LAST MISSION 少年と空
高度40000メートル。空は黄昏に染まり、数分前までにいた地上は目に見えないほど遠くなっていた。あるのは空とその色を反射した凪いだ海だだった。
2Gで50度の引き起こしで上昇を翔とフランクのガルーダは上昇を始めたが、空気中の酸素濃度の低下により加速度が低下し始めた。
「隼人、ミサイル発射まであとどれくらいだ?」
「7分だ。そろそろ、ロケットブースターを使ったほうが良いと思う」
「わーった」
翔は左翼を飛行するフランクに人差し指を立ててロケットブースターの使用のサインを出した。フランクは親指を立てて返答。2機は統一が取れた様子で鎌首をもたげるように垂直上昇。
「カウント、5・4・3・2・1……点火!!」
翔がフランク機に指折りカウントを終えたら、後席の隼人はロケットブースターを点火させた。刹那、ロケットモーターは業火をたぎらせ神鳥を高空へと誘う。
「ぐっ!!」
だが同時にそれは強烈なGとなってパイロット達に牙を向いた。蛇の毒のようにじわじわと翔の意識を暗黒の淵へと叩き落そうとした。
ゆだねれば楽だ……こんな苦痛を感じずに済むのだから。翔は加速度で落ちる瞼を開ける力を緩めようとする。だが、何かがそれを彼に許させなかった。
――――護って……
脳裏の残ったクララの声の残照だった。過去に果たせなかった約束。だが、今は違う。彼女と交わした未来の約束が彼の意識を光の世界に留めさせ、彼の操縦桿を握る力となる。
「はぁ……はぁ……!!」
永遠にも感じられたような30秒。何とかフランクも脱落せずに済んだらしい。上昇コースに機を戻したフランクは余裕そうに翼を振っている。現在の高度は65000メートル。
『聞こえるか?』
「エド?通信妨害は?」
エドからの通信に隼人は応答した。さっきまで電波妨害のせいで一言も言葉でのコミュニケーションが取れなかったがどうやら出来るようになったらしい。
『多分、ジャミングの有効圏内を出たんだろう。で、どうする?翔』
「あぁ……那琥のデータによるとワシントンに向かうのが1号。ソ連領に向かうミサイルが2号らしい」
『すまん。ワガママを言っていいか?』
会話に割り込んだのはフランクだった。その声色には真剣の色素が見える。
「どうした?」
『1号のミサイルを俺にファッキン・ジャンクにしてやりたいんだ……』
一回、言葉を探すように黙っりこんだ。だが彼は腹を決めたように息を深く吸って
「そいつの目標は俺の故郷だ。絶対に俺が護るって決めた場所があるんだ。だから……譲ってくれ」
『わーったよ。良いぞ、譲るよ』
「サンクス。恩に着る」
フランクはマスクの下に隠れた照れた笑いを翔に向けた。そして、後ろを任せられる相棒に
「エド……俺のカウボーイ気取りのワガママに付き合ってくれるか?」
「付き合うも何も……ない。この機体のパイロットはお前で、俺はお前を全力でサポートする。それだけだ」
冷静漢。表情を表に出さない彼の声色には温かい何かが含まれていた。
「エド……」
「それに、ワシントンと俺の故郷も近いからな。好都合だよ」
「へっ違ぇねぇ。英国野郎はいけすかねぇがお前は最高だよ」
「黙れ。米国野郎。まぁ、俺も同じだ。フランク」
しばしの沈黙。だがその沈黙は二人の笑い声が壊した。絶対的な信頼こそ、対極な二人が幾千もの修羅場で勝ち得たものだった。
『ミサイル、そろそろ来るよ』
隼人の発した言葉は一瞬にして空気をナイフのように研ぎ澄まされた。ミサイル発射まであと1分もない。目標高度に達した2機は機を水平に直した後、右に周回した。
「よし、散開し次第フランクはポイントA。俺はBに行く。わかったな?」
『了解』
引き締まった空気。翔の腹部に何かが宿る。緊張……?いや、興奮に似た何かだ。
「フランク、エド……風の導きが共にあらんことを」
任務と生還への祈りの言葉。戦闘機乗り達の明日への渇望の言葉。翔は隣に轡を並べた戦友にその言葉を告げた。
『あぁ……翔、隼人。お前らにもな!!生きて帰れたらみんなで俺の実家のミートパイ食わせてやるよ!!』
「楽しみだ。行くぞ!!」
2機のF-36は阿吽の呼吸で銀翼を翻して左右に散会―――自分の待機位置へ機首を向けた。
「隼人、目標は?」
「10000メートル下。そろそろ来る。レールガンチャージ開始」
