MISSION50 絶対の30分
午後4時32分 横須賀
空母 J・グラフトン
ディスプレイに映る横須賀の地図にある無数の点を野崎進中将はそれを満足そうに見ていた。
「制圧は時間の問題か」
基地は戦車隊に包囲。空ではソ連のわずかな迎撃機が決死の抵抗を行っているだけ。対するソ連に関しては増援の気配もない。
「中将!!報告です」
通信士の青山未来が慌てた様子で指令所に入ってきた。
「どうしたんだい?」
野崎は敵の増援かとすこし身構える。だが、彼女の様子ではそれは言いそうにない。
「ヨーロッパ戦線の師団がモスクワの包囲に成功との事です」
吉報だった。未だかつて敗れた事の無い『冬将軍』とロシアの兵士というタッグを連合軍の陸軍が打倒したのだ。
「そうか……戦争もそろそろ終わりそうだな」
強行に近かった東京攻略作戦はソ連の疲弊を意味していたと言っても過言では無かった。早期にアメリカ大陸を叩いて、戦争を終わらすというのがソ連側の戦略だった。しかし、早期決戦をするには兵力が十分では無く逆に懐に隙が出来てしまい、モスクワを包囲される結果となった。
「よしチェックメイトをかけるぞ。艦隊、前へ。陸と海から挟み撃ちにする」
野崎中将はJ・グラフトンの勘栄が刺繍されたキャップを深くかぶって伝達した。
†
敵編隊の迎撃の為に空へ上がったペペリヤノフに突如通信が来た。
『同志ペペリヤノフ、聞こえるか?』
東京攻撃軍司令エフゲーニン・ラジョルワ少将からだ。彼は絵に描いたエリート士官で、現場の兵士の気持ちを知らないし、一種の消耗品程度にしか思っていないような言動などでペペリヤノフは彼に嫌悪の念を抱いている。
「なんです?こっちは忙しいのですが」
『我軍はこれより、ウラジオストックへ撤退する』
「なんですと!?」
撤退。我々の敗北。ペペリヤノフはその事実に打ちのめされるも操縦桿を握る手を緩めなかった。
『君達、航空兵は30分後に出発する我々の艦隊の護衛をせよ』
「30分?ここにいる五万人の兵士はどうなるのですか?」
『知った事か。とにかく上空援護をしたまえ。解ったな?』
知った事か――この言葉はペペリヤノフの怒りに火を付けた。
「ふざけるな!!貴様らの為に何万にもの若者、何人の俺の部下が死んだと思っている!?なのに生き残った部下を置いて、大将だけが尻尾を巻いて逃げる?貴様は玉無しの資本主義者にも劣るクズ野郎だ!!」
空に響き、大地を震わすような怒鳴り声だった。
『ペペリヤノフ、粛せ……』
「もう死に行く身だ。そんな脅しは意味なんざ無い。なら、わしが貴官を脅そう。生き残った兵士を全員祖国へ帰せ。さもなくば、上空援護をしない」
『貴様……』
噴き出る醜い憎悪のうめき声。ペペリヤノフは清々しい気分で続ける。
「資本主義者のヘタクソでも足の遅い艦隊は沈められますもんなぁ……さぁ、どうします?兵を祖国へ帰します?それとも人類の祖国である海に帰りますか?好きな方をお選びください」
『……わかった。尽力しよう……だが、忘れないぞ。貴様の言動を』
「クソ食らえだ」
ペペリヤノフは意地悪い髭面に笑みを浮かべ、通信を一方的に切った。そして、クララの機に通信の周波数を合わせた。
「クララ、聞こえるか?」
『何ですか?』
「お前は日本とソ連、どちらに帰りたいのだ?」
『え……』
クララの困惑の声色が聞こえる。だが、数拍後。
『解りません。両方とも私の祖国ですから』
「そうか。なら良い」
ペペリヤノフの声はどこか優しかった。最後に彼は編隊無線に合わせて後続の編隊に告げる。
「各機、30分だ。友軍の脱出には30分かかる、ここで持ちこたえるぞ!!」
『了解!!』
「続け、同志達よ。気高い負け犬でいようぞ!!」
そう言ってペペリヤノフは
横須賀の空は燃えていた。ケロシンで燃え上がる炎と黒煙は青空を曇らせる。見慣れた光景だが翔はそれを見るたびに陰鬱な気分になる。
この世の何よりも美しい空が人間のエゴでこんな容易く穢されるからだ。
『2よりイーグルナイト1へ、敵の編隊……12機ほどこちらに接近しています』
「わーった。近くのユニコーン隊と協力して迎撃するぞ。いいな?由衣」
『あいよー。任せて』
イーグルナイトの数は6機とも生存に対し、ユニコーンはさっきのファーストコンタクトで4機に減少した。10対12、戦えないわけでは無い戦力差だ。
イーグルナイト隊は翔とアリスそしてフランクの三角編隊を前に、残る3機は後方支援。ユニコーンは腕利きばかりだろうか、翔達の隣について突撃の準備をしている。
「隼人、会敵までどのくらいだ?」
「あと30秒」
中距離ミサイルも底をつかしているので翔達の持っているカードはドッグファイトしかない。敵機が中距離ミサイルを持っている事を想像したら生きた心地がしない。
死神の鎌が降るか振られないか――この30秒はそういう時間だ。
