MISSION51 終戦の翼
燃料を補給しにイーグルナイト隊は一時退却した隙にペペリヤノフの隊もまた燃料及び弾薬の補給を済ませ、空に再び上がった。しかし、残ったのは30機のSu27とMig29に化石ともいえるMig21が20機だけ。
「撤退は始まったか?」
『はい、中佐。航空隊の援護のおかげで何とか……ですが、追撃もあるので気が抜けません』
ペペリヤノフの問いに、艦隊のオペレーターが答えた。
「残存の航空兵力へ、味方の艦隊が危険海域を抜けるまでが勝負だ。抜け次第、燃料の続く限り、故郷へ目指せ。残って戦う必要はない。若いお前らはここでは無く、祖国を立て直す戦いが残っている。以上だ」
『了解』
49個の声が彼に異口同音に答えた。絶対の信頼と敬意が彼らの声にはある。それはひとえにアンドレイ・ペペリヤノフが前線で共に血を流す理解者だからであろう。そんな彼の為に兵は戦い、そんな兵の為にペペリヤノフも戦うつもりだ。
『一人は万人の為、万人は一人の為に』
ソビエトの国父レーニンの言葉だ。その子孫たる彼らはそれを体現しているのである。
『前方に敵艦隊!!』
艦隊の進路を覆い塞がるかのように展開する敵艦隊。その旗艦たる航空母艦から飛び立つ艦上機。何もかもが味方艦隊の脅威になる。
複数機で迎撃にかかれば防空システムに一網打尽にされる。しかし、単機でいけば間違いなく死が待ち受ける。
ペペリヤノフの手には選択が迫られた。自分を囮にして、味方を逃がすか堅実に戦って敵の兵力を減らすか……
答えは決まっている。
「クローベル2以外の各機、艦隊上空へいけ。迫りくる敵機を迎撃せよ」
『了解』
クローベル2以外の機体は祖国へと向かう味方艦隊へと向かう。そして、クララとペペリヤノフは空で二人きりになった。
『わしらだけになったな……ペペリヤノフ戦隊のメンバーは……ワン、ロアニアビッチ……そしてリジーナ……良い腕の連中は皆もういない』
独り言のような通信がペペリヤノフから来た。
確かにもういない。最強と謳われた歴戦の戦士は皆もういない。クララの胸にはせつなさと寂しさしか残らない。いや、ペペリヤノフは彼女以上にそれを感じているのであろう。
『クララ、お前は死んでくれるな。わしらの事を生きて語り継いでくれよ』
「え……どういう事ですか?」
『亡命して、日本へ帰れ』
「え!?」
ショックだった。一緒に戦った父親のような彼に最後の最後で裏切られたような物だから。
「なぜですか!?」
『この先、お前がソ連に帰れるか解らないからだ。お前があの大艦隊の砲撃から生きて帰れるか解らんし、ソ連が負けて軍事裁判でお前が罪を着るような事になってほしくないからだ』
「ですが!!」
『クララ、歴史は勝者が記すものだ。敗者の入り込む余地は無い――。だからこそ敗者の戦を知っているお前が生きて語り継ぐのだ。アンドレイ・ペペリヤノフとその部下の戦いを』
最後にペペリヤノフは彼女に言った。
『生きるのだ。クララ・ヤマムラとして……平和な時代を』
と。そして、彼は機首を下げ降下を始める。
「中佐!!」
もう遅い。彼は敵の弾幕の中へと飛び込んだ。
護衛艦からから放たれるミサイルと対空機銃弾の雨。
それを単機のSu36が回避し続けた。機体がねじ曲がりそうな旋回を繰り返す。蝶のように舞い、蜂のように刺す。まさにその言葉の通りに彼は敵の艦隊に攻撃を仕掛けた。
鬼神の舞。それ以外に形容できる言葉が見つからない。
それのおかげで、敵機と敵艦の銃口はペペリヤノフ一人に向けられている。
『中佐、艦隊は危険海域を抜けられました!!』
よし。上出来だ。
ペペリヤノフは一瞬気を抜いてしまった。それが命取りになり、主翼と尾翼に20ミリの弾が直撃。コントロールが不能になった。それだけではない。コックピットの装甲板を貫いた砲弾が腹に突き刺さった。
