MISSION60 蒼空、大地へ
『マスター?』
通信が繋がった。翔たちの耳にかすかに聞こえたのは紛れも無くクララの声だった。
「クララ!!聞こえるか?俺だ、翔だ!!」
『……』
翔の祈りの声は彼女の沈黙にかき消された。だが、彼は諦めないで続ける。
「第7人工島でのこと忘れたのか?」
始めてクララと出会ったあの場所。自分を変えるきっかけと自分の罪深さに気づかせてくれたあの場所……
あの男だ。馴れ馴れしく不愉快極まりないあの男だ。
『ウリエル。その男はお前を惑わそうとしている。早く、その男を殺せ』
通信にマスターの声が割って入ってきた。そう、私はクララなどではない。
「はい。マスター」
『クララ!!』
クララ。その名を聞くたびに頭が嫌悪感に似たな何かで痛くなる。その名で呼ぶな。呼んだら……
「黙れ。私はクララなどでは……」
ない。その言葉が一瞬出無くなった。言葉の変わりに脳裏に妙なビジョンが一瞬よぎった。
暖かい日差しと、その下で戯れる子ども達のビジョンだ。
「私は……私は……」
誰だ?誰だ?いったい誰だ!?クララと呼ばれるたびに自分の存在がわからなくなる。それが嫌悪感の正体?
『お前はクララだよ!!山村クララ!!人の頭にボルシチをぶちかますドジな奴。でも……敵と一緒に笑い会えることが出来る優しい女の子だよ!!』
笑いあう……?ボルシチ……?
「私は……私は!!」
『ウリエル……混乱してるようだね?君は兵器なんだよ』
マスターの一声でウリエルは平静さを取り戻した。
あぁ。そうだ。私はウリエルだ。
乱れた精神は抑制され彼女は戦闘を再開した。
神鳥と悪魔が翼をはためかす度に大気が切り裂かれた。
翔は依然としてウリエルに背後を取られたまま後手に後手にヘと回っている。
「クララ!!クララ!!」
回線は切られ、翔の発した言葉に返ってくるのはノイズだけだった。
円を描くはずの旋回は直角。「失速」という二文字はどこか遠くの世界に棄てられたかのような角度で急上昇。目玉が飛び出してしまいそうなほどの加速度がパイロットに襲い掛かる。
「きしょう……こんな……うっ!!Gは初めてだ!!」
のしかかるGは翔の腹部を圧迫し言葉を発するのを邪魔する。現在の速度はマッハ2.7。F-28の限界速度を裕に越していた。
どうする?風宮翔。
あの白い悪魔に機銃弾を叩き込めば事は容易くすむ。しかし、あれに乗っているのは間違えなくクララだ。あの機体を壊せば間違えなくクララは死ぬ。それだけは絶対に避けたい……いや、避けなければならない。
――『アレ』をやれ
悩みに悩む翔の脳裏によぎった懐かしい声。空戦で不利になるたびに『アイツ』はいつもそう言った。
「アレ……そうか!!」
『アレ』――フォーリング・インメルターン。風宮翔の得意とする空戦技だ。アレを使えばどうにかできる……翔はそう判断した。
「隼人、アレするぞ!!」
「え!?」
エンジン出力減。
エアブレーキ開。
速度がグングンと落ちる。超音速から、亜音速へ。翔は減速と回避運動たれないように左右に旋回を続けた。
「隼人、クララもついてきてるか!?」
「うん。でも、どうするつもり?」
「良いから見てろ」
「そうくると思ったよ……」
一呼吸。
翔はこの一合に全てを賭けた。操縦桿を握り直すとそれを手前に引き倒す。
重々しく持ち上がる機首。
空気抵抗を受けて減速する機体は揚力を失い、失速の兆しである細かく振動を起こした。
「来い……クララ!!」
記憶を失ったクララはしっかりついて来てる。翔はそこに賭けたのだ。リジーナと自分の空戦を何度も見た彼女の記憶が無い彼女ならきっとこの誘いに乗ると信じた。
『失速、失速』
推力と揚力のすべてを失った神鳥は大地に吸い込まれていく。
機銃用意。
落ち行くガルーダと上昇するディアヴォールがすれ違った刹那だった。瞬間的に翔は照準を合わせて
「今だ!!」
トリガーを引き絞った。だが、HUDの照準器が捉えているのは本体ではなく、右の主翼。そして刹那とも呼べる時間でラダーペダルを駆使しして右から左へ機銃弾を流すように撃った。
「ぐっ」
