりであったことを忘れてしまって。
「そうですか……いつごろ帰りますか?」
「もうそろそろだと……あ、来た来た。あれだよ」
陽炎の先を男は指差す。
甲高いエンジン音と朧な機影が二つ。
時が進むに連れて亜衣にも見える……3年前に何度も見たF-28の姿が。
「よく解りましたね」
「慣れさ。慣れ」
焼きつくような日差しを照り返しながら澄み切った空を旋回する二機のF-28……亜衣にとっては懐かしい光景だった。3年前、発艦した隼人を飛行甲板で待ち続けた時と同じ―――いや、違う。今は平和な時代だ。テロ活動があるとしても第三次世界大戦の時よりは平和だ。
高度を下げランディングコースに乗ったF-28の302飛行隊の伝統的な『尾白鷲』のマーキングが日で反射して輝く。
着陸。ギアはアスファルトを打ち、F-28はドラッグシュートを展開して減速を開始した。
「あの右の680って番号が風宮機だ。本当に良い腕してるぜ」
一旦停止したF-28から降りる二つの影。遠目からでも亜衣には誰だかわかる。
風宮翔大尉。元第184航空隊第一小隊『イーグルナイト』の指揮官で総撃墜数は91機。海軍最強ともいわれたパイロットだ。私の姉、秋月由衣もその実力を認めるほどの……
「風宮、矢吹、お客さんだ。べっぴんさんだろ?」
こちらに到着した翔と隼人に男は手招きをした。
「わーってますよ。佐々木少佐」
パイロットスーツを着た翔と隼人を見るのは亜衣にとっては久しぶりだった。少し大人の色が目立ち始めた顔立ちの翔だが、その瞳はあの頃と変わっていない。どこか子供じみたあの瞳の中にある野生的な眼光がまだ残っている。
「久しぶりだな。亜衣」
「うん。翔くん」
互いに忙しく、ここ半年ほど会えなかったから亜衣にとってこの再会はうれしい限りだった。
「遅れてすまない。未確認機の野郎が急に来やがったせいで……」
「大丈夫だよ……無事で帰ってくれれば」
亜衣の浮かべたはにかんだ笑顔も三年前と変わっていなかった。大人びた雰囲気の中にも彼らの帰りを飛行甲板の上で健気に待ち続けた少女らしさが残っていた。
†
同日 午後3時39分
スクランブル後の報告やシャワーなどを済ました翔と隼人は亜衣の待つ談話室に向かった。
「ごめんね、すごい待ったでしょ?」
「いいの、隼人くん。今日はお休みだから……」
談話室で待っていた亜衣はアイスコーヒーを片手にノートパソコンに入力作業をしていた。多分、件の原稿だろう。
「それより、忙しいのにごめんさいね。わがままに付き合わせちゃって」
「大丈夫だ。書かなきゃいけない書類は僚機の大竹の組に押し付けてあるから」
翔は亜衣の座るテーブルの向かいにある席に腰をかけて、缶コーラのタブを外して渇いたのどを潤した。
「で、その……私の姉の事を」
「あぁ、わーってるよ。俺の知ってる事を」
翔はコーラを一口飲んで深く呼吸し、遠くを見る目で、亜衣とテーブルの上に置いてある回り始めたボイスレコーダーに語り始めた。
あいつとの出会いは忘れらない。
由衣の噂は何度か聞いたことはあった。『魔女』とか『空軍最強』だとか色々と。フランクとかは俺と由衣のDACT(異機種間戦闘訓練)―-―まぁ、俺とあいつの練習試合が見たいって言ってたな。
俺も内心、やってみたかったけどめんどくさそうだし俺は断った。だけどある日、お前も知ってるけど思うけど由衣が空母に緊急着艦して、その後いろいろとゴタゴタがあってグレイシア基地で機銃攻撃でのDACTをやる羽目になったんだよな。
条件は同じ高度から行う同位戦。あいつとしてもフェアな格闘戦をやりたかったんだろうな。高度3000メートル、距離は7キロからのスタートだった。
真正面に向かい合って行う格闘戦でまず最初に行うことは知ってるか?まず旋回をして一番優位な位置でもある相手の背後を取るんだ。それを『リードターン』って呼ぶんだけど、俺は自慢じゃないけどそれで一度も相手に背後を取られたことがなかった。でも、由衣はそんな俺からいとも簡単に背後を取った。魔法みたいに。
あの時、俺はあいつの通り名所以が解かった。相手を虜にするように飛んで、弾除けび魔法がかかったみたいにすり抜けるように攻撃をよける。本当に秋月由衣って女は魔女だよ。魔法みたいな美しい旋回とそれを可能にするF-29ってマシーン。こいつらがタッグ組んだら絶対に負ける要素はない。