隼人はコンソールを連弾を奏でるかのような指捌きで操作、レールガンの電力供給を開始した。
「あと1分で射程圏内。距離は3000メートル。高度は73000メートル」
いつもと変わらない。照準機に目標を入れてトリガーを引くだけ……翔はそう言い聞かせ、心を落ち着かせた。
「翔、絶対に撃ち落とそう……みんなの為に」
「わーってるよ。下には大切なみんながいるし、約束もあるんだからな」
「だよね。―――――大丈夫、翔なら出来るよ……どんなに不利な状況でも諦めることをした事が無い翔なら……」
「照れるな……だけど、諦めないでいられたのは後ろに竜也……隼人、お前達がいたからだ」
自分が操縦桿を離した時に代わりに戦ったのは隼人だった。彼、いや……途中で逝った竜也やみんながいたから戦えたのだ。
「ありがとう……翔と一緒に組めて良かった」
「バカ野郎。生きて帰ってから言え」
翔はふと笑みをこぼし空を見上げた。いや……そこには空なんて無かった。
濃紺が頭上を覆い、さっきまであったはずの地平線は蒼く丸みを帯びていた。
「ソラのかなた……か」
上空80000メートル。まさにここはソラのかなただった。少しスティックを引いて上昇すれば宇宙に行けるような高度だった。
「翔、来るよ」
翔は操縦桿の武装選択スイッチを押し、レールガンを構えた。
「距離3000。FCSよし。コンピューターに任せて撃てば大丈夫だよ」
「あぁ……」
翔は操縦桿とラダーを駆使して機体の細かい位置をコンピューターの導きのままに動かす。
「まだ……」
どくん。心臓が激しくのた打ち回る。激しさの余り、喉から飛び出てしまいそうだ。でも、呼吸を正し冷静さを保つ。
『Fire』
HUDに写るレティクルとアルマゲドン・ミサイルのシンボル・ボックスが重なった。
「今だ!!」
翔は引き金を絞った。相克する電磁は火花を散らし40ミリの弾丸を弾き飛ばした。
弾が当たって全てが終わることを祈った。
だけど……
「目標健在……だめだ。外れたみたい」
当たらなかった。FCSの言うとおりに撃ったら外れたのだ。
「くそ……いくら高性能でも調整が間に合ってないみたいだ!!……どうする?」
頼みの綱が切れた。絶望に沈むような状況だが翔は左手に握ったスロットルを前に押し倒し、アフターバーナーに点火。
「どうする気!?」
「FCSが使えないなら直接照準しかないだろ?だから、やつのケツを取るんだよ」
翔は機首を上げ、ハルマゲドン・ミサイルの下に回り込もうとする。FCSもダメ。あの速度の物体を直接照準で撃墜するなんて不可能に近い。故に翔は下から回り込んで撃ち落す事にしたのだ。
「ダメだ!!後炎の乱気流で失速する!!」
「大丈夫だって。乱気流の外から狙う」
白い航跡を避けながら翔のガルーダはミサイルを追う。だが、こちらのエンジンに送られる酸素の量が少なく速度も徐々に落ちエンジンが悲鳴を上げ始めた。
「隼人、チャージしてくれ!!」
「もうしてある!!ガルーダの限界高度は100000メートルだからこの一発を逃した……」
世界が終わる。解っている。レールガンの次弾発射までは約40秒―――これを外したら目標は有効射程を離脱し、宇宙空間へ出てしまう。
この人差し指に60億の命がかかっている……そう思うと右手が震え始めた……。
この一撃も外れる……そう思えてきた。
―――――震えてるのか?翔……
「え……?」
震える手。誰かの声と共に誰かの手が翔の右手を包んだ気がした。知ってる懐かしい声。もう二度と聞けない背中を任せた相棒の声だ。
「竜也?」
―――――どうしたんだよ?エース。いつものお前なら怯える事無く撃ってるだろ?
キャノピーの向こう……はにかんだ笑顔の彼がいる気がする。キャノピーの向こうの空にいる彼は操縦桿を握る震える彼の手に自分の右手を置いていた。
―――――竜也の言う通りだ。お前らしくねぇよ。翔
新しい声が翔の耳朶を打った。未熟な自分に道を示し、自分の未熟さが殺した尊敬すべき空の戦士であり自分の師の声だ。
「一条隊長……?」
――――お前ならやれる……なんせ、俺が見込んだんだ。お前以外に誰が出来るんだよ?
一条隊長は竜也の隣で親指を立てた。あの子供らしさの残る笑顔を浮かべて……。
「だけど!!」
―――――情けないこと言うんじゃないわよ。あんたの腕に妹の命がかかってんだから!!
