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外伝1話 気弱なワタシと……

外伝篇、スタートしました

2018年 7月24日 午後5時24分


日本 茨城県 百里基地付近のアパート



 まな板を打つ包丁の音と美しい声色のハミングが金色の光が差し込む部屋の沈黙を震わす。


 病院での仕事を終えた秋月亜衣は2LDKの部屋で小粋なハミングを奏でながら様子でビーフカレーの下ごしらえをしていた。その顔はどこか柔らかく綻んでいる。


 今日の正午に亜衣の恋人であり、現在同棲中の矢吹隼人が大尉に昇進し、そのお祝いとして彼女は隼人の大好物であるカレーをこしらえているのだ。


 戦争の終わり―――すなわち平和というわけではなかった。未だにソ連の残党やテロリストがゲリラ活動を行い、時として日本の領空を侵犯するのは日常茶飯事。故に隼人や彼のバディーでもある風宮翔は未だに軍に留まり、極東防衛航空軍、通称『航空自衛隊』として日々勤務に励んでいるのだ。


「隼人くん、喜んでくれるかな……?」


 母に教わった秘伝のカレーを煮込みながら彼女はふとリビングにかけてある写真が目に映った。


 オリーブグリーンのパイロットスーツを身にまとい、戦闘機のコクピットから身を出して親指を立てて笑う亜衣そっくりの少女の写真―――3年前に戦死した秋月由衣の写真だった。


「もう……3年か……」


 極秘の作戦で自分たちを庇って死んだ双子の姉、秋月由衣……最初は彼女の死を受け止められなかったけれど、時間と隼人くんが私の心の傷を癒してくれた。でも……時々、あの日の事を夢に見て、泣き出したりもする。


 深い悲しみの海に沈みそうな亜衣は頭を振り意識を今に留めた。そして亜衣は時間が命のカレー作りに戻った。……いや逃げた。調理に集中して嫌な事を思い出さないようにしたのであった。


 ピーンポーン。


 カレーのルー作りに戻って15分ほど経ったらドアのベルが鳴った。隼人ではないだろう。亜衣は鍋に蓋をして、玄関へ向かった。


「あ、磯貝さん」


 百里基地の婦人会の会長の磯貝さんがドアの前に立っていた。初老の女性で隼人と翔の所属する302航空隊の上官の妻で、日頃から亜衣たちに良くしてくれる絵に書いたような良き隣人だ。


「こんにちは、秋月さん。今日は婦人会の知らせで来たの」


 柔らかい物腰の口調と笑顔で磯貝婦人は話を切り出した。


「と、言いますと?」


「えぇ……9月の百里基地の航空祭の事で協力してもらいたい事があるの」


「はぁ……」


「その……少し、酷な話でね……戦没者を忘れないため、戦争の悲劇を次の世代に残すために……身近な戦死者の話をまとめた文集みたいな物を作ることになったの。で、秋月さんにも……」

 磯貝さんの表情は暗く曇っていた。申し訳なさそうな彼女の顔……亜衣は戸惑いながら


「でも……私……」


 思い出したくない。言葉にならないがそう訴えた亜衣の瞳を見た磯貝さんは、ふぅと息を吐いて


「私も書きますの……4年前に戦死した息子のことを……あなたが辛い事は私も百も承知です。だけど大切な人を記憶の中でも死なすのは悲しいし、その死を後の世に残しあんな過ちを犯してはならなと思うの。協力してくれません?」