「くっ……もう無理か」
むざむざ水面に叩きつけられて死ぬのも何だか味気ない。彼の脳裏にふと、アイディアが浮かぶ。
「カミカゼか」
同じ死でも一矢報いてやろう――そう彼は思った。
「よし!!人喰いの花道、貴様らの命で飾らせてもらうぞ!!」
人喰い鬼は吠えた。海に浮かぶ空母にその機首を向け、エンジン出力にモノを言わせ加速し肉薄する。
空母からのシースパロー迎撃ミサイルを避けては避ける。
「すまん。エカチェリーナ」
ディスプレイの隙間に挟んである写真のペペリヤノフと一緒に映っている美しい女性、エカチェリーナに彼は詫びた。
「こんなふがいない男を亭主に迎えてくれて……わしはお前と過ごした日々はどんな時間よりも幸せだった」
またミサイルを避ける。もう何発よけたか数えられ程ではない。
「愛しい娘、ナターシャ」
今度は写真の自分の腕の中にいる少女に語りかけた。
「すまない。5つになるお前に父親らしい事を何一つ出来やしなかった。許してくれ」
自動迎撃システムの20ミリガトリングの嵐のような掃射。ペペリヤノフはそれをロールで回避。弾よけの魔法がかかっているかのように当たらない。
「二人とも強く、生きてくれ……」
空母の甲板が手に届きそうになった時だった。目の前に散って行った戦友の姿が見えたのだ。
「ほう……待っていてくれたのか?」
ワン、リジーナそしてロアニアビッチ、散った仲間は皆頷く。
「今逝くぞ戦友よ」
刹那、空母J・グラフトンの側面で命とケロシンが燃料となった爆発が起きた。
アンドレイ・ペペリヤノフ 総撃墜数102機 11月20日 午後5時21分 横須賀沖で戦死。
†
一連の特攻の姿を見た翔は狂気以外の何かを感じられた。敗走する味方艦隊を逃がすために決死の囮になって散った男、アンドレイ・ペペリヤノフに彼は一種の敬意のようなものを感じた。
『こちらデビル、甲板が先ほどの攻撃で使用不可能になった。残骸撤去が終わるまで上空待機してくれ』
神海のアナウンスが空に上がったイーグルナイト隊に伝わった。
「イーグルナイト1より各機へ、聞いたな?上空待機だ」
『ウィルコ』
翔は左へバンクし、空母の飛行甲板の上を通過。そして……彼は燃え上がる飛行甲板に眠る味方を己の命を賭して逃がしたパイロット、人喰いペペリヤノフに敬礼した。敵ながらにも畏敬の念が彼には芽生えていた。本当にペペリヤノフは大きい人間だったのだと。
「翔、僕達あてに通信だ。コード148.92」
クララだ。翔は彼女をこの場に呼ぶのは少し危険だと判断し、編隊を離れた。
『翔、どこへ行くんだ?』
突然、編隊を離れた翔を不審に思ったフランクは問う。
「民間機の救難シグナルをキャッチした。羽田まで誘導してくる」
『解った。気をつけろな』
フランクが素直な奴で助かった。翔はすこし安堵をおぼえて、クララの元へ向かった。
「つなげてくれ」
隼人は翔の言う通り、無線機の周波数を合わせる。数秒のノイズのあと……その声は聞こえた。
『聞こえる?』
「あぁ」
レーダーの点と点が重なる時、純白のベルクトは姿を現した。射し込める夕日に照らされた彼女の機体は水面に浮かぶ白鳥を連想させるように美しかった。
その白鳥は優雅に旋回して、翔の左翼についた。キャノピーの向こうにいるクララは酸素マスクを外し、翔達の方へ向く。翔はそれに答えるかのようにマスクを外した。
「どうしたんだ?」
まさか決闘を挑むのか――翔はそんな不安も胸に複雑な気分で操縦桿を握っている。
『……日本に帰って来たんだ』
「え?」
日本に帰る……翔と隼人にはその意味がよく解らなかった。クララは続ける。
『ソビエト空軍クララ・ハリヤスキー少尉……いいえ、山村クララは日本に亡命します』