敵の放った弾丸は右の垂直尾翼と左の垂直尾翼、そして右の主翼を的確に本体から切り裂き、文字通り操縦不能にした。
主翼も尾翼もない機体を操縦する事など不可能に近い。ウリエルはそう判断して脱出レバーに手を伸ばした。
「マスター。機を棄てます」
『なんだと!?負けたのかウリエル!!』
「はい」
ガシャン!!とマグカップが割れたようなけたたましい音が通信波の向こうで響いた。
『仕方ない……早く脱出しろ!!』
普段は冷静なマスターの声は焦りと怒りに満たされていた。
「脱出」
イジェクションシートが起動され、ウリエルの体は天高く舞い上がった。
風宮翔に敗北した彼女の胸には悔しさなどなかった。あるのは彼を抹殺しなければならないという使命感だけだった
†
「はぁ……はぁ……クララは脱出したか?」
「うん。それと、フランクが言うには敵の航空隊は殲滅したって」
「そうか……これで俺たちの任務は……」
これで一安心だ。翔はそう胸をなで下ろすと
『こちら上陸部隊。揚陸艇が故障した!!上陸作戦の始動まで時間がかかる』
「何!?」
揚陸部隊が速攻で光を救出しなければ、奴らは場所を移してしまうだろう。翔は少し焦りを胸の中に覚えた。
『だったら俺らが先行する!!』
そう言ったのはフランクだった。
「フランク!!」
『俺も行く。って言っても、こいつが降りたら俺も行かねばならないけどな』
そう言った彼らの機体は高度を下げ、敵の使っていた滑走路へ着陸を開始した。
「エド……!!」
『私も行きます!!』
アリスもだった。続々と同じ言葉が翔の耳に響く。『自分が行く』と。生き残った20機は着陸を開始した。翔はその光景を唖然と見ることしかできなかった。
「翔」
隼人の声。彼は翔の右肩に手を置き一言。
「行きたいんでしょ?光のところへ」
行きたい。彼女に会いたい。衝動にも似た感情が翔の胸を突き抜けた。
「僕はいいから……翔のやりたいようにやって」
「あぁ」
翔はそう言って、操縦桿を切って着陸コースに入った。
ギアダウン。
操縦桿を握っていても、脳裏をめぐるのは光の見せた笑顔だけ。あの笑顔が見たい。あの笑顔を自分のものにしたい。よくわからないけど……彼女がほしい。
F-36のギアは人口の大地を打ち付けて、数メートルを走ったのちに停止。翔はキャノピーを開け、コックピットから飛び降りた。
「いてっ!!」
調子に乗って飛び降りたが、コックピットの高さは4メートル。普通に飛び降りたら痛いに決まってる。飛び降りた翔は身軽にするために耐Gスーツを脱ぎ捨て、コルトM12のセーフティを外し、初弾を薬室に送り込んだ。
「翔、こっちだ!!」
先に降りたイサカ・ショットガンを担いだフランクが手招きをする。とりあえず翔はフランクのもとへ向かうことにした。
「見ろよこれ!!ファキン・クールだろ!?」
フランクのF-36の下は文字通り武器商人の露店のようになっていた。
MINIMI汎用機関銃が一つ。M4カービンが三丁に、MP5が一丁にポンプアクションの予備弾倉が何個かあった。
「これは?」
「武器庫から拝借して、こん中に入れて来たんだ」
フランクがコンコンと叩いたのは私物を運搬するためのキャリアータンクだった。彼はそこに入れられるだけ武装を入れ込んだのだ。
「アリスはこいつな」
そう言ってフランクはアリスにMP5サブマシンガンを投げ渡した。ぎこちない様子で受け止めたアリスが静かにうなずいたのを見てフランクは頷いて、武装分別を続けた。
「野郎三人はM4な。で……俺は」
MINIMIマシンガンを気前よく持ち上げて、フランクは筋肉質な政治家の若かりし頃のようなポーズをとった。
「マシンガンはマッチョマンの基本だからな!!」
「うるさい」
死線を共に超えた三人の息のそろった突っ込みになす事無く寂しそうにフランクは黙り込んでしまった。
「じゃ、突入しに行くか」
翔の一言でふざけていた彼らの目は真面目だった。これから生身で殺し合いをしに行くのだ……空以上に気を引き締めなければ確実に死ぬ。そのことを胸に刻み、イーグルナイト小隊は敵の研究施設――姫が囚われている塔へ赴くのであった。