MISSION6 戦場の正義
翔はパラシュート降下をしている。
ほんの数分前までは颯爽と空を舞っていたが、今は翼を失いただ落ちるだけだった。
海面にその身を打ちつけた瞬間、彼の皮膚に春海の冷たさがほとばしった。
着水の衝撃で沈んだ彼の体を救命胴衣が浮かす。
口の中が塩辛く、忌々しげに翔は海水を吐き捨てた。
「ここは?」
翔は辺りを見回す。
何も無かった。あるのは水平線と星空。あとは闇。それだけだった。
翔は共に着水したであろう竜也に連絡を取るために非常用の無線機を使うことにした。チャンネル調節の無線を回したが、帰ってくるのはノイズだけだった。
「畜生」
翔は毒づき、苛立ちに身を任せ通信機を放った。
虚しい水の音が無音の空間にこだました。
することも無く翔は空を仰いだ。彼の眼中に広がったのは、広い星空だけだった。そして、その周りを取り囲むのは無限の闇の海。
大海と星空に挟まれた彼は実感している。自分の矮小さを。
波に逆らう事もままならず、何処かへ流される自分が無性に悔しく、翔は力一杯に水面を叩いた。
「くそっ」
叩いても飛沫が跳ね上がるだけで、翔の心は一向に晴れることは無かった。そして、彼は何度も何度も水面を叩いた。
「何してんだよ、俺は?何時まで漂えば良いんだよ?」
肩で息をしながら翔は暗闇の中、誰かに問う。
数分が無限に感じる空間に一筋の光が射し込んだ。それは文字通り、光を放った船舶らしき物だ。その存在が翔には無性に嬉しかった。
この氷の様な孤独な世界で、誰かがいる。翔にはそれが嬉しくてたまらなかった。
「俺はここだ!!」
自己の存在を主張する声が嬉しさと共に翔の喉を駆け上がる。
しかし何も起きなかった。
「んなら……」
翔は脇の辺りに手を伸ばし、手探りで何かを探り出そうとする。
「あった」
翔は金属の確かな質感を手にその何かを抜き出す。月光がその何かを照らす。金属光沢を帯びた鉄、コルトM12だ。
M12とは、45口径の自動拳銃で携弾数は12+1発。100年前のハンドガン、M1911を改修したモデルである。
翔はスライドセーフティを解除。スライドを引き、初弾を薬室内に装填した。カチャリと小気味の良い音を立て45ACP弾は薬室内に送り込まれ、放たれる瞬間を待つ。
翔はトリガーに指を掛けた。
重い衝撃。
閃く銃火。
全ては、風宮翔の存在をあの船に知らすためである。
翔は訓練以来、感じられなかった生々しい反動にひるまず引き金を引く。
一発。
もう一発。
遥かなる天空へ向け彼は銃を撃ち放った。
「来てくれ!!」
翔はすがる思いで叫んだ。
すると、彼の思いが届いたかのように船がこちらに近づいて来る事に翔は気づく。
「よっし」
孤独な世界から戻れると知った翔は嬉しさのあまり声を上げ、拳を握り喜んだ。
きっと救難信号を拾った船で、自分と竜也を回収しに来た船だと、翔は信じる。
数分後、船は彼の近くに停泊した。
サイズは漁船クラスであろう。暗くてあまり確認は出来ないが、船首に大きな捕鯨用のアンカーのような何かが据え置かれている。
そして、サーチライトが翔の近くを照らし始めた。
「うわっ!!」
闇に慣れた目のにサーチライトの光は最大級の拷問に近かった。翔は目を凝らし、光の向こうを見た。
「え?」
光りの向こうには兵士がいた。銃を構え、敵意をむき出しにした年端行かない少年兵が。
スピーカーからはわけの分からない言語が流され、妙なアクセントの英語で『Drop your wepons』と。そして次は日本語で放送される。
『ブキヲステテトウコウシロ』
その言葉が翔に現実を見せた。今の自分の立場、これから、起きるであろう未来を。
†
鉄格子から朝日が空間を照らした。
最悪の状況で翔は朝日を仰ぐことになった。ベッドに座りながら一睡もせず彼は警戒の目を止めずにいる。
「冗談じゃねぇよ」
翔は呟く。
翔のパイロット候補生の頃に習ったソ連兵の姿はまさに『鬼畜』だった。
捕まえた兵士に地獄のような拷問をし、吐かせる物吐かしたら虫けらのように殺す。それが『ソ連兵』だと翔は教わった。
翔含む並大抵の兵士なら、この状況で睡眠を取る図太い精神を持ち合わせてなどいない。
だが、人間の生理現象は恐ろしい。情けない音を立て、彼の胃袋は腹の虫と呼ばれるレスキューアラームを鳴らした。
「腹減った~」
翔は腕を枕にベッドに倒れこむ。
「大丈夫だよな?竜也」
翔ははぐれた竜也の事を気に掛けていた。この牢には自分しかいないからである。
静かな空間。差し込む木漏れ日が仰向きの翔の瞼を重くさせる。張り詰めた空気だが、それらに勝る昨日の作戦の疲れが残る翔にそれらは眠りを強要させた。
