MISSION52 影、動く
2015年 12月24日 午後6時21分
太平洋 空母J・グラフトン ハンガーデッキ
空母の舳先は沖縄へ向いていた。
戦争の終わり、すなわち退役という訳ではなかった。沖縄へ移転された太平洋艦隊、日本戦隊の本部へ一度向かい退役の処理を終わらせるまでまだ軍人なのだ。
「翔!!」
整備が完了した216号機の前で那琥は手を振り、翔を呼んだ。
「解ったのか?」
「うん……」
那琥は翔に手に重さを感じるほどの量ではないがプリントの入ったファイルを渡した。そこには『報告』と那琥の筆跡で書かれた文字がある。
「とりあえず、奥に来て。ここだとうるさくて話ができないから」
そう言われて、翔は那琥と共に艦尾の奥へ向かうことにした。
艦尾の方は割かし静かだった。オイルの代わりに潮の香りが鼻につき、整備器具の機動音の代わりに潮騒が耳朶を打った。
「で、解ったのか?」
「うん。ガンカメラの解析の結果が出たよ。とりあえず、中身見て」
翔はファイルの中からプリントを引っ張り出した。
「これは……」
あの戦闘機の三面図だった。自分を襲い、クララを殺した黒い機体の。
「ソ連の機密が最近丸裸になって解ったよ。あれはスホーイモデルの試験型。Su417ディヤーヴォル。Su47の発展モデルだって」
Su417なる機体は確かにどこかベルクトに似ていた。だが、ベルクトより禍々しい美しさが強い。あの機体はマズい。そう本能的に思えた。
「性能は?」
「一言で言うと、ヤバい。ワイバーンじゃ太刀打ちどころじゃないよ。てか追いつけない」
「え?」
確かに速かった。エンジンが最高の状態でも追いつけない、後になって翔は思った。
「プロトニウムエンジン搭載機」
「は?」
プロトニウム――この戦争の原因となった高出力のエネルギー体である。
「でも、プロトニウムを動力にしたらエンジンが耐えられないだろう?」
プロトニウムはエネルギーが強すぎて、エンジンが以上加熱を起こし飛行中に爆発する、と一般的に言われている。
「うん。でも、4年前に連合側がプロトニウムエンジンの開発に成功して、その技術がソ連に流れたみたい……旋回性能もケロシンが必要無くなったから身が軽くなったから高いし、ステレス性能も高い。あと……」
那琥が言葉を詰まらせた。恐怖のような感情が彼女の表情を曇らせる。
「脊髄コントロール……」
「脊髄?」
「見て」
プリントの2枚目にパイロットスーツのイラストが描かれていた。黒くてボディーのラインがくっきりと見えるほどタイトなスーツ。その背部には3つの丸いプラグがあった。
「この機体は速過ぎて人間の手じゃ反応できない。だから、人間の脊椎を伝わる電気信号を操作信号に変換して操縦させる……乗ってるパイロットがまるでモルモットみたい」
那琥は珍しくゾッと青ざめている。
「この機体は人間が乗れるものじゃないよ。このスペックだと最大で10G以上はかかるし……怖いよ。この機体」
恐怖以外に翔は違うものを感じた。
なんで退却しなかった?