心臓がエンジンのピストンさながらに動き回る。汗が噴き出しそうだ。
「あと10秒」
どうやら敵は中距離ミサイルを持っていなかった。翔は微量の安堵を感じたが、それはすぐに消え去った。敵の編隊の先頭を見たら……
「人喰いか……!?」
落葉迷彩のSu36戦闘攻撃機。そう、この実用性の欠片もない迷彩をしているのはソ連ではアンドレイ・ペペリヤノフただ一人。
「ほう……イーグルナイトか」
青、オレンジ、薄いピンク、そして赤色。そのカラーリングを施したF-28を運用している部隊はイーグルナイトだけ、ソ連の兵士の間では常識に近い。そしてその隣を飛ぶのは『魔女』。言わば最強コンビのお出ましだ。
『中佐、どうしますか?』
「案ずるな、クララよ。お前は魔女をやれ。前進翼機はちと後ろの連中じゃ分が悪すぎる。わしは……」
先が言えなかった。『カザミヤをやる』と。クララの友人であるカザミヤを殺すと。
「中佐?」
不安そうなクララの声。ペペリヤノフは何も言わなかった。だけどクララには覚悟が出来ていた。敵と味方に分かれ、同じ戦場にいればいつかこうなる――解っていても辛いものがあった。
「はい。解りました……ご武運を」
『すまん。クララ』
いつもの力強い声ではなく、少し弱々しい残念そうな声だった。
『各機、ここが絶対防衛線だ。勝ち残りたければ不可能を捨てろ。行け!!』
ペペリヤノフが先陣を切ってアフターバーナーに火を灯した。後続機は置いてかれない様に加速。音速の騎兵達が決死の突撃を始めたのだ。
「来るぞ……」
自分に煮え湯を飲ませたエースパイロット、人喰いペペリヤノフ。今回も勝てるか解らない――そんな不安を胸に翔は操縦桿を握っていた。
「翔……今回は大丈夫だよ」
「気休めならいらない。気を休めたら勝てない相手だからな」
翔の声には緊張の色がにじみ出ていた。緊張する彼とは裏腹に隼人からは笑みがこぼれている。
「いや、翔ならできる。そんな気がする」
確信の笑みだった。幾度の死線を越えた二人なら解りあえる事の出来る確信。そんなモノを隼人は感じている。翔もそれを感じたらしく、ふと口が歪んだ。
「あぁ……」
今度は負けられない。翔はそう思った。
「イーグルナイト1エンゲージ、各機戦闘始めろ。風の導きがあらん事を」
翔は瞬時にペペリヤノフの背後を取ろうと右へ旋回した。それに応じるかのごとくペペリヤノフも旋回。巴戦を始めた。
「ぐっ」
旋回性能ではF-28の方がSu36に優っているが、ペペリヤノフは隙の無い機動で翔に背後を取らせまいとしている。人間の耐えうるGを越えた技を難なくこなすペペリヤノフは翔と隼人に『恐怖』のに文字を与えた。
「この野郎!!」
さらに鋭く旋回。身体の最大Gに近い旋回を翔はした。
締めあげられる肉体。体の節々から軋むような音が聞こえそうなくらいに過酷な空戦。
「よう……やりおる」
ペペリヤノフは相手の技に感嘆の言葉を漏らした。
「センカクのあの男のようだ……」
ペペリヤノフには動きは違うが、尖閣諸島で戦ったF-28のパイロットと同じ何かを感じる事が出来た。
生への執着?否、不屈の闘志だ。
「日本人特有の勇敢な心――ヤマトダマシイとかいう奴か」
自分より大きな相手にも立ち向かい、戦って勝つ。そうやって自分たちの先祖はこの小さな日本人の先祖に負けたのだ。
「だが、今回は負けん!!」
彼もまた機体が壊れんばかりの急旋回を行う。骨が砕けようとも翼がもげようとも、この戦いに勝ちたい――負けず嫌いな少年のような心がペペリヤノフにそうさせるのだ。
†
由衣はいささか不利だった。自分より旧型とはいえ改良を重ねた白いベルクトのパイロットの操縦技能はなりに高く、彼女としては苦戦を強いられている。
「やるじゃない」
由衣の空戦の特徴は『変幻自在』だが、敵も同様に柔軟でとらえどころの無い機動が目立つ。
たがいに一歩も譲らない。隙を見せる事無く尻に噛みつこうとする2機の描く軌跡は絡み合うロープのようだった。
由衣は操縦桿を目一杯引く。高度を変えないクルピット、その背面の状態で背後から迫るベルクトに機銃を掃射したが、敵は上方へ跳ね上がって回避。
「やった」
この瞬間を由衣は待っていた。この回避運動によって出来た隙に乗じて相手の背後に回り込む。
「やっぱり魔女……」
さっきの一撃を避けられたのは良いが今度はこちらが追われる番。『日本海の魔女』――秋月由衣中尉は変幻自在で大胆な空戦が特徴のパイロットであると訊いているが、ここまでとは知らなかった。
「でも、私だって!!」
クララはベルクトの鎌首を上げて急減速する機動――プガチョフコブラをした。
急な空中停止。追い抜くF-29。成功だ。
「負けない……日本に帰るまで……いや」
前方の目標に照準を合わせたクララは一言。
「翔くんにまた会えるまで」
引き金を絞ったがこれも当たらず、戦いを終わらす事は出来なかった。