また知ってる声……。空では良き仲間であり良き競争相手だった戦友の声。ケンカ早いけれど護るものの為には自分の命を差し出した強さと優しさのある戦友の声だった。
「由衣」
――――――ったく。男のくせに未来のこと気にしないでよ……あんたなら落せる。空軍最強のあたしが保障するんだから
由衣も笑顔だった。このソラの蒼のように透き通った笑顔だった。
――――――自信を持って……翔くんなら絶対にやれるよ
「クララ!!」
温もりが翔の震える右手を包んだ。ずっと聞きたかったあの声……唾を吐きたくなるような運命に引き裂かれた掛替えのない友人の声だった。
「無理かもしれない……」
――――――――大丈夫だよ、翔くんは絶対に出来る。だから……勇気を出して。みんなを護って
震える手を包む存在はずの手。ソラの向こうにいる散った仲間たち。彼らが死んだのは自分のせいだ。だけど、みんな笑顔だった。笑顔で翔の震える右手を包んでくれる……。そして自分の名を呼んで勇気を与えようとしてくれる。明日を作るための。
「翔、急いで!!早くしないとミサイルが!!」
出来るかわからない。でも、先に逝ってしまったみんなが自分の手を握り、背を押してくれる。
「……わーってるよ」
竜也、隊長に由衣、そしてクララの手が包んでくれた右手から震えは消えた。あとはトリガーを引くだけ。
「みんなが繋いだ未来、こんなのに壊させる訳ねぇだろ!!」
過去を生きた人々が繋いだ未来―――――そして、今を生きる人が生きる未来……それを護れるのは自分だけ。多くの命を奪った翔の右手の人差し指が始めて『誰かを生かす』為に屈伸運動を行った。
巡る記憶。彼らと過ごした時間。それも掛替えのないものだ。笑えた温もりに満ちた時間。何が起こるか解らない未来なんかに比べれば楽園のようなものだ。
「だけど……俺は未来が欲しい!!……当たってくれぇぇええぇえぇえ!!」
迸る電磁と感情。祈り――――いや、もっと透き通ったような思いで翔は引き金を絞った。殺すためではなく何かを護るために……。
漆黒のソラに低く神鳥の携えた雷が轟いた。切り裂く空気も無に等しい空間を音よりも速く弾丸は飛翔する。
仲間達の思いを乗せて放たれた弾丸は終焉を撃ち抜いた。世界に来たるべく終焉は神鳥の背の騎士が放った矢が打ち壊したのだ。
「やった……!!」
ミサイルはロケット燃料に引火して炎上を始めた。降りかかる破片を翔はとっさにインメルマン・ターンで回避した。
「翔、やったんだよ!!すごい!!」
隼人の喚起の声を背に翔は自分の右手を見た。さっきまであった温もりは消え、今は何も残っていなかった。
「クララ……みんな」
あれは幻想だったのだろうか?いや―――まだ、右手には確かに感覚が残っている。
―――――じゃあね……みんないつでも翔くんをここから見守ってるから
どこかで声が聞こえた気がした。クララの声だ。
「あぁ……俺、生きてくよ……みんなが繋いだこの未来をさ」
声がしゃくり上がって上手く出ない。視界が霞む。霞んだ視界の向こうのソラのかなたでみんなが手を振ってくれてる気がする。もう……会えない彼らが。
『こちら、デビル。聞こえるか?イーグルナイト1と3?』
神海から通信が翔達のヘルメットのスピーカー振るわせた。どうやら下の電波妨害の解除に成功したようだ。
『こちら3。ファッキン・ミサイルの撃墜を確認。核爆発は視認めできねぇ』
フランクも撃墜に成功したようだ。
「翔、報告しよ」
「あぁ……」
隼人は翔は小さく返した。
「こちら……イーグルナイト1……作戦……作戦成功。これより……これより帰還する」
自分を縛っていた鎖が千切れた気がした。この瞬間、本当の意味で風宮翔の戦争が終わった。
†
滑走路は沈黙に包まれていた。世界の終焉を回避できたと言うのに金色に染まり始めた空を見守り続けていた。
「翔……」
人だかりの一角で光は彼の名をつぶやいた。不安に押し潰されそうになりながら空を見続けていた。空の向こうにい彼……翔の事を思うと胸が張り裂けそうだった。
「光ちゃん……大丈夫?」
隣にいる亜衣は心配そうな様子で彼女の左手を握った。
「大丈夫だよ。翔くんは絶対に帰ってくる」