だけど、俺は勝たないといけなかった……まぁ、諸事情があってな。勝つために俺は自分の機体の長所を使って勝負することにした。
F-29は巴戦って言って旋回しあって背後を取ることに長けた日本的な機体で、俺の28はエンジン出力に物を言わせた戦いを得意とするアメリカ的な機体だ。俺の機体は由衣の機体よりエンジンの馬力が強くて、上昇力がある。だから、俺は機を加速して間合いを取って得意技をかけることにした。
宙返りの途中で失速させて、その際に起こる落下と同時に相手の背後を取る『フォーリング・インメルマンターン』。機体のバランスや失速から立て直すのが非常に難しくて、できるのは海軍で俺と一条大尉くらいしかいないって技だ。
まぁ、なんとかそれで背後を奪い返せた俺は反撃をはじめた。背後を取れればこっちのもんだ。俺は由衣のF-29のエンジンノズルに照準を合わした。
でも、由衣はそんじょそこらのパイロットじゃない。俺の照準からすり抜けるように回避運動を取った。手を伸ばせばひらりと避ける蝶々みたいにな。
俺は食いつくので必死だった。正直、あいつが味方で良かった。あんなのと命懸けで戦うのなんて御免被るよ。ホントに。
俺がやっとあいつの機を照準に押し込めた時だ。俺達がいる演習空域付近に爆撃機が来た、って一報のせいで勝負はお預けになった。あと数秒待ってくれれば勝てたのにな……。
で、由衣の提案で俺達で味方が来るまで爆撃機を足止めしようって事になった。武装は、敵襲に備えて装填された短距離ミサイルだけ。少し心もとなかったけど、丸腰よりは遥かにマシだった。
敵の爆撃機編隊は3機のV字が前後に二つだったから、俺が前衛で由衣は上方から後続の編隊を攻撃することにした。
俺は前衛だったから敵の雨みたいなミサイルに晒され羽目になったけど螺旋旋回で回避して一気に接近して2機ほど落とした。
燃える敵機はいつ見てもいやなもんだよ。たとえそれが母親を殺した爆撃機でもさ……。
燃える爆撃機から目を逃がすと、由衣が飛んでる姿が見えた。あいつは本土で防空任務にあたっていただけあって手慣れた様子……いや、そんなんじゃ言い切れない。
綺麗だったな。ムカつく程に。
Fー29ってマシーンを知り尽くしたような無駄の無い回避運動がすごく綺麗だった。悔しいけど妬いたな……俺もあんな風に飛べれば良いなってな。
「本当に凄いパイロットだったよ。由衣は」
翔は窓の向こうに映る傾いた太陽の光に照らされた蒼空を眺めながら亜衣に言った。
「あと、あいつは何よりも亜衣、お前を大切に思ってた」
「え……?」
「俺達は多くの人を殺した。だけど俺達にとって殺やめる事は手段であって目的じゃない」
翔は視線を空から亜衣に移して静かだが力強く言う。
「由衣もそうだ。あいつは亜衣を護る為に自分を血で汚し続けたんだ……最期までな」
「風宮大尉、矢吹大尉」
会話を翔と隼人の名前を呼ぶ女性の声が遮った。翔の背後に小柄で眼鏡をかけた若い女性が仁王立ちしていた。
「んだよ、モモかよ。書類なら大竹の組が……」
「その件じゃなくてウチと302の航空祭で行う編隊飛行の件ですよ……30分も探したんですからね!!」
モモと呼ばれる人物は頬を膨らませながら翔に要件を伝えた。
「その……こちらの方は?」
直接『あんた誰?』だなんて勇気は無いので亜衣は隼人に恐る恐る問うた。
「あぁ、305飛行隊の池上桃子中尉だよ。305だから大戦時は空軍のは……」
「……ウソ……由衣?」
桃子の手から書類がこぼれ落ち、バサバサと音を立てる。
「え……私は……」
両者、衝撃で言葉が出ない。
「違うよ。こいつは由衣の妹の亜衣だよ」
翔の言葉を訊いて桃子は我に還った。楽しい夢から覚めたような感覚と共に。
「あ……ごめんなさい。私、てっきり由衣が……」
この先の言葉が喉につっかかた。気まずい沈黙の後、亜衣は口を開いた。
「あの……私の姉とはどんな関係なのですか?」
「由衣とは同じ実戦部隊だったの。三沢基地で」
この瞬間、亜衣の背筋に稲光が走った。この人に訊けば何か解る。
「それより、早く戻らないと!!」
「そうだよ。ごめん、亜衣ちゃん。今度、もっとゆっくり話そう」
「あのっ!!」
亜衣は去ろうとした三人を勢いよく立ち上がって呼び止めた。
「池上中尉、姉の話を訊かせて下さい」