MISSION47 復讐の果てに
後方のF-28はリジーナも目を丸くするような速さで照準。20ミリの死のラッパを中空で響かせた。
「っく!!」
エンジン破損。尾翼も引きちぎられ、操縦なんて出来る状況じゃない。幾度も死線を越えてきた自分の愛機だが今回は無理らしい。
「クソ!!」
悔しさが胸に満ちたリジーナは脱出レバーを引いた。キャノピーは爆散し、ロケットモーターが火を噴いて、リジーナの体を乗せたイジェクション・シートは舞い上がる。
開傘。
イジェクション・シートからリジーナの体は切り離され、パラシュートで落下。ここまで来ると神頼み……弾や機体にぶつからない様に祈り続ける他無い。
「ったく。情けないねぇ。こんなの脱出の訓練以来だよ」
リジーナはヘルメットを外してぼやく。空に舞うタンポポの種になった事はこれが初めて。貴重といえば貴重だがもうしたくは無い。
「帰ったらぺぺリヤノフのおっさんに笑われるわ……っぐ!!」
突然、胸のあたりに何かが突き刺さる感触がした。何があったか胸のあたりを一瞥すると、彼女は言葉を失った。金属の破片が突き刺さっていたのだ。対空砲の破片?
「がっは!!」
こみ上げる血に耐えかね、リジーナはそれを吐きだして忌々しそうに胸に刺さる破片をみる。その破片は黒く、どうやら自分の機体が爆散した衝撃で飛び散った物のようだ。
「はは……散々資本主義者ぶっ殺して最期はこのザマ……か」
情けない。この23年の人生の最期がこれだと思うと泣けてくる。目の前で親を資本主義者に惨殺され、パイロットになり出来るだけ多くの資本主義者を殺す為にささげたこの人生……彼女は後悔していなかった。でも、後悔は何個かある。
空母にいる子犬のベル。エサは誰が与えるのだろうか?多分クララが与えるだろう。
故郷の草原でもう一度寝ころびたかった。あの美味い空気と母の作ってくれたクッキー。また味わいたい。
最後は――クララだった。戦争の似合わない優しい子。あの子が自分無しでやっていけるのだろうか?
「クララ――あたし、知ってたよ。あんたが日系だった……て。水臭いじゃない。あんたはあたしの妹みたいなものだったのになぁ……あんたの全てを受け入れるつもりなのに」
初めて話したあの夜、クララが独り言で流暢に日本語を話したのをリジーナは聞いていた。だが、ペペリヤノフに報告も出来ず、問い詰める事も出来なかった。最初は、彼女が少し疑わしかった。でも、彼女の根底にある優しさと優秀な技術がリジーナの疑念を注ぎ落してくれた。
「死ぬんじゃないよ、クララ。あんたは優しい時代を生きなさい……あたしたちの分も」
パラシュートの向こうに広がる青空が美しい。今でも鳥が羨ましい。だって、気ままにここを飛べるから。死とは関係なく自由に飛べるから。
――あたしも飛べるかな?
リジーナは目を閉じた。瞼の裏に浮かんだのは、故郷の草原と笑顔の良心の姿だった。
勝った。兄の仇を取れた。勝利の美酒は心を満たさず、代わりに奈々子の心は乾く一方だった。
「おかしいな?仇とったのにちっとも嬉しくないな」
よく解らない空虚な感じ。
「ねぇ……仇とったよ。お兄ちゃん、中尉」
何も返って来ない。
「ねぇ……お兄ちゃん。いつもみたいに褒めてよ……いつもみたいに頭を撫でてよ……いつもみたいに傍にいてよ……お兄ちゃん!!」
何も帰って来ない。
奈々子は虚無感が何なのか気付いた。
「お兄ちゃん……」
彼女が欲しかったモノ……それは復讐相手の命などでは無かった。兄の温もり、家族の温もりだけだった。
「何で?何で答えてくれないの?」
沈黙。奈々子を包んでくれた陽だまりのような時間ではなく、無機質なワイバーンのエンジン排気音が彼女を包む。
「帰ってきてよ!!お兄ちゃん」
悲痛な声が戦場に響く。だが、それは戦場ではありふれたどこにでもある声だった。
†
2015年11月11日 午後9時12分
東京湾沖 空母J・グラフトン
この日、多くの兵士が犠牲になった。若くとも勇敢で明るい未来を担うはずの若者達……総勢2500人は死んだ。敵を合わせばこれを裕に倍以上になる。
皆疲れ果て死ぬように睡眠を貪る中、奈々子は一人でハンガーにある自機の上でする事も無く呆けていた。今日、この手で人を何人殺したのだろう?そして何が自分に出来たのだろうか?色々な事をこの一瞬で考えていた。