疑問だ。
ソ連機なら撤退命令が出ているのであの空域にいるのはおかしい。亡命?いや、その意思があるなら撃って来ないはずだ。
「解せないな……」
「まぁ、スペック通りなら本当に悪魔だよ。29でも無理だし……あ」
「あんのか?」
翔の問いでふと我に返った那琥は頭を振った。
「あるっちゃあるよ。でも、あれは噂だからね」
那琥の指差した先にはベールをかぶった機体が4機あった。大きさはワイバーンより一回り大きいくらいだ。
「そう言えば結構前からあったな。あれって何だ?」
「機密だよ」
「言え」
「言ったらクビになるから、イヤ。てか、もう戦争終わってんだから417に会う事無いでしょ」
那琥にしては正論を点いていたので、翔は頷くほか無かった。
「ありがとう、那琥」
「良いってことよ。良い調べごとにもなったし」
翔はその場から立ち去った。去り際に例のベールに覆われた戦闘機をみた。中にどんな奴がいるのか、少し気になるがそのまま歩き始めた。
今日の格納デッキは博物館のようだった。
先の戦闘で収納されたA-4、F-4を始めとする第3世代の航空機やF-14などの第4から第5世代までの航空機も並んでいた。
空母の大地を蹴って大空を舞う事が叶わないと思われた往年の名機達が陳列されている中にあるF-28のコックピットの中に奈々子がいた。
「中尉、光さんが待ってますよ」
自機のコックピットに身を沈めている奈々子は翔の機体の方を指差した。
「わーった。サンキューな」
言われるがまま、翔は愛機の方へ向かうと、奈々子の言う通り、光がテロップに腰をかけて待っていた。
「どうしたんだ?」
「あ、翔。ちょっと話しがあって」
「話し?」
訝しげに翔は光に問い返した。
「いつもの場所に行こうよ」
光に言われるがまま、いつもの場所――左舷デッキへ向かう事にした。
†
同刻 CATCC(通信・司令センター)
神海はカフェオレと呼んでいるコーヒー風味の砂糖たっぷりの牛乳を飲んでご機嫌の様子でヘッドセットを付けて椅子に座っていた。
「平和ですね、先輩」
「そうね。落ち着いてカフェオレが飲みながら仕事ができるなんてね……」
隣に座る青山未来は好物の静岡茶を飲んでいた。
「ん?」
神海のヘッドギアに小さな雑音と一緒に小さな声が聞こえた。
『オウトウ……ヨ。ゴ……ネガウ』
よく聞こえないので、周波数を合わせると明瞭に聞こえるようになった。
『こちら、難民船だ。応答せよ。保護を願う』
「未来、レーダーに船団は見える?」
「はい。中型船が1隻」
「艦長に連絡。ウォーラン伍長、接舷の許可をもらって」
「アイ・マム」
那琥はとりあえず返答する事にした。
「こちらUSS『J・グラフトン』。貴艦の国籍を」
『ベトナム国籍だ。戦争から逃げようとしたら、GPSが壊れてしまったんだ。保護を頼む』
「それは少し待って下さい。現在、接舷許可を……」
「出ました」
「許可が出た。左舷に接舷せよ」
『ありがたい。助かった』
通信はここで終わった。神海は艦内放送で呼び掛ける事にした。
「30分後にハイライン・オフィサーは左舷デッキに集合せよ。繰り返す、ハイライン・オフィサーは左舷デッキに集合せよ」
ハイライン・オフィサーは接舷の作業をする人員の事である。
「戦争って、終わっても面倒ね」
「ですよね……願わくばもう起きないでもらいたいです」
†
薄い夜の色が空を塗りつくした。
この時間の空も翔は好きだ。静寂が辺りを包みこんで、嫌な事を忘れさせてくれる。
「翔、その……隼人くんから訊いたよ……クララって娘の事……」
クララ、その名を訊くと胸にナイフが刺さるような思いがする。自分が巻き込んだ不幸な存在。その事をよりによって光に訊かれてしまった。
「そうか……で、お前はどうしたいんだよ?」
「え……私は、ただ……ごめん」
傷ついている翔を救いたい……その言葉が出ない。それがおこがまし過ぎると自分でも解っているからだ。