「ありがと……」
亜衣の手を握り返し待つことにした。亜衣も同じだろう。隼人の事を思うと彼女の胸も同じように痛くなるのだろう。
「……ん?何かが聞こえない?」
「え?どうしたの、亜衣?」
「戦闘機の……エンジン音?」
亜衣がそう言った数秒後に光にも聞こえ始めた。甲高かさと重低音の混じった力強い音だ。飛行甲板で聞くあの音……パイロット達の帰った時の音だ。
見えた。2機の戦闘機が綺麗な編隊を組んで夕日の沈むほう方角から現れた。その瞬間、兵士から溜め込んだパワーを放出するかのように歓声が巻き上がった。
「翔!!」
赤いラインと青いラインの機体。翔とフランクの機体だ。左に翼をはためかせ群集の上をフライパス。一陣の風が光と亜衣の髪をなびかせた。
「帰ってきたんだね……!!」
「うん!!行こう、亜衣!!」
二人は滑走路へ人ごみを掻き分け走り出した。光は翔の機体を追いかける。息が切れても追い続けた。金色の光を反射する銀翼が低い空を翔け……滑走路をギアで打った。
帰ってきた。空のかなたからみんなのいる大地へ。着陸し停止した機体の中で翔は深く息をついた。
「翔、早く降りようよ。みんなが待ってるよ」
キャノピーをつき抜け、歓声が翔の鼓膜を振動させた。人だかりがF-36の周りを囲んでお祭りでも始めたような雰囲気を醸し出していた。
「あぁ。そうだな」
翔がキャノピー開放ボタンを開けたら、整備課がタラップをキャノピーに掛けた。
「立てる?」
「大丈夫だ。隼人」
操縦席に身を乗り出した隼人は心配そうに翔に手を差し伸べる。足を撃たれたが、アドレナリンと痛み止めのおかげで割かし痛くないので、翔は立ち上がることが出来た。
翔達がタラップを降りれば先に降りたフランクとエドが待っていた。彼らの元に翔と隼人は歩み寄った。
「よくやったな。翔」
「サンキュー。エド」
エドの高く掲げた手を翔は自分の右手でハイタッチ。皮膚と皮膚が弾け合って鳴る心地よい乾いた音が滑走路でなる。
「フランク、良く落としたな」
「へっ。お前こそ『出来ない』とか言いやがって……やっぱ出来んじゃねぇかよ。相棒!!」
フランクは満面の笑みで翔を思いっきりヘッドロックをかけた。
「やめろよ、フランク!!お前のせいで口切れてんのに」
「へっ世界をそれで救えりゃ安いもんだろ?」
「そうだな……ちょっとわりぃ」
翔はフランクのたくましい腕から抜け出し、群集を見回してある人物を探した。
「隼人くん!!」
「亜衣ちゃん!!」
隼人はどうやら先に見つけたらしい。亜衣と隼人は静かにだがしっかりと互いを抱きしめあった。
「信じてたよ……必ず帰ってくるって……」
「うん。絶対に君を護るって約束したから」
涙を流して二人は愛を確かめ合った。温もりと共に体を伝わる熱い何か……二人はそれを感じながらこの瞬間に酔いしれた。
そんな二人を横目に翔はあたりを見回す。掻き分けられていく人ごみ。
小さな人影が現れた。今、翔がもっとも欲しい人影が……。
「翔!!」
人の海を掻き分けながら光と亜衣が翔達のもとへ走り出した。彼女だ。彼女を翔は探していた。
「光!!」
人波を抜けた光は翔の胸に弾丸のように飛び込んだ。高高度で氷のように冷えた体を光の温もりが包み込んだ。
「おかえり……翔」
そう言った彼女の瞳は涙があふれていた。
「ただいま……」
胸の中にいる光。彼女を見ていると自分でも解らない衝動のような何かが胸を突き動かす。
「光……約束したよな?」
「え?」
「帰ったらキスするって」
翔の言葉を聞いて光の頬はかぁっと紅くなる。言った事を忘れたのか照れているのか解らない。でも、彼女を欲する心はどんどん強くなってくる。
「え……でも、たくさん人がいるし、あとじゃ……!?」
問答無用だった。翔は光の唇に自分の唇を重ねた。
最初は理性が利いて翔を押し離そうとしたが数秒で理性が吹き飛んだ。光も自分が欲するままにこの瞬間に身を委ねる事にした……。
口付けを交わす二人を囲む群集たちは祝福の声を上げる。この二人の未来が穏やかで、優しいものである事を祈るかのように……。
翔は心の中で願った。この瞬間が永遠であるように。
「大好きだよ、翔」
「わーってる」