翔の意識は吸い込まれるように眠りにつく。
空はどこか暗く、満月が妖しく輝いていた。
地上はなく、あるのは火の海。そして、聞こえるのは人々の悲鳴だけ。
地獄のような場所だ。いや、地獄そのものだった。
戦場という名の地獄。罪のない市民がソ連の空爆から狂気の表情を浮かべ逃げまどっていた。
起きて、起きてよ。お母さん
血溜まりに倒れる女性を揺さぶる男の子がいた。その表情は周りの大人と違ってどこか平然としてた。日曜の朝、寝坊した母を起こすような表情だ。
起きてよ、こんなところで寝たら風邪引くよ。
ねぇ。起きてったら
起きてよ
起きて
「起きてください」
幻想は消え、翔は今に戻った。体中に汗が滲んでいやな感覚が体によぎる。
「目が覚めましたか?」
翔の隣で声がした。この声が、翔の意識をここに戻した。声の主を捜すために彼は首を声をたどって傾ける。
そこには少女が一人いる。
あどけない表情を残した少女。翔と同じ歳かそれより少し年下な少女だった。
ストレートで長いブラウンの長髪が彼女の白い、雪のような肌を際だたせている。
「大丈夫ですか?うなされてましたよ」
少女は続けて言う。訛のないとても綺麗な日本語で。
「大丈夫だ。てか誰だ。お前?」
急に自分の牢屋の中に現れた少女を見たら誰もがこう訊くであろう。少女は何かを閃いたかのような表情を見せ、答える。
「あ、ごめんなさい。私はソビエト第16航空教導隊の訓練兵のクララ・ハリヤスキー准尉です」
敵か。
翔は少女に無気力な敵意の眼差しを向ける。
「で、何の用だよ」
「尋問です。一緒に来てください」
翔の視線をもろともせずに笑顔でクララと名乗った少女は言った。そして彼女は手錠を出し翔の手に掛けた。
「で、捕虜の扱いは条約に則るのか?」
翔は意地の悪い笑みを浮かべた。
彼がパイロットの訓練性だった頃、ソビエトの兵士は人の腸をむさぼるような奴らだと習った。故に人の法など知らないと翔は見限っているのだ。
しかし彼女は翔の皮肉満面の笑みに太陽のような輝かしい笑みで返し、言う。
「はい。人権法に則りますよ」
「へ?」
意外な答えに翔は素っ頓狂な声を上げ驚いたのであった。
†
翔は尋問室のある建物へ行くため、クララに外へ連れられた。
穏やかな日差しの独房の外。
要塞にしてはのどかすぎる場所だった。
少女に連れられている翔の目には談笑する婦人達の姿。その周りで笑顔で遊んでいる子供達の姿が見えた。
「おい、ここって本当に要塞なのか?」
その光景を見たものなら誰でも言いたくなるようなことを翔は彼女に聞いた。
「はい。第7軍用島です」
「で、何で民間人がいるんだよ?」
普通、軍事機密の漏洩を防止するために民間人はたとえ軍属といえども要塞の中には入れない。ましてや島が丸ごと要塞なら、民間人が入る事など天地がひっくり返ってもあり得ないことだ。
「彼らは難民です。戦争が生んだ」
彼女の語尾がどことなく寂しげだった。敵といえども翔にも解ることだった。
「それで私たちが保護しているんです」
無理に明るく振る舞う彼女の笑顔という仮面からは彼女の奥深い場所にある悲しみを隠しきることなど出来ない。
その碧眼の奥には今の世を嘆くような何かがあった。
「そうか・・・がへっ」
そう言い終わった途端に、翔の股間部に衝撃が走った。翔の後方に一人のまだ小学生ぐらいの少年がいた。小さいながらも彼の出せる最大の敵意の眼差しを翔に送っていた。
「こら。だめでしょ、暴力を振るっちゃ」
クララが後ろの男の子を穏やかな口調でしかりつける。
「だって・・・こいつ悪者なんでしょ?しほんしゅぎの」
口をとがらせ彼は反論する。しかし、クララは膝をつき、彼の手を優しく握って言う。
「悪者なんていないの。敵と味方に分かれただけなんだよ。それに、戦争をしている人に良い人も悪い人もいない」
「何でさ?」
男の子は納得がいかずクララに問う。
「だって、戦争自体が悪いことなんだから。人が人を傷つけて良い事なんて無いの。だから、お兄ちゃんに、ごめんなさいしなさい」
「・・・はい。ごめんなさいクララ姉ちゃん」
「私じゃないよ。お兄ちゃんに」
男の子は翔の方に向き言う。
「ごめんなさい」
言った後に、彼はどこかへ走り去る。
一連の光景を見た翔はどこか不思議な感覚を覚えた。
優しい何か。温かい何かを。
「大丈夫ですか?」
ぼうとしていた翔の耳に彼女の声が響いた。
「あぁ」
「では、行きましょうか」
そう言って彼女は手錠がかかった翔の手を引き、歩きだした。