自分の傲慢さ、そして何より翔の為に何か出来ない無力さに光はただ俯くことしかできなかった。
「光?」
「……ごめん。私ったら……翔の事、何にも解ってなかった。ホント、バカな女だよね」
光は無理やりな笑みを浮かべて自嘲した。
「あぁ。そんな、バカ女に悩みを話す俺はもっとバカだ」
「え?」
「わーった。戦争も終わったし、話すわ」
翔は後頭部を掻きながら一呼吸。心の整理を付けようとする。爆散する白い翼と、彼女の笑み。何もかもを思い出して話す事にした。彼は藍色に染まる水平線に向かって話しだした。
「俺が落とされたことあったろ?」
「うん」
「そん時に漂着した第7人工島で俺の尋問官をやってたパイロット見習いがクララだった。胡散臭すぎる位に優しくて良い奴だけど、転んだ拍子に俺の頭にボルシチをぶっかける、おっちょこちょいな奴だった」
忘れもしない。日本の話をした時に青い目を輝かし、無邪気な様子で話を聞いてた彼女の笑顔を。
「それでな……戦争が終わったら、東京で……あれ?」
彼女の笑顔がよぎるたびに視界が熱くなってぼやける。声が上手く出ない。
「翔……」
「俺、泣いてるのか?」
肩が震えている。時々、ちらつく灯かりが彼の頬に伝わる雫を照らし出す。
「はは……弱いな――俺って。甘ったれて人前で泣くなんて」
海軍最強と謳われたパイロットと呼ばれても翔はまだ『少年』だった。戦場ではいくら無傷で帰っても、心は傷を負ってぼろぼろ。そんな彼を光は
「ううん。弱くない」
震える肩に手をやった。
「甘えるのはね……誰かに自分の弱い所を見せる為の勇気が必要な事なんだよ」
「え?」
「それに、翔はこれまでにだって、普通の人じゃ乗り越えられないような辛い事を乗り越えた。こんなこと出来る人が弱い訳無いよ」
そう言っている彼女の目にも翔と同じ雫がこぼれている。
「だから、翔。どうしても立ち直れないなら、私があなたに手を差し伸べる。私は翔を救いたい……」
優しい手のぬくもり。翔はこれが欲しかったのかもしれない。ずっと、悲しみと罪悪感に打ちのめされていた自分を癒してくれる、小さな手のひらが。
「光……俺……ん?」
1隻の中型船が接舷しようとこちらに接近するのが見えて、翔の意識はそっちへ向かい、言葉を言いきれなかった。
そして、ハイライン・オフィサーが集合し、とても良いムードとは言えなくなった。
「あの船って何?」
ボロい船を見た光が不思議そうに翔に問う。
「難民船かなんかだろ。補給とか保護を求めてんのか?」
ハイライン・オフィサーの一人が接舷ワイヤーの前に、アダプターを銃口に付けたM14ライフルを発砲。糸道を付けたカートリッジが目標へと撃ちだされ、見事に難民船に引っ掛かり、接舷ワイヤーをその紐を通して難民船へ送った。
固定。
マシーンがワイヤーを巻き上げ、難民船がこちらに近づいてくる。オフィサー達は熟練の技で、接舷作業を終了させた。
かけ橋から難民船の船長らしき中年でタミル系の人物が友好的な笑みを浮かべ、ハイライン・オフィサーの代表に握手を求めた
「ありがとう。これで私たちは救われた」
それに応じる代表。
だが、船長が手を握った瞬間。翔の背筋に冷たいあの『感覚』が走った。
「ん?」
まさかこれって?翔は船長の動向を見た。
刹那、船長の左裾から白光する何かが現れ、その何かを目にも止まらぬ速さで代表の喉に突き刺した。声もなくオフィサーの代表は倒れ、血だまりを作る。
「やれ」
船長の合図で隠れていた難民らしき一団が甲板の物陰から現れ、一瞬の出来事に困惑するハイライン・オフィサー達に発砲した。
銃声は聞こえない。サイレンサーを付けているようだ。
「っ!!」
バタバタと倒れて行く10人近くいた作業員たち。人の死を見慣れてない光にはショックが大きすぎた。
「逃げるぞ!!」
翔は丸腰だ。戦おうにも武器が無いので、整備デッキへ光の手を引いて飛ぶように退避した。