 磯貝さんの言う事は解かる……正しいって。でも、姉の死を思い出したら壊れてしまいそう……。でも、彼女も自分の傷と向き合おうとしてる……。


「はい……少しだけなら」


 結局、頷いてしまった。日頃の恩もあるし、自分だけ逃げる訳にはいかないから。


「ありがとう……」


 涙を瞳に浮かべながら磯貝さんは頭を下げ、亜衣に企画の詳細が記されたプリントを手渡して去っていった。




同日 午後8時12分


 スクランブル待機のシフトが終わった隼人は家に帰ってきた。帰宅後にシャワーを浴び、制服からラフなオレンジのポロシャツに着替えた隼人は食卓についた。


 髪を後ろに結わったエプロン姿の亜衣はサラダとカレーを配膳し終えて


「今日は昇進祝いで隼人くんの好きなカレーにしたよ」



「知ってた。アパートの前から匂いがしたからね……本当に嬉しいよ」

 隼人は純粋な笑顔で喜んだ。この笑顔が見たくて疲れた体に鞭を打って作ったものだと、亜衣も同じようにはにかんだ笑顔を浮かべた。


「じゃ、食べようか……」


「いただきます」


 二人はスプーンを手にカレーを食べ始めた。出逢った頃と変わらない笑顔を隼人は浮かべ美味しそうに口にカレーを運んだ。


「ほんと、美味しい。亜衣ちゃんのカレーは世界一だよ」


「ありがとう。隠し味におろしたリンゴとヨーグルトを入れてマイルドさをだしてるの」


 母親の亜季が作ってくれたカレー。それを自分がカレーを口にいれる度に思い出す……同時に、もう逢えない家族とさっきの事を。


「ねぇ……隼人くん」


「ん?」


「さっき……磯貝さんに頼まれて、今年の航空祭にむけて由衣お姉ちゃんの事を書く事になったの」


「……大丈夫なの?亜衣ちゃんは……」


「うん……時間もだいぶ経ったからそろそろ向き合わなきゃ」


 亜衣は隼人に笑顔を見せた。不安を隠す為の笑顔のように隼人の瞳には映ったが


「解った。僕も協力するよ」


「ありがとう……じゃあ、隼人くんから見て由衣お姉ちゃんはどんなパイロットだったの?」


「え……早速難しい質問だ。何て言えば良いんだろ……あ、そうだ!!」


 隼人は何か合点したかのように手を拳で打ち


「今週末、オフでしょ?」


「うん」


「基地に来て翔に聞くのはどう?あいつならきっと役に立つよ。それに、まずは小さい頃を書かないと始まらないでしょ?」


「そうだけど……翔くんに悪いよ」


「大丈夫だよ。僕から言っとくから」


 隼人の好意を無碍にするわけにはいかない。亜衣は頷いてその方向にしてもらった。


「あ、亜衣ちゃん。お代わり」


「え……あ、うん」


 この晩、隼人は鍋に入ったカレーを全て食べた。




同日 午後11時01分


 隼人が眠りにつき、亜衣はリビングに配備されたノートパソコンの前で記憶の海を漂っていた。



 商社マンだった秋月由紀夫と秋月亜季との間に私と由衣は1998年の9月9日に誕生した。


 割と裕福な家庭に生まれた私達姉妹は何不自由なく育ったが、私と姉の由衣の性格は正反対だった。由衣は手のつけられないようなおてんばで、私は気が弱い泣き虫だった。


 当然、私はいつも姉に守られていた。怖い犬、いじめっ子から……。私が泣き出すとすぐに飛んで来て、犬やいじめっ子から庇ってくれた。


 いや、私だけじゃない。 いや、私だけじゃない。他のいじめられっ子の為にも戦ったのであった。


 しかし、いつも姉はケンカを終えると服が泥まみれになり


「もっと女の子らしくしなさい!!」


 と母親に怒られた。だけれど姉は


「由衣は悪くないもん!!あいつらが弱い者いじめするから」


 と一点張りだった。


 『弱い者いじめは許さない』これが秋月由衣の芯だったのかもしれない。姉はケンカが強いけれど、誰にでも優しく、決して弱い者いじめはしなかった。


 その後も姉と私はいつでも一緒だった。


 爆撃で両親を失っても。


 10歳の頃に私達の両親は激化した戦争の犠牲になった。私達を機銃掃射から庇って。

 爆撃が終わり、私達は逃げ込んだ橋の下で涙を流した。私は両親を失った悲しみの涙を。姉は両親を殺された怒りの涙を。


 今でも鮮明に覚えてる。由衣が基地に帰るソ連の攻撃機に


「絶対に許さないんだから!!大きくなったら……絶対にやっつけてやる!!」


 と泣き叫んで河原の石を空に向けて投げつけた事を。


 その後、父方の祖母に引き取られた私達は自分達の目標に向けて勉強と努力を行った……


 私は両親のような人を救う為に看護士を目指し、姉は両親のような人を増やさない為に戦闘機のパイロットを目指した。


 その後、私達は兵員になり、由衣は空軍のパイロットに私は海軍の軍曹待遇の看護士になった。


 方法は違うけれど、目標とスタートは同じ。両親のような人を増やさない事だった……。



 亜衣のキーボードを打つ手はそこで止まった。


「空軍ではどうしてたのかな?」


 別れた後のことは話では聞いたが、余りよく解からない。故に、続きなど書くことが出来るよしもなかった。


「もっと……調べないと」


 自分でもよく解からない胸の中で衝動的な感情がくすぶり始めたのは確かだ。磯貝さんの為でもなく、ただ姉の事をもっと知りたい―――ただ、それだけだった。


 由衣の事を知るため、過去を受け止める為の旅路の一歩を亜衣は踏み出したのであった。


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