「なーなーちゃん」
呆けていた奈々子は機体の上にアリスが上っていた事も気づかずにいた。だが、頬に温かい缶を当てられ、ビクンと身体を硬直させた。
「中尉……」
疲れ果てている声だった。アリスの手には甘い事で有名な『とろーり・ココア』が二つ握られ、左手の方を奈々子に差し出していた。普段は断るのだが、今回は思考も朦朧としていて、なすがままにアリスから缶ココアを受け取る。
「飲んでください」
アリスはプルタブを引っ張り缶を開ける。そして、舌を湿らせて奈々子に問う。
「調子はどうです?」
「え?」
「戦いが終わって調子はどうですか?」
唐突な問いに奈々子は少し驚いた様子を見せる。少しの沈黙の後、奈々子はアリスに答えた。
「心に穴があいたような気がします」
「穴?」
アリスは訝しい様子で聞き返す。奈々子はコクリと頷き続ける。
「はい……今日、私は兄の仇を討ちました。リジーナ・カリヤスキーを墜としました。でも……ちっともうかばれないし、嬉しくもない……どうしてですか?」
「その……ななちゃんは彼女に復讐したかったんですか?」
「いえ……私はただ……」
その先が出ない。奈々子はそれを無理やり出そうとすると、言葉の代わりに涙が出てきてしまった。
「ただ……お兄ちゃんと皆が傍にいてほしい。それだけなんです!!復讐なんてどうでも良かった……ただ……いつもみたいに笑っていてくれれば、私はそれだけで十分なんです」
この気持ちはアリスには痛いほど解る。5年前に兄を亡くし、今に至る。彼女の中では兄、カールの死を乗り越えたつもりだが、乗り越えられてない一面もある。
「それだけで……私、十分です……」
気付いたら奈々子はアリスの胸に飛び込んでいた。普段は甘える様子なんて見せない奈々子。子供っぽさを必死に隠そうと奮闘している奈々子。彼女は寄る辺を求めるかのようにアリスの胸の中で泣きじゃくった。
「ななちゃん……」
かける言葉にアリスは迷う。自分にもそれは言える事――竜也はもちろん、カールが戻るなら戻ってきてほしい。こんな戦争、早く終わればいい。そう思っているゆえに彼女は言葉をかけられない。
心の傷を癒す最高の薬は『時間』だという事をアリスはこの不毛な戦争で学んだから。でも、彼女は重い口を開き、泣きすがる奈々子の頭をそっと抱いてやる。
「ななちゃん。けっしてあなたは一人じゃないです。あなたの隣には素晴らしい仲間が沢山います」
泣きすがる奈々子の耳に届いているのか?解らないが彼は続ける。
「翔くんや私には一人も『部下』なんていない。何でか解ります?」
奈々子は首を横に振った。でも、思い返せばそうだ。アリスや翔は一度も自分や怜、俊太の事を部下と呼んだ事が無い。その代わりに……『仲間』と呼んだ。
「それはね……仲間は『血が繋がって無くても家族』っていう言葉の言い換えみたいなものだからです」
アリスは照れ臭そうな様子で続けた。
「私とあなたはは他人です。でも、家族と同じくらい大切な存在なんです。だから、皆の事を『仲間』って呼ぶんです」
「仲間……」
「えぇ。あなたと竜也くん、そしてイーグルナイト隊の皆は私にとってかけがえの無い仲間なのです」
ますます泣けてきた。同じ境遇のアリスに言われた言葉もそうだが、それよりも自分が一人ぼっちでは無い事が解ったからだ。
「私……ずっと勘違いしてたかもしれません。お兄ちゃんが居なくなって悲しいから泣いてたんじゃなくて、自分が一人だったからそれが悲しくて泣いてたのかもしれません」
奈々子は『空っぽ』の正体が解った。それは『竜也の死』だけではなく『孤独』。竜也や両親に死なれてからずっと一人ぼっちだった、寄る辺の無い状態の事だと。
「一緒に飲みましょ。亡くなった母がココアを入れてくれました。ココアは元気のもとです」
アリスに言われるがままに奈々子はプルタブを開けココアをすする。空っぽな心を満たすように。
「でもね、私も寂しいんです。カール兄さんがいなくて……そう、思うたび皆の事を思い浮かべるんです。そうすれば、私は一人じゃないって思えるんです。辛くなったらいつでも呼んでくださいね」
そう言ったアリスの頬に一筋の光が見えたが、それがこぼれおちる前にアリスはココアを飲む。どこにでも有る陳腐な味。でも、このココアの味を二人は一生忘れないだろう。同じ傷を持った者同士の飲んだココアの味を。