あまり嬉しい帰国ではないような声色だった。日本に帰るのをあれほどまでに望んでいたクララ。なぜだろうか。
「なんで、お前……」
『二人の男性との約束を果たすために』
「どういう事だ?」
ますます解らない。翔は聞き返してしまった。
『私の上官、ペペリヤノフ中佐と日本で生きて行くと約束したの。これが、約束の一つ目。、もう一つは……』
クララの上ずっている声が聞こえる。泣いているのだ。上ずっている声を抑制した彼女は続ける。
『翔くん。あなたとの約束だよ』
約束――あぁ。尖閣諸島で交わした約束だ。平和な日本で普通に遊んで、普通に笑おう。翔はクララの言葉を聞いて思い出したのだ。
『覚えてる?』
「あぁ。忘れはしなかったよ。一度も」
言葉など要らない。二人の心は現在通じ合っている。敵と味方、人種も何もかもを超越して。
東京湾の上空、高度1000メートルの中空に低くエンジンが響き茜色の夕日が銀翼を照らしつける。
『ここってお台場?』
「あぁ」
先の戦闘で崩れ落ちたフジテレビの建物。いや、お台場だけでは無い。東京の全てが壊れたビルに満ちているのだ。
『本当に……ごめんなさい』
「別にお前が謝るべき事じゃないよ。これは戦争。どっちもどっちだ」
『でも……』
「俺も同じことをお前のいた人工島にした……だから、言わないでくれよ」
翔はクララの住んでいた島に爆弾を落とし――罪の無い子供を殺した。今、思い出すだけでも胸がえぐり取られるように辛い過去だ。
『うん……わかった』
もうそろそろで羽田へのアプローチを開始する空域に入る。翔は一度、無線の周波数を航空管制に変更しようとする。
『翔くん!!』
突然、クララが声を上げた。そして右上方へロールし、翔のF-28に覆いかぶさる。
「クララ!?」
一瞬だった。
黒い何かが、翔の真上から機銃弾をばら撒きながら降下してきた。
その一瞬で翔は何かの正体を見た。戦闘機、漆黒の前進翼をもった機体。だが、それは翔の脳のデータベースには無い機体、未確認機だ。
「クララ……?」
一瞬の事で何が何だかわからない。突然、黒い戦闘機が上空から一撃離脱し、クララのベルクトが盾になって……
爆発した。
クララの機体は翔の後方100メートルの地点で爆散していた。
「え……ウソだろ?なぁ……クララ!?」
動揺は怒りへ……翔は憤怒の炎を燃やしながら未確認機が流れて行った方向へ旋回。
「殺してやる……殺してやるよ!!」
「待って翔!!」
フルスロットル。エンジン出力全開。
でも、一向にスピードは出なかった。情けなくエンジンが『ブスッ』と不発した。
「何ぐずってんだよ!!」
「さっき、那琥がエンジン不調って言ってたじゃないか」
どんどん遠ざかっていく、黒い未確認機。翔は何度も何度もスロットルを前後し、エンジンの出力を上げようとしたが、意味は無かった。
「待てよ……殺してやる。殺してやる!!」
憎しみに身をゆだねがら翔は遠ざかる背中を追いかけた。クララを殺したあの黒い戦闘機のパイロットを殺すために。
だけど……追いつけなかった。
エンジンは加熱し危険域まで達したので、隼人が操縦権を奪って羽田まで機体を持っていった。
「やめろ!!俺はあいつを!!」
「ダメだよ!!機体が壊れるから」
翔は泣き叫んだ。クララが死んだ。大切な友人、ずっと逢いたかった彼女が目の前で奪われた。何もできずに、自分をかばって。それが情けなく、悔しくて悲しくて。
「クララァァアァァァァァァァァァァァァァァ」
その10日後にモスクワは連合軍に制圧され、ソ連は無条件降伏した。10年にわたる戦乱は幕を閉じた。総勢10億人の帰らぬ命の代償は、人類の科学の新たな一歩の道標になるであろう、新資源プロトニウムの覇権だけだった。
人はこの戦乱を第三次世界大戦と呼び、後の歴史に残る戦争となった。